第27話 人に魔眼を使っては駄目だ
「今日と昨日の件で、足止めされているんだ……ったく、なんで南部の魔物がこんなところにいるんだよ!」
ここは酒場兼宿屋の一階だ。
宿を探そうにも何処もいっぱいで、泊まれるところが無かった。
「お陰でこの街で足留めだ。ここの街の壁はその辺りの街とは比べられないほど頑丈だからなぁ。知っている奴らはこの街に集まってきちまう。流石に炎牛はなぁ。あれはやべぇよ」
そう、炎牛がこの辺りにいたために、街から街に移動できずに足留めをされているようだ。
「姐さんたちも、それでこの街に来たんだろう?」
日が落ちた時間帯に夕食を取ろうとすると人が多く、どこもかしこも相席になっている。ザッシュはこんなことも慣れているので、黙々と出された食事を食べていた。
「人をフォークで指すな!」
「これはすまねぇな!」
だが、ランドルフはこんな状況はきっと初めてだったのだろう。店に入ってから……いや、旧市街地で宿を探しているときから機嫌が悪かった。
「姐さん。いい番犬じゃねぇか。噛みついてこねぇが、威嚇しまくりだな」
番犬。……それはランドルフに失礼だろう。
「ランドルフ。ユーグのお陰で一晩の宿が取れたのだ。殺気を抑えてくれないか?」
「そうだぞ。番犬。姐さんの忠実なる下僕であるユーグ様のお陰で、一晩の宿が取れたんだから、俺様に感謝しろ」
「いや、ただの行商人に扮した情報屋だ。私の部下ではない」
「リリア様。それは既にただの行商人ではありません。吟遊詩人の方が合っていると思います」
そう、目の前の男は言葉の割には綺麗な顔立ちをしている。銀髪の長い髪を肩口で一つに結い、紫紺の瞳はミステリアスさをにじませ、口を開かなければ、どこかの貴族の者と思える品の良さがある。歳は二十一ぐらいだったか?
この者の手に弾き語りできる楽器があれば、見た目は吟遊詩人だ。
「吟遊詩人もいいかと思ったんだけどねぇ。残念ながら歌は壊滅的だ」
お抱えの吟遊詩人は雇い主の耳を喜ばす為に各地の情報を歌にしていると言われているが、実質は各地の情勢を探っている者だ。
そしてユーグもまた然り。
「閣下との関係も良い関係でいたいからな。情報交換でもしないか?」
「姐さんの忠実なる下僕であるこのユーグに、どのようなことを聞きたいんだ?」
いや、ユーグは部下じゃないからな。
「閣下?」
不機嫌が治らず、殺気を乗せた声でランドルフが疑問を投げかけてきた。おや? 見た目でわかるかと思ったが、やはり軍部と騎士団とはあまり接点がないものか。
「アルベーラ閣下の御子息だ。見た目でわかるかと思って詳しく紹介をしなかったのだが、すまなかったな」
「アルベーラ侯爵の……しかし御子息の中でアルベーラ侯爵家特有の銀髪の方はおられなかったはず」
「くくくっ。俺は下街で育ったから一般には知られていないねぇ。俺のような下民の血が混じった者はお貴族様の前では汚物同然だからなぁ」
笑いながら酒で言葉を飲み込むユーグからは貴族嫌いがにじみ出ていた。まぁ、わからないでもない。私が初めて会ったときのユーグの状態は酷いものだったからな。
「父親はそうでも無かったが、奥方がヒステリックに叫ぶのが日常でな。貴族って頭がおかしいヤツなんだなって、よく思ったものだ」
奥方からすれば、自分の子にはアルベーラ侯爵家の銀髪の者が生まれず、庶子の……それも高級娼婦の息子に唯一、銀髪が現れたのだ。奥方の立場を揺るがす存在がユーグだったとも言える。
違う男との間に生まれた子供たちではないのかと、周りから疑いの目を向けられるのだ。
初めて会ったときの、アルベーラ閣下の後ろに立っていたユーグは、何も感情がない木偶人形のような者だった。
逆に言えば、アルベーラ閣下はユーグを優遇していたが、無骨な軍人らしく言葉が足りなかった所為でもあった。
「閣下に好かれているんだからいいじゃないか。せっかく軍師としての能力を買われていたのに、好きにさせてもらっているんだろう?」
「べ……別に好かれてなんかいねぇよ!」
顔を赤くしながら否定している姿は、出会ったころの少年の姿を思い出させる。
まぁ、閣下もユーグには目をかけていたからな。頭の回転が早くて剣の腕もいいと、親バカらしく惚気けていらした。
ご自分に似た……いや、好いた女性の面影があるユーグが閣下の跡継ぎとなってくれることを冗談交じりでおっしゃっていた。しかし、結局貴族の血というものと、庶子という立場が許されなかった。
「そう言いながら、閣下の為に情報を集めているんだろう? 可愛いじゃないか」
そう言って手を伸ばして悪態をついているユーグの頭を撫でてあげる。素直じゃないのも、昔からだ。
「やめろ! ガキ扱いするんじゃねぇ」
いつもなら、ユーグに払われる手が、横から掴まれて、痛いほど手が握られてしまった。
右手を掴まれると食事の続きができないのだが? ランドルフ。
「よくわかった。シルファと仲がいいということだな」
「姐さん。この番犬、首輪でもつけておいたほうがいいんじゃねぇ? シレッとフォークを飛ばして来たぞ」
濁った銀色のフォークをユーグが二本の指で挟んでいた。そして、ランドルフの手元にあるはずのカトラリーのフォークの存在が消えている。
さっき人をフォークで指すなと言っていたのはランドルフではなかったのか?
「仲が良いというより、西側の軍をまとめ上げているアルベーラ閣下とは何度も顔を合わせているから、必然的にユーグとも顔を合わせる回数が増えただけだ」
「そうそう、義兄たちは父親の訓練についていけなくて、王都から出たくねぇってよ」
アルベーラ閣下は父ほどではないが、無骨な武人だ。一から十まで手取り足取り教えるというより、己の背中を見て育てという御仁だ。言葉少ない訓練に耐えきれたのが、兄弟の中でユーグだけだったとも言える。
「さて、冷める前に食べてしまおう。情報交換は上でしようか。ここじゃ、何がいるかわかんねぇからな」
自己紹介代わりの雑談は終えたとばかりにユーグは肉にフォークを突き刺した。そのフォークはさっき投げられたものではないのか?
何がいるかわからないか。一応、音が伝わらない結界を張っているものの、口の動きだけで、読み取る者もいる。
ユーグが言うように複数の視線を感じるが、見た目が吟遊詩人っぽいユーグに視線が集まっているのだが? 恐らく一曲謳って、場を盛り上げてもらおうとしているのではないのか?
「ヴァイザールの黒騎士。ランドルフ・アルディーラのことは、よく耳に入ってくる。死神の黒騎士。恐ろしいねぇ。その手でそれほどの貴族を手にかけて……おっと」
ランドルフが動いて剣を抜こうとしたので、空いている左手で、ランドルフの剣の柄を押さえる。こんなところで剣を抜いてしまったら、騒ぎになってしまうじゃないか。
「本当のことだろう?」
「黙れ」
「姐さん。なんでこんな危険なヤツを連れているんだ? そのうち寝首をかかれるんじゃねぇのか?」
「黙れ!」
何故にこのようなことになってるんだ? ユーグのヤツ絶対にランドルフを怒らせようとワザと煽るようなことを言っているよな。
助けを求めるためにザッシュに視線を向けるが、自分だけ黙々と食事をとっている。確かに食べれるときに食べるべきだけど、こういうときは私のこの状態から助けるようにするのも、護衛の役目なのではないのか?
「ユーグ。その件も後程、説明する。二人の叔父が一枚噛んていると言えば、この場は納得してくれるか?」
「え? 俺はてっきり姐さんを付け回しているのが悪化……っ……」
一気に顔色が青くなっていっているユーグを見て、慌てて左手でランドルフの頭を掴んで、私の方に強引に引き寄せる。
引き寄せた時に一瞬ランドルフの金色の瞳をみたが、その瞳孔には星のような物が浮かんでいた。
まるで魔術の陣のように見えた。これがヴァイザールの魔眼が発動した姿なのだろう。
「ユーグ。生きているか?」
取り敢えず、魔眼をもろに受けてしまったユーグの状態を確認する。
「ゴホッゴホッ……こんなことで本気になるなよ……ゴホッゴホッ」
なんとか生きているようだ。
「姐さんの周りじゃ、それぐらい言ってくるやつはいくらでもいる。いちいち相手にするなよ」
喉を潤すためにか、お酒を流し込んでいるユーグが吐き捨てるように言った。それに対しては私は何も言えない。
上品なヤツなんて誰一人いないからな。それに上品を装っている奴が一番危険だったりする。
仲間内で相手をからかい合っているのはよく見る光景だ。
「リリア様。そろそろ、ランドルフ様を解放されたほうが良いのではないのですか? 息をしていないようにお見受けできます」
ザッシュ。私が助けを求めても無視をしたのに、ランドルフの味方はするのか!
「ランドルフ。魔眼の力は抑えられたか?」
頭を押さえて視界には誰の姿を映らないようにしたランドルフに尋ねる。うんともすんとも返事がない。
「姐さんは時々自分の性別を忘れているときがあるよな」
「何を言っている? 女だとわかっているぞ」
おかしなことをいうユーグに、そんなことはわかっていると言い返す。女が辺境伯だなんてと馬鹿にされ続けていたんだ。それぐらい嫌でも理解している。
「リリア様。緊急事態だったとはいえ、殿方をご自分の胸に押し付けるのは止めましょうか」
……ザッシュに言われてみれば、確かに失礼だ。
「悪い。外套の上からだったが、軍服の金具が当たるよな」
ランドルフに謝りながら、押さえつけていた手を離した。
確かに軍服の金具は凶器になることがある。特にザッシュに連行されるときに当たりどころが悪いと、傷になったりしたからな。
「そういうことじゃねぇし」
「そう捉えられてしまいましたか」
二人から呆れた声が返ってきた。どこかおかしかったのだろうか?
私はきちんと謝ったのに?
だが、ランドルフは石化してしまったかのように動かなくなってしまった。これはどうしたのだろう?
あ! そこまで力を入れたつもりは無かったが、頭を押さえつけた所為で息が出来なくなってしまった?
確かに革の外套だから空気が通る隙間が無ければ呼吸もままならない。
「ランドルフ。大丈夫か?」
肩を揺さぶって、意識があるか確認する。身体が倒れていないから、あるはずなのだが……
「……ぁぉ……ぇ……ぁ……」
何かボソボソ言っているが聞き取れない。一応生きているようだから問題なさそうだ。
しかし、周りからの視線が突き刺さるな。声は聞こえないようにしていたが、喧嘩を始めそうになっていたら、警戒するのもわかる。
だが、注文した食事を食べないのは失礼だ。
「ユーグ。食事を部屋に持って行ってもいいか」
「それが無難だろうなぁ。姐さんは言葉づかいが悪いが、品というものがにじみ出ちまっているからなぁ」
「お前に言われたくない」
黙っていれば女性にモテる容姿のユーグにだ。如何せん下街の言葉が損なわせている。
すると、突然ランドルフが席を立った。
復活したのか?
「ザッシュとお前は食事を持って来い」
ランドルフはそう言って私の右手を掴んだまま、客室に繋がる階段に向っている。そして結界を出た瞬間、今まで聞こえて来なかった食堂のざわめきが、耳に突き刺さってきた。
「ねぇちゃん。俺達のテーブルで一杯どうだい?」
「一晩いくらで遊んでくれる」
「こっちで飲もうや。べっぴんさん」
こういうところで宿をとると、酔っ払い共が声をかけてくるのはいつものこと。酔っ払いは適当にあしらうのが一番いい。
「黙れ、お前た……っ」
誰でも彼でも喧嘩を売りそうになっているランドルフの頭を小突く。こんなところで喧嘩をするな。
「悪いな。また会った時にでも誘ってくれ」
そう言いながら、すれ違った女性の店員を引き止める。
引き下げている皿で両手が塞がっている女性のエプロンのポケットに、ジャラジャラと金貨を数枚入れる。
「これで、ここにいる者たちに酒でも振る舞って上げてくれ」
「は……はい!」
女性の声は沸き起こったかのような歓声に打ち消されて、私の耳にはか細い声しか聞こえなかった。そして、喧嘩をふっかける前にランドルフを連れて、二階に上る階段に足をかけたのだった。
き……金貨がジャラジャラ。え?
このまま、シレッと店を出てもいいかも……金貨一枚って私の一ヶ月の給金の10倍……10倍!それがジャラジャラ。これだけあれば3年は暮らせる!
「給仕のお姉さん。聞いてる」
「え?」
そこには一瞬女性かと思えるほど綺麗な顔立ちの男性がいた。
もしかして、私のこと……ドキドキ
「そのままトンズラしようとするなよ」
「え……まさかぁ……(何故バレたの?)」
「店主に用があるから、一緒に行こうか」
何故かわからないけど震えが止まらない。
「ザッシュの旦那。ちょっと待っていてくれ」
この人、笑顔なのにすごく怖い……。




