第35話:【ファルソ・ヌエベ】
【あらすじ】
スペイン・バルシーノの育成組織に乗り込んだ吉良氏真。言葉も通じず、世界最高峰のパススピードと激しいプレスの「鳥かご」で孤立するが、相手の重心と呼吸を読み切る「雅」の体術で、天才肌のマテオの必殺パスを無力化。紅白戦が始まり、パスが回ってこないBチームの最前線で、氏真は究極の戦術を選択する。
1. 孤立無援の陣と、飛び交う異国の言葉
ピィィィィィッ!!
バルシーノの総合練習場に、11対11の紅白戦のキックオフを告げるホイッスルが鋭く鳴り響いた。
「¡Presión!(プレシオン/プレッシングだ!)」
「¡Abre el campo!(アブレ・エル・カンポ/ピッチを広く使え!)」
バァァンッ!
乾いた天然芝を噛むスパイクの摩擦音(ザザッ!)と、ボールが高速で行き交う重い打撃音を拾い上げる。
氏真が配置されたのは、Bチームの最前線。
しかし、彼の下へは一向にパスが回ってこない。それどころか、味方のミッドフィルダーと目が合っても、露骨に視線を外されて別の選手へとパスを出されてしまう。
無理もない。バルシーノの下部組織は、世界中から選りすぐられた超エリート集団だ。幼い頃から『Juego de Posición(フエゴ・デ・ポシシオン/配置の優位性を保つ戦術)』を叩き込まれた彼らにとって、戦術理解度が未知数である言葉の通じないアジア人に、大切な鞠を預けるという選択肢は存在しなかった。
(……ふむ。見事なまでの兵糧攻めだな。前線で孤立させ、自滅を待つ。戦の常套手段ではあるが)
氏真は、頭上を越えていくボールを眺めながら、涼しい顔でピッチを歩いていた。
Aチームの司令塔である金髪の少年、マテオが、Bチームのプレスを軽々と剥がしながら嘲笑う。
「El japonés es un fantasma(あの日本人は幽霊だな)。……彼を無視して『Posesión(ポゼッション/ボール保持)』を続けろ。実質11対10だ」
味方からも敵からも透明人間として扱われる氏真。
2階のバルコニー(バルコン)から見下ろすカルロス監督は、サングラスの奥で目を細めた。
「さあ、どうするウジザネ。ボールが来ないからといって、無駄走りして体力を消耗する凡庸な選手か? それとも……」
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2. 空白の地を征く、見えざる指揮棒
(鞠が来ないなら、鞠を使わずに陣地を制圧するまで。……戦場において真に恐ろしいのは、見えている刃ではなく、見えない『空間』なのだから)
氏真は、闇雲にボールを要求して手を挙げることをやめた。
彼は自身のポジションである最前線から、スルスルと中盤の低い位置へと下がり始めたのだ。
現代サッカーにおける『Falso Nueve(ファルソ・ヌエベ/偽りの9番)』の動き。
だが、氏真のそれは、ボールを足元で受けるための動き(サポート)ではなかった。
>> スキル発動:【軍略鑑定:死角の侵食:ランクC】
補助系 / 効果:自己バフ(空間把握・戦術眼) / 発動条件:極限の脱力と俯瞰視点
ピッチ上の全選手の重心、視線、戦術的連動の「網の目」を可視化し、守備陣形にとって最も厄介な「空白地帯」を導き出す。
氏真の黄金の瞳が、ピッチ上の22人の重心、視線、そして戦術的連動の「網の目」を可視化する。
彼は、Aチームのセンターバックの視界の端を滑るように横切り、守備陣形にとって最も厄介な「誰がマークにつくべきか曖昧な空間」へと、ピンポイントで歩みを進めた。
「……ん?」
Aチームのセンターバックが、目の前から消えた氏真の姿を探して、一瞬だけマークを受け渡すために首を振った。
そのコンマ数秒の「守備のノイズ」。
氏真は自らが『Señuelo(セニュエロ/囮)』となることで、Aチームの強固な守備ブロックに、目に見えない亀裂を生じさせたのだ。
「¡Ahora!(アオラ/今だ!)」
氏真が作り出したその広大な空白地帯へ、Bチームの右サイドハーフが無意識に飛び込む。
そこへパスが通り、Bチームが初めてAチームの強烈なプレッシングを回避することに成功した。
「……Qué diablos(一体何が)……?」
ボールに一度も触れていない日本人の動きによって、味方のパスがスムーズに回り始めたことに、Bチームの選手たちがざわめき始めた。
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3. 雅なるハッキングと、3人目の動き
(よいぞ。陣形に生じた僅かな綻びは、やがて大きな堤防の決壊を生む)
氏真の『Desmarque(デスマルケ/マークを外す動き)』は、次第にAチームの精密な戦術を内側から狂わせていった。
彼が右へ動けば、釣られたディフェンダーの裏に『Líneas de pase(リネアス・デ・パセ/パスコース)』が生まれ、味方がそこへ走り込む。
彼が左へ立ち止まれば、そこに『Triángulo(トリアングロ/三角形)』のパスネットワークが自動的に完成し、ボールが滑らかに循環し始める。
氏真は一切ボールに触れていない。だが、ピッチ上の21人の選手は、まるで氏真という見えざる指揮者が振るタクトによって、無意識に操作されているかのようだった。
「¡No le dejen espacio!(ノー・レ・デヘン・エスパシオ/奴にスペースを与えるな!)」
ついに異常事態に気づいたAチームの司令塔・マテオが、血相を変えてディフェンスラインに指示を飛ばす。
だが、遅すぎた。
マテオが氏真を捕まえようと陣形を崩して前へ出た、その瞬間。
氏真は、背後から迫るマテオの気配を『殺気』として察知し、スッと半歩だけ立ち位置をズラした。
すると、氏真とマテオの間にできた巨大なゲート(空間)を通って、Bチームのセンターバックから、前線へと一気に縦パスが打ち込まれたのだ。
バルシーノの育成哲学の真髄、『Tercer hombre(テルセル・オンブレ/3人目の動き)』。
ボール保持者(1人目)から、直接パスを受けられない選手(2人目=氏真)を囮に使い、最も危険なスペースへ飛び出した選手(3人目)へパスを通す戦術。
氏真は、言葉を交わすことなく、バルシーノの選手たちの脳内に染み付いた「戦術の最適解」を、完全に逆手に取って(ハッキングして)みせたのである。
「……嘘だろ。あのアジア人、ボールに触れずにピッチ全体を支配しているのか……!」
バルコニーから見下ろすカルロスが、持っていた戦術ノートを強く握りしめた。
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4. 鳳凰の受肉と、戦慄の剣閃
Bチームの前線へ通った完璧な縦パス。
しかし、Aチームの屈強なセンターバックが強引なスライディングでこれをカットし、ボールが中盤のルーズボールとなって高く舞い上がった。
ボールの落下地点。そこに、Bチームのどの選手よりも早く、静かに立っていたのは――吉良氏真だった。
(……さあ。十分にお膳立ては整えた。そろそろ、予も鞠と戯れさせてもらおうか)
氏真が空を見上げた瞬間。
「¡Mío!(ミーオ/俺のだ!)」
激しい怒りを露わにしたマテオが、圧倒的な『Intensidad(インテンシダ/プレーの強度)』で、氏真を背後から粉砕しようと突進してくる。
空中から落下してくるボール。そして、背後から迫る猛獣のようなマテオのタックル。
氏真は、空中のボールから視線を切り、マテオの方へと背中を向けた。
そして、ボールが着地する間際。
>> スキル発動:【心身一如:無拍子の歩:ランクC】×【極・雅技:鳳凰の羽休め:ランクB】
特殊系 / 効果:相手のベクトル無効化・自己の最適化 / 発動条件:相手の殺気を至近距離で感知・高速パスのインターセプト時
相手のチャージのエネルギーを「無拍子の歩法」で躱しつつ、飛来するボールの運動エネルギーをコンマ一秒の衝撃吸収で無力化し、自らの足元に完全に支配下におく。
氏真の右足が、落下するボールの側面にふわりと触れる。
次の瞬間、氏真の身体は、マテオの激しいチャージの直撃を紙一重で躱しながら、独楽のように滑らかに反転していた。
『Control orientado(コントロール・オリエンタード/方向づけられたトラップ)』。
ボールの勢いを殺すのではなく、相手のベクトル(力)を躱しつつ、自らが次に進みたい方向(ゴール前)へと一回のタッチでボールを完璧に置き直す、世界最高峰のファーストタッチ。
「……なっ!?」
空を切ったマテオが、バランスを崩して天然芝の上に手をつく。
氏真の目の前には、Aチームのゴールへと続く、黄金に輝くパシージョ(道)が開けていた。
「Gracias、マテオくん。君の怒りが、最高の風をくれたよ」
氏真の右足が、鋭く振り抜かれる。
スパイクの芯がボールのスイートスポットを正確に撃ち抜き、放たれた弾丸のようなシュートが、地中海の空気を切り裂きながらゴールネットの右上隅へと向かって一直線に突き刺さっていった。
ズバァァァンッ!!
スタジアムを揺るがすような、凄まじい衝撃音。
静まり返るピッチ。カンテラの天才たちが、ただ呆然と、極東から来た少年の背中を見つめていた。
言葉は要らない。
この瞬間、吉良氏真という名の鳳凰は、圧倒的な「雅」の力で、スペインの青と赤の聖地を完全に制圧したのだ。
(……フフッ。さあ、次はどんな舞台が予を待っているのだろうか。この青と臙脂のピッチも、実に心地よい場所ではないか)
黄金の瞳を輝かせ、未来への知的なワクワク感を全身に漲らせる氏真。
彼の視線の先には、見知らぬ強敵たちとの熱い戦い、そして、自らが思い描く「雅」なサッカーの完成が待っている。
【次回予告】
バルシーノのカンテラで才能を見せつけ、瞬く間にチームの核と認められた氏真。一方、首都マドリードでは、宿敵・織田凱斗が圧倒的なフィジカルでコーチ陣を戦慄させていた。互いの存在を強烈に意識する二人。スペインの地で、ついに「歴史」が交錯する!
第36話:【交差する宿命】。次なる天下へのパスを回せ!




