第34話 美味しいは正義
「恐らくそれは双眼鏡ではないのですか?」
背後からザッシュが予想を口にしたけど、それは兵器ではなくて、ただ遠くの物を見るだけのものだ。
「それは観劇を見るためのものであって、兵器ではない。それもまだお母様にしか渡していない」
母に渡して使い勝手がどうか意見を聞いてから、商品化しようと思っていたもので、まだその返答をもらっていないものだ。
だから母が誰かに言わない限り……ちょっと待て。確か先日まだ発売していない美容液のことを王太子妃殿下から聞かれたな。
「あ、それのことですかね。執事のディオールが、双眼鏡の見え方をもう少し簡単に出来ないのかとマリエッタ様から言われたと言っていましたね」
アランが思い出したかのように言った。
「真っ暗になって人物が消えて見えなくなると」
それは拡大しすぎだと思う。
ん? もしかして、母の話を盗み聞きしていると、魔道具で人を見ていると消えてしまったという内容になるので、殺人兵器に変換されたとかないよな。
「はぁ。無段階調節ではなくて、決められた拡大率にすればいいのだろう? あとで技術者に言っておく」
「それではもう一つのはあれかなぁ。レクトカルロ閣下のところで、試しに使ってもらった野外コンロ暴発事件」
マルクが全然関係ないことを言ってきた。そもそも野外コンロは調理器具だ。それに暴発したのはコンロに無理やり魔力を込めたからだ。
なんの為のコンロだと思っているんだ。わざわざ魔力を使わずに使えるように作ったというのに……あー魔術を使わずに魔術が使えるって、そういうこと?
「兵器でもなんでもない! ただの日用品だ! 好き勝手に噂を流すな! そんな曖昧な情報に踊らされて領地が襲撃されたとなったら、私は本気で怒るぞ」
「怒る前に教えてください。僕は逃げるので」
そういうマルクに向って、命じる。
「逃げる前に通信機を設置してディオールに繋げ」
「ここから逃げることなんてできないのに、言わないでください」
まぁ、マルクが一番に逃げようとすれば、アランがマルクの足を引っ掛けているのを何度か目にしたから、実際は逃がしてもらえないと言うべきだな。
涙目でマルクが設置した通信機を起動させる。
「こちらリリアシルファだ。ディオールはいるか?」
『こちらディオールです』
「そちらの状況はどうだ?」
普通に通信に出たということは、大きな問題は起きていないのだろう。問題があれば、通信に出ることもできないだろうからな。
『夕刻に旧領都イグールから異常な魔力反応が見られたのですが、観察している者の報告では、何も変化は見られなかったということです』
夕刻か。その後にマルメイアが襲撃されたことと関係があるのだろうか?
「それ以外はどうだ?」
『ボルガード第一師団長の報告では、調べられる範囲での異常は見られず、侵入者がいる形跡もないとのことです』
これは領地内に敵が潜伏しているわけではないと?
『先ほどファベラ第五師団長から入ってきた報告では、南の森の領地よりも更に南側のヴァール川の岩壁に、川へ下りたであろう形跡を発見したとのことです』
これはかなり危険な賭けにでているな。川が安全かと言えばそうではない。人食いの魔魚もいれば、魔魚を食らう魔鳥もいる。大人数ではここに餌がいると示しているようなもの。
しかし、そこまでして旧領都イグールに侵入する意味があったのだろうか?
「了解した。こちらはマルメイアに星の残骸が空から降ってきた」
『辺境伯様。星が降ってきても街に直撃することは普通はありません』
そうだ。流れ星は大気圏に突入したときに普通は燃え尽きてしまう。
「かなり巨大な岩が次々と燃えながら落ちてきたな。今、エルーモゼ第二師団長自ら確認に行っているだろう」
さて、ここまできても敵の目的がさっぱりわからない。十二年前と同じだ。
何か決定的なピースが欠けている。そんな感じがする。
強いていうなら、旧領都イグールに何が残されているかなのだが、おとぎ話のようなことを出されても現実的じゃない。
これを行っているのは人であり、隣国アステリス国だ。
「敵が何を目的としているのかが、一番わからないのが問題だな」
『魔神の復活を行って、その力でこの国を侵略しようとしているという話になったのではないのですか?』
「私はそういう非現実的なことを考慮に入れて作戦は立てない。なんの為に魔神が封じられているのか確認しに行ったと思っているのだ」
それは死人が蘇って、復讐のために悪鬼になって人々を襲っているというぐらい非現実的だ。
そもそも、そういう予想を排除するために、魔神という御伽話の存在を確認しに行ったのだ。存在するとわかれば、封印が解けないように考慮する必要があるからだ。
「ふん。まだ十二年前の亡霊が徘徊していると言われたほうが納得する」
『辺境伯様。亡霊になるようなものが残らないほど、大地ごと消滅させたのは誰ですか?』
「私だが?」
『それの方が非現実的ですね』
どっちの言い分も非現実的だということだ。それぐらい現状が理解できていない。
「まぁ、魔神が復活したら、領地全土が火の海になっているだろうから、そうなったら考慮する」
すべてを燃やし尽くすという魔神が復活すれば、人である身など太刀打ちも出来ずに、消し炭になるだろう。
「それで第四師団は動かせそうか?」
『はい。領地に散っていた者たちに招集をかけています。辺境伯様がお戻りになるまでに、領都に戻るようにと言いつけています』
「それ、領地の端にいたら無理な条件だな」
『血反吐を吐きながらでも戻ってくるように言いつけています』
鬼だな。まぁ、グラーカリスの一族から言われてしまえば実行するしかない。
さて、結局何もわからないことがわかった。いや敵の目的地は旧領都イグールだということが、わかったということか。
「はぁ、父から領地のことを直接引き継げなかったのが、仇となっているな。私には旧領都イグールに何があるのか知らないからな。ディオール、報告ご苦労。あと帰路はとても順調だった。流石ガトレアールの執事だ」
『お褒めに預かり、光栄でございます。辺境伯様のお戻りをお待ち申しております』
そうしてディオールとの通信を切った。
なんだろうな。このモヤモヤ感は。
やはり、他の師団は動かさない方がいいな。不確定要素が多すぎる。
旧領都イグールには第一師団と第四師団の精鋭とで調査に行くことにするか。
「一つ気になったのだが、第四師団とはなんだ? 執事に命令の権限があるのか?」
私の隣から疑問の声が出てきた。まぁ、ただの執事に命令する権利があるのかという疑問は最もだ。
「第四師団は私の直属の師団だ。そして師団長はディオールだ」
「執事が師団長?」
ランドルフの疑問に答える声があった。護衛のレントだ。
「執事だからって舐めてかかると痛い目みるので、気を付けてください。なにせ辺境伯様から直接魔術を叩き込まれた人ですから、めちゃくちゃ強いです」
「レント。元々グラーカリスの一族は王族の影を担っている。強いのは当たり前だ」
「え? グラーカリス? アンジェリーナ様の侍女の?」
「そうお母様の侍女のマリエッタの息子で、王太子の侍従の兄がディオールだ。私の乳兄弟にもなるな」
私が敵わないマリエッタの息子は二人いる。一人はあの変態……従兄弟の王太子の侍従をしているギルバートだ。そして、その兄が私の執事なのだが、本来は護衛兼侍従になるはずだったディオールだ。
「元々は私の護衛になるはずだったので、ザッシュの父君のディランファルザ様に預けられていたから、普通に強いだろうな」
「え? 僕はあのえげつない魔術を使いこなすディオール様だから強いと……ひっ!」
何かおかしなことを口にしているマルクに視線を向けると、悲鳴を上げながら、アランの後ろに隠れてしまった。
「ディオールが強いというのもあるが、なるべく身内で領軍を固めたかったのもある。私の命令が、なかなか届かなくて苦労したからな」
十二年前の戦いで、私が直接動くことになってしまった一番の理由が、領軍が私の命令を聞かなかったからだ。だから私と護衛四人で戦場を駆け回ることになったのだ。
愚痴はよく言われたが、誰一人逃げ出さなかったのには今でも関心する。
「ここにいる第二師団長がシルファの叔母に当たる人なのも、そういう理由なのか?」
本人としては別の理由があるけど、私はエルーモゼが引き受けてくれたことに、とても感謝している。
「そうだな」
「そうなのじゃ!」
突然、両開きの扉が開け放たれた。そこにはガトレアール特有の青い髪をツインテールにしたエルーモゼが立っていた。
「口の悪いグアンターナは三番目の兄の子じゃ! おどおどっ子のファベラは妹の子じゃ!」
一族ではないのは第一師団長のボルガードだけだ。だが、ボルガードの忠義は私に捧げられてるので、裏切ることはない。
「五人兄妹?」
「六人じゃな。じゃが、一番目の兄と三番目の兄と我は庶子じゃ。……まぁ、私達兄妹が領軍を制圧しなければならないほど、酷い有り様だったということよ」
敵は一つではなく、私の命令を聞かない一部の領兵もだった。だから、余計に酷い戦いになったとも言える。
「さて、そのような話よりも、食事を持ってきたのじゃ! ファベラちゃんからの差し入れのコカトリスの唐揚げじゃ!」
「唐揚げ! 食べる! ご飯は?」
「もちろん領地の南部産の白米も送られてきたのじゃ!」
私は立ち上がって、料理を運んできた……エルーモゼのところではなく、その後ろにいるエミリオンのところに行く。
「唐揚げ! 唐揚げ! 私の分をちょうだい」
そう言って、エミリオンに両手を差し出す。すると、エミリオンはくすくすと笑いながら、私の手にトレイを渡してくれた。
「辺境伯様は食べ物のことになると、途端に子供っぽくおなりだ」
「美味しいものは正義だ」
そう言いながらトレイを受け取る。言葉は強い口調だけど、ニヤニヤの笑顔が止まらない。
そしてハッと思い出す。
「ザッシュ! この人数なら炎牛の解体が行けるはず!」
振り向きながらザッシュに問いかけると、右手で額を押さえて頭が痛いと言わんばかりのザッシュが目に入った。
「領都に戻って、落ち着いてからです」
許可が下りなかった。まだお預けらしい。
残念だけれども、唐揚げ定食風の夕食を持って、私は先程いた席に戻る。
「みんなもいただいてね。いただきまーす」
空間収納からマイ箸を取り出して、白い皿の上に山のように盛られた唐揚げを一つとり、口の中に入れる。
ニンニクベースのタレに漬け込んだ香ばしい匂いが鼻を抜け、肉に歯をいれると、弾力ある肉から出てきた肉汁が口の中いっぱいに広がっていく。
うまっ! 鶏肉うまっ!
それに俺白飯だぜという白く輝く白米を口の中に入れる。ほくほくの炊きたての香り高いご飯は美味い。やっぱり炊きたてが一番だよね。
「――ぃ――――ぁ――」
ん? 何か話しかけられている?
「リリア様がこのようになると、聞く耳は持ちませんから」
「ザッシュ、酷いことを言っていないか?」
ザッシュの声の方に視線を向けると、呆れた顔のザッシュと、くすくすと笑っているエミリオンがいた。
「辺境伯様。お気に召しましたか?」
「エミリオン。おいしいよ」
すると周りから笑い声が聞こえてきた。
そして隣からは『シルファが可愛い。凄く可愛い』とか聞こえてくる。
え? どこが私が可愛いという話になるのだ? ランドルフの目は大丈夫なのかと心配になるな。