壊れた世界を叩いて直す
「さあ、来い。運命の女神よ。真の絶望を知る俺の力、とくと知るがいい!」
ジョン・ランサムはキーボードを信じられないスピードで叩くと、ふいに周囲の空間が歪みはじめた。
まるで宇宙のように黒くなった空間は、異次元のように下水道の研究室を包み込んでいく。
「……何をしたの?」
「ああ、ちょっとこの世界のコードを書き換えたんだ」
ジョンはいたずらっぽく嗤った。
「この世界のソースコードを直接触れる。これが本当のチート能力だ。この世界でもがき苦しみながら、デスマの能力をさらに開花させた。運命の女神だろうが、お構いなしにお前の存在そのものを書き換えてやる」
ドヤ顔で嗤うジョン・ランサム。世界のソースコードを直接触れるって、世界の構造を直接書き換えるってこと? そんなの、最悪じゃん。
間もなくジョンの指がキーボードで踊るたびに現実が改変されていく。高速でキーを打つ音。ジョンが嗤う。
「へ? ……うわうわうわ!」
あいさつ代わりに、あたしの周囲で重力のベクトルが変わる。地面に向かって重力が働くはずなのに、体が壁めがけて「落ちていく」。
「ちょちょちょちょ‼」
あたしは壁の方へと落ちないように、混乱しながら反対方向へと走る。だけど、床を走っているはずなのに壁を走っているみたいな感覚で頭が混乱する。
ちょっと待って、これ、重力の方向を操られて下水に落ちたら最悪じゃない。そんなことになったら、お嫁に行けない。
女神が焦っているのが性癖的にツボなのか、ジョンは気持ち悪さを全開にしながらさらにキーボードを打っていく。
「いてててて!」
何? 今度は何なの? 急に体があっちこっち軋むんですけど?
気付けば四方八方から重力がかかり、あたしの骨がミシミシ鳴っている。
「GravityControl = 9.8 × 8; ――八倍重力。簡単に言えば、重力を強力にして、その上でベクトルのコードも変えた。お前の周囲でリンゴが下へ落ちることはもう無い」
ジョンが薄ら笑いを浮かべる。こいつのデタラメな能力のせいで、世界の構造が歪む。
あたしは歯を食いしばって踏みとどまる。女神の特殊スキルも活用しつつ、慣れない攻撃にもなんとか耐える。
「ふん、そんなものか。いつまで耐えられるかな?」
ジョンはすでに次のコードを叩いていた。
「Physics.Collision = false;」
「うわあああああ!」
ふいにあたしの体が床をすり抜け、落下し始めた。
下水道の底なし沼が口を開け、腐った水が牙のように迫る。ちょ……あれに突っ込むのだけは死んでもイヤ。ふざけんなよ矢吹。
あたしは空中で体を捻り、光魔法で白い翼を展開する。重力の無茶苦茶なベクトルに逆らいつつ、無理リカバリーして着地した。
はあ、良かった。死ぬかと思った。汚水を浴びるなんて、そんなことになれば魔法少女は続けられない。
「休ませる気はないぞ」
一息つく間もなく、ジョンはまたキーを叩く。
「Time.dilation = 0.1;」
そのコードが機能した途端、世界がスローモーションになった。
「う わ …… ちょ っ と ……」
あたしの動きだけが遅くなり、ジョンの指だけが通常速度で踊る。
「Entity.Tarassa.HP -= 9999;」
コードが打ち込まれた瞬間、胸に激痛が走った。
まるで本当に9999ダメージを喰らったみたいに、途轍もない衝撃が走る。
「がはっ……!」
あまりの激痛に膝が折れる。口の中で血の味。口元の手を離すと、真っ赤に染まっていた。ソースコード一つでここまでのダメージを与えられるなんて。
「はっはっは。どうだ、コード一つで自分の世界が捻じ曲げられ、肉体が痛めつけられる感覚は?」
ジョン・ランサムが嗤う。運命の女神にすら膝を折らせて、今頃は自分こそが神ぐらいに思っているかもしれないわね。
でも――
「何がおかしい?」
ジョンがイラ立ちを隠さずに訊く。先ほどに喀血したあたしが笑っていたからだ。
「あたしに膝を折らせた程度のことで、あんたは本気で勝ったと思っている。そんなおめでたさを見たら、思わず笑ってしまっただけよ」
「……なんだと? それなら一気にトドメを刺してやろうか?」
ジョンが一気に気色ばむ。ツイッターでクソリプでも投げつけられたみたいに。
「あなたは勘違いしている」
あたしはゆっくりと立ち上がる。
血の混じった唾を地面に吐き出すと、ゆっくりと右拳を握りしめる。
「あたしは……この世界の管理者よ」
意識を集中させる。ピンクのオーラが足元から立ち上っていく。こいつのやっていることはよく分かった。それならば、その構造ごと根底からひっくり返してやればいいだけのこと。
「権限レベル:Root。全コード、無効化」
「えっ……」
呆然とするジョンを前に、あたしは容赦なく管理者権限を発動した。
それまでにいじくり回した重力、時間、ダメージコードも、すべてが一瞬で元通りになった。
世界が修復されていく。ジョンは慌ててキーボードを叩く。指が震えていた。
「そんなバカな。権限を俺に戻せば……AdminOverride = true; System.Reboot――」
「遅い」
あたしはもう、ジョンの目の前まで来ていた。恐怖で固まったジョンの顔。ここだけ時が止まったかのようだった。
フルスイングの右フック――拳がジョンの頬を捉え、轟音とともにその体ごと吹っ飛ばす。
「ぎにゃああああああああああ!」
メガネが吹っ飛び、キーボードが粉々に砕け散る。ジョンは高速でクルクルと回転しながら吹っ飛び、モニターの山に突っ込んだ。その衝撃でコンピューターがあちこちで小規模な爆発を起こす。
無数の画面がバチバチと火花を散らして、システムが一斉にダウンした。真っ黒な画面しか映らないディスプレイ。時間差で将棋倒しに崩れ落ちる。
カウントダウンが、ピタリと止まった。
ジョンは瓦礫の山へ逆さにめり込んだまま、犬神家のように足だけが見えていた。
「そんな、アホな……」
足しか見えないジョンが、呻くように呟く。
あたしは拳を下ろし、静かに告げた。
「コードを打ちこむより、殴った方が早いってこと」
「理不尽、過ぎる……。こんな、無理ゲー……」
気を失ったのか、犬神家は言葉を発しなくなった。
「……あの、完全に力技でしたね」
ピョンちゃんは控えめに言ってドン引きだった。彼の言う通り、壊れかけたこの世界を叩いて直すような終焉だった。
「魔法少女はね、なんでも出来るの」
「魔法少女、ねえ……」
ピョンちゃんはそれ以上何も言わなかった。きっとあたしのカッコよさにシビれちゃったんだろう。
今日もまた、一つの伝説を生み出してしまった。




