第2章『祈りの構造』
DMの返事は、意外なほど早く届いた。
送信して数分後、既読マークがつき、ややあって短い返信が来た。
| こんばんは。
| 正直、誰かから反応が来るとは思ってませんでした。
| よろしければ、直接お話ししましょうか。都内ですか?
灯里は少し戸惑いながら、画面を見つめた。
慎重なやりとりを期待していた自分と、即座に進展してほしかった自分とが、心の中でぶつかり合う。
だが結局、彼女はこう返した。
| 都内です。
| よかったら、カフェで。
| 明日、午後3時なら空いてます。
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翌日、渋谷の人混みの中、灯里は一つのカフェの奥の席にいた。
黒縁のメガネと、無地のTシャツにジャケットを羽織った青年が入ってきたとき、彼女はすぐにわかった。
彼が近づいてくる。小さく会釈する。
「朝比奈さん、ですよね」
「はい。井上奏介さん……で、合ってますか?」
「ええ。井上で大丈夫です」
二人は互いにぎこちなく笑い、注文を済ませたあと、沈黙がひとつ流れた。
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最初に言葉を発したのは、灯里だった。
「その…あの投稿、すごく気になって。
“REN”や“YUNA”の縦読みとか、最初に気づいたの、奏介さんですよね?」
井上は軽くうなずく。
「ええ。というか……実は僕、アンサーソングを作ってたんですよ、恋人と。
って言っても素人の遊びみたいなものですけどね。
互いに“気づかれるか気づかれないか”の仕掛けを入れたりして。
で、その参考にいろんな既存曲の歌詞を読み漁ってて……見つけたんです」
「《Deep Breath》と《Silent Prayer》の構造?」
「はい。最初は偶然だと思った。でも――仕込んでます、あれは。絶対に」
井上はスマホを取り出し、画面を見せた。
そこには、音楽理論を応用した歌詞構造の図解、コード進行の比較、モチーフの繰り返し……彼が記録してきた、明らかに“本気の考察”があった。
「これ、音楽だけじゃなくて“語りの構造”にもなってるんです。
《Silent Prayer》は、明らかに《Deep Breath》への“返答”として構築されている。
たとえば――この行。
《深く息を吸って》と《静寂に溶けた願い》は、構造的に対応してる」
灯里は、画面を見つめながら言った。
「……音楽が、会話になってる」
「そうです。会話です。だけど――声じゃない。
名前を呼び合ってるのに、実際には、一言も“名前”を出していない」
そこにあったのは、“言葉にできなかった言葉”の応酬。
それが、5年間誰にも気づかれずに眠っていたことに、灯里は戦慄すら覚えた。
会話の終盤、灯里はそっと息を整えた。
この胸の中のざわめきを、見透かされないようにするために。
静かな深呼吸。
心のどこかが、ほんの少しだけ整った。
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帰り際、井上がふと呟いた。
「たぶん、まだあると思うんです。
……もうひとつ、ふたりだけの曲が」
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井上との別れ際、「まだあると思う」と言われた言葉が、帰り道でもずっと灯里の中に残っていた。
その夜、いつものようにスマホを開くと、タイムラインの空気が少しだけ変わっていた。
| あのユナの曲、縦読みで“REN”はマジだわ
| Silent Prayerも縦読み“YUNA”って、もう運命じゃん……
| アンサーソング説、地味に信じたい
| これ、もし本当だったら、やばくない?
数時間前まではひとつの投稿だったスレッドが、引用とスクショで枝分かれし、拡がり始めていた。
タグも生まれていた――#DeepBreathの真相、#SilentPrayer解析班。
まだ、炎上というほどではない。
でも、確実に誰かが誰かを呼びかけている空気が、画面の奥に漂っていた。
灯里は息をひそめるように、投稿をひとつひとつ遡っていった。
そしてふと思った。
私は、何を探してるんだろう?




