転生者は二度デスマに出会う
王都の下水道は、夜になると完全に闇に呑まれる。って、そりゃそうか。
とにかく、ただでさえ暗い場所なのに、その上に汚くて臭い。本当に最悪。どうしてこんなところをアジトにしようなんて思うのか、まったく理解が出来ない。だけど、そのせいで探す側からすれば盲点になっていたんだろうけどさ。
魔法灯の届かない石階段を降りると、いっそう匂いが強くなる。鼻が曲がるっていうのはまさにこのことで、何をどうしたらこんな匂いが出せるのか分からない。
「うーわ、ちょっと。この匂いはもうアウトですよ。こんな所にボクを連れて来るなんて、もう動物虐待レベル」
「うるさいわね。そんなのあたしだって同じよ。ウサギはそういう匂いにも強いんじゃないの?」
「バカ言わないで下さい。人間じゃないからこそ常人よりも遥かに嗅覚が上なんですよ? 人間でさえも激臭で地獄なのに、ボクにとってそれが無害なはずないじゃないですか」
ちょっと論破された感じになって、なんか腹が立つのでそれ以上は言い返さずに下水道を進んでいく。
「ライト」
あたしは光魔法で、暗い地下道を照らした。視界が悪い中で無理くり進んで、それで下水道に落ちたなんてことになったら目も当てられない。
足元はヌルヌルした苔と、得体の知れない液体があちこちにじんわりと広がっている。壁も汚いので、うっかりスカートが触れて汚さないようにしないと。
しかし本当に汚いよね。何かの嫌がらせ? 時々ネズミが出てきて、そのたびに怯える。
汚ったねえ通路を十分ほど進むと、旧魔術師ギルドの廃墟跡に辿り着いた。崩れた石壁の奥に、青白い灯が並んでいる。
そこだけがサーバールームみたいに明るい。映画に出てくるオタクハッカーなら「ビンゴ!」って言いながら気持ち悪い笑顔でも浮かべていそう。
大部屋に入ると、中央に巨大な魔法結晶モニターが何十枚も並んでいる。画面を覗くと、貴族たちの「イキ顔」動画がズラリ。趣味が悪すぎる。
カウントダウンタイマーがいくつも赤く点滅し、そのうちの一つが残り時間あと8時間47分だった。あれがデュラン・デュラン侯爵用のタイマーだろう。
ようし、このあたりのコンピューターを一斉に破壊すれば……。そう思った時に、部屋の中央付近に人影があるのに気付いた。激臭もあって、あたしの知覚が正常に機能せず発見が遅れた。
大型モニターの前に立つ一人の男。黒いフード付きローブに、フレームの無いメガネ。
手には魔法陣の浮かんだキーボード、背中には無数のケーブルが這っている。まるで機械と一体化しているみたいなビジュアルだった。
男がゆっくり顔を上げる。
「……やっと来たか。運命の女神、タラッサ」
声は低く、陰キャ丸出しだった。それでも、どこか楽しげなのは分かった。
「あなたは……」
あたしはその顔を見て、眠っていた記憶を呼び覚ました。彼の名は――ジョン・ランサム。
ジョン・ドゥと名乗って活動する男は、かつてはプログラマーだった。デスマをこじらせて本当にキーボードを打ちながら亡くなった転生者。死に方が弁慶みたいなエピソードだったから、よく憶えている。転生前の名前は矢吹丈一郎。真っ白な灰になっちゃったんだろうなと思いながらコルヴム・パラディスへと送り出した。
男――ジョンは小さく笑った。
「よくここまで辿り着いたな。素人ごときに俺を突き止められるとは思わなかったが、まさか使用人のアホが原因でここがバレるとはな。間違いが起こる時、それは大抵がヒューマンエラーだ。機械は大体の場合、正しい判断をする」
頼んでもいないのに、よく喋る男だこと。あたしは静かに距離を詰めていく。
「古典的な手口とはいえ、ずいぶんと派手にやってくれたわね。貴族たちの情報を買い上げて、彼らを地獄に叩き落とした理由は何? 金だったら、これだけの技術があればどうとでも出来たでしょう?」
「どうとでも出来ただと……?」
ジョンはあさっての方を見て苦笑する。
「よく言ってくれるさ。この世界でスマホやネット社会のインフラを構築したのは俺だっていうのに」
嗤いながら話すジョンの目には憎しみが満ちていた。
「俺がこの世界に転生してきて何をしてきたか。それを聞かれたら、終わりの無きデスマと転生後の世界でもチートを使えずに過酷な毎日の業務に喘ぎ苦しむ毎日だった」
「……」
「ここの奴らは愚かだった。なにせナーロッパなんて呼ばれている中世の世界観だからな。現代の日本に比べたら何から何までが遅れている。だから俺は俺なりにこの世界を豊かにしていこうと思った。何の見返りもなく、ただの善意でな」
ジョンは悲しそうに嗤った。笑顔なのに、底の知れない絶望が滲んでいる。そんな顔をした人間を見るのは初めてだった。
「俺のチート能力は勇者が持つような華々しい能力でもなければ、スローライフが送れるようなものでもなかった。俺の能力は、システム構築とデスマ――生前に潜り抜けた、戦場のようなタスクの山を抱えても生き抜くための力だった」
あたしは言葉を失った。ジョン・ランサムに転生する前の矢吹丈一郎は過酷な長時間労働での過労死で生涯の幕を閉じた。それで転生後はスローライフや輝かしい栄光など、もっと素晴らしい人生を歩めたはずなのに……。
それなのに、彼がガチャで手に入れた能力はどんなデスマでも耐えられるだけの体力と集中力だった。転生しても何も変わらない――彼にとって、それ以上の地獄は無かっただろう。
あたしが驚愕に声を失っている中、ジョンは続ける。
「勇者パーティーの通信網、魔法結晶サーバー、クエスタグラムの基盤、その他にもネット社会で必要不可欠な生活基盤を、全部俺が夜通し働いて作った。ああ、そりゃあチート能力を使って猛烈な勢いで構築されたシステムは上手く機能したさ。俺がやったんだからな。でも、それらが完成したらどうなったか。俺はその功績を称えられることもなく、デスマに耐え続けた労をねぎらわれることもなく、ただ『用済みだ』と言われて捨てられた。特許やら権利云々は貴族たちで勝手に分け合い、あいつらは甘い汁だけを吸い続けた」
ジョンの握りしめた手が震えている。その手の震えに、彼がどれだけの怒りや憎しみを押し殺して生きてきたのかが現われている気がした。
血走ったジョンの目には、激しい怒りの炎が揺らめいている。
「報酬? そんなものは無かった? 休み? そんなものは幻想だった。毎日毎日、ただこの世界の人々が幸せになればと殉教者のように働き続けてきた。そんな人間に対して、言うにこと欠いて用済みだと? ふざけるなよ? お前たちがそう望んだから、俺はすべてを捨ててタスクを消化したんだろうがああああああ‼ うおおおおおおおおお‼」
ヤバい。ジョンがめっちゃキレてる。今までに誰にも語られなかった怒りを打ち明けたことで、ずっと堰き止めていた思いが止まらなくなっている。
たしかに、そんな目に遭えば誰だってグレる気はする。あまりにも過酷だった前世から生まれ変わるはずが、転生後にも待っていたのは変わらないデスマーチ。彼がどれだけの無念を感じたかは想像に難くない。
あたしに応えるように、ジョンがさらに続ける。
「俺のやろうとしていることはシンプルだ。貴族たちの恥部を世界中に晒して、あいつらは聖人でも何でもないことを証明してやる。そして守銭奴たちの社会的信用をゼロにしてする。この世界に貴族階級なんていらない。金は二の次だ。この俺を軽んじたことを、死ぬその瞬間まで後悔させ続けてやる!」
「なんだか、貴族たちはとんでもなくヤバい人を闇堕ちさせてしまったみたいですね」
肩に乗ったピョンちゃんがドン引きしている。あたしでも理解が出来るほど情状酌量の余地がある分、ジョンのすさまじい闇堕ち具合は見ていて苦しくなった。でも、敵に同情している場合でもない。
モニターに映る貴族たちのイキ顔が、次々と拡大されていく。さっきの話を聞いたせいか、こいつらの方が悪に見えてきそうになる。
侯爵、伯爵、子爵、男爵……全員のカウントダウンが進んでいく。知らぬ間にタイムリミットは揃えられていた。
「あと三十分で、すべての暴露映像が公開される」
「ちょっと待って。もう少し制限時間はあったはずでしょ?」
「そんなもの、今早めたんだよ」
ジョンが満面の笑みを浮かべながら恐ろしいことを言う。ふざけるなよ。
「安心しろ。お前が来たところで、もう何も止められない。俺の作ったシステムは完璧だ。女神だろうがハックできない」
ジョンはゆっくりとキーボードに手を置いた。
「後は俺の指一つで彼らの命運が決まる」
エンターキーに乗せられたひとさし指。あれがもう少し沈んだら、今まで会って来た貴族たちが漏れなく社会的に殺される。
「させないわ。あたしがあなたを止める」
意識を集中させると、ピンク色のオーラが辺りを渦巻き、同心円状に広がる光が汚物にまみれた空間を綺麗にしていく。
「ほう、これは面白い」
ジョンがキーボードから指を離す。運命の女神が相手でも、まったく恐れていないようだった。
「あたしがあなたのことを止める。たとえ、どのようなことがあったとしても」
「面白い。一度運命の女神とやらと戦ってみたかった。自分では戦場に参加せず、送り出した戦士たちの戦いを高みの見物で眺めていたお前に、本当の殺し合いの恐怖を教えてやる」
ジョンの背中から触手のようにコードが伸びて、あっという間に空中に浮かんだキーボードを精製した。どうやらバトルが始まっちゃうみたい。
「さあ、来い。運命の女神よ。真の絶望を知る俺の力、とくと知るがいい!」
かつて勇者の一人であった者は、闇堕ちしてあたしに立ちはだかった。




