第1話 スパイと間違われた
頭が痛い。それはこの耳をつんざくような黄色い声援の所為だろう。
鎧と鎧が剣を振るっているのが、何が良いのかさっぱりわからない。いや、本気の剣技はそれは見ものだろう。ただ目の前に繰り広げられているのは、所詮パフォーマンスだ。
「エリー。私は一足先に帰っていいだろうか」
私は隣に座ってキャーキャー言っている妹に声を掛ける。
どうやら私の声は届いていないようだ。
「アイラ。私は先に戻ると言っておいてくれ」
次に私は背後で日傘を差している侍女に声を掛ける。このアイラは妹のエリーの侍女だ。
「しかし、本日は……」
「どうも、おきれいな剣技には興味がわかない」
そう言って席を立ち、階段状になった観客席の出口に向う。途中で大歓声が沸き起こったので、ふと振り返ると、闘技場となっている円形の場所で、一人の人物がフルフェイスを取って、観客に向かって手をふっていた。そして、対戦相手だった人物はさっさとその場を離れていっている。
どうやら、決着がついたのだろう。
まぁ、この盛り上がりようは仕方がない。妹の推しという人物が勝ったのだから。しかし、私はふっと鼻で笑ってしまう。型にはまった剣技など、実戦でどれだけ役に立つことか。
そんなことを思いながら闘技場の外に出る。さて、このまま帰ってもいいが、それだと妹にグチグチと言われることが目に見えている。
ああ、そういえば、この闘技場の先に図書館があったな。そこで時間を潰すのも悪くない。
眩しい光に背を向け、軍帽を深く被り、私は帰ろうとしていた足を逆の方向に向けて歩きだす。
「リリアおねーさーまー!」
そんな私に背後から声を掛けてくる者がいた。振り返ると、フルプレートアーマーがガシャガシャと走って来ている。
単体で両手を振ってやってくる魔鉄の塊を無視してもいいだろうか。
私は赤の他人のフリをすることにした。
「おねーさーまー!」
しかしフルプレートアーマーは追いかけてくる。そして、私に並んで速度を落として歩き出した。
「酷いです。無視をするなんて」
「私は鎧の知り合いはいない」
そう言うと、フルプレートアーマーは視界を覆う部分を上げると、青い目がこちらをみていた。
「可愛い弟の晴れ舞台はどうでした?」
「良いパフォーマンスだった。きっちりエリーの推しというのを勝たせたではないか」
「はははっ、流石の僕でも勝つのは駄目なことぐらいわかりますよ」
私の横を歩くフルプレートアーマーは今年、騎士団に入団した一番下の弟だ。今日は一年に一度ある騎士団の……なんだ? お遊び会の日だ。
「まさかリリアお姉様が公開演習に来てくださるなんて、思ってもみませんでした」
「ああ、丁度王都に用事があったから、たまたまだ」
「はははっ、そうですよね。たまたまですよね」
まぁ、エリーに再三に渡ってこの日に来るようにと言われていたのも本当のことだが、まさか私にこのようなお遊びの剣技を見せるためだったとは……いや、一番下の弟の晴れ舞台だったな。
「テオ。ここで上手くやっていけそうなのか? なんなら辺境領に戻ってきてもいいのだぞ」
「いいえ。僕は……私は一人前の騎士になると决めたのです」
「そうか、お前の人生だ。好きにするといい。そろそろ戻らなくていいのか?」
私がそう言うと弟は『ヤバっ』と言って、ガシャガシャと音を立てながらもと来た道を戻っていった。
別に私はテオの行く道に反対はしないが、ここではテオの剣は宝の持ち腐れとなるのが残念でならない。まぁ、いい。私がとやかく口うるさく言うこともない。
私は近道をするために、まっすぐ伸びている石畳の道ではなく、散策できる木々が生えた小道に入っていく。
涼やかな風が林の中を駆け抜け、緑の木漏れ日が地面に落ちている。中々良い場所だ。王都の中はどこもかしこも息苦しく、忙しない感じがしていたが、このようなところもあるのかと、周りを見渡す。おや、あっちに池があるのか。
木々が密集し、薄暗くなっている場所から水の匂いがしてきた。こんな王都の真ん中に湧き水でも湧いているのかと興味津々で、ふらふらと道なき道を進んでいると、足元に何かが当たり躓く。
何があるのとかと視線をずらし、躓いたモノを視界に収めたことにより、反応が遅れてしまった。
右手を引っ張られ、回転させられた身体は背中から地面に落ち、鳩尾を押さえられ、首には短剣を突きつけられた。
一瞬だった。この私が反応できなかったのだ。そして、鋭い金色の瞳の視線が突き刺さってくる。
「どこのスパイだ」
思っていた以上にここに光が入って来ないからか、相手の金色の瞳が光っていることしか認識できない。いや、スパイと勘違いしている私を逃さないために、闇の魔術を発動しているようだ。
「スパイでは無いが?」
「嘘をつくな。そこまで完全に気配を絶てる奴が一般人なわけないだろう」
まぁ、一般人ではない。私は胸元にある家紋を象ったブローチを押さえられた指だけで差ししめした。相手から見えるかどうかわからないが、金色の瞳が光っていることは、魔眼持ちだろう。
「ガトレアール辺境伯と言えば解放してもらえるか?」
すると金色の目が見開き、私に突きつけられた短剣が遠ざかり、鳩尾の圧迫感が引いていった。
ふっーと大きく息を吐く。いつものクセで気配を絶っていたことが仇になってしまうとは。
そして、視界が晴れ、周りのざわめきも聞こえるようになった。ああ、音も遮断されていたのか。
身を起こすと手を差し出されたので、その手を取り、立とうとしたところで、後ろ髪が引かれた。比喩ではなく物理的にだ。
横目でみると一つに結って背中に流していた髪の一部が枯れ枝に引っかかっていた。
面倒なので、髪を引っ張り絡まった部分を引きちぎる。
「なっ!」
「まぁ、女だてらに、軍服を着ていたら、怪しいことこの上ないか」
そう言いながら、スッと立ち上がる。元々汚れても良い服だが、流石に土がついた状態で図書館に行くわけにはいかないな。
「ガトレアール辺境伯様。ご無礼を致しましたことを、心よりお詫び申し上げるとともに、処罰は如何様にも受ける所存であります」
私は、黒髪しか見えない男を見下ろす。黒の隊服ということは、表に出てこない黒騎士か。関わらない方が無難だな。
「ああ、辺境伯の地位もすぐ下の弟が高等科を卒業するまでの繋だ。謝罪は受け取るが、それ以上はいい」
私は軽く土を払い、来た道を戻る。恐らく私は彼の昼寝かサボっているところ邪魔してしまったのだろう。ん? そう言えば、黒騎士は今日の公開演習に参加しなくてもいいのか。
「お待ちください」
何故か。黒髪の男が付いてきた。私は足を止め、振り返る。
「謝罪は受け取った。気配を絶っていた私にも非がある。貴殿を処罰するつもりはない」
「しかし、直ぐにガトレアール辺境伯様と認識できなかった私が悪いのです」
「私は殆ど辺境領から出ないから仕方がない。それにガトレアールの青ではないしな」
ガトレアールの青。ガトレアールの一族は澄み渡った空のような青い髪に青い瞳を持っているのが特徴だ。しかし、私は母親に似て、ピンクの髪に血のような赤い瞳を持っている。まぁ、軍帽を被っていたので直ぐには髪の色と目の色には気づくことがなかったのだろう。
「だから、謝罪だけでよい」
それだけ言って、再び歩き出すも、黒髪の男が付いてくるのには変わりない。なんだ?
「失礼ながら、護衛はいないのでしょうか?」
ああ、ガトレアール辺境伯と名乗っているにも関わらず、お付きの者がいないから不審がられているのか。
「それは妹の方に付けている。今は闘技場で推しという者の応援をしているからな」
「オシ?」
「名前は知らんが、おきれいな剣技を使う者だったな。一番下の弟が手を抜いて勝たせてあげていたが……ああ、そうだ。弟を貴殿のところで使ってやってくれないか?」
「どういう意味ですか」
「先程の処罰にしよう。どうも騎士のおきれいな剣技は好きになれない。今まで育ててきた弟の剣を壊す剣技をな。私ほどではないが、弟も中々の手練れだ」
いや、こんな事を言ったら駄目だったか?
「まぁ。弟が貴殿の目に止まったらでいい。姉としては実践的な剣を使える弟が、型にはめられた剣を振るうことが、残念でならないのだ」
そんなことを言っていると、闘技場のところまで戻ってきてしまった。そして、遠くの方で、手を腰に当てて怒っている様子の青い髪の少女とその後ろに日傘を差している侍女。その二人を護衛するように控えている厳ついおっさんがいた。
「お姉様! 何故いつも勝手に居なくなるのですか!」
いや、私はきちんと声を掛けたが?
「それでお姉様の好みの男性はいたのですか」
好み? フルプレートアーマーで戦っている人物を見て、好みもなんも無いと思うが?
「ん? 鎧の好みを聞かれているのか?」
「中身の人のことですわ! いい歳なのですから、結婚してください。でないと、私が結婚できないではないですか!」
いい歳と言われてグサリときてしまう。既に行き遅れと言って良い私を、嫁にもらいたいという人などいないだろう。
「エリー、何度も言うが私は結婚するつもりはないからな」
「お話中お邪魔して申し訳ございませんが、辺境伯様。そちらの方はどなたでしょうか?」
侍女のアイラが私に聞いてきた。どなたと聞かれても名前など知らん。
「名前は知らん」
「名乗り遅れまして申し訳ございません。黒騎士団の副団長を務めております。ランドルフ・アルディーラと申します」
アルディーラということは、公爵家の者か。しかし、と思い斜め後ろに立つ黒髪の男に視線を向ける。
アルディーラ公爵と夫人にも挨拶したことがあったが、黒髪でも金目でも無かったな。
「貴方が? アルディーラ公爵家の者?」
エリーは怖いもの知らずなのか、普通であれば聞きにくいことをズバッと聞いた。よく周りから人の心は持っていないのかと揶揄られる私ですら、聞くのをためらうことだぞ。
「はい。庶子ですが」
まぁ、そうであろうな。
「あら? 庶子の方が何故お姉様と?」
「エリー。推しというものの応援が終わったのなら帰るぞ」
あまりにも失礼な物言いのエリーの言葉を遮るように、帰ることを促す。いくら庶子でも相手は黒騎士の者だ。それも階級を示す為に襟に縫い付けられた紋章は副騎士団長。相当な手練れだ。敵視すべきではない。
「今から握手会ですの! ですからお姉様の推しを教えてください」
あ……握手会? そんなものをする必要があるのか?
「全く興味ないが? 強いて言うならテオか」
「テオお兄様は推しではなく、身内びいきというものです! それから、負け犬には握手会の権利はございません!」
テオが負け犬か。ならば、エリーの推しはゴミ以下だな。おっとこれは口にしてはならない。
「せめて一人だけでも、お姉様のお眼鏡に適った人はいないのですか!」
と、言われてもなぁ。鎧だけ見ても使えそうな動きをする者はいなかった。ああ、そう言えば
「この者なら辺境でもやっていけるだろうな」
私は私の背後に立っている黒髪に黒い隊服を着た黒騎士を指し示す。
「私も気配を感じなかったしな、私が手を出せなかった時点で、実力は中々なものだろう」
「それで、お姉様は恋に落ちたというのですね」
「全く違うからな。それからエリー、結婚相手が見つかれば連れてこいと言っているだろう? 順番など、どうでもいいとも言っているだろう?」
私はあのとき決めたのだ。幼い弟たちと妹を立派に育ててみせると。だから、私の結婚などどうでもいい。
「え? いやよ。絶対にお姉様に会わせると、剣の腕を見せてみろとか言われるもの」
「……魔術でも良いぞ。そうか……好きな殿方ができたから、私に好みを聞いてきたのか」
するとエリーは顔を真赤にさせて、私に背を向けて駆け出してしまった。
エリーも十三歳となって年頃になったからな……もしかして、あの推しとかいう者とか言わないよな。アイツを連れてきたら、その剣術はなんだと拳で殴っていそうだ。
「ザッシュ。エリーについて行ってくれ」
私は筋肉ダルマと言っていい厳ついおっさんに命じる。ザッシュはくすんだ金髪に彫りが深い顔立ちで、三白眼が印象的な私の護衛だ。そこに立っているだけでも相手を威圧する迫力がある姿をしている。
「かしこまりました」
そう言ってエリーを追いかけていくザッシュの背中を見て思う。アレが背後に立っている令嬢に、握手しなければならない騎士の心情は、如何ほどのものなのだろうか。
この作品を読んでいただきましてありがとうございます。
登場人物紹介は活動報告の方に載せています。