第6章『告白の残響』
朝霧のような静けさが、画面越しの言葉に滲んでいた。
灯里はスマートフォンを握ったまま、背中をソファに預けていた。
奏介から届いた音声ファイルは、再生ボタンひとつを押す勇気が出ず、ただ画面にタイトルだけが表示されている。
《YUNA_private_record_1216.m4a》
録音された日付は、ユナが亡くなったその日。
「……なんで、今、これが……」
誰に問うでもない言葉が、唇から零れた。
奏介が言っていた。
| このファイル、メッセージアプリの下書きフォルダにあった。音声ファイルって、本当は直接送信できないはずなのに、未送信データとしてサーバに残ってた。奇跡的に。
奇跡。
その言葉の重みが、灯里の胸に静かに沈んでいく。
灯里はそっと深呼吸をした。
まるで、静かな祈りのように、音を迎える準備をする。
意を決して再生ボタンを押すと、ノイズ混じりの音が流れ、そして——
| ……レン、聴こえてる?
ユナの声だった。
風に吹かれるような微かな震えを含んだ声。
それでも、確かに彼女の、あの声だった。
| これ……ほんとは、言うつもりなかったんだけど……やっぱり、言いたくなっちゃった。最後に、ちゃんと。……伝えたくて。
灯里の目に、自然と涙が浮かんでいた。
ユナの声が続く。
| ねえ、覚えてる? あの曲……あなたが原宿で歌ってたやつ。私、ずっと聴いてたんだよ。……あの歌がなかったら、きっと私は、今ここにいなかった。
| レンと出会って、あなたと曲を作れて、名前を呼び合えて……それだけで、もう十分だった。でも、私……ほんとは、もっと一緒に歌いたかった。まだ、言葉にできてないことが、いっぱいあって……
声が途切れ、少し間をおいてから、ユナのかすれた囁きが届く。
| ……ねえ、あの曲の続き、書いてくれるかな。ひとりでも、だれかとでもいい。……でも、できれば、わたしと一緒に、って思ってたんだ。ずっと。
| あなたのそばで歌ってたいって思った。……わたし、あなたのこと、好きだったよ。
そこまでで、音声は途切れた。
灯里は胸元でスマホを握りしめたまま、目を閉じた。
深くて、優しい、最期の声。
告白は、もう返されることのない残響として、胸の奥に染み渡っていった。
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その翌日、灯里はある場所に呼び出された。
カフェの奥、控えめな帽子とサングラスで現れたのは、元マネージャー・天野絢音だった。
「……やっぱり、あなたね」
絢音は苦笑して、隣の席に静かに腰を下ろした。
「……もう、全部知ってると思ってた。だけど……あの夜、スタジオに“誰かがいた”ってこと、伝えておかなくちゃって」
灯里の眉が動いた。
「誰かって……」
「私じゃない。けど、私は知ってた。止めようと思って、向かった。でも間に合わなかった」
絢音の手が震えていた。手元の小さなポーチからUSBメモリが差し出された。
「これ……ユナが最後まで手放さなかった。多分、あの子が“本当に伝えたかったこと”が詰まってる」
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奏介とともにファイルを解析した結果、そこに保存されていたのは《Requiem Code》というタイトルのテキストと、いくつかの断片的な音声・画像・ログデータだった。
一見して、ユナやレンの死に直接関係するものではなかった。
だが、その中には、以下のようなファイルが含まれていた:
| ・某大物プロデューサーが他アーティストの未発表曲を自作として提出していたという盗作指摘レポート
| ・タレントとの「契約打ち切り」通知メールの写し(時刻はユナの転落と同じ深夜)
| ・スタジオ内の使用ログに記載のない第三者の入退室痕跡
| ・「レコード会社幹部→匿名アカウント」間の送信メール:『今夜、処理が必要になるかも』
「……何これ」
灯里の声が震えた。
「誰かが、何かを隠そうとしてた?」
奏介は唇を噛んでいた。
「この死は、“巻き添え”だったのかもしれない。あるいは、証拠ごと消そうとしたのか……」
「じゃあ、ユナたちは……」
言いかけた言葉の先が、重く沈黙した。
それでも、絢音は言った。
「誰が“引き金”を引いたのか、私は知らない。でも—— 止めようとして、止められなかった。私は、それを一生、忘れない」
彼女の瞳は濡れていた。
「……私は、彼女の“近くにいる責任”を、勝手に背負ったつもりでいた。でも本当は、自分を守ることばかり考えてた。マネージャーという肩書きに、甘えていたのかもしれない」
絢音は、ポーチを握る手に力を込めた。
「……昔ね、私、自分で歌ってたの。大学時代。ライブハウスで弾き語りして、夢見て……でも現実は、甘くなかった。自分の音が“届かない”って、分かってしまった瞬間があったの。……あの感覚は、忘れられない」
灯里は静かに聞き入っていた。
「だから、裏方になった。夢を託せる誰かの、そばにいる人間になろうって。でも……本当は、ただ怖かっただけかもしれない」
絢音は、ふっと笑った。
「ユナに初めて会ったとき、“この子なら、きっと届く”って思った。私ができなかったことを、この子はできるかもしれないって。……でも、私はまた何もできなかった」
沈黙。
「もう誰にも伝えないつもりだった。でも、ユナが最後に“誰かに託した”ということだけが、私を動かした」
その言葉が、灯里の胸を締めつけた。
この死は、いったい誰のせいだったのか?
もしユナとレンが“消されるべき存在”として巻き込まれたのだとしたら——
それは、あまりにも静かで、残酷な偶然だった。




