第11話 王族の闇は心を無にして直視しないこと
「この度のことは愚弟が騒ぎを起こして申し訳なかった。ミゲルカルロ・ガトレアールには私から処罰を言い渡した。この事はファンヴァルク王弟殿下の御前で行われたため、殿下の耳には入っているとは思う……」
私はふるふると怒りを我慢しながら、赤髪の男性に報告している。
……が、そろそろ我慢の限界がきそうだ。
「いい加減、手を離してもらえませんかね。クソ殿下」
足元に跪いて、ベタベタと人の手を触っているんじゃない。
人の良さそうなニコニコとした笑みを浮かべて、ご夫人たちやご令嬢たちからキャーキャー言われている王太子を見下す。
「ああ……その人を人とは見ていない瞳にゾクゾクする」
「だから王族は嫌いなんだ!」
頬を赤らめた顔で私を見るな。
王族はなぜか血族に異常な好意を抱くのだ。叔父上が母に好意を抱くように、王太子は私に異常な執着を見せている。
国王陛下はそれを理解したときに、今の王太子妃を婚約者に当てたのだ。そして、私には辺境に引きこもっていいと許可をもらった。
そう、私が国王陛下主催の建国記念パーティーしか出ない理由がここにある。
私は握られていない左手を握り込み、思いっきり王太子の顔面に向って振るう。が、私の身体が座っている長椅子から浮き上がり、私の拳は王太子に届くことはなかった。
ナイスフォローだ。ザッシュ。
「ヴァイザールの者が、邪魔をするとは、この状況を見てわからないのですか? 今はリリアとのひと時を楽しんでいるのですよ」
王族らしい威厳を持って言っているが、その内容がおかしいと気づこうか。って、ランドルフ?
振り返ると、厳ついおっさんではなく、金色の目と視線があった。
「シルファは私の妻ですので、親しくするのを控えていただきたいものです」
「ちっ! 父上と叔父上の策略だろう?」
一瞬にして王太子の皮を脱ぎ捨てて、反対側の長椅子にドカリと腰をおろした。いや、元から王太子の皮など被っていなかった。
「あのガトレアールの弟が、馬鹿女などにほだされたおかげで、私の妃にできなくなってしまったのではないか」
「いや、元々国王陛下には、その気はなかったが?」
これがこの国の王太子だ。国王陛下はよくわかっていらっしゃる。王族の血の面倒くさいことを。
赤い瞳が瞬時に私の目の前に現れる。さっきまで、向かい側の長椅子に座っていたじゃないか!
「リリア。今からでも遅くない。私の第四妃に……ぐふっ!」
「近いわ!」
思わず、蹴りを入れてしまった。そして、倒れながら頬を赤らめるな!
私は部屋の隅に控えている王太子の侍従に視線を向ける。
相変わらず、どことも見ておらず、空中に視線をとどめている。
いや、王太子の奇行を記憶に留めないようにしている。これは王族に仕える者の戦術らしい。戦うわけではないのに、戦術と言うと母の侍女に教えてもらった。
多分、己の心を守る防御術なのだろう。
王族に仕える者も大変だな。
「ギルバート。王太子が床で悶えていらっしゃるのでそろそろ、帰らせていただく」
「お疲れ様でした」
私の方を見て床には視線は落としていない。まぁ、床でゴロゴロしている王太子の姿なんて見てはいけないものだな。
私はランドルフの腕から飛び降りて、床で悶えている王太子の上にトドメのように降りて、扉に向っていく。
「王太子殿下。それではごきげんよう」
謝罪は済んだ。もう、ここには用はない。
「リリア。困ったことがあるなら、私を頼ると良いぞ」
とてもかっこいい感じの言葉を言ってはいるが、頬を赤らめながら、床に転がっている王太子では威厳もなにもあったものではない。
そんな王太子を私は見下す。
「ロズイーオンの血を頼るなら、叔父上を頼りますよ」
「叔母上好きなんて、好みがおかしい叔父上をたよるなんて……ぐふっ」
きっとここにいる者たちの心は一つになっただろう。お前が言うなと。
取り敢えず、もう一撃入れておいた。
「ガトレアール辺境伯様。そういうところが、殿下を喜ばしているのですよ」
「いや、これは条件反射だ。だから、ここには来たくなかったのだ。あとは頼んだぞ。ギルバート」
よく母は叔父上のくっそ重い愛情を受け入れられていると思う。私には無理だ。
今も鳥肌が凄く立っている。
「後始末が大変なのですよね。殿下。ガトレアール辺境伯様のお見送りをしてくださいませ」
「それはいい!」
ギルバート! 毎回、いらないことを言うな!
「リリア。では、送って行こう」
床で悶えていた王太子はスッと立ち上がり、普段の王太子の顔になって、私の右手をとる。その王太子の手を後ろから叩き落とす手があった。
「見送りは結構です。王太子殿下」
「ヴァイザールが邪魔をしないでいただきたいですね」
「シルファは私の妻だと言いましたよね」
「私のリリアですよ」
「王太子殿下は関係ありませんよね」
「従兄妹にあたりますので、血縁関係もあります」
何故か、黒と赤の色をまとった二人が言い合いをしながら、廊下を歩いている。
それも私の前を言い合いしながら、歩いている。案外、仲が良いな。
「ガトレアール辺境伯様?」
そんな中、突然名を呼ばれて横を見れば、侍女を数人連れた亜麻色の髪の美しい女性が立っていた。
「王太子妃殿下。ご無沙汰しております」
私は立ち止まって、女性に向って頭を下げる。
「あら? もしかして、もうお帰りになられるのですか?」
「はい」
「まぁ……あの……殿下ですから」
ハイライトが消えた目で、王太子妃が廊下を突き進んでいる王太子の背を見ている。王族の闇の姿を見た人の目だ。
「それよりも!」
王太子妃の鳶色の目が、ぐぐっと私に近づいてくる。
「先日発売された美容液が中々手に入らないのですが、どうにかなりませんか?」
美容液……ああ、母にサンプルを渡したら、定期的に送ってくるように言われたアレか。
「まだ発売されていませんよ」
「でも……アンジェリーナ様から良いものだと勧められましたわ」
もしかして、ここの使用人たちは、まだ販売されていない商品を探し、奔走したのだろうか。
因みに私は個人的に王都に店を持っている。それが私の個人資産を増やす資金源となっているのだ。
「アレは……ちょっと作るのに時間がかかりまして、今は母に渡している分しか作れません」
「そこを何とかなりませんの?」
美容関係に手を出すのは、こういうのがあるから、嫌だったんだ。
きっかけは、母が最近小じわが気になるからどうにかならないのかと、叔父上経由で連絡がきたのだ。
母命の叔父上が、母の願いを叶えないなんてありえない。鬱陶しいぐらいに、どうにかしろと言ってきたのだ。通信機でだ。
お前がどうにかしろよ!
しかし母よ。何故、欲しがっていた美容液を他の人に渡したのだ。
私は額に手を当てて、必死に言い寄ってくる王太子妃を見る。まだ二十八歳。母が使っている美容液を使うほどではない。
「忌々しいカトリーヌに、おばさんとかシワが増えたとか、言われるのですのよ! 我慢なりませんわ」
すごい勢いで、私に文句を言って来られたけど、カトリーヌってことは第二側妃か……ちらりと赤髪の王太子に視線を向けると、すっごく嫌な顔をして、こちらを見てきている。
王太子妃と第二側妃の確執か。まぁ、王太子妃には子供がおらず、第二側妃と第三側妃に王子と王女がいるから、余計に王太子妃としての立場がないのだろう。
「はぁ。別の物を贈らせていただきます」
「それは楽しみにしておりますわ」
そう言って、王太子妃は身を翻して、機嫌良さそうに去っていった。うん。子供が欲しいと思っていても、気が張っていては、授かるものも授からない。
前世で不妊治療していて、諦めた途端に妊娠したという話を聞いたことがある。そんなものだ。
「殿下。叔父上経由で品物を送りつけますので、王太子妃殿下にお渡しください」
叔父上経由なのは、王太子に直接に送りつけると検疫とかが面倒だからだ。叔父上とは母の物を送る窓口になっているので、そのルートは検疫は存在しない。叔父上が直々に調べるということになっているからだ。建前上はだ。
ただ単に母に渡る物が、他人の手にひと時でもあるのが嫌だというシスコンのよくわからない考えだ。
「リリアからの物なら、私がいただいてもいいですよね」
「いいですが、それは王太子妃殿下の許可を取ってからにしてください」
夜の営みのモニョモニョに使えるものだ。大いに使ってくれれば良い。貴族のご夫人から好評の物なので、満足してくれることだろう。……私は使いたくないが。
さっさと、ここを去ろう。王城は面倒事が多い。
「はぁ。ロズイーオンの血は面倒過ぎる」
魔道車の外の景色を見ながら、愚痴をこぼす。王族の血は厄介だ。それが顕著に現れるのが王族の直系の男性だ。
「団長がアンジェリーナ殿下にご執心だとは思ってはいたが、これは王族だからという理由なのか?」
私の隣に座っているランドルフが聞いてきた。別にこのことは、隠しているわけではない。王族のあの姿を見て、そのことを口に出そうとは思ってはいないだけだ。
己の心の平穏のためにだ。
「ヴァイザールは魔眼だよな。では、何の魔眼だ?」
魔眼持ちは幾人かいるが、ヴァイザールの魔眼はその中でもトップクラスと言われている。
「魔人だ」
そう魔人の魔眼。人が魔人を取り込んだとも言われているし、人が魔人化したとも言われているし、魔人が人に服従したとも言われている。しかし、神魔時代の話なので、詳しいことはわからない。
「魔人が王家に服従したというのが、一番の通説だな。その王家の祖は神と言われている」
「それは知っている。戦いの神と豊穣の神だ」
まぁ、王家の系譜には戦いの神が王で豊穣の神が王妃となっている。で、ここにもう一つ付け加えるのであれば……
「その王家の祖は双子だった」
「双子?」
「そう双子。別に親兄弟で婚姻を禁止されては、いないだろう?」
「確かに」
「同じ血族同士、引き合うらしいのだが、今現在それが顕著に現れているのが、直系の男性王族だ」
まぁ、これが厄介な血で、血族の女を伴侶に迎えると暴走する。別に王太子の奇行のことを言っているわけではない。
元々神の血を引くと言われている王族だ。同じ血族の力と呼応して、人外の力の暴走が起こると言われている。だから、叔父上も王太子も血族の女性とは結婚できないのだ。
「王族の力は叔父上でわかっていると思うが、それ以上の力を得ることになると言えば理解できるか?」
「五年前に山を一つ吹き飛ばしていたが?」
「それぐらいは普通だろう」
「二年前に湖の水を干上がらせていたが?」
「水の蒸発ぐらいあるだろうな」
「アンジェリーナ殿下に近づく者を半殺しにしていたが?」
「それは叔父上の通常運転だろう」
「それ以上の力とは、どれほどのものなのだろうか?」
だから、国王陛下は弟にも息子にも血族の女性との婚姻の許可を与えていないのだ。
「王族が血族の伴侶を迎えた記録が残っているのは、五百年前だ。そのときに南にあった半島が消滅して、海になったとあるが、嘘か本当かはわからないな」
「そんな事は学園では習っていない」
「いや、考えればわかるはずだ。普通の歴史書には載せられないって」
もし王族がそんな力を奮う存在だと一般的に広まれば、強大な力の矛先が民に向けられるかもしれないと、人々は恐れ慄くだろうな。
歴史書なんてものは、虚と実を混ぜ込んで作り上げた物語だ。
「あ、そうだ。今、アルディーラ公爵家に向っているからな」
「は? 公爵家?……俺は行かなくて良いと言ったはずだ」
いや、挨拶は必要だ。本当にランドルフはアルディーラ公爵家が嫌いらしい。