救出作戦とその成果
ドロシィの手のひらで、白い風がくるくると踊った。
「お母さんが捕まってるのは二階の私の部屋みたい。周りには三人の男の人がいる」
近くの建物の影に隠れながら。ドロシィは、そう言って、ふうと風に息を吹きかけた。すると、白い風は、ぽひゅんと消えてしまう。
「すごいね、ドロシィ」
そんな様子を、レドは目を輝かせながら見ていた。
「風の魔法で、そんなことまでわかるなんて」
さっき、ドロシィとレドが逃げた時に使った窓。そこから風を侵入させて、ドロシィは、家の中の様子を把握したらしい。
「レドが見張っててくれたから、集中できたんだよ。ありがとう」
「そ、そんな僕なんて」
レドは本当に、周りをきょろきょろと見ていただけだ。
だが、ドロシィは首を横に振った。
「ううん。この魔法をつかってる間、私には隙ができちゃうから、レドが必要だったよ」
「そ、そうかな」
「絶対にそう。それで、どうしようかレド。お母さんが捕まってるところと、あの人たちの人数はわかったけど、三人ってけっこう多いよね」
レドは、顎に手をあてた。
「さっきみたいに、ドロシィのお母さんの周りにだけ火をつけることはできないの?」
「お母さんの周りだけ、ぐるって囲うってことね。でもそうしたら、あの三人はこっちに向かって来ると思う」
「そうか、そうだよね……」
今度は、レドたちが危険に晒されてしまうというわけだ。
「本当は、あの三人を一人ずつ火で囲めれば良いんだけど、それは難しいかな。同時っていうのが難しいから」
「やっぱり、村長を呼んできた方が良いかな……」
助けに行かない? とは言ったものの、子供二人だけで助けに行くことがどんなに難しいか、レドはひしひしと感じていた。
村長がどこに行ってしまったかわからないし、もしかしたら、レド達と同じように、敵と戦っているかもしれないけれど。
「今からお父さんを呼んできても良いけど、時間が経つにつれて、お母さんは危なくなると思う」
ドロシィが、きれいな琥珀色の目をレドに向けて、そっと、その手を握った。
「ドロシィ?」
「相手は、私たちが逃げたって油断してる。助けるなら今だと思う。なにより」
言葉を切って、ドロシィは、瞳を潤ませて、口元を笑ませた。
初めて見る、ドロシィの表情だ。
「レドが、私のお母さんを助けるって言ってくれたんだもの。私はそれを、大切にしたい、かなえてあげたいの」
「……」
「レド?」
「何でもないよ」
声が震えていたと思う。言いようのない不安を、レドは覚えていた。
けれど、それがどこからくる不安なのか、説明できない。
その不安から逃れるように、レドは話を変えた。
「おばさんのスキルって、どういうものなの?」
「お母さんのスキルは、“扇使い”だよ。周囲に風を送る能力」
「風を送る?」
「こうやって」
ひらりと片手を振って、ドロシィは、レドに説明をしてくれた。
「自分の周囲に、扇であおいだ時みたいに、風を発生させるの」
「それだ」
レドは、思わず声を上げていた。
「え?」
きょとんとするドロシィに、レドは力強く言った。
「それを使えば、おばさんを助けられる!」
「じゃあ、行くよレド」
「うん」
ドロシィの家の窓の下。
風魔法を纏って、ドロシィとレドは隠れていた。
「“きて”」
ドロシィの言葉に反応して、風魔法がなくなった。体が宙に放り出されるーードロシィが、レドの手を握って、勢いをつけて、窓から家の中に入る。
「ドロシィ!」
レドはホッとした。娘の名前を呼ぶドロシィの母は、とりあえず無事なように見えた。
作戦通り、ドロシィの母は、ドロシィの作った炎に囲まれていた。
スキル否定派の男たちは、ドロシィとレドに狙いを定めたようだ。
ドロシィの母に目もくれず、男たちは、窓際まで走って来る。ドロシィと、レドを捕まえようと。
「お母さん、スキルを使って!」
ドロシィの叫びに、ドロシィの母は頷いた。
「“風よ、広がれ”!」
彼女がそう叫ぶと同時、ごうっ! ドロシィの母の周りを囲っていた炎が勢いを増し、窓際に走ってきていた男たちの服を掠めた。
男の一人が、顔を歪めながら、レドたちに手を伸ばしてくる。
「この、ガキがっ……!」
「レド、逃げるよっ」
「うんっ」
レドとドロシィは、入ってきた窓から飛び降りて、また風の魔法を纏った。
こうすると、二階に放った火は消えてしまうが、それで良い。男たちを、窓際まで引きつけられたから。
二階から降りたレドとドロシィは、急いで玄関から家に入った。
「お母さん!」
ドロシィが叫ぶ。階段を転がるように降りて来るドロシィの母親の背後には、スキル否定派の男たちが迫ってきていた。
「“きて”!」
ドロシィが呼んだ炎が、男たちとドロシィの母の間に立ち、分断する。
「お母さん、逃げよう」
「ええ、わかったわ」
ドロシィと、その母は、頷き合って。
ドロシィは、レドの手をぎゅっと握りながら言った。
「レド、ちょっと速いかもしれないから、目を瞑っててね」
ばたばたと服がはためいて、痛いくらいに空気が体をなぶっていく。
レドは、悲鳴をあげそうになるのを我慢した。
村の上空を、レドたちは飛んでいる。こんなに高いところを飛ぶのは、はじめてだ。今日は、はじめてのことばかり起こる。
「あっ、いた! おとーさーん!」
ドロシィが呑気に手を振る先には、たしかに村長が見えた。
村長を含む、村の男たちは、村の入り口にいた。
「ここで見張っていたんだが、どうやって入ったんだ?」
悔しそうに言う村長の足元には、赤黒いローブを焼け焦げさせた、スキル否定派の男たちが折り重なっていた。
ーーすごい。
レド達が遠ざけるだけで精一杯だったスキル否定派を、こんなにできるなんて。
「急いで家に行こう。残りの奴らを掃討する」
「あなた」
「ああ、アンナ。お前には怖い思いをさせてしまったな」
村長が、ドロシィの母親に優しい声をかけると、彼女は微笑んだ。
「いいえ、少し小突かれただけ。ドロシィが守ってくれたから、怖くなかったわ。ありがとうドロシィ」
そうして、ドロシィのことをぎゅっと抱きしめた。
ドロシィは、母の背中に手を回すことを躊躇しているようだった。
「あのね、お母さん。私の炎とお母さんの風。それを利用して助ける方法を考えたのは、レドなんだよ」
「そうなの。とにかくあなたが無事で良かったわドロシィ。あの男たちは、あなたを狙っていたようだったけれど、どうしてなのかしら?」
「さあ、どうしてなんだろう」
その手は、背中に回されることはなかった。
機を見計らって、レドはおずおずと口に出した。
「そ、それじゃあ僕は帰りますね」
「巻き込んですまなかったな。おいスウェン、家まで送ってやれ」
「……」
レドを送ることが嫌なんだろう。いつもはおしゃべりな青年は、嫌々、レドの手を取った。
「レドっ」
必死な声のドロシィに、レドは振り返って笑った。
「また明日、ドロシィ」
「うん。また、明日ね……」