村の外
「レド」
ドロシィと別れた後。スウェンが、口を開いた。
「両親は? 迎えに来ないのか」
その問いを向けられて、レドは困惑した。
他ならぬスウェンが、そんなこと、いちばんわかってるだろうに。
嫌な役目を押し付けられた腹いせだろうか。
レドは、重たい気持ちで、無理やり笑顔をつくったが、それは、あのスキル判定の儀の日に並ぶ、最低な笑顔だった。
「そういえば、あそこにいなかったですね……でも、スウェンさんも知ってる通り、お父さんとお母さんは、来ないと思います」
「なぜ?」
「……僕は、スキル無しの無能ですよ」
吐き出した言葉は、見えはしなかったけれど、空気を通って、地面に重く沈んでいくようだった。
ーードロシィの風の魔法を使ったら、見えるようになるかもしれないな。
レドは小さく笑った。
今度は、少しだけ自然に笑えた気がした。
「そうか」
口数の少ないスウェンは、それを馬鹿にするでもなく、レドと手を繋いで歩いていく。
少し遠回りだな、とレドは思った。スウェンは、また、独特のタイミングで口を開いた。
「この村の外に出たことはあるか?」
「スウェンさんは、あるんですか?」
「ああ」
レドは驚いた。
スウェンは若い。レドより年上だけれど、せいぜい十七。この村の外に行ったことがあるとは思えなかった。
「みんなには内緒にしておいてくれ。昔一度だけ、村の外に出たことがあるんだ」
「そうだったんですか」
「ああ。レド、村の外ではな、スキルですべてが決まるわけじゃないんだ」
「え?」
そんなこと、あり得るのだろうか。
スキルは、その人間の将来を左右する。
授かったスキルがすごければすごいほど、神様からの愛を受けていることになる。神様の愛を受ける人間は、それだけで、優れている人間なのだ。
それなのに、スキルですべてが決まるわけじゃない?
「それなら、一体何で人の価値は決まるんですか?」
レドが訊くと、スウェンは、不思議な色の目を向けた。
「頭脳、運動神経、性格……人を測るものさしは、スキルの他にもあるだろう」
スウェンの言葉は、レドにはよくわからなかった。
頭脳も、運動神経も、性格も。
それがあったとして、スキルの前には敵わない。
人間の能力には限界があって、言い換えれば、神様の声を聞くことができる神父様が、その人の生き方をつくるのだ。
よって、スウェンの、スキルですべてが決まるわけじゃないという言葉は、わからないを通り越して、少し怖かった。
スキルがない世界があったとして。
人々は、どうやって生きているんだろう。
レドが、なかなか返事をしないのを察したスウェンが、ふっと笑った。
今日の夜は、スウェンの知らないところを見てばかりだ。
「いずれ、レドにもわかるよ」
スウェンはそう言って、立ち止まった。
「ところで、レドの家はどこだったかな」
さっきから、遠回りばかりしていると思っていたが。どうやら、道がわからなくなっていたらしい。
レドは、くすりと笑った。
「ここを右に曲がって……」
村の男たちとスキル否定派の戦いは、村長の活躍によって、村側の勝利に終わった。
スキル否定派の男たちは、村にやってくる騎士団によって身柄を移送されるらしい。
「けどね、私の家にいたあの三人は、綺麗にいなくなってたんだって。村じゅう探し回ったけど、結局見つからなかったみたい」
レドに当然のように会いにきたドロシィは、そのあとのことを教えてくれた。
レドの両親は、村長の娘のドロシィに会いにきてほしくなかったみたいだけれど、レドは嬉しかった。
前までだったら、ドロシィに背を向けるところだったが、自分の部屋にドロシィを招いた。
「お父さんが言うには、そういうスキルを持ってたんだろうって。姿を隠すスキルとか、そういうの」
「それだったら、村の入り口を通ったとしても、気づかれないね」
もうとっくに、村の入り口を通って、逃げているのかも。
あのときに会った、スキル否定派の男の一人を思い出して、レドは体を震わせた。
あの人はまだ、捕まっていない。ベッドに隠れていたレドのことを引き摺り出して、レドの命を奪おうとしてきた、あの人は。
「でも、しばらくこの村には騎士団が派遣されるらしいから、心配はいらないかも」
「えっ、しばらくここにとどまるの?」
王都からこんなに離れた、レドでさえも小さいと思う村に。
レドが驚いて訊くと、ドロシィが声を顰めた。
「そう。スキル否定派の引き渡しもそうだけど、神父様を守るために来るんだって。聞いたんだけど、スキル否定派の人たちが私を人質にしようとしたのは、お父さんに言うことを聞かせるためだったんだって。あの人たちの狙いは、ほんとうは、神父様だったらしいよ」
「神父様?」
「そう。だけど、神父様って、王都から派遣されてるすごい人じゃない? 神父様自身のスキルがすごいらしくて、だから、直接危害を加えるのは難しいって判断して、私たちを狙ったみたい」
「ドロシィは、巻き込まれたんだね」
「そうみたい。私を殺そうとしてるんじゃなくて良かったけど、ちょっと迷惑な話かも」
「そうだよね。ドロシィは巻き込まれたんだから。あ、でも、ここに来て大丈夫なの? ドロシィも、騎士団の人たちに守ってもらわなくちゃいけなくなるんじゃないの?」
レドがそう言うと、ドロシィは肩をすくめた。
「ただの村娘を? 騎士団の人たちが守りに来るのは、神父様だけだよ。私はいつも通り、レドに会いに来るからね」
「うん……」
レドは、少し照れくさくなった。ドロシィが、琥珀色の目をとろりと細めて笑ったからだ。
「あ、そーだ。私が来たのはね、あらためて、お礼をするため。お母さんを助けてくれてありがとう、レド」
「といっても、僕はドロシィに頼り切りだったんだけど……」
「そんなことないよ。それなのに、お母さんがあんな反応をしちゃってごめんね」
「あはは、大丈夫だよ。おばさんが無事で良かったね」
レドがそう言うと、ドロシィは、細めた目を見開いた。
「レドはそう言えるんだ……羨ましいなぁ」
変わり果てたスウェン・クーパーが、村に向かっていた騎士団によって発見されたのは、そのすぐ後だった。
スウェンの家には、当然彼の姿はなく、遺体は本物だと断定された。
問題は、昨晩、レドがスウェンに家まで送ってもらったことだ。
それは、レドだけじゃない、村長も、レドの両親も証明できることだ。ということは、スウェンはレドを家に送った後に死んだことになるのだが、騎士団によると、遺体はかなり時間の経ったものだったらしい。
「遺体には、朝露が付着していた。ということは、遺体は森で夜を過ごしたことになる」
村に到着した騎士団長は、兜を脱いで、机に置いた。
無骨な兜の下にあったのは、美しい顔だった。
村長の家にて。
騎士団長であるところの彼女は、レドのことを冷たい目で見据えた。
「さて。昨晩、君を家まで送ったスウェン・クーパーは、いったい、どこの誰だったんだろうね?」