第45話 望む場所
空は帳が下り、闇が支配する時間となった。
私は明るい部屋の中で書類と向き合っている。最低限これだけは見ろと、これ見よがしにディオールが私の執務机に置いて行った書類だ。
今、進めているのは、食料の安定供給だ。現在は他の領地と取引して賄っているところが大きい。そこを自給自足までに持って行こうとしているのだ。
「やっぱり、農作物を荒らされる被害が大きいか。実験農場の防壁の強化に、侵入者撃退する物が欲しいと……監視センサーでもつける?」
「それ、どこですか?」
「レント。どこという感じではないな……いや東側が多いか?」
東側か。いや、エルーモゼからのイライラ感がでている報告が多いというだけか?各地域で育つ作物の実験も含まれているからなぁ。
担当者が上に上げるかどうかもあるだろうし、被害は全域という認識でいいと思う。
作物の成長過程と収穫量の算定がメインであって、実際に収穫することが目的ではないからな。
私は紙を出して、畑の絵を描いて、そこを囲う壁を描く。
いや、壁ではなくて柵でいいか。壁だとコスト面も高くなる。
それでだな……
「シルファ。悠長にしていていいのか?」
考え事をしていると、ランドルフから声を掛けられた。ああ、そろそろ戦いが始まる時間になるだろうということか。
「私が現場に出るわけではないから、連絡待ちだ。いや、今からでも行っていいのなら」
「駄目ですよ」
私の背後から私を見張っているおっさんからの言葉だ。凄く、さっきから鬱陶しい。
今から自動二輪で駆けていっても、二時間はかかる。その時間に到着しても邪魔なだけだろう。いや、回復要員ぐらいにはなるな。
護衛がいつも以上に減っているから、ザッシュのピリピリ度が酷い。いや、私がふらふらどこかに行かないように見張っていると言い換えよう。
「と、ザッシュも言っているから、私は私の仕事をしているのだよ」
そして私は再び、紙に視線を向けて続きを書き出す。
センサーを柵に沿わすようにつけて、センサーに触れると大音量の警報がなるように設定して……いや、柵に電気を通すか。太陽電池で周囲に電気柵を設置している畑があった記憶がある。でもアレって直流か交流かの問題があったような。
まぁ、泥棒するやつだからいいか。
あと、森の周回に使っている魔犬をけしかけるように訓練するか。
「また、えげつないこと書いていますね」
横から覗き見ているレントから突っ込まれた。
書いた紙をそのままレントに渡す。
「技術部にできるかどうか聞いてくれ、それで今日はもう休んでいいぞ。私も見終わったから休む。ザッシュもちゃんと休むように、ここ数日ちゃんと休んでなかっただろう?」
「しかし」
「ザッシュ、本番はこの先だ。休めるときに、身体を休めておかないともたないぞ。休むのも仕事だ」
「はい」
そして私の護衛の二人は執務室を出ていった。さてと……私もイスから立ち上がる。
そろそろ第一波と第四師団が接触したぐらいか?
「ランドルフも早く休めよ」
そう言って私も執務室を出ていく。
ふふふ。こんなチャンスは滅多にない。あの口うるさいディオールが居ないのだ。
踵で床を叩く。すると私を中心に円状の光が床に広がった。それは複雑な紋様を描き、歩く私の影のようについてくる。
ディオールが言っていたように、ザッシュの目を欺くことは可能だ。これがディオールがいると私の魔力に反応して駆けつけてくる。
まぁ、ちょっと様子を見てくるだけだ。
「『転移』ん? 違う魔力がまじ……」
・
・
・
・
・
「てるって! ランドルフ! なぜついてい来た!」
先ほど廊下を歩いていたが、今では何も無い荒野を歩いている。
そして転移の出現場所が別の魔力が混じって、別の場所に出現してしまった。私は水源の林の中に転移する予定だったのに。
それもいつの間にかランドルフが転移の陣の中に入ってきていたのだ。もともと私一人分だけ転移するつもりで展開していたから、転移の陣に割り込んでくるのは少々窮屈な感じになる。
そう、私の背後にランドルフが居たのだ。
「ここはどこだ?」
「ランドルフ。なぜ、ついてきたのだ?」
「シルファが部屋を出ていくときに笑っていたから、どうしたのだろうなと思ってな」
……え? 私は笑っていたのか?
「それに、シルファには似合わない笑顔で笑っていたから」
それは私の考えていることが顔にでてしまっていたということか。はぁ、ついてきてしまったのであれば、仕方がない。
今戻ると、絶対にレントが戻ってきて、ザッシュにバレている可能性が高いからな。
「はぁ、ランドルフ。できれば私が空間転移をしているときは、入りこまないで欲しい。転移の出現場所がズレてしまうからな」
「空間転移? 空間転移は魔導士が十人以上は必要だと聞いているが? それも失敗する確率のほうが高い」
ああ、使い勝手が悪い転移の方な。そう思い込ませていると言った方がいい。
私はズレで転移してしまった部分を歩き始める。月と星が地上を照らす暗闇の中、叫声や怒声、悲鳴、爆音、が響き渡っている場所にだ。
「転移は普通は出来ない。それが一般常識だ。転移が誰もかもができるとわかれば、国境というものは意味が無くなってしまうだろう?」
「誰もができる?」
「おや? ここ数日の間で気が付かなかったか? アステリス国は転移を用いていると」
「それは魔物のことだろう?」
大亀や火牛の件は一番分かりやすいだろう。中央には生息しない南方領にいる魔物だからだ。
魔物だから実験として送りつけたと思っているのか?
「アステリス国が使っているだろうと思われる転移の方法は、位置替えの転移だ」
「位置変え?」
「そう、侵入してきたアステリス国の諜報部のイレイザーは情報を集めたあと、その姿は確認できなくなる。それに変わるように突然実働部隊が現れる。これは予想で実際に見たわけではないが、ほぼ合っているだろう」
今回もそのように侵入された可能性が高い。情報収集を主としている奴らが、ヴォール川を遡れるとは思わないからな。
「それはわかったが、シルファ自身は動かないつもりだったのではないのか?」
「行かないとは一言も言っていないぞ。それに、ちょっと気になることがあって見に来たのだ」
「気になること?」
私自身は戦いには手を出さない。よっぽどのことがない限りはな。ただ、森の中の人の気配が多い場所に転移をして、気配を消して高みの見物をしようと思っていたのだ。
こうも人気がない場所に転移をしてしまうと流石にバレてしまうよな。
「でも、ディオールに察知されてしまったから、それも無しだ。こうも動きにくいと身分というものが邪魔だな」
ディオールの気配が凄い勢いでこちらに近づいて来ている。いつもなら追いかけっこに発展するのだが、今日はそんなことをする意味がないので、大人しく捕まっておくか。
「シルファ。気になることがあるのなら、俺が調べて来てもいい」
ランドルフがそう言ってくれたが、私は首を横に振る。
「どれほど強力な竜種を連れてきたのかと思っていたが、ここから感じる気配は気にするほどじゃない。北の山に住むドラゴンほどかと思ったが、そうではなさそうだ。だから、私が出ることもないだろう」
この世界には人の身では絶対に敵わないモノが存在している。竜種も色々存在し、中には神話級の存在もいる。
そうなると、彼らだけでは、戦い抜くのは厳しいと思ったのだが、近づいてくる気配からすれば、北の地に住む氷竜というぐらいだろう。
「最初はシルファの護衛が小隊規模で存在していると聞いて、多すぎるのではと思ったが、それぐらい居ないと、シルファを護衛できないという意味だったのだな」
「ぷっ! 護衛を増やそうと言ってきたザッシュと同じことを言わないでくれ。私にはそれほどの価値などない」
私の命を守れば護衛としては満足な死かもしれないが、私としてはついてこれないのであれば、無理をしてついてこないでもいいという感じだ。
「それに人はいつかは死ぬ。私は後悔したくないだけだ。あの時動いておけば、あの時ああしとけば、なぜしておかなかったのだ。そんな風に後悔はしたくないのだよ」
そう、動かなくなった身体で、後悔と迫りくる死の恐怖に苛まれたことを、繰り返すことはしたくはない。
「まぁ、周りを振り回している自覚はあるよ。なにかと、わがままが通っているのも、私が王族の血を引いていて、辺境伯という地位にいるからだ」
結局、死戦を共に戦った彼らだけが、本当の意味で私の護衛なのだろう。
こうやって突然現れた私の元に駆けつけてくるのだからな。
「一つ疑問に思ったのだが、聞いてもいいか?」
「なんだ?」
「ザッシュの話や護衛たちの態度から、シルファのわがままは、本当の意味でのわがままではないのだろう?」
「ん? どういう意味だ?」
「ザッシュはシルファの行動に対して否定ではなくて、自分たちがどう動くべきか考える時間が必要だと言っていた」
……そんなことを言っていたか? ただ単に私のわがままを解釈する時間が欲しいというものだったはずだ。
「それはシルファがガトレアール辺境伯として行動しているからだ。周りには休むように言って、シルファ自身がこうやって動いているのも、被害を拡大させないためだった。だったら、シルファの本当のわがままは何だ?」
「え? それはもちろんバカンスに行くこと」
「それを公言しているのは、庶子である弟にその立場を明け渡すことを、シルファ自身が示すことで、周りの軋轢を減らそうとしているのだろう?」
……古い考えを持つ者たちが、私の存在を疎ましく思っていることは事実。だが、多くの者たちが王族の血を引く私がこのままガトレアールの地を治めることを望んでいる。
だから、私はワザとその地位をミゲルに明け渡すことを公言していた。その真意に気づくのは、長年私の護衛をしていた彼らだけだと思ったのにな。
「シルファの本当のわがままは何だ?」
そう聞かれて私は歩みを止めてしまった。私の本当のわがまま。
ふと古い記憶が蘇ってきた。
視線の先には沈もうとしている欠けた月が二つ見える。どうみても私の立つ場所が望んでいる場所ではないと知らしめている。
あの頃に帰りたい。
叶いはしない望みは口には出さない。これは私の心に留めておくべきことだ。
「やっぱり美味しいものを食べるかな?」
そう言ってランドルフを見上げる。
私は私自身のことを誰かに語ることはないだろう。だから、本当の望みも言葉にすることはない。
すると、ランドルフの方に引き寄せられる。
「今の俺では、話してもらえないか」
あ、いや。誰にも話すつもりはないからな。それになぜ、嘘だとバレているんだ?
あと、ちょっと近いぞ。
「ここに来て感じたのが、このガトレアールは、シルファを中心にして動いているということだ。だから、シルファに価値がないことはない。ありすぎるほどだ」
あの……ちょっと近いのだが。もうちょっと離れて欲しい。
「そのシルファはずっと動いている。あの料理だって、シルファがすることではなかったはずだ?」
「料理は作ってはいない」
「シルファが用意して、軍の者たちに振る舞ったということが、彼らの士気を高めるとわかっていたからだろう? だから、領軍がまとまっている」
「いや、本当は父のように直接領兵の者たちに指導してやればいいのだが、ザッシュとディオールから、兵が使い物にならなくなるからしない方がいいと言われた。だから、別の形で彼らを労おうと思ったのが始まりにすぎない」
女であり二十歳にも満たない者から訓練を受けて、地面に転がされるとは屈辱的だろうしな。私は父のように、武人らしい者ではないから、余計に人の心を折るらしい。
特にディオールから強く反対されたからな。
「そうやって、全て他人の為に行動している。だから、俺はシルファを幸せにしよう」
「は?」
いや、どこからそこに飛んだのだ?
「シルファ。本当はどこに行きたいのだ?」
ホントウハドコニイキタイ?
その言葉に大きく目を見開く。私はバカンスに行きたいとか、美味しいものを食べたいとしか言っていない。どこからそんな言葉がでてきたのだ?
しかし、本当の望みは叶うことはない。
「このガトレアールの未来だ」
私はそう言って、笑みを浮かべた。結局私の居場所は、この地でしかないということだ。
「わかった。シルファの望むガトレアールを作ろう」
ランドルフはそう言って、私に口づけをしてきた。
ちょっと待て、すぐそこまでディオールとアランが来ているのだぞ。恥ずかしすぎるだろうが!