第28話 私はガトレアールだ
「初めからこっちの方が良かったかなぁ?」
下の階の雑多とした食堂がある宿にしては、小綺麗な部屋だった。ローテーブルに所狭しと並べられた料理に手をつけているユーグ。
その向かい側に座っている私はカップに入ったスープを飲みながら、室内を観察する。このような下街の宿にしたら建付けがいい。場所によると窓に鍵がかからないところもあるし、床が傾いているところもある。酷いところは雨漏りもする。
しかしこの部屋は、下位の貴族が泊まってもいいような感じだ。掃除が行き届いているし、この部屋に入る前には前室のような外套を脱いでホコリを落とす場所があった。今食事をとっているところは、リビングと言っていいくつろげるスペースの様相だ。床にはラグが敷いてあり、壁側には冬には火がはいるであろう暖炉まで備え付けられている。
驚いたのは、水回りがこの部屋に隣接していることだ。下街の宿ではあり得ないだろう。
水が欲しければ、外の井戸から汲んでこいというのが一般的だ。
そして不可解に思ったことは、前室のようなところに入って扉を閉めたら、下の階の騒ぎ声がピタリと聞こえなくなった。これはこの部屋が特別だという意味に捉えられる。
「この部屋はなんだ?この宿の部屋が全てこのような作りではないだろう?」
何か知っているだろうというユーグに尋ねてみた。軍の施設を間借りしたとなると、色々面倒だ。
「ここの店主は元軍人で諜報部にいたんだよ。その流れで、俺が使っていいってなっている」
……ものすごく間を飛ばされた感があるけど、深くは突っ込まないでおこう。上客の軍と、ことを構えるのはしたくないから。
「私達が使ってもいいのか?」
「姐さんとは軍もいい関係でいたいだろうから、文句は出ないだろう?」
事後報告するつもりだ。まぁいい。これはお互い様ということだな。
「さて姐さん。情報交換といこうか……そこの番犬ウザいから、部屋の外に出てもらえるか?」
ランドルフはローテーブルの上に置かれている食事には一切手をつけず、ユーグを無言で睨みつけている。
ちなみにザッシュは私の背後に立っているので、どちらかと言えば、ユーグを見下ろすように立っている巨体のおっさんの方がウザいと私は思ってしまうのだが……仕事をしているので文句は言わないでおこう。
「ユーグ・アルベーラ。思い出したが一瞬だけ見合い話が持ち上がったヤツだな」
え? 見合い話?
一瞬ということは、その話はなくなったということだよな。中身はアレだが、見た目は美人なのに……やっぱり、人は中身か。
「よく知っているな。でもそれは父親が画策したことだ。お陰で父親は痛いしっぺ返しを食らった。そうだろう? ザッシュの旦那」
「私は領地の一部を返納したとしか、聞いていません」
「は?」
ザッシュの言葉に一瞬思考が止まってしまった。なぜ、見合い話を取り付けようとしただけで領地が取り上げられることになるのだ?
そんな横暴なことをする貴族がいたとしたら、やり過ぎだということで叔父上が出ていくことだろう。
叔父……シスコンの叔父。
「まさか母の再婚相手としてユーグを! それは叔父上に殺されるだろう」
自分で言葉にしてみて納得してしまった。母は美形好きだ。雇っている護衛はとても見た目がいい。ユーグの見た目なら母はきっと文句は言わないだろう。
「姐さん。歳が違いすぎる」
「団長はアンジェリーナ様だけを思っているわけではない。シルファも大切に思っておられる」
「リリア様。その件で動かれたのは国王陛下です」
陛下が自ら動かれた? 王族の家系を頭の中で広げてみる。ユーグに歳が近く、国王陛下自ら動かれるロズイーオンの血を持つ者。
王太子殿下。第二王子。第四王子……は十歳か……全部、男性じゃないか!
「女性王族で国王陛下が動かれるような人物は母しかいないが?」
何故に正面と横から無言の視線を向けてくるのだ? それにザッシュ。後ろから何かビームでも出ているような視線を向けてくるな。チリチリするぞ。
「姐さん。なぜそこに姐さんがはいんねぇんだ?」
「は? 何を言っているんだ? ユーグ。私は王族じゃない」
私の言葉に三人のため息が聞こえてきた。いや、本当のことだ。
それに国王陛下と言葉を交わしても毎回同じような言葉しかいただかない。西の国境を守っていることへの、ねぎらいの言葉だ。
伯父と姪という立場ではなく、国王と辺境伯という立場でしかないということだ。
「私はガトレアールだ」
この言葉が私を示す言葉であり、名跡である。
だから堂々と答える。父の跡を継ぐと決め、私の全てをかけて守ると決めた地の名であり、民が住まう地だ。
「姐さんらしい。答えだ。そういう男前なところが、モテるんだろうな。なぁ、ヴァイザールの黒騎士殿」
「そうだ。自己紹介がまだだったが、ランドルフ・ガトレアールだ。辺境伯であるリリアシルファの夫だ」
「うげぇ。よく国王陛下が許可したな。お前の奇行は知っている者は知っているぞ」
「また、俺の魔眼の餌食になりたいのか?」
「……ヴァイザールの魔眼。関わりたくねぇって意味をよく理解した。が、ある意味いい番犬じゃねぇか。なぁ、ザッシュの旦那」
「貴殿はさっさとリリア様に情報を吐いてください」
ランドルフとユーグが話していることをザッシュがぶった切った。なんだかんだと言って、ランドルフとユーグは仲がいいではないか。
「へぇへぇ。まぁ、そのために防音されたこの部屋に来たんだからな」
ユーグはそう言って、座っている長椅子の背にもたれ、足を組んだ。
「父親がピリピリしているんだ。どこの馬鹿かしらねぇけど、この西に見慣れねぇ軍人がいるんだ。見つけ次第始末してるんだが、キリがねぇ」
どこの馬鹿と言いながらユーグは冷笑を浮かべている。どこが仕掛けて来ているのかわかっているのだろう。
「なぁ、姐さん。奇妙だと思わねぇか?」
「奇妙?」
「敵は南から侵入して西側を攻撃している。国盗りならそのまま北上すればいい」
「私はガトレアールのミスリル鉱山狙いだと思っているが?」
「俺は違うと思っている。蒼きガトレアールは何を隠している?」
……痛いところをついてきたな。これは当主と当主に仕える執事と国王陛下しか知らない。
恐らく父の妻であった母も知らないだろう。
「それは国王陛下の許可がないと私からは口にはできない」
それが何処かに漏れているだなって、あり得な……まさか……亡霊の仕業か。なきにしもあらず。
「口にできないか?」
「言っても意味がないからな。それからユーグ。それが素か?」
「……」
言葉が荒っぽい口調から落ち着いた口調になっていると指摘すれば、黙ってしまった。
きっと考え事をすると素の自分が出てしまうのだろう。諜報としてはまだまだだな。
「まぁ、考察要因には入れておくよ。流石軍師殿。違う視点は考慮に値する。それからこちらからの情報だ。実害が出ていた亀と牛は討伐しておいたとアルベーラ閣下に報告しておいてくれ」
「わかった」
ユーグの顔が真っ赤だが、酒の飲み過ぎじゃないのか? 嗜む程度にはいいが、飲み過ぎは駄目だぞ。
「シルファ。さっきから思っているが、こいつのことを褒めすぎていないか?」
「え? 何処がだ?」
ランドルフの指摘に首を傾げてしまう。私は褒めていたか? 確かに頭は撫ぜてやったが、弟たちみたいに可愛いなと思っただけだ。
父が生きていた頃、父の背中に一生懸命ついていこうとしていたミゲルとロベルトを思い出していただけだしな。
「ランドルフ様。リリア様はユーグ様のことを弟君のミゲル様とロベルト様と同じようにしか見られていません」
ザッシュの言う通りだ。今は言葉が粗雑な青年だが、出会った頃のユーグは違っていた。
「昔、弟たちと比べて、仏頂面で面白みがない少年だったから、からかって遊んでやったのだ」
「姐さん。やめろ!」
母親が死んでアルベーラ閣下に引き取られたユーグは肩身が狭い思いをしていたのだろう。表情が死んだ少年だった。
「どこまでやれば嫌だっていうのかと思ってな」
「やめろ! 言うな! 姐さん!」
否定する言葉でも言えれば、そこから自分を取り戻せると思ったのだ。
「可愛い顔をしてたからな。髪を二つに結っていたら、あのアルベーラ閣下が……ぷっ!」
「姐さん!」
「どこからかドレスを引っ張り出してきてな。とても可愛らしい令嬢が出来上がったのだ」
「ああああああ」
「そうしたら、アルベーラ閣下が諜報員に良さそうだなって真面目な顔をして言ってな。諜報員ゆーりちゃんが出来上がったのだ」
ユーグが長椅子に顔を埋めてしまった。
なんだ? このことがきっかけで、アルベーラ閣下から本気で訓練をしてもらえることになったじゃないか。
数年後には諜報員としても剣士としても軍師としてもアルベーラ閣下から認められるようになったというのに、なぜ頭を抱えているのだ?
「シルファ。楽しそうだな」
そして隣からは更に不穏な空気が醸し出されている。可愛らしかったユーグの話をしただけなのに、なぜランドルフが怒ることになっている。
「何を怒っているんだ? 明日も早いからさっさと食べて、休もう。ユーグ、朝には閣下に報告できるものを用意しておくから、渡しておいてくれ」
「う……ここから西の街に向っている偽物たちはこっちで始末している。人はこっちでなんとかできるが、災害級の魔獣に手に負えなかった。それだけ聞ければ十分だ。姐さんたちは更に西に行かないといけねぇから飯食って休め」
復活したユーグが背後にある二つの扉の内一つを指しながら言った。この部屋の作りからいけば、個室が二部屋あるのだろう。
一つはユーグが使うとすると、残り一部屋だ。
「ランドルフ。あの部屋を使うといい。私はザッシュとここを使わせてもらう」
長期間戦闘が続くと地べたで寝ることもあったぐらいだ。長椅子があれば十分だ。ザッシュに寝ろと言っても恐らく横になって寝ない。ザッシュは扉の側に立って仮眠するだろう。
夜中にトイレに行こうとすると、巨体がついてくるんだよ。絶対にお前の方が怪しい奴だろうってなるのだ。
で、なぜこうなる。
「ランドルフ。なぜ私を引っ張ってきた。私は長椅子で寝ると言ったではないか」
私は下街の宿にしては大きなベッドに腰を下ろして、上を見上げている。いや、ベッドの側で無言の圧力を発しながら立っているランドルフに見下されていた。
「言っておくが、適当に言ったわけじゃない。ほら……ランドルフが寝ていると侵入者を殺しかねないだろう?」
ランドルフが寝ていると無意識で他者を排除してしまう問題だ。今回はユーグのお陰で屋根のある場所で休めるのだ。ユーグは一部屋使ってもらうとすると、個室のベッドで休む者が一人と居間の長椅子で休む者が二人とに別れなければならない。
となると、侵入者が絶対にないとは言えないし、ユーグが夜中に居間を彷徨く可能性がある。水が飲みたいとかトイレに行きたいとかあるだろう。
それに、軍で使っているとしたら、ユーグとの連絡に人が来るかもしれない。
ランドルフが居間の長椅子を使うとなると死人が出る。それも軍人の死体が出来上がるのだ。
そうなると最悪だ。その最悪は避けないといけない。
「死ねばいい」
……なぜその結論になる。
「俺のシルファと仲が良いあいつなんて死ねばいい」
それはユーグのことか? 仲が良いわけじゃない。昔からアルベーラ閣下と会って話すことが多かったから、ユーグとも顔を合わす機会が多かっただけだ。
「団長を訪ねてくるシルファには、絶対に会うなと言われ続けていたのに……」
確かに叔父上を訪ねたときは、護衛らしき者の気配はしたが、ランドルフのことは今回王都に行くまで知らなかったな。
「任務で無ければいいと言われたが、辺境伯の地位にいるシルファに声をかけることなんて、俺ごときでは出来なかった」
ランドルフの立場では叔父上の紹介が無ければ私に声をかけることはできないな。今回のように偶然出会わなければな。
「あいつが羨ましい……」
最後の言葉は聞こえるか聞こえないかの声だった。ユーグが羨ましいか。
「多分そうなっていたら、叔父上は私の夫にランドルフを選ばなかっただろう」
「どういうことだ?」
「叔父上に以前言われたことなんだが、人を人として見ていないと言われたことがある」
指摘されて、そうだと納得してしまった。これは私が前世という記憶を持っているからだと思う。
確かに母は母とわかっているし、ミゲルたちは弟だとわかっている。
だけど、私の本当の家族は前世の記憶にある冗談交じりで話をするお父さんや、料理を焦がして失敗したと笑っているお母さん。そんなお母さんにしゃべるのに夢中だからだと怒り気味に言う妹。そんな彼らが私の家族だと無意識に思っていたからだ。
何処となくフィルターがかかっているような感じで人々を見ていた。もちろん私の立場もやるべきこともわかっていた。そう、わかっているだけで、そこに特別な感情なんてなかったのだ。
父をあの状態のまま放置して、民を助けに行ったことが、父の家臣に知れ渡ったときは、人の心は無いのかと罵倒されたぐらいだ。
これは私がこの世界を受け入れるために、切り捨てたものだった。私は大好きだった人の手を取って、幸せになるはずだった。だけど、そうならなかった。
私は未練という私の心を殺した。
「私の中で、本当の意味で世界を受け入れるには、とても時間がかかったのだ。皆が凄いと言っている魔道具も私の現実逃避が生み出したものでしかない」
私は自嘲の笑みを浮かべる。本当に私はどうしようもない奴だ。
「人を人として見られるようになったのは、二十歳になったときぐらいかな? だからこそ私の護衛だった彼らを平気で手にかけたのだ。叔父上はそれを知っているから、二十歳以前に親しくなった者たちは私の夫候補からは外しただろうな」
私の心の奥に燻っている感情がある以上、私は変わらないからだ。いざとなれば、簡単に夫となった者でも切り捨てるだろう。
「軽蔑するだろう?」
本当に私の夫になるのは生贄になるようなものだ。
「団長も酷いことを言う」
ん?
あれ? さっきまでベッドの上に腰掛けていたのに、横になっている? それもランドルフに抱きかかえられていないか?
「シルファはロズイーオンだ。人の枠に収めるほうがおかしい。そんなこと団長自身がよくわかっているはずだ」
あ? いや……この状況はちょっと困る。
「俺はシルファに死ねと言われたら、喜んで死のう」
「そういう重いのは止めてくれ。それから、ちょっと近くないか?」
「夫だから問題ない。明日も早いのだろう?」
「問題ないだろうが、これは……って寝るな! 寝るなら私を離して寝ろ!」
この状況は恥ずかしいから私を離してから寝ろ!
リリアシルファこと、カトウ リサ(26歳)は大学のときから付き合っていたクロイシ ジュンと結婚を控えていた。
しかしカトウ リサは疲れが取れないと医者にかかれば急性白血病と診断された。
リサは信じていた。病気を克服すれば、ジュンと結婚できると。だが、突きつけられた現実はジュンからの別れ話だった。
ジュンを信じていたリサは絶望し、そのまま儚くなってしまった。その彼女の心の叫びが魂に定着してしまったのだった。
『一緒に暮らそうって、幸せになろうって約束したのに……あれは嘘だったの?』
ウラギリモノ……