9話「祭囃子と転生者たち・後」
書類を提出した関係上、入場ゲートの建設に立ち会うこととなったのだが。まさか、パルテノン神殿をモチーフにしたアーケードになるとは思わなかった。
校門から校舎まで、約五〇メートル続く細長い屋根を見下ろして当日のことを思い出す。
電動車椅子に座った私と、後ろに立っている百合。隣には土建業者の中年と、目の前に積み上げられる木材の山。
パルテノン風味のゲートを作ると思っていた私は、規模に驚いた上で張りぼて本格的な建設に顔を引きつらせた。
張りぼてじゃないのかよ……
「金持ちの感覚がわからん。普通、校門にアーチを作って終わりじゃないのか」
「歴代の学園祭と比べて、今年は少し地味にしたようですが?」
実行委員会室から見下ろす長い建築を見て、百合が漏らす。
ゲートの下を通って入場しているのは父兄だろうか。ちらほらとテレビで見たことのある顔があるのは気のせいだと思いたい。
「地味。そうか、地味なのか……参考までに、前はどんなものがあった?」
ご覧になってないのですか? と怪訝な表情が私を捉える。
そこまで目を通している時間などなかったのだから仕方ない。
どこぞの目立ちたがり屋がバリバリ働く姿を見せたかったらしく、人員を絞りに絞ったおかげで処理内容が多かったせいだ。
立ち会うだけの簡単なお仕事と聞いていたので、アーチの計画書も禄に目を通していない。
当日になり、建設規模の大きさに慌てたのはそのせいもある。
「そうですね……たとえば、去年は凱旋門とエッフェル塔だったそうです。その前は万里の長城だったと記録がありました」
金持ちってアホなのだろうか。
「開会式にいないと思ったら、ここにいたのか」
「おや委員長。見事な開催の言葉でしたね」
彼の手にある紙が、くしゃりと音を立てた。
眉間に皺を寄せ、彼は怪訝な目で私を見下ろしてくる。
苦虫を噛み潰したような、とはこういう表情をいうのだろう。
「百合、てきとうに文化祭で遊んで来い」
「え、いえですが……」
「私なら、ここでゆっくりしているから気にするな。友達に誘われていただろ?」
本当に誘われていたかは知らないが、それで察してくれるのが彼女のいいところだ。
視線が私と委員長を何度か往復し、諦めたように肩を落とす。
最終的に丁寧なお辞儀をして退室したが、あれはきっとどこかで待機するつもりだろう。
委員長が出て行くのが見えれば、すぐにでも戻ってきそうだ。
「まったく、素直に楽しんでくればいいものを」
「君が連れ出せば遊ぶだろうさ」
ふんと鼻を鳴らして、委員長が机の上に紙を投げる。
あれは開会式の言葉を書いた原稿か。彼が不機嫌なのも、そこに原因があるのだろう。
「この開会の挨拶を書いたのは君なんだってな」
「ええ、歴代の資料がありましたから。細部を変えて書きましたが。気に入りませんでしたか?」
いいや、と彼は首を振りながら立派な椅子に腰掛けた。
背もたれに体重を全部預けたのか、僅かに軋みの音が響く。
「昨日、講堂の暗幕が足りなくなったそうじゃないか。それも、君が手配したらしいな」
「そうですね。旧倉庫の方に在庫があるかもしれないと、少し前に何人か業者をやりましたから。誇りまみれでしたが、クリーニングが間に合ってよかったです」
今度は天井を見上げて、大きく息を吐き出した。
相当きているらしい。
できる限り影に徹したつもりではあったが、元が少人数である。
もちろん、私のやった仕事が少ないわけもなく。更に言うなら、先を見越した根回しなんて普通の中学生に求めるものではない。
本当なら、教師がフォローするようなところだ。
「僕はな。長谷川さんが好きなんだ」
だからどうした、と言いかけて喉の奥に押し戻す。
なんとなく自分に酔って語りだしている感はあるが、邪魔をすると話は進まないのだろう。
ここは背中が痒くなるのもぐっと堪えて、話を聞く。
「今回のことで、僕の有能さを見てもらうつもりだったのに……それがどうだ。ふたを開けてみれば、どこへ行っても大なり小なり橘夏樹の名前が出てくる! なのに開会式に本人はいもしない!! 君は何がしたいんだ!!」
「いや、円滑に文化祭を実施したいだけですけど」
途中から完全に八つ当たりだった。
フォローに回ったのだから、そこら中で名前を聞くのも致し方ない。細かい問題は虱潰しにするしかないのだ。
その代わり、大きな部分はかなり明け渡したはずなのだが。
この説明を彼が聞いてくれるだろうか。
「くそ……長谷川さんは君が好きなようだし、こんな三角関係じゃ勝ち目もないじゃないか」
「なんだ、その片側一車線みたいな三角関係……」
追い越しもできなければUターンもできないじゃないか。
できるなら自暴自棄に入るのは、文化祭が終わってからにして欲しい。
実行委員長である彼には、まだ閉会式といくつかの場所で今回のスポンサーに挨拶をする大役が待っている。
ここでやる気をなくされると、いろいろと面倒になるのは火を見るより明らかだ。
それに、彼は少しばかり勘違いをしているらしい。
世の中には適役適所というものがあるのだ。
今回のような華々しい場において、私が表に立つのはイメージ的に向かない。
もし、前面に押し出すなら方向性とスポンサーを一新しなくてはならないだろう。
確かに、障害者が運営しましたというのは美談になる。だが、そうなったら校内にバリアフリーを敷いて、どこからか障害者団体を招くぐらいやらなくては宣伝としても薄いのだ。
生徒の中から団体の相手をする人員を選抜して、更に専門の職員を呼び寄せてとやっているうちに規模が大きくなりすぎる。
流石にそこまで徹底してやるとなれば、人員も能力もまったく足りない。
「私が開会式に出なかったのは、足がこれだからです。壇上に上がるのも、立ち台の前に立つのも車椅子では無理でしょう?」
不服そうな目がこちらに向く。
その瞳に映った私がどんな顔をしているのか、ちょっと遠すぎて見えそうもない。
「そもそも、副委員長補佐なんてただの実行委員ですよ。今日の私の仕事は、ここで留守番をすることです。矢面に立つのが偉い人の仕事なんですから、諦めて次の予定をこなして下さい。確か千秋と一緒に来賓の応対でしたよね?」
「君が行けばいい。そうすれば上手くいくだろ」
拗ねるなよ、と言って笑えるほど中学生は寛容じゃないだろう。
なら、焚き付けるのがいいだろうか。思春期というのも面倒だな。
プライドは高いようなので、そこをくすぐると効果があるかもしれない。
電動車椅子を操作し、委員長とは机を挟んだ反対側で停止する。
目線の高さは、ちょうど同じくらいだ。
さっきよりも瞳が近い。
「例えば私が行って、全部成功させたとして。そうしたら、委員長はどうするつもりですか」
「……なにが言いた――」
「千秋の株を上げたいんでしょう? 私に仕事を譲ったら、そのチャンスは減ると思いますけど」
思いっきり睨まれてしまった。不満の鈍い色が瞳の中で揺れている。
文句はあるが、沈黙で抗議といったところだろうか。
感情表現くらい、もうちょっとシンプルにやって欲しい。
とりあえず、煽りが足りないようだ。
「後悔はやってからやってからするといい。出来ないからやりませんなんて、大人の使う手段だ。中学生で使うには、少し気が早いな」
「お前に何がわかる」
「わからないよ。だが、委員長にも私のことはわからないだろう? はっきり言えるのは、少なからず私なら始めたことは最後までやるということだ。出来るやつに丸投げて知らんぷりなんてしない」
気づけば委員長は歯を食いしばり、拳を白くなるくらい握りこんでいる。
ただの正論で痛いところを突きまわしたのだから、そろそろ殴られる覚悟くらいはしたほうがいいだろう。
車椅子だから、正面から殴られると後ろへ倒れることになる。
後頭部が危ないので、こっそり受身の準備だけしておこう。
「今諦めるなら、さっきの三角関係とやらでも勝てなくて当然だな。それでも、私に勝ちを譲るのか?」
とうとう委員長は我慢しきれずに立ち上がった。
椅子を後ろにふっとばし、机を回りこんで目の前までやってくる。
怖い表情だ。目尻をぐぐりと吊り上げ、彼の瞳に映った自分が見えるくらい顔が近づく。
胸倉が掴まれ、私の軽い体は簡単に持ち上がってしまった。
「ふざけるな」
喉の奥から搾り出すような声が響く。
だから、にっこりと微笑んで返した。
「大真面目だよ」
浮いていた体が、車椅子へと落下する。
危うく倒れそうになる私の肩を、上から押さえつけ。そのまま痛いくらい握りこみながら、怒りを孕んだ声が言う。
「間門冬也だ。覚えておけ。絶対お前に勝って、長谷川さんの目を覚まさせる!」
「それはなんとも……がんばって下さい。心から応援していますから」
せっかくの激励には舌打ちが返ってきた。
そのまま私をひと睨みし、わざと大きな足音をどすんどすんと鳴らして部屋を出て行く。
力の限り閉められた扉が、部屋中に音を反響させる。
壊れるから物に当たるのはよくないが、これでようやく静かになった。
衣服の乱れを直し、一息吐く。
「よくわかりませんけど、いつからわたしは優勝商品になったんですか?」
「もう今日は勘弁してくれ。というか、お前もさっさと来賓の相手をしてこい」
閉じられたときとは間逆に、ゆっくりと開けられた扉から千秋が顔を覗かせている。
今日は全力で厄日だ。いや、思い返してみれば最近厄日ばっかりか。
近々、お払いにでも行きたい。
「委員長を怒らせたのは夏樹さんでしょう? 来賓の方々の前で、誰があのフォローをすると思ってるんですか」
「そのくらい働いてくれ副委員長」
言葉とは逆に、楽しそうな表情を浮かべて頭が引っ込む。
ようやく静かな空間に戻ってくれた。
あとは文化祭がつつがなく進んでくれれば、ここが慌しくなることもないだろう。
だが冬也にいろいろと言ってしまった手前、サボるわけにもいかない。
せめて、問題が起こったときに必要な始末書の準備くらいしておこう。