ガヴォット 凶器 (1)
11
金川類は大学2年からこの楽器店でバイトをしていた。音楽系サークルはどうしても先立つものが必要になるのでバイトは必須だ。エレキギターを弾いているから多少の知識もあるので気軽に応募したら採用された。しかし、クラッシックで使う弦楽器には疎い。今目の前にいる背広に黒い野球帽みたいな帽子を被った、すめらぎ、と名乗った刑事にされた質問もよく分からないので辟易としていた。
「見たことはないですね」
そう言うしかない。
「そうですか。でも、西本賢司さんはこちらのお店で何か注文されたんですよね」
皇与一が確認する。
「ええ。ノートには西本賢司さんがチェロのエンドピンを特注されたとありますね」
金川類は見たままを伝えるしかない。
「メール履歴を見たんですが、西本さんはよくこちらで購入されるんですね」
皇に言われて、
「はい。5弦のチェロもうちで買われてます」
と金川は答えた。
「特注というのはどういうところが特別なんでしょう?」
「うちで契約してる職人さんに通常のエンドピンに焼きを入れてもらってますね。強度を増すためだと思います」
「それはなんのために強度を?」
皇が首を傾げて聞いた。
「まあ、音が良くなるんだと思います」
金川類にはこの己の発した言葉の信ぴょう性に自信はない。今外出中の店長の受け売りだ。
「そのエンドピンにこれが付属していたということはないですかね?」
「ああ、それなら工房に聞いてみますよ」
皇に金川は伝えた。
「それは恐れ入ります」
金川はことの次第を簡潔に工房に伝えて、西本特注のエンドピンに付属品があったかを尋ねると、付けていたという確認が取れた。
「何か工房の人が言うには、西本さんのチェロのエンドピンの差し込み口は1cm用なんですけど、細くて硬い方が音が良いと西本さんが仰って0.8cmにしたんですが、西本さんのチェロは1cm用の受け口ですからスカスカで、うまくはまらなかったら困ると心配で、エンドピンにそのゴムをはめて太さが1cmになるようにするものだそうです」
「ほーう」
金川の説明に皇は感心したような声を上げた。
「お手数ですが、これの使用法を見せていただきたいのですが」
金川は皇の依頼に少し戸惑ったが、
「わかりました。では2階にどうぞ」
金川の後に皇が続いた。その横に朝草が並ぶ。
エレキギターやエレキベースが所狭しと陳列してあった1階とはがらりと雰囲気が変わった2階に3人は上り着いた。
「何か厳かな感じがしますね」
朝草優香は当たりを見回して感想を述べた。
「そうですね。1階にはエレキばかり置いてあって、色が派手なものが多いですからね」
金川の言う通り、そこにある楽器の塗装は全て渋い茶色に統一されていた。
金川はチェロを1台取り出すと横にして床に置いた。
「なぜ横に置くのでしょう?」
皇の問いに、
「この方が楽器が安定するんです。仰向けだと膨らみがあってチェロが落ち着かないんですよ」
と答えながら、その場にしゃがみ込んだ金川はチェロの大きくひょうたんのように膨らんだチェロの底の中央部分に付いているネジを回し始めた。すると、小さい黒いゴムの帽子を先頭に細長い金属の棒がするするとチェロの胴体の中から伸びてきた。
「まあっ」
朝草が声を上げた。楽器と関わりのない朝草にとっては驚くべき光景に映った。木製の楽器から金属の細い棒が伸びてくる様が、とても不思議な手品を見せられたように思えたのだ。
金川は細長いエンドピンを全て抜き去ると、皇与一が持参した黒い輪っかをエンドピンの最後に出てきた部分にはめた。
「町田さん、証拠品の持ち出しをよく許可してくれましたね」
と言う朝草に
「全く誰もあれに注目していなかったので、意外に簡単だったよ」
と皇は答えながら店員の作業に目を凝らした。
「入りましたね」
そう言うと、金川はそれをチェロの脇に置いて、さっきとは別の2台目のチェロを横にして同じ作業をした。そして、先程証拠品の付属品をはめたエンドピンをを取上げて、エンドピンの抜かれた2台目のチェロに差し込んでいった。黒い輪っかはエンドピンの先にある黒いゴムの帽子から20cm程のところにはめていた。金川はその輪っかがチェロの中に入るギリギリで止め、ネジを回した。
「うまくはまりましたね」
そう言ってチェロから飛び出ている部分を掴んで少し動かす仕草をした。
「まあこんな感じで、少し乱暴に動かしてもズレないので演奏にも支障はないと思います」
と言う金川の説明がさっぱり理解できない朝草は眉をしかめて考え込んだが、皇は頷いた。
「要するにそれは、サイズの合っていない直径1cmのエンドピン用のチェロに直径0.8cmのエンドピンを刺しても固定させることができる補助用のゴムパッキンという訳ですね。
今作業されていた1台目のチェロのエンドピンは0.8cm。そのエンドピンにパッキンをはめて一部分を1cmして2台目のチェロの1cm用の穴に入れたわけですね」
「そうです。よくサイズもおわかりなんですね。凄いな。僕もさっき電話で説明聞いて初めて知ったのに、どうしてわかるんですか?」
金川が感心した。朝草は悔しそうに鼻に皺を寄せた。
「でも、何か職人さんの話だと、もしもの時用に付けたんであって、本来西本さんのチェロは1cmでも0.8cmでもちゃんと固定できるネジらしいです」
「つまり、本来は必要ないけど、もしも固定が上手くいかなかったら困るから一応付けたということですね」
皇が金川の発言を受けて言った。
「はい。そう言ってました」
金川は刑事の聡明さに驚いた。
「ちなみに、長年チェロを弾いている人や専門家でもそのパッキンについて知識はないということになりますね」
「多分そうでしょうね」
金川は自信はなかったが、皇にそう返した。
ふいに皇はスマホを取り出して操作をして朝草に見せた。それを覗いた浅草が
「あっ、これあの時の現場ですね。うわーっ。同じじゃないですか。うわー」
と、興奮を隠せない調子で声を発した。
金川類はチェロのねじを緩めて今入れたエンドピンを抜きながら、何事かと女性刑事を見やった。その仕事中とは思えぬ油断した姿が素直に可愛いなと思った。
「すみません、そのエンドピンは元のところに戻すんですね」
皇の問いに、
「あ、はい」
と答えて、金川は抜き取った黒い輪っかを皇に手渡した。
「そのエンドピンを少しの間貸して貰えますか」
皇は受け取った証拠品を小さなビニール袋に入れると、再び手を伸ばした。エンドピンを店員から受け取り、1台目のチェロの横に立った。
「あのう、この金属の輪っかを外しても良いですか」
という皇に
「え?あ、はい」
と金川は戸惑った。
実を言うと金川はエンドピンに付いているそれを外したことはなかった。その輪っかはエンドピンがチェロの内部にそれ以上入り込まないように止めている金属の輪で、外す必要のないものだからだ。
その金属をしっかり回して固定しておかないと、時折チェロの演奏中に雑音が鳴ることがあることは聞いていた。だから緩んだそれをきちっと締めたことはあっても、完全にとり外した経験はなかったし、何のためにそんなことをするのかが不思議だった。
皇は左手にエンドピンを持ち、まず黒いゴムの帽子のような先端を覆っていたものを取り外すと、突如エンドピンの鋭い先端が姿を見せた。その鋭い先端から1cm程のところに付いている金属の輪を右手でクルクル回して取り去った。その輪が取れるとエンドピンが突如鋭利な細長い金属の武器に見えた。
「へえ」
と朝草と金川が同時に声を発した。
「誰かいませんか?」
1階から声がした。
「あ、はーい。あのちょっと下に行ってきます」
「はい。もう少しここにいさせてもらいます」
と皇は店員に声をかけると、鋭い切っ先を持ったエンドピンをチェロの横に置いた。金川は急いで階段を降りていった。