一つだけわかること
まるで、凶暴な獣が、目の前を通り過ぎるのを祈るように。
レドは、体を丸めて、息を殺していた。レドの体では、耳だけがおかしいくらいに働いていて、遠くにいるラーシュのひとりごとを拾っている。
「くそっ、俺は勝たなきゃいけないのに。これじゃあ、レドは倒せても、ドロシィまでは倒せない!」
やっと、ラーシュらしい言葉が聞けて、レドは安心してしまった。そうだ、ラーシュ・ニカルメはそうじゃないと。
レドのことをどこまでも下に見て、馬鹿にする、絶対的強者。冷えていた体が、温かさを取り戻してくる。
大丈夫、レドがラーシュと戦うのは、“選抜大会”の舞台だ。決してここじゃない。
じっとうずくまっていれば、変なことを言ってる、ラーシュっぽくないラーシュは、どこかに行ってくれるはずだ。
ーーそうだよね。
自分を無理に納得させたレドが、軽く頷いた時だった。
「こんなことなら、“剣聖”のスキルなんて持って生まれたくなかった!!」
「…………なんで」
気付けば、レドの足は動いていた。声の聞こえる方へ歩き出していた。
「…………なんで、そんなこと言うのさ」
「レド……」
剣を振るっていたラーシュの目は、見開かれていた。
「お前、俺のひとり言、聞いてたな?」
驚きの表情から一変、ラーシュは、レドのことを怒りの目で見た。レドもまた、ラーシュを精一杯睨みつけた。
ラーシュは、ふ、と笑う。
「ああそうか、俺への対策で森に来たってわけだ。お前を痛めつけてやった“聖剣”、全部持ち帰れば良かったなぁ!」
「……スキルがあるから、君は、僕をいじめることができたのに」
レドがそう言うと、笑っていたラーシュが下を向いた。
低い声が響いた。
「うぜえんだよ、お前」
「いいよ、うざくて。僕の質問に答えてよラーシュ。なんで、あんなこと言ったのさ」
レドの足は震えていた。本当は、今にも逃げ出したかったけれど、まだ、答えを聞いていない。
「君の“剣聖”スキルは、たくさんの人を守れる、すごいスキルなんだよ。神様に愛されてる証拠だし、君のお父さんだって、君がそのスキルを授かったことを、誇りに思ってるはずだ」
レドは、震える足を一歩、踏み出した。
「それを、持って生まれたくなかったなんて、僕は信じられない」
「黙れよ。俺のこと、何にも知らないくせに」
ラーシュは、ゆっくりと顔を上げた。右手で剣を握る。
だけど、握るだけだ。
「お前は良いよなぁ。最初っから何も持っていない。だから期待もされない。ニカルメと、“剣聖”を背負わされた俺の気持ちなんてわかりっこない」
「わからないよ。ラーシュだって、何にも持ってない僕の気持ちなんて、わからないだろ」
「ははっ、そうだな。俺たちは、わかりあえっこねえんだ……」
持っている剣の先を地面につけて、ラーシュは顔を手で覆った。ラーシュの持っている剣は、見た目よりもずっと重そうだった。
だけど、レドは許せなかった。レドが死ぬほど欲しかったものを持っているのに、それをいらないと言ったラーシュが。
レドは、拳を握った。
「でもさ、ラーシュ。僕たちは、ひとつだけ、わかりあってることがあるよね」
「ああ、目を見りゃわかるよ。俺たちは」
「「お互いが大っ嫌いだ」」
いっそ、笑ってしまうくらいに息がぴったりだった。
レドは、ラーシュを指差した。
「僕は、“選抜大会”で君を倒す」
ラーシュもまた、剣先でレドを示す。
「言ってろよ無能のレド。勝つのはこの俺だ」
森の中を歩いている間、ずっと、胸を手で押さえていたと思う。
レドの頬を、優しい風が撫でていく。この風は、いったいどこから来ているのだろう。
「大丈夫だよ。僕は、ラーシュに勝つんだ」
伝わるはずがないけれど、レドはそう言って微笑んだ。だけど風は、困ったようにレドの周りをくるくると回っている。この言葉だと安心できないみたいだ。
それでも、今のレドは、そうやって言うことが精一杯だった。
ぴたりと足を止め、振り返る。
「きっとラーシュも、そう思ってるはずだよ」
わかりあえないことがわかる




