第6話 恋は落ちるものというが
私は額に手を当てて考える。私の伴侶に強さが必要と言えば、必要ではない。
だが、領地の防衛となればかなりの戦力となる。これからのことを考えると、力は必要だ。
今回のことは、隣国のアステリス国側が何かしら動いていると思われた。
第三王女が弟に目をつけたのは偶然ではないと私は見ている。
ミゲルから情報を得たかったというのもあるが、次期当主と決められているミゲルとの間に子供ができたとなると、責任を取れと言い寄って、結婚相手になれば、ガトレアール辺境伯夫人となる。
そうなれば、アステリス国はガトレアールに進軍しやすくなる。
もしミゲルが次期当主から外されたとしても、ミゲルからの領地の情報を元に進軍してくるだろう。
本当はこんなところで時間を費やしているのがもったいないぐらいだ。
しかし最低限、モンテロール侯爵と王太子殿下に頭を下げに行かないとならない。
ならば戦力となる人材は必要不可欠だ。叔父上が認めた者であるなら、今の言葉に嘘はないのだろう。が、その条件が私の伴侶……伴侶……私が結婚するのか!
結婚なんて私の頭の中に存在しなかったものだぞ。
「何か私では問題があるのでしょうか?」
黒騎士が不安そうな声色で聞いてきたが、黒騎士が悪いわけではなくて、私の心の問題だ。いや。
「貴殿が問題ではない。私は弟のミゲルを当主に受け継がせることを考えていたのだ。それが叔父上からこの話が出てきたということは、ミゲルに辺境伯の地位を受け継がせることを、国王陛下はお認めにならないということなのかと思ってな」
色々ブツブツと言っていても、結局のところ、私が戸惑っている一番のところはここだ。
庶子とはいえ、男児であるミゲルを当主と立てることを否とし、私にこのまま辺境伯に居座るように示唆されているのだ。
「え?」
その声にこの部屋にいる者たちの視線が集まる。その声を発した者は両頬が赤い弟のミゲルだ。
いや、この流れでどうして辺境伯を引き継げると思ったのだ?
今までの話を聞いていなかったのか?
っというか、私が怒っていた理由がわかっていなかったということか? では、何に対して謝っていたのだ?
「ミゲル。私が何に対して怒っているのかわかっているのか?」
「それは、魔鉄を取引しているモンテロール侯爵家との婚約を破棄したからです」
それも怒っていることだ。婚約破棄など何故簡単に口にできるのだ。破棄だぞ。破棄。
この状況のどこにモンテロール侯爵令嬢に不手際があったというのだ。どう見てもミゲルの方が悪いだろう。……もしかして、自分が悪いと思っていないのか?
あの謝罪の言葉は本当に、モンテロール侯爵家と取引を破談にしてしまったことに対して謝っていたのか?
愚かしいことこの上ない。
モンテロール侯爵の謝罪にミゲルを連れて行こうと思っていたが、これだと相手側を怒らせるだけだ。
そのために痛々しい感じに殴って、こちらはミゲルに対して罰を与えたと見せつけようとしていたのに、本人がこのような感じでは、謝罪の意味がない。
「ミゲル。国王陛下はアステリス国の王女を辺境伯の妻とすることを良しとはしないだろう」
「そうですよね。マルガリータは私にはもったいないほど素晴らしい女性です。嫁ぐのであれば、王族の方々だとわかっています。しかし、私はマルガリータを妻に迎えたいのです」
「ではそのために全てを捨て去る覚悟があると言うのか?」
「全てを?……はい! マルガリータを私の妻にできるのであれば」
妻にできるか……愚かしい。実に愚かしい。父の何を見てきたのだろう。義母君の何を見てきたのだろう。
いや……これはきっと……亡霊がいらぬことをミゲルに吹き込んだ結果だろう。本当に腸が煮えくり返る思いだ。
「叔父上。それで、国としてミゲルに対しては、何も罰を与えないということでよろしいのでしょうか?」
「そうだな」
では、私はここでミゲルに対して、今回の罰を与えなければならない。幽閉も考えたが、これは十二年前のことが脳裏によぎってしまう。
死罪にするほどの罪ではない。
ならば、マルガリータ第三王女と共に国を出ていってもらうほうが、ミゲルの望みも叶い、対外的にも他の貴族の方々が納得する形だろう。
次代の王となる王太子殿下の顔に泥を塗ったのだ。重い罰の方が、各方面からの文句は出て来ないだろう。
「ミゲル。今回の問題は婚約破棄もそうだが、一番の問題は王太子殿下主催のパーティーで騒ぎを起こしたことだ。それも婚約者のモンテロール侯爵令嬢に婚約破棄を言い渡し、アステリス国の王女を己の婚約者にすると言ったことだ。これは我が国より、隣国アステリス国を選ぶと宣言したことに等しい」
「そんなことはありません。問題はモンテロール侯爵令嬢にありました。私に非はありません! それに私の国はこの国です!」
はぁ、やはりミゲル自身は悪くないと思っているのか。そもそも婚約者がいながら、他の女性の手を取るという行為に疑問を抱かなかったのが、問題だ。
一応、後ほどモンテロール侯爵令嬢からも事情を聞くことができればいいのだが、叔父上が動いている時点で、どちらに問題があるのか明白だ。
「だから、全てを捨てる覚悟はあるのかと聞いたのだ」
「それはもちろんあります!」
凄く嬉しそうに返答されたのだが、ミゲルは罪悪感よりも第三王女と共に居られることの方が勝っているようだ。
ミゲルは王都にいる九年間で色々変わってしまったのだろう。
悲しいことだ。私はミゲルに辺境伯位を譲るために、色々してきたことがムダになってしまった。いや、ムダではないが、私の心には虚しさが満ちている。
この判斷をくださなければならないことに。
「ガトレアールの名をもって判決をくだす。ミゲルカルロ・ガトレアールを国外追放に処する」
「なぜ?」
「わからないか?ミゲル。ミゲル自身がそうは思っていなくても、多くの貴族がいる場で王太子の顔に泥を塗る行為をしたのだ。処罰されて当然だと思わなかったのか?」
「しかし、私の婚約に王太子殿下は関係ありません」
「関係ない? 本当にそう思っているのか?」
え? これを私が一から説明しなければならないことなのか?
私は頭が痛いと額を右手で押さえる。
無意識で左手は軍服のポケットからタバコの箱を取り出す。箱を振って紙タバコが一本出たところで、咥えて引き抜く。
箱をポケットに戻して、左指から火を出そうとしたところで、横から火を出された。
いや、部下みたいなことは、しなくていいのだが。まぁ、ありがたく黒騎士が出した火をもらって、タバコに火を付け、口から紫煙を吐き出し、イライラを抑える。
「色々言いたいことはあるが、私からミゲルに最後にしてやれることだけを言おう」
きっと学園というところは、行かなくてもいいところなのだろう。こんな基本的なことを理解できないのであればな。
私はタバコを持っている左手の腕輪から、膝の上に片手で持てるぐらいの大きさの革袋を出す。
それをミゲルの方に投げ渡した。投げた革袋を受け取ろうとミゲルが手を出すが、受け取れず革袋の紐が床に当たったことにより緩み、中身がこぼれ出てきた。
そこからはいろんな種類の宝石と、この国のお金がジャラリと出てきた。。
「餞別だ。宝石は全部第三王女にくれてやれ、それで己の身の安全を買え。お金は贅沢をしなければ五年は暮らせるだけはあるだろう」
「あの……身の安全とは?」
「はぁ」
紫煙と共にため息がこぼれ出る。よく隣国の状況も知らずに、第三王女と一緒になりたいと口にしたものだ。
「ミゲルが知っている情報もくれてやれ」
学園に通い出してから九年間一度も領地に帰って来なかったミゲルの情報など、たかが知れている。
ミゲルにとってそれが真実だ。
「第三王女も喜ぶだろう」
「はい!」
はい……か。全く罪悪感がないのだな。
恋とは落ちるものだと言うが、全く周りが見えないとは、恐ろしいものだ。
「ミゲル。もう行っていい。もう会うこともないだろう。姉としては、ミゲルにこの地位を譲りたかったよ」
「姉上。ありがとうございます。私とマルガリータのことを認めてくださって」
……認めてはいない。が、事を収めるのにミゲルに罰を与えなければならなかったというだけだ。
ミゲルはこぼれ出た宝石とお金を革袋に戻して、嬉しそうに部屋を出ていった。
ミゲル。お前の目に現実が映ったときに、絶望していないことを祈っているよ。
そして私は叔父上に視線を向けた。私の判斷の甘さに文句でも言いたいのだろう。そのような顔をしている。
「叔父上が懸念することは何も起こりませんよ。ミゲルはこの9年間一度も領地には帰ってきていません。それは領地について何も知らないということに等しいのです」
「ならば、私からは言うことは何もない」
これで隣国に行く途中で事故に襲われることもないだろう。
叔父上の腕はとても長いので、注意が必要だ。
「それから、叔父上からのお話をお受けいたします」
私はタバコを灰皿に押し付けたあと、叔父上に向って頭を下げた。
黒騎士との婚姻の話を受けると。
叔父上が私に弟の処分をさせたのは、辺境伯を続けさせるためだったのだろう。
本当であれば、王太子殿下の誕生パーティーで騒ぎを起こしたということで、国から裁決がくだされてもおかしくはない状況だった。
それを叔父上がミゲルの身を預かるということで場を収め、貴族からの反感を抑えた。
私に結婚の話を持っていきやすいようにだ。
このシスコンが私に辺境伯の座に居座らせたいことは知っていた。
きっと叔父上にとって今回のことは良いきっかけだったのだろう。私に恩を売って、母の血を、王族の血を辺境の地に定着させるためにだ。
ああ、そもそもそのような考えがあって、弟と第三王女が懇意になっているのを見逃していたのかもしれない。なぜなら他国の王女は黒騎士の監視対象になっているはずだからだ。
「ならばリリアシルファ。これにサインをしなさい」
叔父上はそう言って、一枚の紙をローテーブルの上に置いた。婚約に関することだろうか……私は紙に書かれている内容を見て、叔父上を睨みつける。
「これは婚姻届ですが?」
「そうだね」
婚約届ですらなく、婚姻届!それも国王陛下のサインがされており、ランドルフ・アルディーラというサインもされていた。
やはり、これは私に選ばせるように仕向けていたが、既に決められていたことだったのだ! 選択肢なんて初めから存在しなかったのだ。
「リリアシルファ。君は今年で二十五歳だったね」
「はい。そうですが?」
「君が今までの婚約話を蹴ってきたのだ。跡継ぎは早めに作ったほうがよいだろう?」
「本音を言ってください、叔父上」
「あの素晴らしい姉上の血筋を途絶えさせることなど、許されざることだ!」
そういうブレないところは、流石叔父上だと納得してしまうが、婚姻届はやりすぎだと思う。せめて一年ぐらい婚約期間は欲しい。
なに? 会ったその日に結婚って!
「叔父上。先に叔父上が結婚すべきではないのですか?」
「何度も言うが、姉上より素晴らしい女性は、この世には存在しないのだ。ランドルフはこのまま連れて帰ってよいからな」
「母以外の人を物のように扱うのは、止めたほうがいいと何度も言っていますよね」
「リリアシルファ。さっさとサインをしてモンテロール侯爵に謝罪に行ってきなさい」
いつの間にか、叔父上の後ろに金髪碧眼の黒い騎士の隊服を身にまとった男性が立っていた。叔父上の部下は、人とは思えない行動をする部下が多いな。
しかし、文句ぐらいは言っても許されるはずだ。
私は婚姻届にサインをして、叔父上に差し出す。するとそのサインされた婚姻届を背後に立っている人物に手渡した。
このあと、教会に持っていくように無言で促しているのだろう。
「叔父上。黒騎士アルディーラをこのまま連れて帰るように言われましたが、それは騎士団の方に不都合が生じるのではないのですか?」
私の隣に立っている黒騎士は副団長と名乗っていた。ならば、『はい、そうですか』と私が連れ出すわけにはいかない。
「構わない。さっさと行きたまえ」
叔父上は私が婚姻届にサインをすれば、全てが終わったというばかりに、追い出すように手を振っている。
「そうですか。では、弟のテオを黒騎士で、こき使ってください」
「はへ?」
ここで自分の名前が出てくるとは思っていなかったテオから変な声が出てきた。
テオ。シャキッとしなさい。
「よいよ。さっきの恋愛脳よりも、役に立ちそうだからな」
……シスコンに言われたくない言葉を言われた。私からすれば、似たりよったりだ。
まぁ、叔父上からテオの腕を買ってもらえたのだ。それにミゲルの命を見逃してもらえた。
これでいい。
私はスッと立ち上がって、叔父上に向って頭を下げる。
「この度はガトレアールの為にお力添えをしていただき、感謝いたします。母に叔父上から良いように、していただいたと報告させていただきます」
「ふむ。姉上には私のことを、大いに褒め称えてくれればいい」
ここさえ抑えておけば、叔父上はちょろい。へんな贈り物より母から叔父上に声を掛けてもらった方が、今後も良好な関係でいられるのだ。
「はい」
私はそう答えて、叔父上の離宮を後にした。弟のロベルトとテオは叔父上にひきとめられていたため、私は婚姻届にサインがされていたランドルフ・アルディーラと二人で、モンテロール侯爵に謝罪に行くことになってしまったのだった。
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「やっと行きましたね」
「はぁ……アレン。ランドルフは大丈夫だと思うか?」
赤い髪の男性というには、綺麗な顔立ちの黒い騎士の隊服を着た者が、大きくため息を吐いて背後に立っている金髪碧眼の男性に声をかけた。
「……さぁ。今までは我々が止めていましたからね」
「そうだよなぁ。リリアシルファに近づく者を全て射殺さんばかりだったからな」
「魔眼の黒騎士の噂は聞いていますが、姉上はいったい何をしたのでしょう」
魔眼の黒騎士。それが、黒髪の男の二つ名なのだろう。その名の響きからは、あまり良い印象は受けない。
そして、その質問した者は空のような色の髪と瞳が印象的な十九歳ほどの青年だ。どうも己の姉が何かをしたと決めつけている。
「リリアシルファとしては、いつもどおりのことだったのだ。お前たちならよくわかるだろう? 庶子は貴族として扱われないと」
その言葉に同じような空色の髪色をした兄弟がなんとも言えない表情をしている。領地では、姉弟が別け隔てることなく過ごしてきたが、王都に来てみれば、それが異常だったと思わせられたと。
「あれは、ほぼストーカーですね。ガトレアール辺境伯が王都に来たとなると、業務を放りだして、尾行していましたからね」
「しかし、話しかけるのかと言えば、何を話して良いのかわからないと近づけなかったのに……今日はどうして一緒に、来たのだろうな」
「あ……それは」
何かを知っていそうな十六歳ぐらいの空色の髪の少年に視線が集まる。
「お姉様が公開演習に飽きて、王立図書館に行こうとリンヴァーグ公園を通り抜けていたところ、黒騎士副団長にスパイと間違われたと言っていました」
その言葉を聞いた二人の黒い騎士の隊服を着た者が、揃えたように大きくため息を吐いた。
「緊張しすぎて寝れなかったと言っていたよな」
「言っていましたね」
「人を射殺しそうな顔をしているから、仮眠してこいと、私は命じたよな」
「はい。アレは視線だけで、人を殺せそうでしたね」
「もしかして、闘技場の近くの公園まで行って、寝ていたとか言わないよな」
「副団長ならありえますね。それで何も知らないガトレアール辺境伯が近づいて、寝ぼけた副団長に殺されかけたと……」
「リリアシルファにランドルフの寝起きが、すこぶる悪いと一言いっておくべきだったか?」
「……返答は控えておきます。私は教会に書類の提出に行ってきますので、御前を失礼させていただきます」
元々婚約というものを避けていた辺境伯に、結婚相手のマイナス要因を言うことは、この婚姻が成立に至らなかった可能性がある。そのため、金髪碧眼の黒騎士は返答をせずに、サインがされた婚姻届を持って、部屋を出ていったのだった。