第30話 ただの恋バナだ
『それこそ、ありえねぇ』
『それでは我が見逃していると言っておるのか?』
『心外です。私たちが無能のような言い方です』
第二師団と第五師団の管轄にはそのヴォール川が含まれているから、ボルガードの意見は否定的だ。
だが、旧領都が占拠された事実がある以上。あり得ないことはないはずだ。
「ボルガード。そのような考えに至った理由を言ってくれ」
『はい。旧領都イグールのことは私も把握しております。これはとても不可解なことだと思いました。常駐させている一個中隊の者たちは、侵入を許すほど弱者ではありませぬ』
確かに私も引っかかっていたことだ。助けを呼べないほどの状態に陥り、占拠されたことがだ。
通信機で助けを呼べないほどの事態。まるで十二年前を思い出すようだ。だが、防壁のような裏山は現在立ち入ることができない。私の不出来な魔道具で覆ったからだ。
『十二年前。辺境伯様が敵を排除した際、地下の排水溝に押し流したと、記録にはあります』
そのことを言われてハッとする。あの排水溝は二キロメル先のヴォール川に繋がっている。
確かに大量の水を排水するために、大きなトンネルと言っていい排水溝だ。
「生き残りがいたというのか?」
『それはわかりませんが、その情報を持って帰った者がいてもおかしくはないと、私は推察しました』
手に持っていたタバコの灰がポトリと落ちる。
今の時期はまだ水量が少ない。北の山からの雪解け水も少なく、土地柄雨も少ない。あとは領地内にある小さな川の水が流れ込むぐらいだ。
川を遡れなくもない。
「これは盲点だった」
敵に侵入されない為に色々対策をしてきたが、まさか……川を遡るという盲点。
『し……しかし、川の中には獰猛な魔魚がいます。そんな危険をおかしてまで旧領都イグールに侵入する意味が……あるのでしょうか』
ファベラのか細い声で言ってくる意見も一理ある。川を遡ることの弊害が水だけかと言えば、そうではない。人を食らう魔魚もいるし、水蛇もいる。
そこまでして旧領都イグールを占拠する意味があるのか。旧領都イグールである意味があるのか。
それは今までイグールが領都であったことに由来する。だが、彼らには知る権利はない。
「領都だったからな。意味はあるだろう。侵入経路は予想できたが、他に仕掛けてこないとは限らない。私が領地に戻るのは四日後の朝だ。いや……ザッシュ。速度をもう少し上げられるか?」
「使い潰していいのでしたら、もう一日早くなります」
ん? 一日も早くなる? もしかして休憩なしとかじゃないよな。
「まぁ技術者が泣くだろうが、緊急事態だから許してくれるだろう」
「では先程、部下に迎えをよこすようにいいましたので、途中で合流します。新しい二輪車を持ってくるように言ってありますので、移動速度は早くなるでしょう」
今回、王都に行くだけで車体にガタがきているのは事実だ。それを考慮すれば、移動速度はそこまで上げられない。
だが、新しい移動手段を用意できれば、速度は上げられるか。
「わかった。三日後の……もう日付が変わったから二日後の朝に戻る。それまでにできるだけ、ネズミをあぶり出せ」
『『『『はっ!了解しました』』』のじゃ』
私は通信機のボタンを四つ押して通信を切る。そして手に持っていたタバコを灰皿に押し付けた。
「ディオール。そういうことだ。集まった情報をまとめておいてくれ」
通信を繋ぎっぱなしにしていたディオールに再度声をかける。
『かしこまりました。しかし、旧領都の件は放置でよろしいのでしょうか? 廃坑から侵入することは可能ですが?』
「止めておけ。これこそ不可解なことだ。ディオールも知っているだろう? あそこには何もなかったと」
『存じておりますが、人の身である私にはわからなかっただけではないのかと、思ってきているのです』
「そうだ。人の身である我々にわからなかった。それが全てだ」
「何が、わからなかったのだ?」
突然、隣から声が聞こえて、横を向くといつの間にかランドルフが私の隣に座っていた。
いつから居たのだ? 私は全く気が付かなかった。部屋の扉が開く気配も感じなかったぞ。
これが敵だったら、完璧に首を切られている。流石、叔父上の元で鍛えられた黒騎士ということか。
「ランドルフ。休んでいて、いいのだぞ」
「仲間外れみたいで嫌だ」
日付が変わってしまっているので、休んでくれたほうがいい。それに仲間外れじゃないぞ。ただ私は情報交換と部下に命令をだしただけだ。
「姐さん。俺も気になるなぁ」
その声の方に視線を向けると、個室部屋の扉に背を預けた姿のユーグがいた。
いや、お前ら寝ろよ。
「リリア様。そこの情報屋に言うことではありませんが、ランドルフ様には言っておくべきでしょう」
「ザッシュの旦那。ヒデェな。仲間外れかよ」
「そもそも仲間ではなく協力関係にあるだけです」
ザッシュはあのことをランドルフに言うべきだと言った。だが、言ったからといって、どうこうできるものではない。
『辺境伯様。既に事が起きてしまっています。旦那様の協力は必要でしょう』
ディオールも言うべきだと言ってきたが、これはヴァイザールの魔眼を持つランドルフに期待しているのだろう。
が、グラーカリスの一族のディオールが言うのか? 皮肉に聞こえてしまうぞ。
そしてニヤニヤと笑みを浮かべている銀髪の青年を視界に収めながら言う。
「ユーグ・アルベーラ。私の下につくというのであれば、話してやってもいいが、閣下の部下に話すことはない」
「流石に父親の部下を辞めるのは無理だな。でも、侵入者を排除した駄賃は欲しいな」
「駄賃なら、さっきの話で十分だろう?」
「足りないねぇ……そうだ、今回手を貸すっていうのはどうだ? 閃光のアルベーラの力は俺も引き継いでいるぞ。情報収集と言えば俺の行動は自由だ」
閃光のアルベーラ。アルベーラ閣下の異名だ。何度かアルベーラ閣下と共闘をしたことがある。
何度も繰り返される隣国との小競り合いだ。私が保有している領兵は三万。多いと思うかもしれないが、一国相手に領兵だけでは全然足りない。なぜなら相手は、領地を侵略する勢いで攻めてくるのだ。
だから、国王陛下に嘆願書を送り、西側の軍を取り仕切っているアルベーラ閣下の力を借りることになる。
だが、今回のことは十二年前と同じで領地内で起きた暴動と捉えかねないことだ。だから、国としては動かない。他のところからの力は借りれず、領地内のことは領地の者たちで解決しろという流れになる。
因みに師団によって領兵の人数が違うのだが、それは十二年前のことが響いているからだ。本来なら五万の兵の保有までは国から許可が下りている。
『辺境伯様。戦力はできるだけあった方が良いと思います。話を聞いて逃げ出すようであれば、それまでの小者だったというだけです』
「ひでぇー」
ディオールはトゲがある言い方をしてきた。これは話を聞いて逃げ出すことは許さないと言っているようなもの。
「わかった。ディオールは第四師団をいつでも動かせるようにだけ、私の代理で動いてくれ、夜遅くにすまなかったな」
『いいえ。これも私の仕事でありますゆえ、お早いお戻りをお待ち申しております』
そう言って、ディオールは通信を切った。
その通信機をザッシュが己の空間収納にしまい、再び私の背後に立つ。
もう夜半を過ぎてしまったからな。簡単に説明して終わらせるか。
「旧領都の背後にある廃坑を模した山の下には炎の魔神イグラースが封じられていると言われていたが、昔その場所に行ってみたが、何もなかった。以上だ」
「姐さん。面倒だからと凄く端折っただろう?」
だって居ない存在を語れと言われても困る。
「リリア様。事実だけではなく、伝えられていることもお話になったほうが良いのではないのでしょうか?」
ザッシュにまでダメ出しをされてしまった。
そんなもの何処までが事実かわからないじゃないか。言っても、そんなもの敵にしたところで人の身に何ができるのかというものだ。
「はぁ。この話は神魔時代の話だから、全てが曖昧だ。このガトレアールの地は水に乏しい理由として上げられるほど、言いがかり甚だしい話だ」
「姐さん。凄く嫌味が混じっているが、神魔時代の話があやふやなのは、誰しもわかっている」
所詮、物語でしかない。たとえて言うのであれば、夜に外に出ると魔女に食べられてしまうから、早く寝るようにと子供に言い聞かせる物語として語り継がれているような話にすぎないのだ。
「昔、ガトレアールの地に住んでいた火の神イグラースは一人の女性に恋をした」
「ちょっと待ってくれ、なぜ色恋の話になっているんだ?」
「ユーグ、聞きたいのなら黙って聞け、それからこれは恋バナだ」
そう、これは所詮一人の女性を取り合いした話に過ぎない。馬鹿らしいから、私は話したくなかったのだ。
神魔時代。ガトレアールの地は緑豊かな土地だと言われていた。森が広がり、北には火を吹く山があった。そこが火の神イグラースの住処だった。
その火山の麓には水が湧き出る泉が存在し、この地に住む動物たちの憩いの場だった。
泉の側には美しい白い花が咲きほこり、太陽の光を反射しているように、輝いていた。
その珍しい花を摘みに、年に一度だけ泉に足を運ぶ女性がいた。光を放つように煌めいている金髪に、全てを慈しむような赤い瞳の女性。
火の神イグラースはひと目で恋に落ちた。
だが己は火の神。触れたものは全て燃えて灰となってしまう。
ただ己は見ていることしかできない。
女性は毎年、白い花が咲く時期に、イグラースが住まう火山の麓の泉にやってきては、白い花を摘んで去っていく。
それをイグラースは幾年も幾年も見ているだけで過ごした。
ある年のことだ。毎年白い花が咲く時期にくる女性の隣に男性がいた。燃えるような真っ赤な髪に雄々しい戦神と言っていい風貌。そして、金髪の女性に向ける優しい赤い瞳。
イグラースは嫉妬した。
己はその女性の煌めく金髪に触れることができない。
己は真っ白な手を握ることも叶わない。
己にできることは遠く離れた場所から見下ろすことのみ。
それをいとも容易く女性に触れる戦神のような男性に、嫉妬した。
次の年。一人で泉に訪れた女性の前にイグラースは立っていた。そう、美しい花畑を燃やし、太陽の光を反射している泉を蒸発させ、周りにある森の木々を燃やしながらイグラースは立っていた。
突然顕れた全てを炎に変える存在に女性は萎縮し、身を固くしている。その女性の白い腕をイグラースは掴んだ。
他の男の側にいるぐらなら、己の手で灰にしてしまおうと。
だが、イグラースに掴まれた女性の白い腕はイグラースの指の跡が赤くついたのみで、燃えることはなかった。
そう、その女性は双子のロズイーオンの女神だったからだ。
女神は火の神の炎では燃えることはなかった。このことにイグラースは喜び狂った。触れることが叶わないと、その赤い瞳が己を捉えることなどないと思っていたことが……望んでいたことが、今、叶えられたのだ。
イグラースは女神ロズイーオンを己の住まいである火山の地に連れて帰った。これに激怒したのが、戻ってこない女神ロズイーオンを探しにやっていた、双子のロズイーオンの男神だ。
ロズイーオンは二柱で一柱である神。
その力は二柱が共に在ることで強大に発揮される。
男神ロズイーオンは女神ロズイーオンを取り戻すために戦った。そして、イグラースは女神ロズイーオンを守るために戦った。
その戦いは千日千夜続いた。
千一日目の朝。
美しかった森は姿を消し、イグラースの住処であった火山は見る影もないほど崩れ去っていた。そして二人の男神はマグマ溜まりの中に存在していた。高温に沸き立つマグマに身を沈めるように浮かんでいたのは、火の神イグラース。そのイグラースを見下ろすようにマグマの上に立っていたのは男神ロズイーオン。
男神ロズイーオンは火の神イグラースを封じるように全てを凍らせていく。そう神は死しても時が経てば復活する。それが世界の理。
だから男神ロズイーオンは二度と女神ロズイーオンの前に顕れないようにイグラースを封じたのだ。
火の神であるイグラースの力を奪う氷の呪縛で。
そして男神ロズイーオンは既に跡形もなくなった泉だったところを見て言った。
「泉の女神アクアエイラ。お前の心がイグラースを想い続ける限り封じられるだろう」
と
「ちょっと待て! どこに泉の女神が出てきたんだ!」
ユーグ。残念ながら何処にも出てきてはない。
私も執事のエントから聞いたときに突っ込んだ。するとこう答えられた。
「泉の女神は泉から出ることができないから、泉の中に居た」
「シルファ。その話は誰が主だ?」
「ランドルフ。いいことを聞くな。火の神イグラースに恋をして、火の神イグラースに泉を焼かれ殺されて、死した身でロズイーオンに告げ口をして、封印の守り神という形で魔神イグラースの側を勝ち取った泉の女神アクアエイラの執念の話だ」
そう、この話の語り部は泉の中で見ていた女神アクアエイラなのだ。
だからこの話は嫌いだ。自分のことを一切語らないガトレアールの祖と言われているアクアエイラが。
「そうなると、火の神イグラースって奴が復活したってことか?」
ユーグの言う通り、魔神イグラースが復活したと捉えるべきだろうが、そもそもこの話がおかしい。泉の女神が復活しても、元の場所に泉だなんて存在しない。これまでガトレアールが何かをしていたわけでもない。
恐らく、まだ私の知らない何かがあるように思えてならない。
父から直接引き継がなかった不具合が、こういうところで露骨にでてくるのだろうな。