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第三章 妹エリザの嫉妬と闇

 王都の中心――白大理石の宮廷学術院。その図書回廊を抜けた先にある小サロンで、伯爵令嬢エリザ・ブランシュはレースハンカチを握り潰していた。薔薇水を含ませたハンカチから滴が落ち、深紅のカーペットに濃い染みをつくる。


「……どうして、姉様だけが注目されるの?」


 周囲に人影はない。けれど彼女は囁くように呟いた。陶器のような白い頬に、嫉妬という名の熱が差している。その瞳は翡翠のように透きとおって美しいが、同時に氷面の下で狂い咲く緑藻のような濁りを湛えていた。


 幼いころは愛された。――と、彼女は信じていた。だが七歳の冬、魔法適性検査の結果が姉より低いとわかった瞬間、父公爵は慰めの言葉をかける一方で執事に姉専用の特別講師を呼び寄せた。あの日から、エリザの世界は常に“比較”で彩られた。


 姉セレナは賢い。領地運営にも長け、社交界では〈氷の薔薇〉と持ち上げられる。一方エリザは可憐な外見を称えられても、ひとたび姉が同席すれば賛辞はすべて姉に向かう。笑顔で祝福するたび、胸の奥に黒い炎が灯った。


 そんなエリザの前に現れたのが、侯爵家三男ギルバート・フォクス。淡い茶髪を無造作に流し、唇の端に冷笑を貼り付けた青年だ。


「貴方は気づいていないだけです。真に美しいのは姉上ではなく貴方だと、王太子殿下に示すべきでしょう?」


 ギルバートは声を潜め、宮廷舞踏会の夜にそう囁いた。王太子殿下――アルフォンスはエリザに一瞥もくれず、姉に視線を送っていた。その劣等感をギルバートは的確に突いた。


「だが大丈夫。方法は簡単です。婚約破棄された姉上が、王太子殿下に謀反を企てていると噂を流す。殿下は慌てて貴方に縋りますよ。哀れな放逐令嬢は敵国に資金援助を仰いでいる、とかね」


 悪辣な計画。しかしエリザの耳には蜜の味だった。自分では思いつけない具体的な策略をギルバートは惜しげもなく差し出す。彼の目的が姉への経済政策妨害であることなど、エリザには知る術もない。


 掌中のハンカチを見下ろし、彼女は眉を寄せた。姉のことを“恐ろしい魔女”だと吹き込まれたのもギルバートだった。その言葉を鵜吞みにしたのは、姉に置き去りにされたという被害者意識があったから。


 その頃、王都新聞の夕刊は〈公爵令嬢婚約破棄ショック〉を大見出しで取り上げ、市場では公爵家の将来を不安視した株価が乱高下していた。貴族派はこれを機にブランシュ家を失脚させる算段を巡らし、その尖兵をギルバートに委ねたのだ。



 数日後、王都西区の隠れ家。深夜灯すランプの下、ギルバートは羊皮紙を広げていた。そこには公爵家の税収を軍資金に充て、隣国への密輸を手配したかのような捏造会計。王太子殿下の署名欄も用意され、文面は周到に法的体裁を整えている。


「これでセレナ様は国家反逆の大罪。王太子の権威をもって追放も処刑も思いのままです」


 薄い唇が歪む。魔術師を雇い筆跡を完全複製したと自慢げに語るギルバートの横で、エリザは震える肩を隠せなかった。書類の隅には自分のサインすらある。――共犯。だが“姉より目立てるのなら”という黒い欲望が後ろ髪を引く。


「これで……私が王太子妃に?」


「ええ。殿下は罪悪感から貴方を厚遇なさるでしょう」


 夜が更けても炎は枯れず、窓の外では三日月が絶望色に霞んだ。



 一方、ルミエールの温泉街では祭の準備が佳境を迎えていた。子どもたちが色とりどりの行灯に絵を描き、職人たちが湯船に花弁を浮かべる姿をセレナは微笑ましく見守る。だが裏では、情報網を兼ねた商会の密偵が王都の不穏な噂を報告していた。


「ギルバート侯爵家が偽会計書類を作成中、とのことです」


 侍女レティシアが囁くと、セレナは眉をひそめる。妹エリザの名前も囁かれたが、半信半疑だった。エリザは臆病で無邪気な少女だったはず。しかし前世の記憶が警鐘を鳴らす。――ゲーム本編にもなかった展開が動き始めている。


「ロベール、信用できる公証人を王都へ飛ばして。書類の真正性を調べてもらうわ」


 ロベールは剣の柄に手を置き、静かに頷く。彼の瞳の奥では蒼い炎が灯っていた。セレナを守るという誓いは、利害を超えた魂の鎖なのだ。



 仮面舞踏会の招待状が王都中の貴族に配られたのは、それからほどなくしてのことだった。主催は王妃代理付き侍女長で、実質ギルバート派の掌の上。王太子が“新しい王妃候補”をお披露目する場と噂された。


 ドレス選びに熱を上げるエリザ。しかし鏡の前で微笑む彼女の後ろ姿に、侍女たちは影で囁く。「公爵令嬢なのに哀れだわ」「たった一度の舞台にすがる姿、見苦しい」──僅かな冷笑も、エリザの心を針で刺した。


 舞踏会前夜、エリザはギルバートから紫水晶の首飾りを贈られる。鏡の前で留め金を外す指が震える。「私が、選ばれる私になれる?」と問う彼女に、ギルバートは甘く囁く。「もちろん。貴方こそが真のヒロインだ」


 その瞬間、エリザの瞳から最後の躊躇が消えた。嫉妬と欲望が同じ色に溶け、彼女は紙鶴のように軽やかな声で笑った。



 王太子アルフォンスは舞踏会のリハーサルを繰り返すも、心は晴れなかった。偽書類を使い公爵令嬢を断罪する――それは貴族派の策だが、自らの選択でもある。彼の脳裏には断罪会場で交わしたセレナの冷たい微笑がこびりついて離れない。


「……間違っているのは私か?」


 けれど王妃の座、そして王位継承の安泰。多くの利害が彼を縛る。宮廷の回廊でギルバートと目が合ったとき、アルフォンスは小さく頷き返すしかなかった。――後戻りはできない。



 祭当日の朝、ルミエールの空は快晴。だがセレナの机の上には、王都の密偵から届いた封書が重ねられていた。そこには仮面舞踏会当日に公爵家弾劾文が発表されること、妹エリザが賛同書に署名したことが列挙されている。事実を証する写しには、エリザの整った筆跡が確かにあった。


 静かに目を閉じ、セレナは椅子の背もたれに身を預ける。嘆くよりも早く思考が走る。妹を救う手立てはあるか? そもそも救うべきなのか? 前世に妹はいなかった。だからこそ愛おしく、同時に扱いに迷う存在だった。


 しかし答えはすぐ出た。――姉である前に、一人の領主、一人の未来の王妃候補として、自分の民と正義を守らねばならない。


「ロベール、舞踏会の夜に間に合うように王都へ向かうわ。国王陛下には私が直接ご説明する」


 レティシアが心配そうに眉を寄せた。「妹君に情けを──?」


「情けと正義は両立するわ。エリザが逃げ場を失ったなら、私が最後の出口を示す。それでも背を向けるなら、あの子は自分の人生を選んだということ」


 言い聞かせるように呟き、セレナは立ち上がる。窓の外で湯煙が陽光に透け、祭囃子が遠くから聞こえた。祝祭と陰謀――光と影が交差する王都へ、彼女は再び赴く。


 そして夜空の星が動く頃、王宮黄金廊に灯る燭台の数を誰よりも知る男が、仮面を手に立っていた。第一近衛師団長ユリウス。彼は淡い笑みで囁く。「夜会の幕が上がる。あとは、女神の裁きを待つばかりだ」


 運命は濃墨を垂らしたように錯綜し、静謐の中に胎動する。姉妹の物語は、祝祭の仮面の下で血潮の色を帯びる。


 ──夜会の鐘が鳴る。

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