表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『Answer / Another』  作者: 耀羽 絵空


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/11

第5章『彼女と、彼』

 春の空気はまだ少し肌寒くて、けれど街にはどこか軽やかな音が満ちていた。


 彼女は中学三年生の修学旅行で原宿に来ていた。人混みに揉まれながらも、友達と一緒におしゃれな雑貨屋をのぞき、ソフトクリームを食べて、どこか浮き足立ったまま、にぎやかな通りを歩いていた。


 そのときだった。


 ふと足を止めた。角を曲がった先、人だかりができていた。


 ギターを持った若い男性が、歩道の隅で弾き語りをしていた。マイクもアンプもなし。ただギターと声だけ。それなのに、人々の足が止まり、誰もが静かにその音に耳を傾けていた。


 彼女もつられるように立ち止まった。


 その声は、強くはなかった。けれど、まっすぐだった。澄んでいて、けれどどこか切なさをはらんでいた。まるで、自分だけに語りかけてくるような声。


 気づけば、ポケットからスマートフォンを取り出し、こっそり録音を始めていた。胸の奥に何かが灯ったような気がして、その音を逃してしまいたくなかった。


 彼の最後の一音が空気に溶けるように消える。


「CDは……あ、もう切れちゃってて。ごめん。よかったら、名前だけでも覚えて帰って」


 そう言って彼は、軽く頭を下げた。


 そのとき彼女は、なぜだか恥ずかしくて、顔を伏せたまま立ち去った。


 名前は、聞こえなかった。


 でも、その歌声だけは、耳の奥にずっと残っていた。


-----


 帰ってから、彼女は何度も録音を再生した。


 夜、眠る前に。朝、学校へ向かう支度をしながら。テストで落ち込んだ日も、友達と喧嘩した日も。あの声は、いつも彼女の背中をそっと押してくれた。


 寝る前に一度だけ、そっと息を吸ってから再生するのが、彼女の日課になっていた。

 深く、静かに——深呼吸。


 "私も、あんなふうに誰かの心に寄り添えるような歌を歌いたい"


 そう思った。


 それが、彼女がアイドルを志すきっかけになった。


 そして数年後。


 彼女はアイドルとして活動する日々のなかで、幾度も心が折れそうになった。ファンの声援の裏にある見えない期待や、完璧さを求められるプレッシャー。誰にも弱音を吐けない夜、誰にも頼れない朝。


 けれど、いつもそばに、あの歌があった。タイトルすら知らなかったその歌が、彼女のすべてだった。


 あのとき録音した、少しこもった路上の音源。騒がしい街の雑音の向こうに、彼のまっすぐな歌声が聴こえる。それが、どれだけ彼女の心を救ってきたか、誰にも知られていなかった。


 "私は、私自身の、自分だけの灯りを探してここまで来たんだ。"


 その確かな想いだけが、彼女を前に進ませていた。


-----


 そんなある日——


 ステージ袖のモニターに映るのは、まさにあの声の持ち主だった。


 音楽番組のリハーサル。自分が出演するわけではない日でも、彼女は現場にいた。アイドルグループのセンターという肩書きは、週の半分をスタジオに縛り付ける。


 けれどこの日だけは、心が自由だった。モニター越しに映る彼の指先、閉じたまぶた、マイクの持ち方。何もかもが、確かにあの日の彼だった。


 演奏が終わる。拍手。スタッフのやり取り。


 彼女は思わず、リハーサルが終わった直後に楽屋前の廊下に立った。


「すみません……原宿で。昔、あなたの歌を聴いたことがあって」


 彼女は少しだけ間をおき、続けた。


「私、あのとき録音してたんです。ずっと、ずっと聴いてました。辛いときも、苦しいときも……何度もあの歌に助けられました。……私、いつも“あの時のあなたの歌”、聴いてたんです」


 彼は少し驚いたような表情を浮かべた後、微笑んで言った。


「それ、たぶん……僕がタイトルをつけてなかった曲だ」


「え?」


「ずっと悩んでた。何かを探してるような気持ちで作ったから。でも、まだ“これだ”って言える名前がなくて」


「……じゃあ、今ここで、ふたりでつけようよ。私が、ずっと心の中で呼んでた名前があるの」


「うん、教えて」


 彼女は小さく頷いて、まっすぐ彼の目を見た。


「《灯を探して》。それが、私にとっての名前だった」


 その瞬間、彼の目が少しだけ潤んだ気がした。


「それ、すごくいい。……僕の曲に、名前をくれてありがとう」


 彼は驚いた顔をして、けれどすぐに優しく笑った。


「……そっか。あのとき、そこにいてくれたんだ」


 名前も知らなかった。だけど、彼の声はずっと覚えていた。


 それが、始まりだった。


-----


 彼は、プロのミュージシャンというより、“まだ諦めていない人”だった。


 彼女は、アイドルという衣装を着ながらも、自分の言葉で歌えないことに疲れ始めていた。


 ふたりの会話は、音楽と少しの沈黙と、笑いと、たまに涙でできていた。


 何度か仕事の合間に会い、カフェの片隅で音楽談義に花を咲かせ、時にはギターを片手に深夜のスタジオで音を重ねた。


 ある夜、誰もいない深夜のレコーディングスタジオで、ふたりはマイクを挟んで向かい合っていた。


 「……緊張して声が出ない……」


 マイクの前で俯くユナに、レンはギターの弦をやさしく鳴らしながら言った。


 「俺のためだけに歌ってみて。音源にならなくていい。君の声を、今、この場所でだけ聴かせて」


 ユナはゆっくり目を閉じて、小さく頷いた。


 その夜の録音は失敗だった。けれど、ふたりにとって一番忘れられない音の記憶になった。


 「ちゃんと歌えなかったのに、忘れられない夜になった」


 「それは、音が記録されなかったからかもね。だから覚えてるんだよ」


-----


 またある日、レンの誕生日が近づいていた。


 ユナはこっそり手作りの小さなケーキを用意し、ノートの隅に書き溜めていた未発表の歌詞を清書して、プレゼントとして渡した。


 驚いたレンがそれを読みながら、少し照れたように笑った。


 「ありがとう、……ユナ」


 ふいに名前を呼ばれ、ユナは一瞬だけ息を呑んだ。


 「……初めて呼ばれた」


 「うん。でも、もっと早く呼べばよかった。呼ばれると、なんか、ちゃんと生きてる気がするんだ」


 その言葉に、ユナは自然と微笑んでいた。


 「ねぇ……私も、呼んでいい?」


 「うん、どうぞ」


 「……レン」


 その響きは、まるで楽曲のイントロのように、胸にじんわりと広がった。


-----


 雨の日だった。


 撮影の帰り、ユナはひとり、駅に向かう途中の歩道で立ち尽くしていた。傘を忘れていたわけではない。けれど、差す気になれなかった。


 冷たい雨粒が肩を濡らし、前髪に重さを加えていく。それでもユナは動けずにいた。


 背後から駆け寄る足音がした。傘をさしていたレンだった。


「ユナ!」


 呼びかけに振り向くこともできずにいると、次の瞬間、彼の腕がユナの肩を包んだ。


 「どうした? 何があったの?」


 言葉にならなかった。代わりに、涙がこぼれた。熱を帯びた雨粒のように、頬を伝って流れていった。


 レンは何も言わず、ただユナを抱きしめ続けた。静かに、あたたかく。


 やがて彼女は、彼の胸に顔をうずめたまま、かすれるように呟いた。


 「……わたし、わたしじゃない誰かをずっと演じてるみたいで……もう、息ができなくなりそうで……」


 レンはそっと、彼女の髪を撫でながら答えた。


 「でも、君が君でいられる場所、ちゃんとあるよ。……たとえば、俺のそばとか」


 ユナは小さく笑った。


 その笑顔には、少しだけ“自分”が戻っていた。


-----


 こうして、ふたりは少しずつ、しかし確実に距離を縮めていった。


 初めて“共作”という言葉が口にされたのは、彼女がふと口ずさんだ鼻歌に、彼がギターで伴奏をつけてくれたときだった。


 そしてそれは、日常のかけらを拾い集めるような時間だった。


 コンビニ帰りのメロディ、スタジオで交わした一言、深夜の電話の沈黙。すべてが音になり、歌になり、かたちになっていった。


 そうして生まれたのが、《Answer / Another》だった。


 ふたりのすれ違いと、それでも手を伸ばそうとした想いの結晶。


 だがその歌が完成したとき、すでに世界は、ふたりに静かな圧力をかけ始めていた。

『灯を探して』 / 神楽坂レン

-----

踏み出せずに立ち尽くした

見知らぬ街の片隅で

小さな声が誰かを呼んでる

僕には届かない


夕暮れに溶けた願い

拾い集めた言い訳たち

本当のことは 胸の奥で

まだ眠ってる


灯を探して歩いてた

誰にも見えない空の下

名前のない想いだけが

風に揺れてた

灯を探して歩いてた

君じゃない誰かのはずだったのに

なぜだろう 涙が出た



曇ったガラスに映るのは

知らないふりをした僕だ

あの日見た夢を

失くさぬように

握りしめていた


巡り逢いの奇跡なんて

信じてなかったはずなのに

君の声が この心に

信じてなかったはずなのに

君の声が この心に

響いたとき


灯を探して歩いてた

届かないはずのその声が

胸の奥で震えたんだ

まるで知ってたように

灯を探して歩いてた

まだ名前も知らない君が

僕の灯になった



灯を探して歩いてた

届かないはずのその声が

胸の奥で震えたんだ

まるで知ってたように

届かないはずのその声が

胸の奥で震えたんだ

まるで知ってたように

灯を探して歩いてる

まだ名前も知らない君の

僕が灯になるよ


-----

配信準備中

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ