ドロシィの涙
ーードロシィ、ドロシィ、ドロシィ!
走り込みをしておいてよかったと、レドはこの時思った。以前のレドだったら、この時点で疲れていただろうから。
目に見える風は、レドに先行し、ドロシィの居場所を教えてくれる。
「……レド少年は、精霊に好かれているのだな」
隣を、息を切らさずに走るミリアが、読み取れない表情で呟いた。レドは、さっきのことを思い出して疑問に思った。
「ミリアさん、だって、精霊に、好かれてますよね?」
ミリアの金の髪で、精霊は遊んでいた。聞いたことがある。たまに、精霊に好かれる人間がいるのだと。その人間は、莫大な魔力を秘めているのだと。
ーーだから、精霊も、嫌々僕に教えてくれてると思うんだよね……。
精霊は、もともとは神様に付き従うもの。神様からの祝福を受けていないレドが、好かれるはずがない。
だけど、レドはそれを口に出さなかった。ミリアの前では、弱音を言いたくなかったからだ。さっきはみっともない態度をさらしてしまったけれど、レドの一歩を認めてくれたこの人の前では、レドは強くありたかった。
そのミリアは、自分の胸に手を当てていた。
「いや、精霊が好いているのは、私ではないよ。私の育て親の匂いにつられているんだろう……この、形見のネックレスにね」
鎧の下には、常日頃身につけているネックレスがあるのだと、ミリアは教えてくれた。
「その人は、とっても精霊に好かれていた。だから、早く天に行ってしまったのだろう」
「その人のことっ、すごく、好きだったんですね」
「ああ、すまない。感傷に浸っている場合ではないな。私が言いたいのは、レド少年。ドロシィ嬢の場所がわかるのは、君しかいないということだ」
ミリアが、自分の肩に乗っている精霊に手を触れようとすると、精霊はするりとその手を避ける。
「ご覧のとおり、私はハリボテだから、君の護衛をするくらいしか役に立たない。君を本当は、死地に連れて行きたくないのだが、ドロシィ嬢を助けるためには、君が必要だ。それに」
少しだけ、ミリアは表情を暗くした、ように見えた。レドには。
なにせ、ミリアは、喜怒哀楽がわかりにくい。こうして何度か話すうちに、レドはミリアの微妙な表情の変化を覚えていったのだ。
「……私は、ドロシィ嬢に君を会わせてあげたいと、思ってしまった。親しい人間が辛い環境にいる時、そばにいないで後悔するという経験を、君にはさせたくないんだ。さあ急ごうレド少年」
「はいっ」
集会場には、騎士団の全員と、ほとんどの村人が集まっていた。
「この中に、いるの? 敵」
「かもしれないって話だからね」
目をきらめかせるセンディは、時折炎を出しては村人をどよめかせていた。それにエリーズは心の中で舌打ちする。
しゃん、と杖の装飾から出る音を響かせて、ローサがにこりと微笑んだ。センディが時折出す炎にどよめく村人たちを、安心させるように。
「恐れることはありませんよ。我々は、貴方がたを守るためにこちらに派遣されたのです。そこから、一歩も動かなければ。我々は、貴方がたに危害を加えるつもりはありません」
どよめきが静まった。あるのは、統制された沈黙だけ。
エリーズは、さっと、村人たちに目を走らせた。ホレグ・ラツァが、ここに混じっていた場合を想定する。
ーー演技がうまい奴の可能性は?
目を皿にしてみる。どれも、普通の村人に見える。
ーーレド君の情報から察するに、ホレグって奴は寡黙な人間。村人同士の知ってる情報を質問させて、答えられない人間を炙り出すとか?
うん、名案だ。エリーズは、大きく頷いた。さすが私、栄えあるフェイディ家を継ぐに相応しい!
「ねえローサ、名案があるんだけど」
「村人同士に共通する情報を質問させて、答えられなかったらスキル否定派だと決めつけるのは、いささか単純すぎるのでは?」
「うっ」
考えていることをぴたりとあてたローサは、心底。心底、軽蔑しているかのような目を、エリーズに向けた。
なまじ、目だけが出ているので、彼女は目で感情を表現することに長けている。
「あちらも学習をしたはずですよ。あの少年……レドさんに家までの道を聞いてしまったことは、落ち度だったと。一歩間違えば、気付かれる可能性だってあったーーと、なると今度は」
そっと、ローサは、自分の横に控えるセンディの頭を撫でた。柔和な表情を取り戻す。まるで、儀式のようだと、エリーズは密かに思う。
「想定される質問の答えをすべて聞いてから、村人を殺したに違いありません♪」
「……じゃあ、どうやって村人かどうかを証明するわけ? 代替案なんて、ないんでしょ?」
「もちろんありますよ? 簡単なことです」
ぱんっ。
今度は、杖ではなく、手を叩くことで、村人の注意を引くローサ。その微笑みは、まるで慈母。
「これから皆さんには、ご自分のスキルを披露していただきます。ええ、危険なスキルでも結構ですよ? なにせこちらには、騎士団がいますから」
「スキルというのは、何一つとして同じものはない。村人の姿に成り代わったところで、同じスキルを使えるようになるものでもない。つまり、この風の精霊が来たということは、ドロシィ嬢は、生きているということだ。だから、私は君を連れて行く」
レドは、さっきのミリアが、レドを止めようとしたわけを知った。
ーードロシィが、殺され、
殺されてる可能性だって、あったのだ。だけど、風の精霊が来たものだから、ミリアはドロシィが生きていると確信した。
レドは、ドロシィを助けなきゃという思いが先行して、そんなこと、思いつきもしなかった。
ーーやっぱり、大人ってすごいな。
まだまだ、レドは学ばなければならないことが、たくさんある。レドは、拳をぎゅっと握った。
ーーでも、その前に、ドロシィを助けることに集中しなきゃ。
レドができるのは、足手まといにならないことだけ。
「ここって……」
風の精霊が、ぴとりと止まる。
薄々感じていたことだが、予感はぴたりと当たった。人の気配がない村で、それでもなお、もっとも空っぽさが際立つ一軒家。
取り壊されていない家の前には、花が供えられていた。表札には、こう書いてある。
『クーパー』
「なるほど、この家だったら、隠れるのにぴったりだな」
花を踏まないように、ミリアは前に出て、ドアを開けた。素早く辺りを見回し、レドを精霊ごと招き入れる。
家の中は、静まり返っていた。台所と思わしき部屋には、洗っていないコーヒーカップが置いてあった。本棚の本は、何冊か引き出してあって、無造作に机に置かれていた。寝所はぐちゃぐちゃで、大雑把そうなスウェンがどういう生活をしていたか、ありありと想像できた。
「……っ」
突然、レドは吐き気を覚えた。コーヒーカップは洗ってもらえなかったし、本は途中で読まれてそのまんま、シーツは、ずっと整えられない。
“生”が、途中で終わっている。
「早く、ドロシィ嬢を見つけて帰ろうか」
レドの肩に触りながら、ミリアが言う。レドは、やっと頷いた。
「お願い、ドロシィの居場所を教えて」
風の精霊に語りかけると、それは、くるくると回って、整えられていないベッドの下に入っていった。まさか。
「敵がいる可能性もある。下がっていて」
ミリアがそう言い、腰を低く落とす。瞬間、レドの目には、光しか見えなかった。目に焼き付いたのは、銀色の細い直線。それしか見えない。
気がつけば、ベッドは粉々になっていて、その破片を、ミリアは丁寧に剣で弾いていた。
その凄技に感動をする暇もなく、レドは駆け出していた。
「ドロシィ!!」
風の精霊が教えてくれた通りだ。縄で手を縛られ、口に布を噛まされたドロシィが、床に横になっていた。急いで縄を外すと、ドロシィが、目に涙を溜めながら、レドに抱きついた。
「レド、ごめん、ごめんね……」
「どうして謝るのさ。謝る必要なんてないよ。悪いのは、スキル否定派なんだから。それより、頼ってくれて嬉しかったよ」
レドは、自分でもわかるくらい不器用に微笑んだ。もう泣かないと決めていたから。
「もう大丈夫だよ、ドロシィ」
どうしてか、泣き続けるドロシィの背中を、レドはそっと撫でた。小さな小さな背中だった。
ーーああ、僕は。
やっぱり、ドロシィを守りたい。
何もなくても、せめて、ドロシィが泣かない世界を作りたい。それを願うことだけは、神様に許されたい。
そのためにも、僕は。
ーー“選抜大会”で、ラーシュに勝って……優勝、しなくちゃ。




