第八話
セイが目を開けた時、最初に目に飛び込んできたのは輝く金色の波、その中で小さくのぞく青い光だった。
吹き飛んだ天井から見える空はわずかに青白く、夜明けが近いことを告げている。
薄明りにきらめいていたのは自分を心配そうに覗き込むソレイユの金色の髪と、青い耳飾りだと気がついた。
「セイ! 気がついた!?」
ソレイユの表情がぱっと明るくなった。セイはソレイユに膝枕される形で仰向けになっていた。
あの少年だ。
セイは夢の中の少年が誰に似ていたのか思い出した。
「オレ……生きてる?」
「うん、うん! よかった、血も止まった! あんたが起きなかったらって思うと─┬」
ソレイユは言葉を詰まらせた。目から大粒の涙がこぼれ、セイの頬を濡らす。春先の雨のように暖かかった。
セイは左脇腹に触れてみた。
痛くない。
服が破れ、乾いた血で布地は固まっているが傷口があったところは張りのある皮膚がある。傷口はない。
セイは半身を起こそうとしたが、
「うっ……!」
脇腹が少し痛む。
「無理しちゃダメ! 傷口をふさいだだけでちゃんと治りきってない!」
ソレイユがセイの頭を膝に抑えつけた。体を起こせないように上体をセイに覆いかぶせる。
「うぁ……」
セイの喉から呻き声が漏れた。
「ほら、まだ痛む。じっとしてて」
「う、うん……」
確かに痛みがないわけではなかった。だが呻いた理由はそれだけではない。
ソレイユの小さな胸のふくらみがセイの顔の前、文字通り目の前に迫っていたのだ。あと少しで顔に触れてしまいそうだ。さらに後頭部にはソレイユの柔らかい太腿の感触。
いたたまれなくなって顔を横に向けようとしても、ソレイユががっしりと頭を掴んでいるのでそれもかなわない。目を逸らそうにもどうしても胸に目がいってしまう。
「もう少しで終わるから……」
ソレイユは目を閉じて何かに集中しているようだ。
セイは脇腹の痛みが少しづつ引いていくことに気づいた。
そう言えばなぜ傷口がふさがっているんだ。
砲撃の破片が間違いなくセイの左脇腹を貫通し、出血もかなりあったはずだ。
「傷、なんで─┬」
「今、送ってるから。完全には治せないけど、もう少しよくできるから」
よくできる?
セイはソレイユに尋ねようとしたが、ソレイユが必死に何かに集中しているようなのでやめておいた。彼女の額には汗が浮かんでいる。かなり真剣なようだ。
痛みがどんどん消えていく。
「……もうすぐ終わるから」
痛みがほぼ完全に消えた。
ソレイユは額の汗をぬぐいなら目を開けた。
「どう?」
「……さっきより痛くない」
セイは体を起こした。脇腹に若干の違和感はあるが動くのに支障はない。
「ソレイユが治してくれたの?」
「治した、って言うのかな。ちょっと分けただけ」
言っている意味が分からなかったが、ソレイユが何かしらの力を分け与えてくれたらしい。
「ありがとう」
「セイがかばってくれたでしょ。だからお互いさま」
ソレイユは少し疲れた様子で明るく答えた。この時、もっと深く聞いておくべきだった。
「オレ、どれくらい寝てた?」
「どのくらいかな。あのアスワドって人がいなくなってからだから、二時間くらいかな」
「アスワド……あいつ、なんだったんだろう。敵……ってわけじゃなかったみたいだけど」
セイは立ち上がり、壁の大穴から島を見下ろした。
「なんだ、どうしたんだ?」
島のあちこちで煙があがり、建物も一部壊れているのが見える。
セイが乗って来た船は沖合には見当たらない既に出航したようだ。
「セイ、島はどうなってるの?」
「……大変なことになってる。まるで─┬」
海賊の略奪にあったようだ、と言いかけて途中で言葉を留めた。
「……まるで災害にあったみたいだ。ヵなり荒らされてる」
この島はソレイユにとっても故郷なのだろう。それが人の手によって襲われたよりは自然災害など荒れたことにしたほうが幾分かは悲しませずに済むと思ったのだ。
しかしセイの気遣いは意味がなかった。
「襲われたんだと思う。海賊かなにかに。夜の間中、ずっと叫び声とか何かが壊れる音がしてたから。あれは、人がたてる音だよ。災害とか、獣とかの音じゃない」
そうだった。
ソレイユは目が見えない分耳がいい。セイや他の者では分からないような音も聞き取ることができる。高い塔の上からでも下の様子を音で把握していたのだろう。
「そうか。あいつら仲間がどうとか、食料や燃料がどうとか……島から略奪するのが目的だったのか」
「そういえばアスワドとは違う、もう一人の声が聞こえたけど誰かいたの? 女の子の声だったけど、甲高くて、すごく聞き取りにくかった。でも、他に誰かいる気配はしなかったし」
「あいつは一人だった。オレもよく分からないけど、仮面から声が聞こえた……気がする」
「司祭さまが言ってた。大昔にはムセンとか言う便利なものがあったって。遠くにいるのに会話できるんだって」
「遠くにいるのに会話? まるでおとぎ話の魔法みたいだな」
「司祭さま、死んじゃったのかな」
「……多分。この高さから落ちたんだ。海に落ちたとしても、どっちみち……」
だがあのアスワドという男は死んでいない。なぜかセイには確信があった。どうやったかは分からないが、あの男が塔から身を投げて自殺するとは思えない。なんらかの方法で生きているとしか思えない。
「司祭さまも楽園に行けたのかな」
「楽園?」
「知らない? 光の教えのひとつ。海の底には、影の海に浄化された素敵な楽園があるんだって。海に触れて死んだ人は、みんなそこで楽しく暮らせるって」
セイにはアブラハムが楽園に行けるような資格があるとは思えなかったが、母や船長が海の底で楽しく暮らせているなら悪いものでもない気がした。
「どうしようかな。これから」
ソレイユが呟いた。
「どうって?」
「私、ここで浄化を受けてきた。それが私の罰だから。でも司祭さまがいなくなって、ずいぶん経ったのに誰も来ない。もう誰も私を罰してくれない……」
ソレイユの顔には哀しみというより困惑の色が浮かんでいる。ソレイユにとってもアブラハムは好ましい存在ではなかったのだろう。だが自分がどうすべきかを命じる者が消えてしまい、思いがけず自由が手に入った。
「いっそ、逃げちゃおうかな。ここから」
ソレイユがイタズラっぽく笑う。
「……なんてウソ。逃げるところなんて、もうどこんもない。帰るところなんてどこにも……」
「ソレイユ……」
「ここだけが私の居場所だった。別にいたいわけでも、居心地が良かったわけでもないけど。それでも、ここで罰を受けてさえいれば、私はここにいることが許されてた。でも、それももう……」
ソレイユがしゃがみこんだ。が、すぐに顔をあげた。
「あ、ごめん。セイには関係ないよね。セイは逃げたほうがいいよ。元々この島の子じゃないんだし。私は罰を受けるしかないけど、セイはそうじゃない」
「オレ、ソレイユが罰を受けることなんてないと思う」
「え?」
「だってそうだろ。光の教えとかオレには分からないけど、人の居場所なんて誰かに決めてもらうもんじゃない。ないなら自分で作るか、勝ち取るしかない」
「自分で……作る……?
「船長の受け売りだけどさ。でもオレたち船乗りはみんなそうだよ。陸にはオレたちの居場所はない。だったら船でもなんでも使って、そこを居場所にするしかないんだ」
セイは膝をついて顔の高さをソレイユと合わせる。
「船乗りの中には陸を追放された奴もいる。ただ単に貧乏だからって奴も。でも、みんな船という居場所を自分で作ったんだ」
セイはソレイユの手を取った。
「だから行こうよ。探そうよ! ソレイユの居場所を。オレも、一緒に探すから」
セイは立ち上がり、軽ソレイユの手を引いた。ソレイユは戸惑いながらもセイの手を握り返し、一緒に立ち上がる。
「私の居場所……見つかるかな」
「見つかるさ! 探して見つからないなら作ればいい!」
「セイ……」
「こんなところ、最初からソレイユの居場所なんかじゃなかったんだよ。だから、一緒に行こう」
「……うん」
二人の顔が茜色に照らされる。
水平線から顔を出した太陽が空を茜色に染まっていた。