第9話 おおお姫様抱っこだと!
王都のタウンハウスに戻った後は、通信機で領地と連絡をとったり、夕食をとりながら、エリーの推しの話を聞いたり、執事のエントに説明をして、今後の予定を詰めていけば、既に日付が変わろうとしている時間帯になっていた。
「ザッシュ。いつまで、そこにいるつもりだ?」
私は当主の部屋である執務室で、いつもは領地の方に送られてくる王都での報告書や決済書、陳情書などに目を通している。
その執務室の部屋の出入口の扉の横に陣取って、ザッシュは無言で威圧の視線を向けてきているのだ。
ガタイのいい身体だけでも、存在感を必要以上に出しているというのに、私に視線を向けてくる三白眼が威圧感を更に押し出してくる。
私が質問しているというのに、答えてこないのは、護衛としての己が言うべきことではないと、線引をしているからだろう。
「ザッシュ。言いたいことがあるのなら言うように、いつも言っているだろう」
無口なのだろうが、本当に必要な事以外話すことなく、無言で三白眼で威圧してくるのだ。
はぁ、領地では執事のディオールが上手くフォローしてくれるのだが、彼を王都には連れてきてはいないので、私は無言の圧力にさらされているのだ。
「リリア様。そろそろお休みになっては如何でしょうか?」
ああ、日付が変わるというのに、書類に目を通すなと。確かに領地にいる時は、執事のディオールがグチグチと言ってくるな。早く寝ろと。
ディオールが居ないから代わりに、私の行動を監視していると?
「あと、五件分の確認が済めば休む。ザッシュ、明日も出かけなければならないので、早く休むといい。私の護衛はザッシュしか居ないのだからな」
「かしこまりました。早くお休みくださいませ」
ザッシュは頭を下げながら念押しをして、部屋から出ていった。
もう少し人を連れてくれば動きやすかったのだろうが、最短時間で王都に来るために、ザッシュしか連れてこれなかったのだ。
王都の屋敷にも、勿論護衛はいるが、彼らには彼らの仕事がある。私が連れ出せば、そこの穴埋めを誰かがしなければならない。私が王都にいることで、問題が生じてしまっては意味がない。
それにミゲルを一人で放り出すわけにもいかない。貴族が一人で生きていけないので、数人の者たちをつけることになる。ああ、その者たちはミゲルのことを理解してくれる者たちをつけよう。
書類に目を通しながら、今回のことを考えてしまう。何が悪かったのかと。
何が悪かったのか……
引き出しからタバコを取り出して、咥えて火をつける。紫煙を吐き出して、窓の外を見た。
そこには細い月が二つ空に浮かんでいる。
ミゲルはモンテロール侯爵令嬢が悪いと言っていたけど、モンテロール侯爵令嬢の何が気に入らなかったのだろう?
私が知る限り、モンテロール侯爵令嬢は努力家で、ガトレアール辺境領を支えるために色々勉強してくれていた。
少々気になったのが、私が行くと、モンテロール侯爵令嬢はミゲルと話すというより、私と話をしてばかりだったな。
「ふぅ。私は弟のことなど、全く理解出来ていなかったということか。いや、理解などできるはずもない」
私が領地で行っている改革を、ミゲルはよく思っていなかったのを知っている。あまりにも急な改革に民がついてきていないと。
これは私の噂と、ミゲルを次の当主として支えようとしていた者たちの入れ知恵だ。
何故ならミゲルは十三歳から学園に通いだしてから、領地の方には戻っては来ていないのだ。
ミゲルの目で領地の現状を見たわけではない。
人の意見を聞くのはいいのだが、きちんと己の目で見て判断するようにと言えば、うるさいと答えが返ってきた。まぁ、反抗期というものだ。
口うるさい姉を邪険に思っていたのだろう。それがなぜアステリス国のマルガリータ第三王女と懇意になろうと思ったのか理解できない。
しかし血の繋がった弟だ。ミゲルには幸せになって欲しいと思っている。だが、アステリス国の第三王女を選んでしまった時点で、その未来に暗雲が立ち込めていることが理解してしまう。
「姉の想いは弟には伝わらないか。しかし、現実を見れるようになれば、ミゲル自身の過ちに気がつくだろう」
今はきっとロミオとジュリエットのように、互いの恋心に盛り上がっているのだろう。周りから反対されているが、自分たちは愛を貫いたと。
その心がいつまで続くか。
「結局、私はミゲルに嫌われるのが嫌で、国外追放という判断を下したのだろうな」
他人から見れば厳しい判決でも、ミゲルからすれば、第三王女と共にいることができるのだ。
だが、私の中のもやもやが無くなるわけではない。
「一番私が割りを食っていると思う」
そう! 結局私は辺境伯という地位に居続けなければならないのだ!
私は紫煙と共にため息を吐き出し、タバコを灰皿に押し付ける。そして、残った書類に目を通すべく、ペンを持ち書類に視線を落とした。
仕事に集中していれば、いらないことを考えないで済む。現実逃避をすることに決めたところで、私が座っている椅子が、くるりと回転した。
え? 確かに私は回転椅子がいいと作ってもらったけど、勝手に動く仕様にはしていないはず。
そう思い視線を上げると、金色の目と視線が合った。
……いつからこの部屋にいたのだ? 夕食後に執事のエントに説明したあと、エントに用意した部屋に連れて行ってもらうように頼んだはず。だから、先程まで護衛のザッシュと私しか室内にいなかったはずだ。
「何か問題でもあったのか?」
取り敢えず不都合でもあったのかと聞いてみる。もしかしたら、私がうだうだと悩んでいたために、部屋の扉をノックする音が聞こえなかったのかもしれない。
「シルファが、いつまで経っても部屋に戻ってこないから」
……いや、ランドルフとは違う部屋だから私がその部屋に行くことはない……いや……ちょっと待てよ。私が辺境伯の地位を得てから、ほぼ使っていなかった母の部屋が私の部屋になった。そもそも王都に来たときにはガトレアール家のタウンハウスに足を運ばなかったらしいからな。
もしかして父が使っていた部屋を用意されたのか?……ははははは……エント! 何を考えている! 今日の今日で寝室を一緒にしろとか言うのか!
私が心情的に無理だぞ! 恥ずかしいじゃないか!
「まだ目を通す書類があるから、先に休んでいるといい」
平然を装って答える。
叔父上の言う通りにしなくてもいいのだぞ。いや、上官の命令でもあるから、従うのはわかるが……お見合いしたその日にっていうのは、私にはハードルが高すぎる。
「王都に今朝到着したのだろう? 早く休むべきだ。それとも俺がこのまま寝室に運ぼうか?」
ランドルフはそう言って、私を椅子から抱き上げた。
「うぎゃ!」
思ってもみなかった行動に、変な悲鳴が口から出る。誰かに抱えられるなんて、子どもの時以来だぞ。私の行動に呆れたザッシュによく肩に担がれて連行されていたぐらいだ。
しかし今回はランドルフを下から見上げる角度で抱えられている。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「恥ずかしい抱え方をするな! 自分で歩くから下ろせ」
顔から火が出るぐらいに恥ずかしい。父ですら抱っこされた記憶がないのに、こんな姿を誰かに見られたくはない。
するとランドルフがクスクスと笑い出す。
くぅー。使用人にこんな姿を見られたら、当主としては威厳もへったくれもないじゃないか!
「かわいい」
か……かわいい……私がか?
いや、女のくせに生意気だとか、子供が出しゃばるんじゃないと言われ続けた私が可愛いなど……ランドルフの視力を疑うな。
そして、ランドルフはスタスタと歩き出す。
ちょっと待て! このまま部屋を出る気か!
「血の繋がった兄弟でも理解などできないもの」
その言葉は私の独り言に答える言葉だった。……いつから執務室の中にいたんだ?
「それに庶子というだけで、周りの視線は冷たくなる。あのミゲルという者は、庶子の身で高等科に在籍していたのだったら、周りの態度は顕著だったと予想はできる」
「はぁ……そういうことか」
高等科は、貴族の跡継ぎが在籍するところだ。そこには国中の貴族の子息が集められているが、庶子が跡継ぎに指名されることは、ほぼない。
だからミゲルは高等科では異質な存在だったということか。
「それならそうと言ってくれれば、無理して学園に通わなくていいと言ったものを」
「学園は貴族にとって最低限のステータスだから、通わないという選択肢はなかったのだろうな」
結局、貴族というものは、愚かだと思わざる得ない。そんなもの、貴族同士の繋がりでしか役に立たないだろう。
中等科で文官となれる知識が得られるのであれば、最低限中等科を出ていれば、政治のことも網羅できているはずだ。
それはわかったのだが、今の状況も私は理解できない。
「私は下ろして欲しいと言ったはずだが、なぜそのまま廊下を進んでいるのだ?」
そう……しれっと、私を抱えたまま屋敷の廊下を進んでいるランドルフを睨みつけるように見上げる。
今が夜中で良かった。この時間は皆が寝静まっている時間……
「姉上……」
今、帰って来たらしい弟のロベルトと鉢合わせてしまった。
ちょっと働き過ぎではないのか? 外交省の文官といえども、夜中まで働く必要があるのか?
しかし、こんな恥ずかしい姿をロベルトに見られてしまった。だが、姉としては平然と対応しなければならない。
「ロベルト。おかえり、それにしても働き過ぎではないのか?」
「姉上が大人しく抱えられている……ザッシュが捕獲に困るほど暴れる姉上が……」
はっ! いや……これは大人しく抱えられているのではなくてな……ザッシュは私が作業している途中で、連行するのが悪いのだ。それにだ……
「ロベルト。私が黒騎士相手に本気で抵抗すると、屋敷が吹っ飛ぶがいいのか?」
「すみません。私が一人前になるまでは、屋敷を破壊しないでいただきたいです」
中等科を卒業したばかりのロベルトは十九歳だ。王城に勤める文官といえども、まだまだ見習いでは給料も低く、王都で暮らすにはままならないからと言って、ここに住んでいる。だが、来年には結婚する予定なので、その機に屋敷を持つことになっていた。
「それから、ファンヴァルク王弟殿下からの伝言を承っています」
なんだ? わざわざ弟を使わなくても手紙で連絡をしてくれればいいのに。
「兄上は今日の夕刻に、第三王女と共に王都を立ちました」
「え? 既に王都には居ないのか? ミゲルに人をつけようと思っていたのに」
「王太子殿下が、この度のことに大変ご立腹のようで、明日の十時に王城にくるようにとお言葉を承っています」
「……別に三十歳の誕生日なんて、そこまでめでたいものではないだろうに」
三十歳の誕生パーティーに婚約破棄事件を起こされたからと言って、怒るほどか? そこまでめでたいこととは思えないな。
どちらかと言えば、第一王子の十歳の誕生日を祝う方に価値がある。
まぁ、その第一王子が第二側妃様の子という問題がなければだ。
「姉上。王太子殿下の前では、その毒舌を押さえてください」
「あいつは嫌いだ。仕方がない」
「そう言って、誕生パーティーをボイコットしたのですよね」
「そうだが、今回はこちらに非があるので謝罪はする」
「そのイヤそうな顔も控えてください。伝言は伝えましたからね」
ロベルトはそう言って、自分の部屋の方に向かっていった。
王太子とのアポイントメントには、三日ほどかかると思っていたが、思っていたより早かった。
「シルファは王太子殿下とは、仲が悪いのか?」
金色の目が私を見下ろしてきた。仲が悪いというよりも、私が一方的に嫌っているだけだ。
「え? アイツ。三人も妃がいるクセに、私が爵位を弟に譲渡したら、第四側妃になれとか、言ってくるから、嫌いなんだ」
「ほぅ」
なんだか、気温が下がったような気がする。今は初夏とは言え、夜は冷えるな。
そしてランドルフは私の部屋の前まで、抱えて移動して下ろしてくれた。
私はホッと胸を撫で下ろす。このまま寝室に直行とかではなくて良かった。
「シルファ。明日の王太子のところに行くときは俺も行くから」
「ん? 別にランドルフまで謝罪に付き合わなくてもいいだろう?」
「国王陛下から婚姻の許可を得たのだから、王太子殿下にも挨拶はしておくべきだろう」
ああ、辺境伯である私の夫としてか。それなら、挨拶も必要かもしれない。辺境に行けば、滅多に王都に来ることはないのだから。
「わかった」
「それから、シルファの夫は俺だからな」
何を当たり前のことを言っているのだろうと首を傾げていると、抱き寄せられ一瞬視界が陰った……と思ったら、私の唇にふにっと柔らかい物が当たった。
「ちゅっ! おやすみ。シルファ」
え? いや、ちょっとなんで?……キスされたぁぁぁ!
うぎゃぁぁぁぁ! すっごく恥ずかしいぃぃぃぃ!
私は一人自分の部屋の前で悶絶しているのだった。