第26話 敵が塩を送ってきた!
「ランドルフ。人前であのようなことは止めてくれないか?」
休憩を終えた私達は再び西に向って移動を開始した。
ザッシュに騎獣の購入を提案してみたものの、私の心情より移動速度の方を取られて却下された。
いや……『リリア様に手綱を渡して、目的地ではないところに行ったことが、何度ありましたか?』と言われた。そう言われると反論ができない。
ここ最近は無くなったが、成人するまではザッシュと同じ騎獣に乗るように促されることが何度かあった。
しかし、気になるところがあると、調べたくなるじゃないか。
そんなことで、急ぐ帰路で私には主導権はなかった。
そして、私は再びランドルフの前に座ることになってしまった。騎獣を購入しないと決まったのであれば、後ろの座席に持ちてになるような場所を急遽作ろうとしたのだが、それはランドルフに却下された。
いや、座席の後ろに取っ手の穴を開けるぐらい、いけるのではないのか?
私の言い分は聞いてもらえずに、結局邪魔になるであろうランドルフの前に、腰を下ろすことになってしまったのだった。
「あのようなこととは?」
「人前で、私を抱き寄せたことだ!」
あんなの恥ずかし過ぎるだろうが! 店を出るときに店の女性から『仲がいいわねぇ』と言われてしまったじゃないか! あれは絶対に噂話のネタになっているだろう。
「それはシルファが俺の妻だと見せつけるためだ」
……いや、それは関係ない。
「俺のシルファをジロジロ見るなんて許せないよな」
それは珍しい女性の軍人らしき人物がいれば、気にもなるだろう。
「あの場の全員を目潰ししてもよかったと思う」
目潰し! 何故にそこまで過剰反応することになるのだ!
ちょっとランドルフの感覚がわからない。
それにどちらかと言うと、近くで私の姿を見た者は気がついたはずだ。王族の血が入っているものだと。だから余計に珍しがっていただけだろう。
「ランドルフ。あの場にあった視線は興味的な視線だ。警戒するような視線じゃない」
警戒するべき視線は、店の外からこちらを窺っていた視線だ。恐らくあの町での監視役だったのだろう。
まぁ、どんな妨害工作をされても、こちらは進むペースを落とすことはないがな。
敵が待ち構えているとわかっているんだ。対策の仕様はいくらでもある。
「わかっている。その敵が来たようだが?」
町を出て早々にか。本当に私を辺境に帰らせたくないのだろう。
前方には土煙が立ち上っている。いや、何かが燃えている煙か?
「リリア様。前方から災害級の炎牛がやってきています!」
ザッシュから聞こえてきた念話に肩が飛び跳ねる。
「ザッシュ!狩って、その肉を夕食に食べよう!」
「リリア様。捌く時間などありません」
いつもなら聞こえてくる、マルクの泣き声混じりの突っ込みがないと、ちょっと淋しい気分になる。あいつなら、絶対にそんなことを言っている場合じゃないと言いそうなのだけどな。
「炎牛って辺り一面を火の海に変えるとかいう魔牛だろう? あれ食えるのか?」
ランドルフが言うように、炎牛がいることで、全てが燃やし尽くされると言われている魔物だ。その脅威的な被害から災害級の魔物に指定されている。
「肉は神戸牛並みに美味しい」
「……こうべぎゅうとは?」
「ああ、脂がのって美味しい。だが、見てのとおり全身に炎をまとっている。普通の炎では肉に火が通らないから、食べられると認識はされていないな」
こちらに猛スピードで駆けてくる炎をまとった雄牛。全身を赤い炎が包み、炎自体が魔物ではないのかという姿だ。だがよく見ると赤い角や赤い目がこちらに向いて突進していることが窺える。
周りは炎牛が纏う炎に焼かれ、炎と煙を上げて広がっていっている。
そして、私達も普通ではないスピードで進んでいる。ということは、既に互いが互いを認識できる距離まで詰められてしまっているのだ。
「ランドルフ。ちょっと立つぞ。ザッシュ!」
一言ランドルフに断りを入れて、私は立ち上がり、並走するところまで下がってきていたザッシュの名を呼んだ。
座面を蹴って隣に飛び移る。まるで曲芸師にでもなった気分だ。
「リリア様。無茶をしないでください」
ザッシュが背後に立った私に、文句を言ってくる。身体強化をして飛び移ったから、そこまで無茶じゃない。
「別に無茶ではない。進むペースを落とさないと言ったのはザッシュだろう?」
「ですが、それとこれとは違います」
「何が違うのだ。南側にしか居ない炎牛だぞ! 今仕留めなくていつ仕留めるのだ!」
「はぁ……そこまでして、食べたいのですか?」
なんだ? そのため息は。
「ほら、グチグチ言っていないで、やれ!」
そう言うと、ザッシュは更に速度を上げて、炎牛との距離を詰める。その炎牛とすれ違うかっという時に私は、ザッシュの背後の座面を蹴って炎をまとった全長五メルほどの魔牛に向って拳を奮った。
そうただの拳だ。
ただの拳を赤い目と目の間に叩きつけた。拳と同時に魔力の塊を叩きつける。いわゆる脳震盪を起こさせたのだ。
そこに銀色の光が視界に入ってくる。意識を失って炎の勢いが弱くなってきたところに、Uターンして戻ってきたザッシュの剣が首をめがけて振り下ろされた。
離れていく炎牛の首と胴に手を伸ばした瞬間。炎牛は忽然と姿を消した。
そう、私が空間収納にしまったのだ。
炎牛に攻撃を仕掛けて、空間収納にしまうのにかかった時間は、ほんの一分ほど。
あとは私が受け身をとりながら、地面を転がっているところをザッシュに回収してもらえばいい。
と思っていたら、空中で横に引っ張られ、お腹と背中に圧迫感を感じた。
「シルファ! 何故素手でいった!」
怒っているランドルフに抱えられていた。
あの状態の私を掴まえて、安定した走りをするなんて、他の護衛たちより凄いじゃないか。
いや、感心している場合じゃないな。
「説明はちょっとまってくれ、『群雨』」
私は辺り一帯を燃やしている火を消すために、通り雨を作り出す。こちらの世界の魔術も雨の魔術はあるのだけど、ざっと降ってさっと上がるという魔術ではないのだ。そうすると、オリジナルの魔術を作るのに、イメージしやすいのが、以前使っていた言葉だったりする。
「すぐに止む雨だ。先に進もう」
肉は確保したのだ。ここにはもう用はない。
「それで、何故素手だったのだ?」
まだ、機嫌が悪いランドルフから聞かれた。そして、私のお腹に手を回されて、背中がランドルフにくっついているという状況だ。
あの……片手運転は危険なので止めて欲しい。っていうか、居心地が更に悪くなっている。
背中が当っているけど、これは絶対に運転の邪魔だよね!
「いや、その前に、片手で運転は危険なので、私から手を離して欲しい」
「さっきのザッシュを見ていてわかったが、この自動二輪っていうのは走行しながら戦えるように作ってあるよな」
それは勿論、軍用に転用すると言い張って予算をもぎ取ったのだから、戦闘用に作ってある。
あと、ランドルフには言ってはいないが、いくつか仕掛けも施してある。
「この車体全体を己の魔力で覆えば、走行が可能だ。だから、出力調整のギアと出力を抑えるブレーキが足で調節できるようになっている」
「ブレーキは手元と足元の両方で使うのが普通だ」
普通なのだが、両手を自由にさせるために、全体を操縦者の魔力で覆った場合、切り替えが行われ、ハンドルを握らずに走行が可能になる仕様にしている。
ってザッシュの動きを見て、このシークレット機能を理解できたのか?
実は他の護衛を連れてこなかった理由がここにもある。戦いながら走行できるのが五分と保たない。
車体全体を自分の魔力で覆いながら、走行するにも魔力を消費するということを長時間保ったのがザッシュのみだった。
「だから、走行にはなにも問題はない。それで何故素手でいったのだ? あまりにも危険過ぎるだろう」
素手でいった理由か。それは勿論、倒すためだ。
「炎牛の炎は高温だ。その肉が普通の火では焼けないほどにだ。そんな炎牛に普通の剣でたち向っても、剣の方が保たない。炎牛を倒すのが目的なら、武器ぐらい使い潰せばいいと言うが、そうといかない」
私達の敵はこの先にいるのだからな。こんなところで、武器を劣化させて、肝心なときに使えないとなっては意味がない。
「それにだ。炎牛の肉は冷えると毒素を出す。これはとても肉が不味くなる。だったら、魔力で身体強化をした拳で脳震盪を起こさせて、炎が弱まったときにザッシュの剣で首を切り落として、直ぐ様に回収する! 完璧だ」
「ランドルフ様。リリア様の食へのこだわりは普通ではないですから、聞き流すぐらいが丁度いいです。そのうち、狩りにつきあわされるので、よくわかりますよ」
ザッシュには念話を使っていないのに、何故私が食べ物の話をしているとわかったのだ?
「あとリリア様。肉を食べたいオーラが出ていますが、それは領地に戻ってからですよ」
「え? 今晩の肉……」
「解体するのに人が足りません。あと三人は欲しいです」
ザッシュにそう言われて私は項垂れる。食べられないのか。
「せっかく敵が塩を送ってくれたのに! 解体の人数が足りなかった!」
「ザッシュ。シルファの言葉を訳してくれないか?」
ランドルフ。ザッシュは通訳者ではないのだが? 何かおかしなことを言ったか?
「多分本来の意味合いと違うことで使っていますね。以前、説明されたときは困っている敵に支援するという意味合いだったと思います。あと、解体の人手が足りないのは、冷える前に解体を終えたいというリリア様の私利私欲から来ています」
私利私欲の何が悪い。ひとでなしの隣国が美味い肉を送ってくれたのだ。それはもうありがたくいただくしかない。
「取り敢えず、今日の目的地はラファードに定めます」
そう言ってザッシュは更に速度を上げたのだった。
そして何度か魔物に襲われるという不可解なことが起きたが、今日の目的地であるラファードの街にたどり着いた。ラファードは遺跡の街と言われ、古い街並みと新しい街並みが一つの街の中に収まっているところだ。
既に日は暮れ、二つの月が空に昇り、その周りには星星が空一面に広がっている。
街を出ていく者たちよりも入っていく者たちが多くみられ、雑多とした旧市街地は活気に溢れていた。
「こんなところで今日の宿を探すのか?」
二輪車を空間収納にしまい、人々の隙間を縫うように進んでいるランドルフから怪訝そうな声が聞こえてきた。
「貴族が泊まるようなところは使わない」
「何故だ? 格式があるところは、人の出入りも制限されている。わざわざ危険に身をさらすような下街で宿をとらなくてもいいだろう?」
ランドルフが言いたいこともわかる。貴族が使う宿泊施設には身分がない者は入れない。当たり前だ。
だが、その常識が問題でもある。
「ランドルフ。貴族からすればそれが当たり前だ。誰が庶民と同じ宿に泊まる貴族がいる? だったら、こうも考えられる。既に敵はそこに見張りを置いている。ならば、わざわざ行ってやる必要もない」
それに、下街であるなら、少々騒ぎを起こしても、問題視されない。特に荒くれ者たちがいるような場所なんて、乱闘騒ぎなんて日常茶飯事だ。
「それに休むときは結界を常時展開させておくから、襲撃されても態勢を整える時間はできる。あと、街に入ってから私達以外の者たちには別人に見えるように魔術を施している。こんな人混みの中では追跡が不可能だ」
これだけ妨害されて何も手を打たずに、街の中には入らないよ。適当に今晩休む宿を決めてさっさと夕食にしよう。
軍服の上から冒険者が着るような薄汚れた外套をまとった私達は、所狭しと人が行き交う旧市街地を進んでいくのだった。
炎牛は南の火山地帯を住処にしています。夏になると人が住んでいるところまで出てくることがあります。