第42話 常識の破壊
「マルク。さっさと燃やしてしまってよ。その火を使うのだから」
私は大きなテーブルを出して、肉を食べやすい大きさに切っている。焼き肉と言っても鉄板焼きだ。
炎牛の肉は神戸牛並にサシが入っているので、私はミディアムレアぐらいが好みだ。あの中が火が通っているか通っていないか微妙なピンク色の肉。
そして、外は香ばしく焼かれた感じがたまらない。
考えただけでよだれが出てくる。
そして、骨と内臓を焼いた高温の火を使うことで身体を火に覆われても焼けない炎牛の肉に火を通すのだ。
「うぅぅぅぅ。もう少し待ってくださいよー。今、毒が充満しているので」
マルクは高温の青い炎で炎牛の骨ごと内臓を燃やしている。それはいいのだが、内臓には毒が含まれているので、辺り一帯に毒ガスが充満する事態になっている。
それを結界で周りを覆って上空にちらしているのだ。
はっきり言ってこれだけで三つの魔術を併用しているのだが、マルクは普通にこなしていた。
何だかんだと言っているが、普通に併用魔術を使っている。他の者なら二つの併用が限度で、三つ以上を展開出来ない。
ここがマルクの凄いところなんだが、本人に自信が無いところが欠点だな。
さて、マルクの処理がまだ掛かりそうなので、テーブルの上に小型の板状の結界を敷いて、その上に炎の陣を魔力でささっと描く。
その上に熱が均一にいきわたるように作らせたフライパンを乗せる。これは高温にも耐えられるように作ったものだ。
異世界の食材は少々クセがあって、普通の火の温度では熱が通りにくかったりするからな。
炎の陣に魔力を通し、炎を出現させる。
始めは赤い炎だったが、温度を上げていき、青い炎になるまでにする。いわゆるガス火の温度だ。
普通の調理に使うオレンジ色の炎は1000度ぐらいなのだ。これは炎牛がまとう炎とほぼ変わらない。
だが、ガス火だと1800度ぐらいにはなる。
ちょうど炎牛の肉をじっくりと焼くにはいい温度なのだ。
その炎牛の肉を薄切りにしたやつをさっと火を通す。薄切りだから、表面の脂がとけたぐらいで丁度いい。
さっと火を通した肉に塩をさっと振って、ハシで掴み上げる。
肉の香ばしい匂いが鼻の奥を満たし、熱い肉をふぅふぅと息を吹きかけて表面を冷まして、パクリと口に入れた。
「ああ〜!! 辺境伯様! また毒見をしていない物を食べてるぅー!」
私の行動を目にしたマルクが叫び声を上げた。私は両手で口元を押さえて咀嚼する。
う……うまい!
舌の上に広がる肉の脂の甘味。塩がアクセントになっている肉は噛むほどに味わいが出てくる。
うぅぅぅぅ! お米が欲しい!
と思っていると横から影が差した。横目で見上げると、三白眼のおっさんが私を見下ろしている。
私が一番に味見をしていると、口の中のものを強制的に出されてからは、ザッシュに見つかると両手で口元を覆うようになった。せっかく食べたものを吐き出すなんて、食べ物を粗末にしているだけだからな。
「何度も言っていますが、毒の混入の可能性がある炎牛の肉は、誰かに毒見をさせてから、食べてくださいと何度も言っていますよね。リリア様」
私は咀嚼しているものを飲み込んでから反論する。
「ザッシュ。私が一番に食べるべきだろう?」
「どういう理屈で出した答えかは知りませんが、食べたいのなら、誰かを犠牲にしてから、食べてくださいという意味ですよ」
いや、誰かを犠牲にするのは駄目だろう。これは私が食べたいと、わがままを言った物なのだから。
「鑑定をして毒が無いことを解析しているから問題ない。それに解毒も私自身で使えるから、私が責任をもって食べるべきだろう?」
「何度も言いますが、それでは我々の立場がないですよね」
はぁ、子供の頃は良かった。好き勝手にしていても、よっぽどのことではない限り怒られなかった。
だけど、爵位を継いでからというもの、ザッシュのお小言が増えた。所詮私は中継ぎに過ぎない……いや、もう……違ったのだったな。
だが! しかし! 狩りをした者の特権として、一番に一番美味しい部分を食べる権利があってもいいのではないのか?
……はっ! ということはザッシュにも食べる権利があるな。
「はぁ、わかった」
火をつけっぱなしだった陣の上にフライパンを置いて熱し、薄切りの肉をさっと焼いて、小皿に置いた。
「味見をしろ。塩は適当にかければいい」
「何か斜めの方向に考えましたね」
「いや、ザッシュにも一番に味見をする権利があると思ったからだ」
するとザッシュから、盛大なため息が吐き出された。
そのため息はなんだ?
「領政と軍事のことはまともですのに、商品の開発と食べ物のことになると、斜めの方向に考えが及ぶのはなぜでしょうか?」
「ぐちぐち言ってないで、食べないのなら私が食べるぞ」
私がそう言うと、さっさと肉をハシで掴んで、ザッシュは口の中に入れた。
そんなに眉間にシワを寄せながら食べなくてもいいだろうに。
「問題ありません」
それはないだろうね。きちんと鑑定して、問題が無いことぐらい事前に確認しているからな。
「シルファ。俺も食べてみたい」
私の横にいるランドルフが言ってきた。
珍しいな。初めてこの肉を見た者たちは、炎牛の肉だと知れば、逃げ腰で去って行くのにな。
どういう考えで、そう至ったのかは知らないが、肉を食べれば、己自身も燃えてしまうと思っているらしい。おかしなものだ。
「いいぞ」
そう言って、ランドルフの分を焼いてあげる。
「シルファは料理をするのか?」
ささっと焼いて、ランドルフに小皿を差し出すと、そんなことを聞かれた。いや、料理というほどのものはしないな。
「料理は料理人の仕事だからな。私はしないぞ」
他人の仕事の領分を侵害することはしていない。これは母にきつく言われたからな。
「ん? これは料理ではないのか?」
「ぷっ! これは料理というものじゃない。ただの狩りをした食材の肉を解体して焼いただけだ」
ランドルフは何か納得がいかないのか、首を傾げながら、炎牛の焼いた肉を口にした。
そして何かに驚いたように目を見開く。
「肉が溶けて無くなった」
「それは言い過ぎだが、噛まなくていいほど柔らかいだろう? ザッシュは歯ごたえがなさすぎて、食べた気がしないと言うがな」
そのザッシュは私の側で監視をするように、威圧的な視線を向けてきている。炎牛の肉に対する感想を何も言わなかったということは、いつも通りだったということだろう。
人の好みはそれぞれだからな。赤身の肉を好むザッシュには少々脂の部分が多いようだ。
「お嬢様。野菜をもらってきましたよ」
「辺境伯様。第一師団と第四師団の者たちには夕刻に辺境伯様が焼き肉パーティーをすると言ってきました。あと、酪農部門で闘鶏の卵をもらってきましたよ」
アランとレントが食材を抱えて戻ってきた。炎牛の肉の量だけでもかなりの量があるのだが、集まってくる者たちの腹を満たせるかと言えば、足りない。
「ああ、食材はその辺りに置いてくれ」
集まってくると言っても第一師団と第四師団の全ての者達がくるわけではない。第一師団は領都に常時詰めているのは二個大隊。二千人ほどだ。
これが多いか少ないかと言えば、私は少ないと思っている。
残りは各駐屯地や国境に配属されているので、この人数が精一杯だといえた。
と言っても個人の性格上、こう言う集まりが好きではない者もいるので、食べたいヤツだけくればいいというのが、毎回の流れだ。
「それでレントどうだった?」
「辺境伯様の読み通りです。厨房の方に頼んでおきました」
よし、これは後で持ってきてくれるだろう。
「シルファ。何のことだ?」
私とレントがコソコソと話をしていると、ランドルフが気になったらしい。
ただ、ザッシュは何のことを言っているのかわかったのだろう。またまた、ため息が降ってきた。
「今日のお昼にカツレツサンドがあっただろう?」
「……どれのことだ?」
「リリア様。そもそもカツレツという料理は辺境伯様が考案したので、一般的ではありません」
ザッシュに指摘されて、はっとなる。言われてみればそうだ。
「乳牛にンモーモーを飼育しているのだよ」
「え? あんな凶暴な魔牛を?」
「リリア様。ンモーモーは普通では飼育できません」
「ちょっと待とうか。ザッシュ。ンモーモーのときは誰も止めなかったよな」
「それは誰が見てもンモーモーの方が哀れに思えたからですね」
哀れ? いやいや、私はどうみてもホルスタイン種に見える牛なのに、厳ついバッファローみたいな角が生えているのが意味がわからなくて、これが無かったら乳牛じゃないかと、角をバシッと叩いたら、折れてしまったというだけだ。哀れでもなんでもない。
「後で検証してみると、どうも角が無くなると凶暴性を消失することがわかりましたので、各地域で酪農をするようになりましたね。水が少ない地域では重宝しておりますよ」
ディオールに言われて、そう言えばそのような報告書が上がっていたなと思い出す。
領地内に生息する魔物や魔獣の生態調査をした辞書のような報告書だ。
いや、年々増えていって今では一つの本棚が生態調査報告書で埋まってしまっていた。
きっかけは、わからないから怖ろしいのであって、きちんと調べて行動パターンを把握すれば、避けられる被害もでてくるだろうと、言ったことだった。そして、主に第五師団の者たちに調べるように命じてある。
それは南のダリルの森に街道があるからだ。森の中を通り抜ける者の安全確保の為の案だった。
「ランドルフ。話がズレてしまったが、今日はその乳牛で飼育しているンモーモーの肉が出ていたのでな。捨てる部分が残っているはずだとレントに確認しに行ってもらっていたのだ」
「スジと内臓ですよね。あとでお持ちしますと伝言を承りました。それからテールスープも夕刻までには出来上がると聞いています」
ディオールには炎牛の尾を厨房に持って行ってもらって、これでスープを作ってもらうように頼んでいた。そのついでに、私への伝言も言い渡されたようだ。
「内臓を食べるのか?」
「辺境伯様。ほら普通は内臓なんて食べませんよ」
「忌避感ありますよね」
「ぼ……僕も食べる物が無かったから食べたけど、普通は食べようとは思わないよ」
ちっ! 言いたい放題言って、今じゃ普通に食べるじゃないか。
確かにきっかけは、食べる物がなくて、突進してきたンモーモーを仕留めたけど、大人数の腹を満たすには小型だったから、内臓まで食べたことだった。
今では、出てくれば普通に食べているじゃないか!
「内臓は好みがあるから、食べたいやつだけ食べればいいぞ。まぁ今回は焼き肉をしているところと、ホルモンを焼いているところと、すき焼きをしているところとで分かれるから、好きなところで食べるといい」
「今回は? いつもは違うのか? それから『すきやき』とは何だ?」
「今回は炎牛の肉だからな、すき焼きが良いと思ったのだ。肉は火が通りにくいから、あらかじめ火を入れた肉を使うが、野菜と甘辛く煮て、溶き卵で食べるものだな」
「溶き卵……生でか?」
「そうだが?」
ランドルフは何を困惑した表情をしているのだ? 肉と野菜の煮込み料理ぐらい普通にあるし、闘鶏の卵も高級品扱いだが、貴族なら食べたことぐらいあるはずだ。
私が首を傾げていると、斜め上から何度目かのため息が降ってきて、ディオールに至ってはクスクスと笑っている。
「旦那様。辺境伯様と結婚をするということは、常識を破壊されることと同意義ですから、こんなことで戸惑っていては、駄目ですよ」
ディオールがとても失礼なことを言ってきた。常識の破壊ってそんな非道な事はしていない。それに食べ物の話をしているだけではないか。
「私は忠告しましたよ。リリア様の食へのこだわりは普通ではないですと」
確かにザッシュは言っていたが、今回は炎牛を素手で殴ったとランドルフから説教されるほどのことは言ってはいない。……はず。
「いや、生の卵は腹を壊すというのが一般的だろう? これは流石にやめておいた方がいい」
「え?そんなもの卵を浄化すればいい」
そんなことでランドルフは困惑した表情をしていたのか?
菌がいるなら殺菌すればいい。それだけだろう?