第29話 状況の悪化
「この状況で寝られるか!」
ランドルフに抱えられながらベッドに横になる状況で私は叫ぶ。
そう、このまま寝ようとするランドルフに文句を言った。
今まで誰かと一緒に一つのベッドで寝たことなんてないのに、隣に誰かがいて寝られるか!
弟たちと一緒に寝ることもなかった。
「それなら、寝かせてあげようか?」
「そんな子供じゃない!」
ぽんぽんしないと寝られない子供あつかいしないで欲しい。私は目を瞑っているランドルフを睨みつける。
「じゃ、魔眼を使うか?」
そういって目を開けたランドルフの金色の瞳が暗闇の中で光っていた。金に光る瞳の中には更に明るい光で、魔術の陣のようなものが描かれている。
ヴァイザールの魔眼。王族殺しの魔眼。
ん? ふとおかしな矛盾に気がついた。
「ランドルフ。ヴァイザールの魔眼はロズイーオンの血には効かないぞ」
そう王族にヴァイザールの魔眼の力は影響を与えることはできない。
恐らく何かしらの効力が発動しているであろう魔眼の影響は私には何も起こっていないのだ。
「知っている」
「だったら、力の無駄遣いだ」
「さっきも思ったが、怖がらないなと……」
どうやら、ワザと魔眼を使っているのだろう。下の食堂の件はわからないが、今は私を試したかったということか。
ヴァイザールの魔眼を見ても恐れないかどうかを。
「まぁ、その魔眼で殺されたからと言って、私の死には意味がないからな。大切なのはガトレアールの血を絶やさないことで、私は歯車の一つでしかない」
ガトレアールの血は三人の弟とエリーに受け継がれている。王都にいる三人は確実にこの騒動に巻き込まれて命を落とすことはない。そのことが一番大事なのだ。
すると金色の瞳の光は消え、何故か怒ったような表情でランドルフは見てきた。
何かおかしなことでも言ったか?
「俺はシルファを殺さないし、裏切ることはない」
その言葉に心がざわつく……ヤクソクシタノニ、ワタシヲウラギッタ……違う。目の前のモノはランドルフだ。
心のざわめきに押し込んで蓋をする。蓋をして鍵をかける。簡単に出てこないように。
そして全てを押し殺して笑う。
「別に貴族としての考えを口にしただけだ。私の役目は血を絶やさずに次代に引き継ぐこと。私に何かアレば、ミゲルにだったが……とても残念なことになってしまったがロベルトに託されるだろう」
「違う。シルファがガトレアールの地にあることが重要だと俺は聞いている」
それは母が突然、ガトレアールの地に嫁いできた理由に繋がるのだろう。
しかし、私は私の役目は終わったと思っている。
父の死後、弟を当主に立たせるための中継ぎだったと。
「ランドルフ。さっさと寝ろ」
私は話は終わりだと言った。
それはザッシュの気配が、扉の前に立ったからだ。
きっと部下と連絡をとって、私に報告事項ができたのだろう。
「俺も……」
「いや、明日も長距離の移動だ。休める時に休まないと、いざという時に動けないでは意味がない」
納得してくれたのか、ランドルフは私を解放してくれた。
身を起こしベッドから降りる……ときに引き寄せられ、触れるか触れないかの口づけをされる。
「おやすみ」
……不意打ちすぎるぅぅぅぅぅ。
「お……おや……す……み」
私は足早に、部屋の扉のところに行き、開け放つと、巨体の壁が立ちはだかっていた。
「お休みのところ申し訳ございません」
「まだ寝ていない」
横に身体をずらしたザッシュは謝ってきた。ランドルフと、うだうだ言っていただけだから、謝ることはない。
そして、扉は開けたときとは違い、そっと閉める。
「顔が赤いですが?」
「気の所為にしておけ」
「気の所為ですね。そうしておきますよ」
ザッシュはそう言って、私の頭を撫ぜる。
なんだ? まるで私を慰めるような撫ぜ方は? 泣いている子供じゃないぞ。
「時間をかけてもいいので、ランドルフ様のことを信じてあげてください」
「……」
「しかし、リリア様を裏切るようなら、私が始末しますので、以前のようにリリア様自身が手を下す必要はありません」
「それは誰のことを言っている?」
「さて……どちらにしろ、周りの被害が甚大ですので」
シレッと、私が手を出すと後始末が面倒だと言ってきた。
それは私も否定はしない。
「ザッシュ。私に報告があるのだろう?」
私は少し前まで座っていた長椅子に腰を下ろしながら尋ねる。目の前のローテーブルには、見慣れた不格好な四角い通信機が置かれていた。
『辺境伯様。ディオールです』
領地の本邸にいるはずの、執事のディオールの声が聞こえてきた。昨日言っていたことから、何か進展がったのだろうか?
「どうした?」
『旧領都が何者かに占拠されました』
……ちょっと言っている意味がわからず、思考が停止してしまった。
旧領都とは背後に廃坑がある山を背負った領都だった場所。旧領都イグール。
あそこを占拠した?
今は復興をせずに、死者を弔う地の扱いをしている。しかし、そこに誰もいないかといえば、そうではない。
領軍の一中隊を常駐させている。それが、今まで何事もないと言っていたのに、一日で占拠されるにまで至るのか、甚だ疑問だ。
「ディオール。それは常駐させている一中隊が全滅したというのか? イグールはアレ以上破壊されないように、魔道武器を外壁に設置していたはずだ。簡単に突破できるものではない。それに背後は侵入できない結界で壁を作っている。この前メンテナンスを行ったから、そこを突破するのは無理なはず」
私は意味がわからず、一気にまくし立てた。あり得ないと。
「それが旧領都の外側を炎の壁で囲われているため、近づくことができず、詳細がわからないのです」
ディオールの言葉に、私は長椅子に背を預け、天井を見上げる。
そして、懐のポケットからタバコを取り出して、火をつけ一服吸った。
これは分が悪い。領軍でどうこうできる事柄ではなくなっているのかもしれない。
そう考えを弾きだして、紫煙を吐き出す。
「ディオール。それは無理に手を出そうとするな」
『了解しております。ですが、これは……』
「ああ、亡霊の仕業だ。愚かしいことこの上ない」
この手で殺したというのに、しつこい亡霊だ。
だが、これだけでは無いはずだ。
「他に何か起こったことはあるか?」
『レントに、領都メルドーラの周りを見てくるように言ったのですが、一日で調べられる範囲がその旧領都のことしかわからず、無策に突き進んでも十二年前の繰り返しになりそうでして……リリア様にご指示を承りたく……』
まぁ、ディオールが命じることができる人物は限られてくる。斥候のレントだけでは、それが限界だったか。
タバコを吸い、紫煙を吐き出す。
十二年前と同じ轍を踏まない。
国境の部隊は動かすことはできない。できるのは、中核都市に常駐している四個師団。いや、街と周辺の警戒も必要だから、全部は動かせない。
私は通信機のスイッチを入れる。無骨な四角い箱に、これまた無骨な四角いボタンスイッチを四つ押し込む。
もう少しスマートな作りにしたかったが、各街と全部隊につなげようとすると、結果的に無骨な形がシンプルだったのだ。
「リリアシルファだ。この命令を師団長に伝えろ」
通信機の前には誰か常駐させるようにさせている。大抵は事務官だろう。領軍の組織のトップは辺境伯である私だが、まとめ上げているのは各師団長にまかせている。
『はい。ボルガード第一師団長であります』
……なぜ、師団長が出てくるんだ? もうすぐ日をまたごうという時間帯だ。
いや、第一師団は領都常駐だから、私が居ないことを知って、いつでも対応できるようにしているのか?
『うぷっ! ぎもじわるい……エルーモゼ……なのじゃ……うっ……』
『あ? まだ、暗いじゃねぇか……こんな夜中になんだ?』
『ファベラ第五師団長……です』
お前たちは暇なのか? なぜ師団長が通信機の側にいるのだ?
だが、一人は飲みすぎているみたいだし、一人は今まで寝ていたっていう感じだ。
「情報収集を頼みたい。敵が領都内に侵入してきている」
本人たちが出てくれたのであれば話が早い。
そして、私の言葉に息をのむ音が聞こえてきた。
「私は王都からの帰路にいるがゆえに、直接動けない。わかっていることは、私を領地に帰らせないために妨害されていることと、国の南にイレイザーの存在が確認された。これは私の護衛に詳細を調べてもらったが、ガトレアールの侵入経路を探っているようだった。恐らく南側の領地の境にある森から侵入されたと思われる」
『あの……』
私が話している途中で、止めてくる者がいた。第五師団長を名乗ったファベラだ。
「どうした?」
『はい。南の森の街道の側に、一ヶ月ほど前から「コカトリス」が巣を作っていますので、街道の往来時には我々が護衛をつくようにしています。しかし、怪しい者が侵入してきた形跡はありません』
消えそうなか細い声で説明がされて、ふと思い出した。そう言えばそのような報告を受けていたと。
コカトリスは魔鳥型の魔物で、白い羽をもった三メル級の大きさだ。特徴としては頭の上の赤い鶏冠がよく目立つ。そして尾がヘビであり毒があるので要注意しなければならない。
街道沿いに魔物が巣を作ってしまったといえば、討伐すべきなのだが、おいそれと敵に侵入されないためにも……いや、本音を言うと肉が鶏肉なのだ。
コカトリスを養殖したいと言ったら全員一致で却下された。なので、南の森に生息しているコカトリスはよっぽど害がない限り討伐するなと言っている。建前は魔物が多い森から敵が侵入しようとは思わないだろうということでだ。
そんなことで、商人たちが南の森を通る場合は必ず護衛を雇うことが常識となり、今回は巣がある近くでは領兵が護衛につき対応することで落ち着いたのだった。
『ああ? お前たちが見逃したってことはねぇのか?』
第三師団長であるグアンターナが横槍を入れてきた。
あの森で街道沿い以外を通行しようと思ったら、恐らく骨が折れる。公表はしていないが、森の中の街道には等間隔で魔物避けの魔道具を仕込んでいる。だから相当な凄腕でなければ、森の中を通り抜けられない。
いや、鶏肉が食べたいから討伐しないでよという私の要望を叶えるためには、街道の安全確保が必要だったのだ。
『私の兵を……馬鹿にしないでいただきたい。……これでも南側の守護を任されているのです』
ファベラはか細い声ながらはっきりと言った。
ここで口喧嘩はしないで欲しいな。
「今は緊急事態です。あなた達はリリア様の命令を聞く立場だとわかっているのですか?」
背後から淡々と話しているようで怒気をはらんだ声が私の頭上から降ってきた。いや、私に殺気を向けられても、通信機の向こう側には伝わらないからな。ザッシュ。
だが、通信機からの声は押し黙ったので、話は聞いてくれるようだ。
「私は南側から少数に分かれて侵入してきたと思ったのだが違うのか……そうなってくると王都側からの侵入になってくるが」
『それも無いのじゃ』
第二師団長であるエルーモゼが否定してきた。
『領地内を縦断しているヴォール川を渡るには領民証か許可証が必要じゃ。そんな怪しい奴が通ろうとすれば、我の耳に入ってくるのじゃ』
ヴォール川とは北から南に向けて領地内を縦断して南の森に抜けていく川のことだ。川幅があり深い谷になっているので、橋がある場所でしか渡れない。これも王都側の一種の防衛ラインとも言えた。
だが、十二年前にこれが意味を成していないことを痛感したのだ。橋は頑丈にできた石橋で、誰でも通行可能だった。だから敵は領地内を自由に行き来できてしまい、全てが後手後手になってしまった。
だから私は橋に検問所を設けることにした。王都の防衛ラインとして意味をなしていたサイエイラの街を模倣し、王都側に街を作り、強固な壁を作り、門を作ったのだ。
まぁ、一部の者達には理解してもらったが、やりすぎだとの反対意見もあったのも事実。
しかし、私は必要だということで、ゴリ押しをした。こういうことが重なり、父に仕えていた重鎮は私の元を去っていくことになるのだが、それも仕方がないことだった。
『谷からの侵入ではありませぬか?』
その数少ない父の時代から仕えてくれているボルガードが、予想外の言葉を言った。領地内を縦断する川からの侵入ではないのかと。