第16話 黒歴史は封印しなければならない
「私を引っ張るな」
ここは抗議していいはずだ。
顔を上げてランドルフに文句を言うと、すぐ近くから金色の瞳が見下ろしてきた。
近い。
ちょっと距離感がおかしいのではないのか?
思わず仰け反るも、腰を抱えられているので、距離を取れなかった。
「何故、アステリス国はガトレアール辺境領を狙うのだ?」
同じ質問を繰り返された。私の文句は無視なのか?
「その前に私を引っ張った理由を言え」
「好戦的に笑っているシルファの顔を見たかったから……」
「は? 笑っていたか?」
私は笑っている自覚はなかった。しかし、好戦的に笑っている顔って、普通は引くところだろう。
「リリア様。凄く人が悪い感じに笑っておられました」
「まぁ、そうだろうな」
ザッシュの言葉に納得する。そんな顔の私の顔を見たかったというのは、やはりおかしいだろう。
「それで、理由はなんだ?」
三度ランドルフから聞かれた。アステリス国が我が領地を狙う理由か。
「まぁ、領地の北側にある山にミスリルの鉱山があるのだ。隣国はそれが喉から手が出るほど欲しいのだ」
「そんな話は一度も耳にしたことがない」
ランドルフは知らないという。
普通であればミスリルの鉱山があるとわかれば、国を上げて採掘されるだろう。しかし、領地にあるミスリル鉱山は立ち入り禁止され、閉山している状況だ。
「まぁ、その山にミスリルドラゴンが住み着いているからな。触らぬ神に祟りなしというやつだ」
「神様は祟りなど起こさないと思うが?」
「リリア様。例えるなら、人にわかりやすい例え方をした方が良いと、何度も申しています」
またやってしまった。
神は祟神になどならないという常識だった。
私は片手で顔を覆って、またやってしまったと、ため息を吐き出す。
人に通じない言葉は、意味をなさない言葉だと小さい頃から言われ続けた。目の前のザッシュに。
こういうところは何故かザッシュは理解がある。他の人は、ランドルフのように意味がわからないということを示すのが普通だ。
「かわいい」
ランドルフ。今の私を見てかわいいとか言うな。私が馬鹿な子みたいじゃないか。
「しかし、ミスリルドラゴンか……厄介だが、シルファが倒せないほどじゃないだろう?」
私なら倒せるとは、どこから導いた答えなのかランドルフに聞きたいが、実際戦って勝てるかどうかと問われれば、勝てると答える。ならば、なぜそのまま放置してるかと言えば……
「あれは北の護りでもある。ルエラ神教国は現に、ガトレアール領に侵攻してきたことは歴史上はない」
北にある宗教国の厄介のところは神の名の元に侵攻してくることだ。神が許せば全てが許されると言わんばかりにだ。
いつ隣国が攻めてくるとわからない地では、ミスリルの鉱山が防御壁になるのであれば、それを利用するということだ。収益など意味がないと言わんばかりに。
「一応、国にはミスリル鉱山の存在を上げてはいるが、鉱脈は些細なものだと報告している。ミスリルドラゴンに全て食われたとな。アースドラゴンが変化した存在には手が出せなかったともな」
「犬みたいになっていましたが」
「しっ! ザッシュ、いらないことを言うな!」
私はいらないことを言いかけたザッシュに向って、うつむいていた顔を上げる。そして、右手の人差し指を立てて、黙るように促す。
「犬?」
「なんでもないぞ。ランドルフ。だいたいわかった。私はエリーのところに行って、姉妹水入らずで話をしてこよう!」
そう言って立ち上がろうとするも、腰を抱えられいるので、立ち上がれなかった。
「俺に言えないことなのか?」
「いや……ちょっと近いぞ、ランドルフ」
ランドルフの顔がぐぐっと近づいてきたので、私のその分のけぞるが、そろそろ体勢がキツくなってきた。
「夫の俺に言えないことなのか?」
「そうでもないが……ザッシュ、助けてくれ」
私は黒歴史を語りたくないので、ザッシュに助けを求めるも、私の斜め前に立っているザッシュの視線はあらぬ方法に向けられていた。
この状況を無視するつもりなのか! ギルバートの戦法を模倣するな!
「くっ! ミスリルが取れないのなら、ミスリルドラゴンの鱗を剥げばいいと、浅はかな考えを持った子供が、山に行ったのだよ」
私が話し出すとランドルフは距離感を戻してくれた。私の腰を抱えていることには変わりないが。
「最初はドラゴンも子供が迷い込んできたと、軽くあしらっていたのだが、あることをしたら、犬みたいにひっくり返ってお腹を見せたのだ。これ以上は言わないぞ!」
「あることとは、なんだ?」
「言わないって言っただろう!」
私は絶対に言わないぞ。このことを知っているのは、私のお目付け役につきあわされたザッシュだけだ。
「ドラゴンの肉はどんな味がするのかと、口元を拭いながらリリア様が威圧したからですね。ドラゴンも本能で捕食される危機感にさらされたのでしょう」
「ザッシュ! 言うな! ランドルフ。私は本当に何もしていないのに、ドラゴンが勝手にひっくり返っただけだからな!」
「まぁ仕方がありません。ロズイーオンの血は、魔物すらひれ伏すということです」
ザッシュが、微妙なフォローをしてくれたが、それは全くフォローにはなっていないからな。叔父上に例え話で王族はドラゴンを服従できるのかと聞けば、凄く笑われたからな。
「シルファ。素敵な話だな」
「どこが!」
どこに今の話に素敵要素があったのだ? ランドルフの耳は大丈夫か?
ランドルフは答えに満足してくれたのか、私を解放してくれた。そして、私はスッと立ち上がり、私の執務室から逃げるように出ていく。
「エリーのところに行ってくる!」
そう言って、私は勢いよく扉を閉めたのだった。
翌朝、いつもどおりの日課をこなす。いざとなれば、戦場に立たなければならない。肝心な時に動けないようでは、守れるものも守れないからな。
「リリア様。本日、エリー様を見送られたあと、出立でよろしいでしょうか?」
剣を交えながらザッシュが確認してきた。
「ああ」
私より大きな相手であるザッシュと剣を交える時は、距離感が重要になってくる。普通に剣を振るっても大振りになってしまい、隙ができてしまう。
遠距離攻撃はザッシュにはほぼ通じない。矢や投擲はザッシュの大剣で叩き落される。魔術も私がザッシュに仕込んだおかげで、ほぼ通じない。
槍などの中距離攻撃もザッシュも負けたところを見たことがない。私はそういう武器を使わないので、戦ったことはないからわからないが、多分通じないだろう。
ならば、近距離攻撃の一点のみだ。
死角に入り込み、右斜後方から剣を突き出す。
しかしその剣も弾かれる。
「宿泊地点は臨機応変で変わり有りませんか?」
「ああ、最悪野宿でもいい」
懐に入り込み、首を狙うも右に避けられ、剣をいなされる。そこで身体を捻って地面を蹴り、横腹に蹴りを入れようとすると、足をつかまれ、勢いそのままで飛ばされた。
やっぱり一撃も入れられないか。
飛ばされながら体勢を整え、地面を滑り惰性を抑え、再び地面を蹴ってザッシュに向かう。
「流石に野宿は避けましょう」
「まぁ、普通であれば、主要都市につけるはずだが」
『ガキン』っと剣がぶつかりあった。あ、鍔迫り合いになると、私は力負けしてしまう。だから、すぐさま横に往なしながら、身体の向きをザッシュの横に移動させる。
「そのように距離配分をしていきましょう」
というザッシュの言葉と同時にピタリと冷たい感覚が首元につけられた。
また、一本もとれなかった。
今の動き目で追えなかったな。
まぁ、そうでないと私の護衛など勤められないだろう。
「さて、朝食をいただきに戻ろうか」
訓練が終わったら朝食だ。昨日あれからエリーの部屋を訪ねたら、夕食ぐらい一緒にとってくれてもいいのではないのかと、文句を言われた。
それは母に文句を言って欲しい。私はとても帰りたかった。
だから朝食は一緒にとるように言われたのだ。次にエリーに会うとすれば、夏の長期休みに領地に戻ってきたときだからな。
昨日の朝食は一緒に取れなかったから……私はそこまで思って、屋敷に戻る足をピタリと止める。
「リリア様。どうかされたのですか?」
「いや、とんでもないことを、今思い出した」
そうだった。ランドルフをどうする?
過去のトラウマから無意識で周りの者を排除する奴だった。昨日、あれから執事のエントにランドルフの部屋に近づくなと言っているから、今日はいい。だが、明日からどうする?
普通の宿に泊まると、部屋の中に居ても廊下の気配を感じてしまう。貴族が利用するクソ高いところでもいいのだが、私達は日が暮れてから街に入って、朝早くに出立するから、庶民が利用する宿を使うつもりだ。
叔父上のところに昨日の内に寄って、ランドルフの対応を教えてもらうつもりだったのに、母の所為で叔父上のところに寄る気力すらなかった。
「ザッシュ。昨日、エントには言ったのだが、ランドルフが昔のトラウマの所為で、寝ていると無意識で近づくものを排除してしまうのだ」
「聞いています」
「これは宿を選別しないといけないと思う」
私は普通に冒険者と名乗る荒くれ者たちが泊まる宿も気にせずに利用している。だが、時々酔っ払って、部屋の扉を叩いてくる輩がいるのだ。
そうなると、絶対に殺されるよな。
宿屋で殺人だなんてあってはならない。それも他の領地で、辺境伯の夫が殺人……なんだか、私が悪いように言われそうだ。
だから女辺境伯はと。
「昨日、執事から聞いたところによりますと、リリア様には敵意を見せなかったと」
「ん? ああ、寝ぼけてはいたが、私と認識したな」
「でしたら同じ部屋にすれば、よろしいのではないのでしょうか?」
「は?」
何を突然言い出したのだ。なぜ一緒の部屋に泊まらないといけない。
私は嫌だぞ。恥ずかしいじゃないか!
「護衛としましても、護衛対象が一箇所にいる方が、いいです」
「普通に寝ろよ。それに、ザッシュの本来の役目は私の護衛ではないだろう?」
「リリア様に護衛など必要ないことは、よく理解しておりますが、体裁的に言わせてください」
体裁的にか。まぁ、ザッシュの本来の役目を知っているのは、王族ぐらいだろう。
「そういうことは、御本人に確認すればよろしいと思います。宿の部屋を一緒にした方がいいかと」
「嫌だ! 絶対に嫌だ!」
「……リリア様。婚姻届にサインをした時点で、何も問題はありません」
「ぐふっ」
夫婦なら、確かに問題はない。無いが、私の心情としては無理だ。
「リリア様」
ザッシュは真面目な顔をして、私を見下ろしてきた。
なんだ?
「今日も起こしに行って、攻撃をされなければ、それでいきましょう」
「おい、ザッシュ。私は嫌だと言ったはずだ」
「一番問題ない選択肢だと、私は考えました」
「私の心の平穏は考慮されないのか?」
「それは領地と領民を天秤にかけるほどですか?」
そう言われると、私は押し黙るしかない。ザッシュが早く領地に戻るために一番問題ない選択肢を提案してくれていることは理解できる。だが、なんというか……ランドルフの距離間が慣れないのだ。
「それに今まで、リリア様は低コストでいいとおっしゃって、ランクの低い宿に泊まられていますが、もう少しランクを上げれば、一部屋で個室が分かれているところもあります」
「ザッシュ! それで行こう!」
ザッシュの提案に私は了承した。そうか、個室がある宿も一般的にあるのだな。そういうのは貴族専用の宿泊施設だけだと思っていた。
そして、機嫌よく私は私の隣の部屋に向って行った。ランドルフが起きていれば一番問題ないが、近づくなと言った手前、私が起こしに行くべきなのだろう。
廊下から部屋の扉をノックする。返事はない。扉を開けて普通に入っていく。部屋の中に人の気配はない。そしてそのまま進んでいく。
寝室の前に立ち扉をノックする。返事はない。
そーっと扉を開いて中を確認する。人の気配も無ければ、姿も無い。
一歩、部屋の中に踏み込むと、首元に冷たいものが当たる。はぁ、少し前にもザッシュから突きつけられたのになぁ。
「ランドルフ。朝だぞ」
取り敢えず、声をかけてみる。殺気を感じないので、殺意はない……と思いたい。
今まで感じなかった背後に気配が現れた。
「シルファ……が……いる」
そう言葉が聞こえたかと思うと、背後から何かがのしかかってきた。いや、背後から捕獲されている。
そのまま私は下に引っ張られた。
そうなると、私がどういう状態になるかと言えば、ランドルフに背後から捕獲されたまま、床に座っている状態になる。そして、背後から寝息が聞こえてきた。
ちょっと待て! この状態で私にどうしろというのだ!