第1章『沈黙の終わり』
その投稿を見たのは、偶然だった。
というより、そんな投稿は毎日いくらでも流れてくる。音楽の考察、都市伝説めいた噂、タイムラインの泡のような感情。
けれど、その夜はなぜか、スクロールする親指が止まった。
| ユナの“Deep Breath”って、2番の歌詞、頭から読むと“REN”って出てこない?
灯里は首をかしげたまま、スマホを持ち直した。
この投稿をしたアカウントに見覚えはなかった。アイコンはギターのヘッド、投稿数も少ない。
ただ、添えられていた歌詞の画像だけが、静かに主張していた。
| レインに濡れた 夜を越えて
| 描いた未来が 遠ざかっても
| 何も言わないで ただ抱きしめて
レ・エ・ン。REN。
そう書かれてみれば、確かにそう読める。
でも、だから何だというのだろう?
灯里は思った。
亡くなってから5年。一之瀬ユナにまつわる憶測は山ほどあった。
あの死は本当に事故だったのか?
そもそも、神楽坂レンとの同日死亡は偶然だったのか?
けれどそれらは、いずれも“語られるには遅すぎる話”だった。
当時の報道は熱狂して、すぐに沈静化した。事件性はない、偶然だと――警察もそう結論づけていた。
ただ、灯里の中で何かが残った。
それは言葉にできるものではなかった。
心の奥に、うっすらと水を吸った紙のように広がっていく感覚。
なぜ、今、この投稿が、こんなにも気になるのか。
灯里はイヤホンを取り出し、スマホで“Deep Breath”を再生した。
イントロが始まる。静かなピアノ。少し高めの、でもまっすぐな声。
その声を耳にした瞬間、彼女の背筋に、何かが走った。
それは懐かしさではない。むしろ、ずっと聴いてこなかったはずの“音”が、いま初めて心の奥に触れた気がした。
「……なんで?」
小さくつぶやいた声が、部屋に吸い込まれていった。
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再生が終わる前に、灯里はもう一度タイムラインに戻っていた。
投稿にはすでに何十件ものリプライがついていた。
| え、マジじゃん。
| さすがにこじつけでは?
| でも、もし本当なら…ヤバすぎる。
スクロールしていくと、ひとつだけ目を引く返信があった。
| ユナの歌詞の“レ・エ・ン”は、マジで意図的だと思う。
| というのも、Silent Prayerにも仕掛けがある。Y・U・N・Aって縦に並ぶ。
| 見てみ。あれ、絶対そうだから。
灯里は、返信のアカウントをタップした。
ユーザー名は「@sosuke_inoue」。プロフィール欄には、こうあった。
| amateur songwriter / 都内某大
| すれ違った想いの続きを探してる人へ
“すれ違った想いの続きを探してる”――その一文が、妙に引っかかった。
灯里は自分でも意識しないまま、「Silent Prayer」の歌詞を検索していた。
いくつかのファンサイト、まとめブログがヒットする。そこに掲載された2番の歌詞を見て、灯里は息を飲んだ。
| ゆるされない約束が
| うつくしいままで閉じ込められて
| なにもできずに 立ち尽くしていた
| あの日の僕に さよならを告げた
ゆ・う・な・あ。
自然すぎる。けれど、不自然すぎる。
それは、誰にも気づかれないように仕込まれた“名前”だった。
「これ……返事、だったの?」
5年前。
レンの死後に発表されたこの曲は、追悼とも、懺悔とも、ただの失恋曲とも言われた。
でも今ならわかる気がした。この歌は誰かひとりに向けられた“祈り”だった。
そして、答えるべき“問い”が、どこかにあったのだ。
灯里は、スマホの画面を開いたまま、しばらく黙っていた。
夜の部屋は静かで、壁の時計だけが針を進めていた。
静かに、息を吸う。呼吸を整える。
自分の中のどこかが、ふっと切り替わるのを感じた。
それは深い夜に灯る、小さな決意のようだった。
やがて、決意したようにスマホのキーボードをタップし始める。
DM。宛先は、あの考察を投稿したアカウント――「井上奏介」。
| はじめまして。
| 投稿、読ませていただきました。
| よかったら、少しお話しできませんか?
送信。
画面を閉じたあとも、灯里の胸の奥では、あの曲のピアノがまだ鳴っていた。




