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BLUE BIRD  作者: 神谷芙美
序章
3/3

[2]

【前回までのあらすじ】

里美「智樹くん、ストレスを与えてしまって、ごめなさい」

翔「俺からも、脅すようなことをして、ごめんなさい」

智樹「そんな! 僕の方こそ同じ質問を繰り返してしまって申し訳ないです」

翔「オッケーオッケー! これでオッケー! これから仲良くやっていこう! な!」

里美「たまに五十嵐さんの、その切り替えの速さが羨ましくなります」


 木の扉が開かれた。


「さあここが、あなたの新しい部屋よ」


 里美(りみ)がそう言って智樹(ともき)を部屋に招き入れる。


 部屋の家具は線対称になるように置かれていた。壁に沿うようにタンスとベッドが置かれ、ベッドの脇に簡易的な机と椅子がある。床はフローリングで、部屋の隅々まで綺麗に掃除されていた。荷物を取りに行っている間に(あきら)が掃除したばかりなのだろう。


 智樹は荷物の入ったビニール袋を抱えたまま恐る恐るベッドに近づいて、布団を触る。与える力に合わせて浮き沈みする感触に、感嘆の声を上げる。


「もしかして、ベッドはじめて? なんか――グエッ」


 (しょう)の声が聞こえたが、直後にカエルのような声がした。

 智樹が振り返ると里美がにこやかに微笑んでいた。その後ろでは晶が横を向いていて、その先では翔が何かをしているのだろう。智樹の位置からでは死角になって見えない。


「一応二人部屋だから、どちらか半分を使ってね」

「あ、はい! ありがとうございます!」


 里美に答えると、智樹は自分が触ったベッドの方を見る。今更ベッドを変えると余計な洗濯物が増えてしまうため、こちらを使うことにした。


「少ししたらまた来るわね。片付けはできるところまででいいから」


 そう言って里美は部屋を出て行った。

 廊下からは、


「いつまで伸びてるんですか」

「団長のせいでしょー」

「ほら仕事してください」

「へぃ」


というなんとも間の抜けた会話が聞こえてきた。


 晶はまだ扉の前に立っていた。

 智樹は何かあるのかと身構えたが、晶は頷いただけで扉を閉めた。少しずつ足音が遠ざかって行ったので、里美たちを追いかけたのだろう。


(不思議な人だな……)


 智樹はそう思った。ビニール袋を足元に下ろしてもう一度部屋を見る。


 なんだかうきうきする。自分の部屋、自分だけのもの。今までになかった自由が一気に手の中に入ってきた。


(うへへへ……)


 智樹は一人で気味の悪い笑みを浮かべた。幸い、誰にも見られなかった。


 大して多くない荷物を移し替えるのに時間はかからなかった。タンスは三段あったが智樹の持ち物は一段で充分だった。ビニール袋はタンスの一番下の段に入れる。


 智樹は机にも引き出しがあることに気づいた。入れるものは特にないが、中は確認しておこうと思って引き出しを引くと、一通の封筒が入っていた。


(なんだ?)


 智樹が首を傾げていると、部屋をノックされた。


「はい!」


 智樹はびっくりして引き出しを勢いよく閉めた。ばん、とかなりの音がしたので、来訪者は急いで扉を開けた。


「……」


 晶だった。相変わらずの無表情でゆっくり智樹に近づいてくる。


「あ、えっと……」


 智樹が横に避けると、晶は先ほど智樹が勢いよく閉めた机の引き出しを触る。そして智樹に向いて両手を差し出してきた。

 智樹は訳が分からずにつられて両手を出すと、晶にがっしりと掴まれた。


「!?」


 智樹は驚いて体が強張った。

 晶が智樹の手の甲や指先を静かに触る。

 智樹はやっと晶の意図がわかった。


「だ、大丈夫です! どこも挟んでません!」


 智樹がそういうと晶は手を放した。晶は心配性なのだろうか。


 そこへ里美がひょこっと顔を出す。


「智樹くん、荷解きは終わったかしら?」

「はい、終わりました」


 里美は満足そうに頷くと、荷解き後だというのに物が一切増えていない部屋を見て、何かを決定したかのようにまた頷いた。


「智樹くん、お買い物に行こうか」

「お買い物……ですか」

「そう、お買い物」


 智樹がぽかんとしていると、里美はスカートのポケットからメモ帳とペンを出して、智樹に質問しながら何やら書き始めた。


「まずは日用品。歯ブラシは持ってる?」

「ないです」


 家では指で歯を磨いていた。


「コップはあるかしら。うがい用の」

「ないです」


 手ですくえばうがいはできる。


「歯磨き粉は?」

「ないです」


 必要ないから。


「櫛はあるかしら」

「ないです」


 手がある。


「……。逆に聞くわ。何を持ってるの?」

「えっと……。着替え……」


 里美は智樹を頭から足先まで見て、メモ帳に何かを書き足す。

 里美は渋ったようにペンでメモ帳を叩いていたが、顔を伺うように智樹を見た。


「嫌だと思ったら嫌だと言ってちょうだい。……タンスの中を見ても?」

「……いや、です」

「そこのお兄さんでも?」


 智樹は晶を見た。晶は相変わらず無表情で智樹を見返した。智樹はそれでもやっぱり首は縦に振れない。


「えっと、ごめんなさい」

「正直で大変よろしい。当然の反応だもの、謝る必要はないわ」


 里美はメモを破り取って晶に渡す。


「私はこのあと用事があるの。だからシ……佐伯晶(さえきあきら)副団長と一緒に買い物に行ってほしいの」


 智樹がぽかんとしていると、里美はにこりと笑った。


「こんな寂しい部屋なんて可哀想じゃない。しばらく住むのだから、過ごしやすくしないとね。お金の心配はいらないわ。こっちが全部持つから」

「え!? それは……」


 智樹が驚いて断ろうとするが、里美に声を被せられる。


「あなたは私たちの保護下にあるのよ。遠慮しないで」


 智樹は頷くしかなかった。




 そういうわけで、晶と町へ出た智樹だが、不安なことが一つ。

 晶と意思疎通の方法だ。


 話せないし、表情も変わらない。そんな人とどうやって一緒に買い物ができようか。


 智樹がちらりと晶を見上げると、晶もこっちを見ていた。

 智樹はびっくりして思わず後退りしそうになったが、晶は智樹の肩を軽く叩いて、ある方向を指差した。


「ついていけば、いいですか?」


 智樹が恐る恐る尋ねると、晶は頷いた。

 晶が歩き始め、智樹は少し後ろからついていく。

 晶は時々振り返って、智樹の位置を確認している。


(マメな人だなあ……)


 智樹はそう思いながら、サイズの合っていない靴でペタペタと付いていく。


 腹刺町(ふくしちょう)の店のどこもが開店時間となり、賑わいはじめていた。


 まず晶がつれてきたのは靴屋だった。出流島でよく見る、経年劣化を体現したような店だ。どこに行っても大抵同じ見た目なので驚く必要はない。

 しかし、彼はちょっと事情が違う。智樹は初めてのお店にドキドキしながらドアを通った。


「らっしゃーせー」


 声は大きいがやる気の感じられない声がした。智樹はびっくりしてその場に固まってしまう。


「わっ」


 突然後ろからどんと蹴り飛ばされて、智樹はその場に手をつく。

 智樹が目線を上げると、緋色の服にごちゃごちゃと金属をつけた格好の女性とフリルの重みで動きが鈍いワンピースを着た女の子が、露骨に嫌悪した表情をしていた。


「うわ、変なの蹴ったかも」

「ママやだー」


 母娘はぶつぶつと何か言いながら店内へ入っていく。

 古くても広い店内ではこれくらい些末ごと。誰も気にも留めない。


 智樹は気が動転して、立つことができなかった。このまま座っていた方がいいんじゃないか、と一瞬思ったが、ここは出入り口。普通に邪魔である。


(とにかく、出よう……)


 智樹は本来の目的も忘れて、腰を抜かしたまま外へ這って行こうとした。

 すると、背後から誰かに両脇を掴まれて、ひょいと持ち上げられた。


「え……ええ!?」


 また驚いた智樹は硬直した。でもすぐに下ろされて、恐る恐る後ろを振り返ると、晶が無表情で立っていた。


 智樹は晶と靴を買いに来ていた事を思い出した。そして勝手なことをしようとした自分を恥じ、自然と俯いていた。


「えと……す、すみません……」


 晶は何も言わず、表情も変えなかったが、智樹の頭を優しく撫でた。子犬や幼子をなだめるかのように。


 智樹が顔を上げると、晶は靴下のコーナーを指差していた。そこに行こうと言っているかのようだった。

 智樹はとにかく何度も頷いて、晶の後ろをついて行った。


 智樹の足のサイズに合った靴下を四足選んだ。無地の靴下を白と紺の二足ずつ。


 次は靴選びだ。智樹は靴下を履いていないので、試し履きはできない。

 サイズの合いそうなものを選び、足の幅を調整しやすい紐靴を選んだ。デザインもシンプルな白ベースに水色のロゴが付いたものにした。


 目的のものは揃ったらしく、晶は智樹に靴の入った箱と靴下を持たせて、財布を取り出す。しかし晶は一瞬動きを止め、智樹をじっと見つめた。

 智樹は訳が分からず、目を逸らせないでいると、晶は買おうとしている靴下の値札に指を置き、左右になぞった。


「えっと……?」


 智樹が首を傾げると、晶は今度は左の手のひらに右の人差し指で横に一本線を引き、親指で何かを弾くような仕草をする。


 智樹はその行動に見覚えがあったが、すぐに思い出せない。


 晶はもう一度値札の、今度は数字をなぞり、また手のひらで人差し指で横に一本線を引き、親指で弾く。


(数字……横線……はじく……)


 沈黙が続いたが、智樹はついに思い出した。


「そろばんですか!?」


 晶は頷いた。正解らしい。

 電卓が主流になってきた昨今、そろばんを使ったことがある人はほとんどおらず、見たことがない人も多くなってきている。無論、智樹もそろばん本体は見たことがないが、昔の写真に写り込んでいたり、話に聞いていたりしていたので、計算に使用されるということは知っていた。

 つまり、晶の言いたかったことはこうなる。


「値段の計算はできるかってことですね。簡単なものであればできます」


 智樹がそう答えると、晶は音を立てないように拍手した。無表情で。


 しかし、ここで一つ疑問が生まれる。なぜ智樹に計算ができるかを尋ねたのか。

 晶はブルーバードの副リーダーである。ある程度の読み書きや計算はできてもおかしくはない。


 ところが、晶は字が書けないことが先の契約書で判明している。字が書けないということは、読めない可能性が大いにある。


 数字を読み上げれば計算はできるのでは? と思ったが、計算結果を伝える手段がないので、どっちにしろ智樹が計算しなければならない。


 智樹は値札を見て、頑張って暗算で足し算をする。四桁を超える暗算はやったことがないので、とにかく時間がかかったが、計算はできた。


「大体、七千くらいですね」


 言った直後に智樹は全身の血の気が引いた。

 高すぎる。こんな高価な買い物は人生で初めてだ。


 智樹は自分の足にこんなにもお金をかけてしまって良いのか、と逡巡しているうちに晶が財布からお札を取り出した。


 晶はそれを智樹に握らせて、レジを指し示す。


 晶が握らせたお札は一枚で一万の取引ができるお金だったが、智樹はそんな立派なお札を持ったのも今日が初めてである。


 智樹は錆びついたロボットのような動きでレジに向かった。話せない晶が行くよりかは幾分かマシだろうだが、初めての高価な買い物を一人でこなすのは緊張する。


 店員は緑色の髪で瞳も同じ緑色の青年だった。気だるげに商品のバーコードを読み取り、かろうじて聞こえる声量で値段を読み上げる。

 智樹は心臓が今にも口から飛び出しそうで、どもりながらも会計を済ませた。


 梱包してもらった商品を持って、晶の元へ戻ると頭を撫でられた。

 わかりやすく褒める方法がこれしかないから撫でているのだろうけど、智樹は何となく恥ずかしかった。



♢♢♢



 晶と智樹が靴やら服やらの買い物をしている頃、里美は腹刺町の役場に来ていた。

 受付カウンター周辺のソファで人を待ちながら読書している。書店の紙製のブックカバーが付いているので何を読んでいるのかは本人しかわからない。わきにはA4サイズのトートバッグが置いてある。


「おー、いたいた」


 里美にそう声を掛けたのは、人の良さそうな青年。夏みかんを思わせる橙色の髪に、絵の具で作ったような水色の瞳を持つ。

 青年は本から顔を上げた里美の服を見て、確信したように頷く。


「やっぱその服目立つね」

「そうかしら?」


 青年に言われて、里美は自分の格好を見下ろす。ピンクのシャツ、紫のネクタイ、水色と黄色のストライプ柄のスカート。里美の「好き」を集めただけである。


「イメージ作りだと思ってくれたらいいわ」

「幼児向け番組のお姉さんみたい」


 直後、里美は本の角で青年を殴ろうとするが、あっさり腕を掴まれて防がれる。


「やる気がないのに、こんな事したら『ブルーバード』のイメージが悪くなっちゃうよ」

「そうなるような事を言う方が悪いと思うけど?」


 二人は一瞬睨み合うが同時に身を引く。里美はトートバッグに本をしまい、A4サイズの茶封筒を取り出す。


「今夜の仕事、ちょっとめんどくさくなるかもしれないのよ」

「へー。シロが少年を連れて歩いてたことに関係ある?」

「どこで見たのよ」

「来る途中」


 里美は内心、食えない野郎だ、と思うが口にはしない。顔には出てるが。

 青年はふわりと笑って知らぬ存ぜぬである。


「会議室を一部屋借りたから、そこで」


 均等に扉が並んだ清潔な廊下の一番奥に二人は入る。

 長机が二つと椅子が四脚、ホワイトボードが一つだけの部屋で、里美と青年は向き合って座る。


 青年は里美から茶封筒を受け取ると中を確認する。いくつかの資料をぺらぺらとめくって目を通す。

 里美は編集者に作品を持ち込んだ作家のような気分で待った。


 青年は眉間に拳をあてて、資料を下ろしながら深いため息を吐いた。


「これ、本当だったら……松野くんまじで危ないじゃん」

「やっぱりそう思う?」


 里美は眉を寄せながら笑った。

 青年はそんな里美を見て、もう一度資料に目線を落とす。


「『メアリー・アン』……これがあの研究に使われているなら、これだけ胡乱(うろん)な言葉で俺たちがやり取りしていても、いつか必ずバレる」


 里美は顔を引き締めた。


「今はシロと一緒にいるんだよね?」

「ええ。智樹くんの生活用品の買い出し中よ」

「二班からも人を出せばよかったかもね」

「……どういうこと?」


 青年の達観したような瞳に戸惑いの色がある。


「ピンチかもしれない」


 そして青年がある住所を言うと、里美は弾かれたように会議室を走って出て行った。里美の座っていた椅子がカタンと倒れる。


「ほんと大事にしてるよね、ちょっと妬いちゃうかも」


 青年は笑顔で見送った。



♢♢♢



 晶と智樹がブルーバードの事務所に帰った時、晶が買い忘れを思い出す。しかし幸いにも近所のコンビニで買える物だったので、買ったものを事務所に置き、二人は一緒にコンビニへ向かった。


 二人が会計を済ませてコンビニの出入り口に近付いたとき、白い仮面と黒いパーカーを着た三人が入店する。一瞬で彼らの得物を確認した晶は、智樹とゆっくり後退して出入り口から遠ざかった。


 三人の得物は折りたたみ式のナイフ。小さいが使う者によっては脅威になりうる。体格がわかりづらいパーカーとくたびれたズボンに、表情が読めない仮面のせいで晶は彼らの力量を測ることができなかった。


 三人のうち一人がレジの店員にナイフを向ける。店員は肩でゆっくりと息をしながら両手をあげる。じっとりと嫌な汗がこめかみを垂れた。


「自動ドアを止めろ」


 機会音の混ざった声が発せられる。誰が言ったのかはわからない。店員はゆっくりと口を開けて、絞り出すように答える。


「電源は、うらに、あります」

「なら行け」


 また誰のものわからない機会音の声が指示を出す。店員にナイフを突きつけていた者とは別の者が、店員について店の奥に入って行った。

 少しして仮面の人だけ戻ってきて、レジ前にいる仲間に頷く。レジ前にいた仲間が自動ドアの鍵を閉めた。


 三人目の仮面の人はレジも開けず、商品棚にさえ目もくれず、店内の隅にいる少女の前に立っていた。少女の見た目はおおよそ10代半ばぐらいで、智樹とほぼ同い年だがいい生活をしているようで、身長も体型も平均くらい。少女は飲料ボトルの冷蔵庫のガラスに背中を当てて、両手を胸の前で組んで震えている。


 少女に仮面の人が手を伸ばした時、彼の頭にコツンと消しゴムが当たる。まだ開封されていない新品だった。

 仮面の人が消しゴムの飛んできた方を見ると、晶がコンビニのレジ袋を左手に、シャープペンシルを右手に持ち、ダーツをするかにように構えていた。


 自動ドアを閉めた仲間が晶に襲いかかるが、あっけなく流されて床に転がる。ナイフもしっかり奪われていた。

 消しゴムを投げられた仮面の人も、晶に組み付こうと走ってくるが、こちらも簡単に転ばされる。晶は二本目のナイフも回収する。


 レジの後ろでその様子を見ていた最後の一人は、カウンターを乗り越えてきた晶に顔面を仮面ごと殴られた。

 仮面は取れなかったが、鼻血らしき赤い液体を仮面の裏から垂らしながら座り込んだ。


 晶は自動ドアの鍵を開けたが、ぽかんとしている智樹にバックヤードに向かうように手で示した。反応がなかったので、智樹は晶に顔の前で手を振られ、肩を叩かれ、脇をくすぐられてやっと動き出した。


「い、今行きます!」


 智樹はバタバタとバックヤードに向かい、さまざまなスイッチが付いた壁の前で震えている店員を発見する。


「もう安全、です。僕の……えっと……仲間? が、強盗を無力化したので、大丈夫です」


 店員は細く息を吐いて、壁に手をついた。


「よ、よかった……。警察への連絡もその仲間が?」

「あ」


 智樹は言葉に詰まった。晶は話せない。連絡できても伝えられるかどうかは別問題だ。


「か、確認してきます」

「じゃあ僕も一緒に戻るよ。怪我を負わされたわけでもないし」


 店員は自動ドアのスイッチを触って、智樹と店内に戻った。


 強盗犯は三人ともぐったりとレジ前に座り込んでいる。

 晶は少女に頭を下げられていた。表情は変わらずに棒立ちしているが、背中から困惑している雰囲気が漂う。


「本当にありがとうございました!」


 少女は顔を上げて智樹を見ると、彼に向かっても頭を下げる。


「あなたも、この方のお連れですよね! ありがとうございました!」

「いや、僕は何もしていない……」


 智樹は少女が黒髪であることに気づいた。しかし目は普通の人と同じ茶色である。


「そうだ! 警察!」


 智樹が思い出した瞬間、コンビニの外に人が降ってきた。自動ドアのガラス越しに見えた、青い光と黄色い光と黒髪。両足でしっかりと着地した里美は、悠然と自動ドアを通って入店する。彼女は光が引きつつある目で店内をぐるり見回した。


「怪我人はいないようね。シロ、強盗は気絶させた?」


 晶は頷いた。


「どのくらいで目覚めそう?」


 晶は目線を逸らした。里美は晶に詰め寄る。


「まさか、殺した?」


 晶は首を横に振った。無表情だが、どことなく焦っている。

 里美はしばらく眉を寄せて睨み、やがて晶から身を離す。


「警察はもうすぐ来る。事情聴取はちゃんと受けること、いいね?」


 晶は頷いた。智樹は晶がどうやって事情聴取を受けるのか気になった。あの汚い字で筆談でもするのだろうか。


 到着した警察官は開口一番、里美に小言を言う。


「困るんだよねえ。我々が来る前に解決されちゃあ。こっちにも面子があるんだよ、メーンーツ!」

「今回は私の仲間が被害者なんです。現場に居合わせたんですよ。これは協力です」


 にこやかに里美がそういうと、中年の巡査はまだ何か言いたそうに口を開きかけるが、彼女の背後に立つ晶を見てさっと顔色が悪くなった。


「と、とりあえず状況を詳しく話せ」

「はい。智樹くん、いいかな」


 晶の後ろでやりとりを見ていた智樹はおずおずと顔を出す。中年の巡査を見て智樹は震え上がった。警察官の威圧感とでもいうのか、顔だけで緊張を与える。


 中年の巡査は眉を上げた。


「こいつ、あれの弟じゃねえか? えーっと、松本!」

「松野ですよ。——松野智也(まつのともや)の弟ですよね」


 中年の巡査の後ろから現れた若い巡査が訂正する。帽子から赤い髪が少し見える。

 中年の巡査は人差し指を彼に向けた。


「そうそれ、って何でここにいるんだ。聴取は?」

「さっき終わりました。もう一人の被害者は雪村実(ゆきむらみのる)さんと言うそうです。後で聴取の内容を共有します。それから人に指を向けないでください」


 若い巡査は中年の巡査の手を押し返して里美たちを見る。


「ブルーバードの皆さんですね。噂はかねがね伺っております」

「これはご丁寧に。ありがとうございます」


 里美が頭を下げる。晶と智樹もそれにならう。


「先ほどの大立ち回り! 感服いたしました! 聴取を受けた彼女も褒めてましたよ」


 若い巡査はさわやかな笑顔でそう言った。里美は肘で晶を小突くと、晶は一礼をする。若い巡査も礼を返した。


「では、我々はこれで! 先輩行きましょうか」

「あ、おい! 勝手にしきろうとするな!」


 若い巡査は敬礼をするといそいそと強盗を乗せたパトカーに乗り込み、中年の巡査は慌てて追いかけた。運転席に座ったのは若い巡査である。

 パトカーが走り出して見えなくなったとき、里美は智樹を見た。


「さっきの巡査、顔だけでも覚えておくといいわよ。私たちといると会う機会が多いから」


 智樹はその言葉の意味がよくわからなかったが、とりあえず頷いた。

 里美は大きく伸びをして息を吐く。


「さて、私たちも帰ろうか。全く仕事にならないのに騒ぎを起こした誰かさんは始末書だからね」


 晶は両手を袖の中に隠して里美の視線を避けた。相変わらず表情は変わらないが、智樹はそんな晶がいたたまれなくてこう言った。


「僕も手伝います。元はと言えば、僕の用事でコンビニに来たわけですし」


 晶が目を輝かせた……ように見えた。実際は彼の茶色い目に変化があったり感情が見えたりしたわけではないが、なんとなく智樹はそう見えた。

 里美は二人の様子を見てつぶやく。


「ずいぶん仲良くなったわね」




 事務所に戻った智樹はシャワーを借りた。着替えがなかったため出かける前にシャワーを浴びることができず、外に出る時は垢まみれだった。さっきまで着ていた服は洗濯機で回っている。


 その間に里美は晶に、昼間、役場に行った時の話をする。晶は静かに聞いた。


 里美は最後に付け足す。


「本人にも気取られないようにね。彼はかなり敏感だから。自分のこととなると特に」


 晶は首を傾げた。里美は少し考えて、首を横に振った。


「それについては大丈夫よ。今は智樹くんのそばにいてあげて」


 里美は壁のコルクボードを見上げる。出流島(いずるじま)の地図と本土の地図が貼られ、島の沿岸沿いと本土の南側に赤い丸が数ヶ所書かれている。その周囲には植物の写真と白い粉の写真。


「いつどこで聞かれているかわからない。細心の注意が必要だわ」


 里美がそう言った直後、部屋のドアがノックされた。里美と晶は同時に向く。


「誰かしら?」


 里美の呼びかけに戸惑ったような声が返ってくる。


「あ、えと、松野智樹です。シャワーいただきました。ありがとうございます」


 里美がドアを開けると、濡れたタオルを首にかけて新品の服を着た智樹が顔を見上げていた。


「わざわざありがとう。さっぱりしたかしら?」

「はい。おかげさまで」


 智樹はぴんと背筋を伸ばして答えた。里美は目を細めると、ドアを全開にして晶を智樹に見せる。


「実はさっき始末書は終わったの。シロがこういうことをするのは何度もあるから、定型文をいくつか作ってあるのよ。手伝うって言ってくれてありがとう」

「あ、いや、そんな……」


 智樹は視線を忙しなくさまよわせながら答えた。


「それじゃあ、僕はこれで失礼します」

「ええ。夕飯ができたら呼ぶわね」

「わかりました」


 ぺこりと礼をして智樹は自室の方へ歩き出す。


 里美は智樹が見えなくなるまで見送り、晶を振り返った。


「読みは当たってる。引き続きお願いね」


 晶は頷いた。




【次回予告】

里美「ついに仕事らしい仕事をしてるところを見てもらえる……かな?」

智樹「あの、僕にも手伝えることはありますか? 何かしていないと落ち着かなくて」

里美「じゃあ、新しく入った子と清掃に行ってもらおうかしら」

智樹「はい! あの……新しく入った子って誰ですか?」

里美「誰だと思う?」

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