第17話 姉と妹の別れ
あのあと、ランドルフを起こして、朝食を取るために食堂に行けば、エリーに遅いと怒られた。
聞いていた朝食の時間を少し遅れたぐらいだったのに、エリーから朝食の時間より訓練の方が大事なのかと言われてしまった。
領地にいるときには、私が朝食の時間に遅れたぐらいで、そのようなことなんて言われなかったのに、やっぱり淋しかったのか?
私の目の前で文句を言っているエリーの空色の頭を撫でてあげると、顔を真赤にしてさらに怒ってきた。
「私はもう子供じゃないわ!」
いや知っている。十三歳になって王都の学園に通うまでになったのだからな。
そしてエリーは怒ったまま食堂を出ていってしまった。
「頭を撫ぜたのが、わるかったのか?」
「姉上。エリーも背伸びをしたい年頃なのですよ」
声がした方に視線をむければ、次男のロベルトが食後のお茶を飲んでいるところだった。
おや? もうすでに食べ終わっていたのか?
それは遅いと文句を言われるな。
「昔は頭を撫ぜてあげると喜んでくれたのにな。あと、朝食は何時からだったのだ? 私はエントから八時と聞いていたのだが?」
壁に掛けられている魔道式時計を見ると、八時を少し過ぎたところを時計の針は示してた。
だから、私が凄く遅れたというわけではないはずだ。
「今までは八時から朝食の時間でしたが、私が仕事を始めてから朝食は七時になりましたね。テオも宿舎での生活になりましたし、兄は……あのような感じでしたので……」
ん? これはロベルトの仕事の都合上、朝食は七時からになっていたが、執事のエントは私が訓練をしていることを知っているため、気を使って八時と言ってくれたのか。
しかし、エントにエリーが私と朝食を取りたいということを、誰も言っていなかったので、このようなことになってしまったと。
これは私が昨日、一言でもエントに言っておくべきだったな。エリーには悪いことをしてしまった。
「そうか。ロベルトも仕事を頑張っているっていうことだな」
「あ……いいえ、私はまだ仕事を始めたばかりですので、頑張るもなにも……」
今は、いっぱいいっぱいだということか。
「ああ、ロベルト。言っておくことがある。イレイザーが南の辺境から侵入してきている」
「は?」
「アステリス国も諦めが悪い。我が領地に行くルートを嗅ぎ回っているらしい」
「ちょっと待ってください! 姉上! その情報はいったい何処から出てきたのですか!」
「私の手は広いのだよ」
私は慌てているロベルトにふわりと笑みを浮かべる。そして、ロベルトにだけは伝えておかなければならない言葉を口にする。
「情報をまとめると、どうやら十二年前の戦乱が、再び起ころうとしている」
その言葉にロベルトが口元を押さえて、ガタガタと震えだした。そんなロベルトの側に行き、空色の頭を優しく撫ぜてあげる。
「今度はロベルトもエリーもテオも安全な王都にいる。何も恐れることはないよ。全部、お姉ちゃんに任せておけばいい」
にこりと笑みを浮かべたまま、不安そうな顔をしているロベルトを見る。
「でも一つだけ、お願いがある」
「な……なんでしょう」
「もし、私に何かあったら、領民を頼むよ」
絶対なんてありはしない。それは十二年前に痛いほど感じた。絶対に、敵に負けないだろうと思っていた父が亡くなったのだ。
私が生き残る保証なんてどこにもない。
「か……かしこまりました。姉上。」
あのとき七歳だったロベルトは、今は十九歳になった。何かあれば私の跡を継いでくれるだろう。
「俺が一緒に行くのに、何かあるはずがない」
突然背後から機嫌が悪そうな声が聞こえてきた。せめて、気配ぐらいまとって、背後に立って欲しい。
これが外だったら、振り向きざまに回し蹴りをしているところだった。
文句を言いたいが、寝ているところに侵入して、叩き起こした私にも非があるだろう。振り返って、機嫌の悪そうなランドルフに言葉を返す。
「絶対などありはしない。勿論、私は私の持てる力をもって事に当たるが、何事にも予想外というものは存在する」
私はそれをよく知っている。人の心の内など、誰にもわかりはしないのだと。
「それに、辺境の地で何か起こっていると曖昧な情報に、翻弄されることもないだろう? テオとエリーがガトレアールの地が攻められていると知って、戻ろうとするのをロベルトなら、止めてくれる。アイツらは人の心なんてものは持っていないと、よく知っているからな」
子どもの頃に体験した恐怖は、その身に刻みつけられているのだろう。ロベルトの顔色が青色を通り越して、白くなっている。
これ以上はロベルトの前で話すべきでないな。
「まぁ、私に何かあったと連絡を受けたら、上手く動くように事前に言っておくことが大切なのだよ」
心構えというものが必要だろう。その身に刻まれた恐怖という存在に、打ち勝つためにもだ。
「ロベルト、そろそろ行かなくていいのか?」
「は……はい。行ってまいります……姉上……し……長期休みがとれるようになったら、帰ります。婚約者と共に」
「ふふふっ。新人が長期休みを取れるようになるのはいつかわからないが、楽しみにしておくよ」
ロベルトはうつむいたまま、食堂を足早に出て行った。本当は私に死ぬなよと言いたかったのだろうが、いつ取れるか分からない長期休みの話にすり替えた。
未来の約束を取り付けて、私に死なないように示したのだ。
ロベルトなりの気遣いか。
「ランドルフ、お腹空いただろう? 朝食にしよう。今日の朝食は何かな?」
私は何事もなかったかのように、席についたのだった。
「聞きたいことがあるのだが?」
食後のお茶を飲んでいるときに、ランドルフが神妙な面持ちで、話しかけてきた。
なんだ? 今日の朝食の食材には何を使っているかとかか?
残念ながら、私は答えられないぞ。
「どうした?」
「シルファの弟のことなのだが」
どの弟だ? 妹はエリー一人だが、弟となると三人いるからな。
「なぜ、あのように苦しそうな表情をしていたのだ?」
「……」
ロベルトのことか。さて、どう説明するべきか。
「歓談中、失礼いたします。リリア様」
私が言い淀んでいると、執事のエントが私に声をかけてきた。
「どうした?」
「エリーマリア様のお出かけの時間になりますが、如何なさいますか?」
もうそんな時間になるのか?
壁に掛けられた魔道式時計を見ると、九時二十分だった。……学園の始業時間とは何時からなのだろうか? 十時からなのか?
「そうか、見送りに行くよ」
「かしこまりました」
私は立ち上がって、ランドルフを見下ろす。
「その話は長くなる。後程、話そう」
そう言って、私は玄関ホールに向かうべく、歩き出す。すると、ランドルフが私の隣についてきている。別にエリーを見送るだけだから、ついてこなくても大丈夫なのだが?
「シルファ。俺の個人的な意見なのだが、シルファに頼りすぎるのではないのか? なぜ、共に戦うと言えないのか、俺には理解できない」
ロベルトが戦う?
まぁ、剣を持って奮うだけが、戦いではない。戦える環境を維持していくことも必要だ。いわゆる、縁の下の力持ちという存在だ。
「そうだな。十二年前にガトレアールの地で起こったことは、どれぐらい知っている?」
これは事実と一般的に知られている事柄が違ったりするからだ。
特に情報網が発達していないところでは、それが顕著に現れる。
「シルファが辺境伯になる切っ掛けのことだよな?」
「そう」
「隣国アステリス国が突然攻めてきて、当時のガトレアール辺境伯が退けたものの、深手を負って、そのまま亡くなられたから、シルファが辺境伯の地位を引き継ぐことになったと聞いている」
まぁ、それが一般的に知られていることだ。大まかのところはあっているけど、詳細は全く違う。
「ロベルトの話だけすると、敵にはかなり追い詰められていた。だから、ガトレアールの血を残すべく、義母と共に、兄弟4人は隠し通路を使って、安全なところに逃げることになった」
「兄弟四人?」
「ああ、私は丁度その時は学園に通うための下見に、王都に行っていたんだよ」
当時の私は、王都の学園がどういうところか、わくわくしていたものだ。
「私の話はここでは必要ないから、横においておく。その安全なはずの場所に敵が待ち構えていたのだ」
「敵に中枢まで、侵入されていたということか?」
「まぁ、そうだな。そこで、大人たちは子供たちを守るために、戦って死んでいった。その中にロベルトの母親もいたのだ。目の前で起こった母親の死は、何年経とうとも忘れられるものではないだろう?」
ランドルフは私の言葉に黙ってしまった。
私は実際にその場にいたわけではない。ミゲルとロベルトの要領を得ない言葉をつなげて、そうだったのだろうなという予想だ。
「なぜ、子供だけ助かったのだ?」
「ん? ああ、そこには小さな地下室があって、眠った弟たちが押し込められていた」
床と見分けがつかない地下への扉の上には、侍女の女性が息絶えていた。恐らくその侍女が眠りの魔術を弟たちに掛けたのだろう。味方の誰かが見つけてくれるまで、眠っているようにと。
「お姉様。別に見送りだなんて、してくれなくてもいいわ」
当時、赤子だったエリーは、玄関ホールで両手を腰に当てて、私を見上げている。
あのとき、侍女が命をかけて守ってくれなければ、今のエリーは存在していなかっただろう。
見送りはいいと言いながら、玄関ホールで待っていたエリーの頭を私は撫ぜる。
「いってらっしゃい。長期休みになれば、帰ってくればいい」
「お……お姉様も……気を付けて帰ってくださいませ!」
「なんだ? 泣くほど淋しいのか?」
「泣いてなどいませんわ!」
泣いていないと言いながらも、涙目で私の手を払ってきた。そんなエリーをぎゅっと抱きしめる。
「学園生活は今しかないのだから、楽しむといい。もし、嫌になれば、いつでもガトレアールに帰ってくればいい」
「お姉様……」
「ついでに、エリーの好きなヤツを教えてくれると、嬉しいのだが?」
するとエリーはバッと顔を上げて、私から離れていった。
「絶対に言いませんわ! それからお義兄様! お姉様を掴まえておかないと、横から掻っ攫われますので、気を付けておいたほうがよろしいですわよ!」
「承知している」
シレッとエリーの好きなヤツのことを聞き出そうとしたのだが、やはり教えてくれないのか。教えてくれれば、縁談を申し込むこともできるのだがな。
しかし、ランドルフは何を承知しているのだ?
私を掻っ攫うヤツって……そんな奴は居ないだろう。
エリーは真っ赤な顔を隠すように後ろを向き、足早に玄関を出ていき、停車している魔道車に乗り込んでいく。
「妹には言わなくて良かったのか?」
ランドルフが、聞いてきたがエリーに何を言うのだ? 言ってガトレアールに帰ると言われても困るだろう。
それに王都が一番安全なのだよ。何せ、叔父上が王都にいるのだから。母が王都にいる限り、怪しい存在はネズミ一匹たりとも、王都の中には入れないだろうなと、変な確信は持っている。
「学園生活を楽しんでくれればいい。私にはできなかったことだからな」
十三歳の時に父が死んで、辺境伯を受け継ぐことになったのだ。学園になど行っている暇などなかった。
すると、突然横に引っ張られて、捕獲された。……いや、これはランドルフに抱きしめられている。
……ちょっと待て! 何故にこのようなことになっている! 私の心臓がバクバク鳴っているじゃないか!
距離を取ろうと身を捩っても、私が解放されることがない。
近すぎるというか、くっつき過ぎているだろう! ちょっと誰か私を助けろ!
視線を横に向けると、ザッシュの姿を視覚に捉えたが、ザッシュとは一向に視線が合わない。
またギルバートの戦法を模倣しているのか! 護衛なら、私をこの状態から助けろ!
「シルファが愛おしい過ぎる」
……ランドルフ。どこから、そんな言葉が出てきたのだ。その前に私を解放しろ!
私の心臓の音がランドルフに聞こえているのではないのか?
落ち着け、落ち着くのだ。
「ランドルフ。そろそろ私達も出発するから、離してほちい……」
噛んでしまった! 恥ずかしすぎるぅぅぅ!!
読んでいただきましてありがとうございます。
王都編がこれで終わりです。
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