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BLUE BIRD  作者: 神谷芙美
序章
2/3

[1]


 思いのほか、苦労はしなかった。


 仕事に疲れた父母が懇々と眠る部屋の前を、難なく通り過ぎることができた。

 今晩は兄が出掛けているので難易度は必然的に下がるのだが、時と場合によっては勘が鋭い父が予期せぬ難所となる。しかし、杞憂だったようだ。


 現在、屋外は真っ暗。ただでさえ街灯の少ない町なので、外の灯りといえば、月か星だ。


 心許ない。


 智樹(ともき)が感じた不安は、玄関を出て直ぐに払拭された。


 涼やかな風と若葉の匂いが、彼の薄黄色の髪を撫で、小さな鼻腔をくすぐる。


 久しぶりの外だ。


 父母にも兄にも許可を取らずに出てしまったが、不思議と後ろめたさは無い。

 罪悪感も、皆無だ。


 自分が外に出ていることがバレたら、兄に何を言われるか。何をされるか。

 考えずとも脳裏に焼き付いている情景と感触。


 智樹はそれらを振り払うように頭を横に振ると、踵が入らない靴に爪先を突っ込んで、夜の町に飛び出した。



 パタパタと、嫌でも靴音が鳴る。

 しょうがない、智樹の靴はこれしか無いのだ。しかし、裸足で町を歩くには危険が多すぎる。背に腹は変えられない。


 智樹は齢十四にして既に外反拇趾(がいはんぼし)の兆しのある足で、夜の町を進む。


 今の暦は五月。出流島(いずるじま)は北緯五十度に位置し、比較的温暖な気候であるが、快晴の夜は冷え込む。

 智樹は生地が薄くなったカーディガンのボタンを閉めて、川の土手を歩く。


 出流島は東西にそれぞれ一つずつ、山が存在する。どちらもほぼ同じ標高で、千メートル程と言われている。

 その山々の上流から水が下り、島の中心から少し南に寄った場所で合流する。そうして更に水嵩(みずかさ)の増した川はそのまま南へ向かい、海に流れていく。


 智樹はその東側の川――裁身川(たつみがわ)に架かる橋の1つに用があった。

 橋自体に用事があるわけでは無い。そこで待つ人物に用事があるのだ。


 智樹は土手の石階段を降りて、橋の下に入る。

 歩道橋くらいの大きさの橋の下は、スプレーの臭いが充満していた。

 鼻をつく、明らかに人体に悪影響を及ぼす臭い。


 口元を当てがうものを持ち合わせていない智樹は、自身の腕で代用した。

 そしてスプレー缶を並べて出来た、半円の囲いの内側に座る少女に声をかける。


「……何してるのっ」


 智樹の細い腕では鼻は覆えても口は少し無理があり、隙間から吸い込んだ空気でむせそうになった。

 声をかけられた少女は智樹を向く。黒いセーラー服に胸元の赤いリボンが映える。赤紫色の髪は頭の高い位置で、二つの団子にしてまとめられている。

 猫のような鋭さのある、彼女の紫色の瞳が月明かりで妖しい光をまとう。


「見ればわかるじゃん。描いてんの」


 黒い無地のバンダナを巻いた口元から、語気の荒い少女の声が発せられた。

 彼女は立ち上がりながら、黒いプリーツスカートの埃を払う。


「ダメだね。時間制限があると焦るから汚い」


 少女は橋の支えとなっている石壁を見ながらぼやく。

 智樹は腕を口に当てたまま少女の視線を追う。


 その先にあったのは、大輪の青い向日葵(ひまわり)

 写実的に描かれ、花弁一つひとつに揺らぎがない。

 萼は深みのある緑が採用されており、夜の暗闇に溶け込み、花弁を引き立てる役割を十分に発揮している。

 しかし、その向日葵はこちらに背を向けていた。


「なんでそっぽ向いてるの」


 智樹の疑問に、少女は考える素振りもなく答える。


「青い向日葵は存在しない。だから、前は向いちゃダメなの」


 少女は向日葵を見つめたまま、まるで自分に言い聞かせるように答えた。

 智樹はしばらく、橋を通過する風を感じながら、向日葵を見つめた。


 少女がスプレー缶の片付けを始めたところで、智樹は本題に入る。


家田(いえだ)さん、僕をここに呼んだ理由、そろそろ教えて」


 家田。そう呼ばれた少女は智樹を見て、


「“幸せ”って、なんだと思う?」


唐突に質問を投げかけた。

 智樹は思わず腕を下ろして素っ頓狂な声を上げた。


「は? 幸せ?」

「うん、“幸せ”」


 家田は至って真面目で、まっすぐに智樹の目を見る。


「松野くんは“幸せ”について、考えたことある?」

「そんなこと言われても……」


 考えたことない。それが智樹の答えだ。

 でも、彼女はきっとそんな回答は求めていない。


「家田さんは、なんだと思うの?」


 智樹は参考までに、と思って質問を返したが、家田は嫌悪感丸出しで智樹を睨んだ。


「バッカじゃないの? 分かんないから聞いてんじゃん。そんな事も理解できないの? 虐待されすぎて脳味噌萎縮してんの?」


 家田の毒に智樹は顔を(しか)めた。

 智樹は一瞬唇を噛み、負けじと荒い語気で吐露した。


「考えた事ない。そもそも幸せの定義なんてあるの?」

「ふーん、やっぱりそうか」


 家田は聞いてきた割には興味がなさそうな反応である。

 智樹は早々に切り上げて家に帰りたかった。自分が外出している事がバレるのは、最早時間の問題だろう。


 家田は全てのスプレー缶をウエストバッグにぐいぐい詰めていく。スプレー缶は確かにバッグに入っているはずなのに、バッグは一向に膨れない。


「用は済んだ? 僕、そろそろ帰らないと」

「何? 門限? んなわけないか。こんな深夜に出歩いといて、門限もクソもないもんな」


 家田の口調が荒れていく。これが本来の彼女らしい。


「もうちょい付き合いなさいよ。見せたいもんがあるの」


 そう言いながら家田は、口元にあったバンダナを首にずらして、土手の急傾斜を軽やかなステップで登った。

 智樹も後に続き、家田と同じように土手を軽い足取りで登る。サイズの全く合ってない靴を履いているとは思えないほどに。


「その髪色は伊達じゃないのね」


 家田は智樹を小馬鹿にするように言った。

 その言い方が智樹の癪に障ったが、口で敵う気がしないので、文句は飲み込んだ。代わりに別のものを口にする。


「見せたいものって?」

「行けばわかる。ついてきな」




 無言で二人は夜の町を歩く。

 智樹は家田の少し後ろを歩いていた。


 月が出ていようが、満天の星だろうが、暗いものは暗い。


 智樹は時々石ころに足を取られる。坂は登れてもサイズの合わない靴では歩きにくい。智樹が転びそうになっていることにいちいち気づく家田は、その都度吹き出している。本人は声を押し殺して平静を装っているようだが、震える肩で否応にもわかる。


 智樹は半白眼で家田を睨む。それを知ってか知らずか、家田は一度も智樹を振り返らない。


 この「常荒(とこさぶ)」と呼ばれるようになってしまった出流島(いずるじま)で、会って間もない人間を背後に連れて夜の町を歩くのは極めて危険な行為であり、自殺行為とも言われる程である。

 それにも関わらず、家田はそれをしている。

 その理由として挙げられるのは、智樹の見た目である。


 智樹の服装は、明らかにみすぼらしい。

 裾がほつれて長さが合っていないハーフパンツ。

 虫食いが見られるシャツ。

 着古されて生地が薄くなった汚いカーディガン。

 靴下は無く、素足で履いている靴から踵が飛び出している。それどころか、爪先の部分に穴が空いて、手入れのされていない爪が見える。


 いくら本島から隔絶され、昔よりも貧しくなった出流島でも、彼のような如何にも “貧乏人” といった風貌の人間にはなかなかお目にかかれない。

 そう言う趣味嗜好を持っているか、他人に強制されているかのどちらかである。智樹は言わずもがな、後者である。


 それに加えて、智樹の痩せ細った腕や足からわかるように、彼には人を殺せる力も技量もない。


 いくら“変色髪者(へんしょくはつしゃ)”と呼ばれる、人間離れをした身体能力を持つ人間であったとしても、一般的な変色髪者との力量の差は歴然である。


 そして、家田の格好も普通とは言い難い。

 白い運動靴に、くるぶし丈の白い靴下。どちらも鮮やかな色の汚れがついている。大方、絵を描いているときに付けただろう汚れだ。

 黒いセーラー服は、この島にある学校のどの制服にも当てはまらない。黒い生地に白いラインが入った制服の学校はあるが、家田の着ているような真っ黒は無い。そして赤いリボンのついた制服はこの島に無い。

 つまり、家田の趣味の衣装となる。

 幸い、家田は智樹と同じ年で、見た目も幼さを残す。近寄り難さは残るものの、違和感は無い。


 本島から移住して来て、前の学校の制服を普段着にしている、と言うのもあり得ない。

 五十年前の事件以来、移住して来た人間は誰も居ないのだから。


 家田の使っていたスプレー缶は傷が少なく、消耗品であっても物は大切にしているようだ。学生の正装として用いられる制服を普段着にしない程度には、彼女はまだマトモである。


「ほらここ」


 家田が智樹を案内した場所。そこは、裁身川(たつみがわ)沿いに下って、五分ぐらいの場所。廃工場のシャッター前。


「見せたいものって……これ?」

「そー」


 シャッターに描かれていたのは、灼熱の青い炎に焼かれる巨大な鳥。少なくとも、智樹にはそう見えた。羽根を広げ、(くちばし)を大きく開け、尾羽が炎と共に上へと伸びている。


「鳥が、燃えてる?」

「バッカじゃないの!? 青い鳥が炎に突っ込んでいって、赤かったはずの炎が、鳥の色に染まったの!」


 智樹は家田を見た。狂人を見るような目で。

 家田の頭に血が上るには十分すぎる条件だった。


「なんだよその目! 言いたい事があるなら言いなさいよ!」

「別にそう言うわけじゃ……」

「そうじゃないなら何なの!?」

「ただ……」


 智樹は家田に気圧されて弱腰になったが、言葉を切ってもう一度絵を見上げる。

 言われてみればそうだ。巨大な鳥が炎の中へと急降下しているようにも見える。

 智樹は家田を半笑いで見た。


「僕に見せて、何がしたいのかなー、と思って」


 家田は黙った。眉間に皺を寄せて、まだ怒りが収まり切っていない状態で、智樹を睨むように見詰めている。

 智樹の半笑いが少し引き攣った時、家田は真顔になった。


「『青い鳥(ブルーバード)』って知ってる?」


「幸せ」について聞いて来た時より、幾分かプレッシャーの無い語気だった。


 智樹には聞き覚えのない言葉だったので、小首を傾げた。


「ブルーバード? 何かの曲?」

「違う。自警団でありながら営利目的で活動する組織の名前。やっぱり、あまり有名じゃないか。団員も少ないって聞くし」


 智樹は家田の言っている意味がよく分からなかった。「ジケイダン……? エイリ……?」と家田に聞こえない程度の小声で繰り返している。


 しかし、それが聞こえたらまた家田に何を言われるか。大方、口癖と思われる「バカじゃないの?」が飛んでくるだろう。


 智樹は口をつぐんで、理解した様子を装って相槌を打つ。もちろん、言ったセリフは「へー、そうなんだ」である。


「この鳥はね、うちが『ブルーバード』の人を見た直後に描いた絵。鳥みたいに空をかなりの速度で飛んで、急降下して行って、その先の建物が破壊されたの」


 家田は手を空に伸ばして、勢いよく地面に振り下ろした。


「不思議と怖くなかった。なぜかわからないけど、この人達なら信じてもいいって、そう思っちゃった」


 家田の絵を見る目は輝いていた。子供のように無邪気に、ヒーローでも見るかの様に。


 智樹が言葉を失っていると、足音が近付いて来た。


 智樹が足音のする方向、つまり左に顔を向けると、ぎょっとした。

 家田は智樹越しに、彼が驚愕している人物を見て首を傾げた。


「誰?」


 家田の問いに、智樹から絞り出すような声で返事があった。


「……兄さん」

「実兄?」

「……うん」


 智樹には家田の声がほとんど聞こえていなかった。これから起こるであろう惨劇に怯懦していたから。


 家田は智樹の異常に気付いていながらも、冷静に智樹の兄を観察する。

 しかし、ここは街灯の無い町。廃工場の立ち並ぶこの場所は、月や星の明かりさえも無いに等しい。

 それぐらい暗い場所。

 数メートル離れてるだけでも、人の顔や身なりなんて、満足に見えるはずがない。


 家田の「眼」が普通ならば。


 家田は自身の猫のような目を見開いた。


 両眼が紫色に発光し、瞳孔が更に膨れる。


「開眼」の合図。


 暗く見通しの悪い視界が一気に開ける。


 家田の前方約五十メートルの景色が、色を伴って浮かび上がった。


「松野くん、逃げた方がいいんじゃない?」


 家田は呟きながら顔を引き攣らせた。智樹の兄が持つ鉈を見て。

 さすがの家田にも勝機は見えなかった。


「逃げれると思ってんのか?」


 智樹の兄が口を開いた。深夜なので呟きも聴こえてしまうらしい。


「まさか」


 家田はにっこり笑うと、智樹の腕を引いて自分の後ろに隠した。

 家田の方が微妙に背が高いので、智樹の全身は彼の兄からは殆ど見えなくなった。


「庇うのか。オモチャが増える分には大歓迎だが、邪魔をするならそうはいかない」


 智樹の兄は鉈を片手で構えた。

 家田はウエストバッグに両手を突っ込んで、一本ずつスプレー缶を抜き出し、上下にシャカシャカと振った。


 智樹は眉を寄せて家田を見る。

 家田はスプレー缶でやり合おうと思っているのか。


「い、いえだ……」


 智樹が家田の服を引っ張った瞬間、智樹の兄が突進して来た。

 人間とは思えないスピード。智樹と同じ色の前髪の隙間から、鋭い目が垣間見えた。


 家田は智樹の兄が足を踏み込んだ瞬間に両手を突き出し、スプレーを撒いた。

 緑と青の煙幕が智樹の兄を直撃した、にも関わらず、突進は止まらず、振り上げられた鉈が、家田の頭上へ一直線に振り下ろされた。


 智樹は思わず両目を瞑って蹲るが、スプレー缶が落下した乾いた音が二本分響いただけで、予想していた衝撃はなかった。


 恐る恐る智樹が目を開け、視界に飛び込んできたのは、家田が両手で鉈の柄を掴んで、刃を顔前で止めている姿。

 家田の顔は苦しそうに歪み、智樹の兄は余裕の笑みを浮かべている。


 智樹の兄が更に力を加えようと、もう片方の手を鉈に添えようとしたが、出来なかった。

 第三者の出現により、その手は掴まれて動けなかったから。


「弱い者いじめかしら? 素敵な趣味を持ってるのね」


 女性的な口調に反して、透明感のある透き通ったソプラノは冷めきっている。


松野智也(まつのともや)さん。貴方の事は、少し調べさせてもらったわ。気になる点がいくつかあったのよ」


 智樹の兄――智也の腕を掴んだ手を微塵も動かさず、黒髪の女性は続ける。


「ギャング団のリーダーが実の弟に暴力を振るい、今晩に至っては、弟の友人にまで手を出そうとした……。これを知った貴方の仲間達はどう思うのでしょう?」


 女性の黄色と青のオッドアイが細められた。智也の深層心理を覗くように。


 智也は鉈を手放し(家田はそのまま鉈を受け取った)、空いた手を握りしめて女性を殴ろうと振り被った。

 刹那、女性は掴んでいた腕を回し、足を引っ掛けて、智也を横転させる。

 智也は受け身が取れず、運悪く頭を地面に直撃させた。


「があっ!」


 彼は強い目眩に襲われ、何か呻いているが起き上がってこない。

 女性は家田から鉈を受け取ると、智也の顔面のすぐ横に勢いよく突き刺した。


 智也は一瞬息を詰まらせた様な悲鳴を上げて、大人しくなった。


 女性は智樹と家田を振り返ると微笑む。


「遅れてごめんなさいね。怪我は無いかしら?」


 智樹と家田はぶんぶんと首を横に振った。


 女性は満足そうに頷くと、彼女の両眼が同時に光った。左が青く、右が黄色く。そう思った瞬間には、女性は廃工場の屋根の上にいた。


「二人には聞きたい事が山ほどあるのだけど、今ちょっと手が離せなくてね。また機会があったらよろしくね」


 女性は首にかけたゴーグルを付けて、黒髪を靡かせて夜闇に消えた。


「凄い……一瞬だった……」


 智樹はゆっくり立ち上がり、女性が飛んで行った方向を見る。

 家田は満面の笑みで智樹を振り返った。


「だっらー! あの人が、『ブルーバード』の団長なんだに! 凄いら!」


 家田は興奮した様子で智樹に詰め寄る。

 智樹は素直に頷いた。そして、地面に転がる兄を見る。


「……連れて帰った方が良いかな?」

「放置でいいよ」


 家田はスプレー缶を回収すると、智樹に手を振って別れた。



♢♢♢



青い鳥(ブルーバード)」の本部は出流島(いずるじま)の北東にある、島の中で最も栄えた町・腹刺町(ふくしちょう)にある。島の各地に密かに拠点を持つ「ブルーバード」だが、本部が1番目立たない場所に設けられている。

 その場所と言うのが、小さなビルの地下である。


 外から見ればただの四階建てのビルだが、一階は簡易的なガレージとなっていて、殆ど物置状態である。ガレージのどこかに地下に続く、もしくは建物内に入れる入り口があるはずだが、それが見当たらない。


 そのビルの前に子供が二人、午前の日を背にして立っている。


「ねえ、本当に合ってるの? 見た目は普通のビルだけど」

「僕だって分かんないよ。少なくとも、この地図はここを指してるし……」


 家田が訝しむように目を細めてビルを見上げ、智樹は手元の携帯型端末機に目を落として唸った。


 智樹の持つ端末機は今朝方、松野家のポストに入っていた物である。

 宛名は松野智樹とされ、差出人と切手の無い袋に入れられた端末機は小さなメッセージカードと一緒に入っていた。


『家田奈々さんと一緒に、この端末機の示す地図の座標に来てください。Blue Bird』


 智樹は困った。

 家田の家を知らない。それどころか連絡先も。


 この端末機の差出人について大体の検討が付いたが、一緒に連れて行くべき人物の所在を知らない。


 大して賢くない頭で捻り出したのは、昨晩の家田の言葉。

 向日葵を満足に描き切れていなかったような、あの発言が気になった。


 智樹は「まさか」とつぶやいた。彼女とは知り合って間もないが、あの家田がこんな単純な人間ではない様に思えた。しかし、他に当てはない。


 智樹は半信半疑で例の橋の下に行き、見つけた。青い向日葵に手を加えている家田を。


「何でいるんだよ!!」


 智樹の心底からの叫び声が朝の川辺に響いた。


 こうして、事情を説明した智樹は家田を連れて、地図上に示されたこのビルの前にやってきた。


「こんなところでうだうだやってても始まんない。入るよ」

「え! ちょっと!」


 迷いのない足でガレージに踏み入る家田の後を智樹が追う。


 ガレージは普通の自動車が二台、前後に駐車できるほどの広さがあるが、駐車されている自動車はなかった。

 金属の棚が三方の壁に並べられ、小物が陳列されている。多くの工具がしっかりと整備・整理されており、持ち主の几帳面さが滲み出ているようだ。

 棚の下には段ボール箱が仕舞い込まれて、ガムテープでしっかり封をされている。そのうち処分でもするのだろうか、「不要品」と書かれた紙が貼ってある箱まである。


 蓋の空いた段ボール箱が五つほど、ガレージの左奥に雑に置かれていた。横倒しになっているものもある。

 智樹と家田は訝しんで、段ボール箱が転がる場所に近付くと、人の頭があった。


「うあっ!」

「ああああっ!」


 智樹と家田が同時に叫んで仰反ると、黒髪の頭は苦笑いした。


「ごめんなさい。驚かせるつもりは無かったのよ?」


 そう言いながら、黒髪の女性はハッチから出て来る。

 二人はその人に見覚えがあった。しかし、服装は昨晩と打って変わって、ピンクのシャツ、水色と黄色のストライプのスカート、紫のネクタイという、なんとも鮮やかなスタイル。


「昨晩は忙しくて名乗れなかったのを許して。私は華村里美(はなむらりみ)。『ブルーバード』の団長よ。よろしくね、奈々ちゃん、智樹くん」


 里美は丁寧に一礼して名乗る。黒い前髪が顔を上げた時に、その異様な両目を際立たせる。

 右の黄。左の青。


 力の保持者の中でも類を見ない、オッドアイ。


「その目……」


 家田は何か言いかけてやめた。里美の眼光の鋭さに口を閉じずにはいられなかった。


「ついてきて。案内するわ」


 里美はさっきの気迫が嘘の様に朗らからに微笑み、ハッチの中へ飛び降りた。


 ハッチの穴は一畳ほど。智樹がハッチを見下ろすと、三メートルほど下で里美が手を振っていた。


 智樹はハッチの縁に一度ぶら下がって、両手をついて着地した。

 ハッチの中は狭い部屋で、人が五人もいれば肩が擦れ合うだろう。ハッチはこの部屋の角の天井に付いていた。


「さすがの身体能力ね」


 里美は満足そうに頷く。

 智樹は礼をしつつ、家田の為に場所をあけた。


 家田はハッチを登る為に壁に埋め込まれた梯子を伝って降りてくる。智樹は初めて梯子の存在を知った。


「こっちよ」


 里美が狭い部屋に付けられた唯一のドアを押し開ける。


 家田が感嘆した。


 そこは広間だった。


 長椅子が長テーブルを挟んで向かい合う様に並べられ、それが六セット。手前に三セット、奥に三セット置かれている。

 里美たちが入ってきたドアの向かい側の壁にも長テーブルが配置され、等間隔に椅子が並べられており、さながらカフェのカウンター席だ。


 地下に作られているので窓はない。

 天井の四箇所につけられた蛍光灯が広間を明るく照らす。


 智樹が右の壁を見ると木の扉があり、今押し開かれた。木の扉から出てきた男に見覚えはない。


 男は里美を見て、智樹と家田を見つめ、その場で黙って会釈した。

 智樹と家田も思わず会釈を返す。


「紹介するわね。彼は佐伯晶(さえきあきら)、『ブルーバード』の副団長よ」


 里美に紹介され、晶はまた会釈する。


 智樹と家田もそれぞれ自己紹介するが、晶は会釈を返すだけで、うんともすんとも言わない。


 訝しんだ家田は口を開いた。


「この人、なんで何も喋んないの?」


 智樹は驚いた顔で家田を見た。


 晶は何も言わずに腕を組んで目を閉じた。

 智樹は家田に何か言いたげに口を開きかけたが、出来なかった。


 里美が答えてしまったから。


「喋らないじゃなくて、喋れないの。機会があったらまた話すわ。今はもっと重要なことがあるからね」


 そういうと、里美は近くの長テーブルに座るよう智樹と家田を促した。


 里美と晶は向かい側に座り、晶はテーブルからノート型端末機を取り出して何やら打ち込み始めた。

 それを見た智樹は自分が持っている携帯型端末機をテーブルの上に出す。


「これ、どうすればいいですか?」

「ああ、ありがとう。貰うわね」


 里美は携帯型端末機を引き取った。


 晶はノート型端末機の画面を智樹、家田、里美に見えるように端に置いた。


「さっそくだけど、二人には私たちの捜査に協力して欲しいの」

「捜査?」


 首を傾げた家田に里美は頷くと端末を指す。


「この地図上に示された場所を知ってるかしら?」


 奥行きのある画面内で赤い点がある場所を指し示している。


「知ってるよ」

「え!」


 家田の発言に智樹が驚いた。家田は彼を無視して里美を見る。


「うちのいる孤児院の奴らがたまに行くとこじゃん。何かあったの?」


 家田の口調はあっけらかんとして、心配している素振りはない。


「ある悪い人にいいように使われちゃってね」

「ふーん」


 里美の返答に家田は興味がないらしい。里美はそのまま視線を横にずらして智樹を見る。


「何か知ってる?」


 智樹はびくりと体を震わせる。目を見開き口を引き結んでいたが、一呼吸置いて質問に答える。


「麻薬の保管庫ですよね。確か『メアリー・アン』という名前で取引されてます」

「入手ルートは?」


 里美の鋭さに気圧されて智樹は思わず口をつぐんだ。その行動をどう捉えたのか、里美は質問を変えた。


「じゃあ、どうしてそこまで知ってる?」


 智樹は口を開かない。視線がテーブルに固定して動かない。


「黙んないでよ、気持ち悪い」


 家田がうんざりしたように言うと、智樹は小さく声を出す。


「入手ルート……知って……ます。それだけじゃない、もっと多くの情報も……。でも、言えません」


 智樹は自分が今立っているのか、座っているのかわからなくなっていた。身体の感覚がなく、意識だけが空気中を漂っている気分でひどい眩暈に襲われていた。

 顔の表面が熱い。でも耳だけは異様に冷たい。その感覚が智樹をさらに緊張させ焦らせる。


 彼が強く目を閉じたその時。


「取引しようか」


 里美の明るい声がした。

 智樹は彼女の顔を見て、数回瞬きをした。


「智樹くんは私達に情報を売る。私達は智樹くんに降りかかるであろう脅威から守る。これでいい?」


 里美は微笑んでいるが、目の威圧感が凄まじい。

 智樹はなんとか口を動かして質問する。


「どうして、僕を守ろうとするの? 別に僕を守らずとも、お金を払えば取引は成立するはずです」

「じゃあ智樹くんは、自分で対処できるのね」

「え?」


 里美は両手を組んで、智樹を見つめる。


「いいわよ。これは情報の売買。互いが利益になることだけ考えればいいの。貴方が私たちに渡そうとしている情報は、当事者にとって他所へ流れてはいけないもの。何らかのタイミングでこの情報が私たちの元へどのように漏れたか、向こうの誰かに気づかれた場合、貴方の命は確実に無いわ。貴方の持つものがあまりにも大きすぎるのよ。だから私は情報と引き換えに『身の安全』を保証する事を条件にした。でもそれは貴方にとって必要のないものだったようね」


 捲し立てた直後、里美の視線が鋭利な刃物に変わる。


「智樹くんは私たちより強いのね。家族に虐げられる弱者のふりは、そんなに楽しいかしら」


 智樹は床にひっくり返っていた。背もたれのない椅子に踵を乗せたまま、思考するために、生き延びるために、心臓を拍動させ、酸素を取り込み、脳に血を回す。


「……っ!」


 突如、額に乗った感触。優しさのある重みだった。


 智樹の歪んだ視界が正常な景色を見せた時、黒髪の青年が覗き込んでいた。

 彼の名は佐伯晶(さえきあきら)、ブルーバードの副団長。彼の大きな手が智樹の額をおさえている。


「あ……あの」


 晶の掌が智樹の額を優しく叩いた。


 不思議と、全身の力が抜けた。呼吸が深く遅くなり、心臓の拍動も元の速さに戻るのがわかる。

 智樹が落ち着きを取り戻すと背中の痛みがじわじわと伝わってきた。


 晶は無表情で一息吐くと、智樹の腕を引いて椅子に座らせる。ぽんと智樹の頭を撫でて里美に目配せした。

 智樹はそれにつられて里美を見ると、彼女は頬に手を当てて困惑しているようだった。


「ごめんなさい。かなり緊張させてしまったみたいね」

「い、いえ、そんな」


 智樹が頭を横に振ると、里美は困ったように笑った。


「喉から手が出るほど欲しいものが目の前にあるのに、なかなか手に入らなくて、ちょっと……いいえ、かなり苛立っていたわ。私もまだ青二才だわ」


 ごめんなさい、と謝る里美はさっきまでの気迫はなく、背伸びが疲れた少女のように見える。

 里美は異様な髪色と瞳を持つ故に、智樹は彼女に浮世離れした印象を持っていたが、この姿を見れば、自分の義務感や責任感で背伸びせざるを得ない哀れな少女のようだった。


「智樹くん、情報の件はどうしようか。売る気がないなら構わないわ。難しくなるだろうけど入手できないわけじゃない。報酬も気に入らないなら、お金でもいいのよ」


 里美の声は先程までと打って変わって威圧感や緊張感はなく、優しく心地よい声になっていた。

 智樹は安堵して冷静に状況を見れるようになってきた。


「その前に、人払いをした方がいいと思います」


 智樹がちらりと家田を見ると、彼女は睨み返す。

 里美は頷いた。


「それもそうね。奈々ちゃんの用はもう済んだし。シロ、奈々ちゃんを送ってあげて」


 シロと呼ばれた晶が頷くや否や、家田はテーブルを叩いて立ち上がった。


「バッカじゃないの!? うちはこれでも十四! 一人で帰れるわ!」


 怒鳴る家田に里美は首を横に振った。


「そう言う意味じゃないわ。ガレージには今上がれないからよ。車があるからね」


 そう言うと続いて、木の扉を指差した。


「こっちの扉から出てもらうのだけど、この扉の先は腹刺町(ふくしちょう)じゃなくて、歯曲町(しきょくちょう)なの。このビル、変な土地に無理やり建てられたものだから、地下は変に入り組んでるのよ。慣れない人は必ず迷子になるの」


 歯曲町とは腹刺町の隣町である。「ブルーバード」の事務所は丁度、町の境目に建てられているようだ。


「……そういうことなら」


 家田は口を尖らせて承諾した。怒りの沸点は低いが、聞き分けはあるようだ。


「シロ、お願いね」

「……」


 シロこと晶は無表情で頷き、木の扉を開けて家田を待つ。家田は「それじゃ」と言って扉を通り、晶も続き、閉めた。

 それを見計らったように、ガレージに繋がるドアが開かれる。


「やーやー。随分冷静になれたねえ、少年。うちの団長怖くてごめんなさいね〜」

「五十嵐さん……」


 間の抜ける声で入ってきたのは金髪の男性。黒いレザージャケットに茶色のパンツ、茶色のブーツを履いている。

 里美は彼を横目で呆れたように見た。


「早く帰ってくるなら言ってください。こちらで集められるものも集めきれていないと言うのに」

「悪いね。丁度近くまで来てたから、ついで」

「それとこれとは別問題です」

「まあまあそう言わずに。聞き出す現場に立ち会えるなら、伝える手間が省ける。楽してこうぜ!」


 楽しそうに笑う男と呆れて無表情になった里美が実に対照的だ。男の人懐っこい印象を受ける顔のおかげで、不思議と嫌な気になれない。

 智樹はとりあえず、この不思議な人物が気になった。


「あの……この人は?」

「ああごめんなさい、紹介するわ。この人は……」


 男が里美の頭を押さえて言葉を切らせた。


「オレは五十嵐翔(いがらししょう)。ブルーバードの諜報員だと思ってくれればいいよ」

「そ、そうですか……」


 智樹は「ちょうほういん」がわからなかったが、とりあえず相槌は打った。しかし心中が行動に現れ、頷かれるはずの首が傾いた。

 諜報員を自ら名乗るだけあって、翔は智樹の反応に気づき、こう続ける。


「ほとんど団長らの調査の手伝いだな。情報収集とか。たまにちょっと危険なこともするよ」


 智樹はびくりと体を震わせて頷いた。自分が理解していなかったことを的確に捕捉されたことに驚いた。


 里美は容赦なく翔の手を叩き落とした。

 翔が大袈裟に痛がってるが一瞥もせず、智樹に向いた。


「貴方から情報を買った方が楽だけど、彼でも簡単に集めて来れるわ」


 智樹は少しずつ頭が回るようになってきた。翔のことはまだ信じ切れないが、あの団長と親しげにしている様子から、少なくとも疑わなくとも良さそうである。それに部外者である智樹に自分の役職を明かした。単純なミスか罠かは智樹には判断できなかった。

 だからと言って、まだ情報を話す気になれない。まだ聞いておきたいことがある。


「あの、情報を渡した後の僕の身の安全を保証する、と言うのが交換条件に挙げていましたよね?」


 里美は頷いた。

 智樹は心臓の拍動を耳元で聞きながら尋ねる。


「それって具体的に何が起こるのでしょうか」


 里美はテーブルにもたれ気味だった体を引いた。自分は話さないと言う意思表示にも見える。


 だから、答えたのは翔である。


「命に関わる、とだけ言っておこうか」


 智樹は全身からサッと血の気が引いた。心のどこかで予感していたことだが、やはりはっきり言われると現実味を帯びる。


 翔は慰めも励ましもせず、事実を述べていく。


「確証はないから、なんとも言えないけど、少なくとも『メアリー・アン』は外部に漏れちゃいけない方法で、製造・入手・販売されていると言うことだ。しかもそれが漏れるとすぐに元が特定できるほど、特異なのだろう。たった一個の情報から数珠繋ぎでその他の情報も掘り出され、特定に至るって言うのはよくある話さ。麻薬は多くの組織が関わる。君の持つ情報一個で、一体どれだけの犯罪者が掘り出されるか……。それだけでもわくわくするが、情報の漏れは向こうも察知する。漏れた原因は徹底的に潰さなければならないし、流れも切らなければならない。それに君はもう、情報を持っている事を『ブルーバード(オレたち)』に知られている」


 翔はここで言葉を区切り、テーブルを周って智樹の前に手を置いた。


「脅迫するような真似をしてごめんよ。――でも、事件に一切関与していない君が持っていないはずの情報を持っているんだ。この時点で向こうに粗があるのは分かり切ってる。オレにとっては相手の弱点が露呈しているも同然だ。向こうが君に気づくより前に、オレたちに守られていた方が、今よりよっぽどか安全だと思うよ?」


 智樹は錆びたロボットのような動きで翔を見上げた。

 翔は優しく微笑んだ。彼の金髪は線が細く、太陽に透かせばもっと輝くに違いない。瞳は陽麓(ようろく)の国の人なら誰でも持っている、智樹と同じ茶色の目。でも、彼の目には智樹にはない力がある。こんな状況でなければ、相手が男であることも忘れて見惚れていただろう。


 それにこの話は一度里美から受けている。智樹が彼女から話を聞いた時はプレッシャーに負けて、当時まともに聞いていなかったことを思い知る。


「わ、わかりました。条件を飲みます」

「よろしい」


 智樹の判断に里美は満足そうに頷いた。




 智樹の話を聞いて、里美は眉間に皺を寄せ、翔は笑顔だった。話の途中で戻ってきた晶は無表情で茶を淹れている。


「想像以上だわ」


 里美はテーブルに散らばったメモを手に取る。顔を顰めて自分の文字を目で追っていった。

 対して翔は目を輝かせて智樹を見ている。


「こんだけの情報、よくバレなかったな! 君、オレの元で働かないか? 素質あるよ」

「勧誘活動は後にして」


 里美がぴしゃりと翔に言うと、晶から一枚の書類を受け取る。里美はざっと目を通すと、ペンで自分の名前を書いて翔の前に置いた。


「智樹くんの話してくれた情報を無関係の人間に口外しないことと、彼を私たちの保護下に置くことの同意書よ」

「はいはい。契約はこの島の大好物でしたね」


 翔はしぶしぶと言うが、名前を書く手は楽しそうである。

 翔が書き終わると次は晶が書いた。そして、智樹の前に置く。


「ここに書けばいいですか?」

「そうよ」


 渡された書類を見ると、里美の丸っぽい字と翔の達筆な字と並んで、ぐしゃぐしゃになった何かが書かれていた。字なのだろうが、幾つもの文字が重なっているようにも見えなくない。

 

(えっ……副団長さんの? この字……)


 智樹は一瞬聞きそうになったが、さすがにやめておく。今度こそ触れてはいけないことのようにも思えたから。

 

 智樹はミミズの踊ったような字で「まつのともき」と書いた。

 回収した書類を見て里美は何も言わず、静かに三つ折りにして茶封筒に入れ、しっかり封をする。


 里美はメモ用紙と封筒をまとめて机をトンと叩くと同時に「さて」と切り出す。


「智樹くんは今日からここに住んでもらうわね。親御さんにはこちらからうまく言っておくわ」

「え!? 今日からですか?」


 智樹が口をあんぐりと開けて目を瞬かせる。

 里美はにっこり微笑んだ。


「善は急げよ。今から荷物を取りに行きましょう。親御さんはいつ家に帰るかしら」

「夕方頃です」

「その間に引っ越しを終わらせましょう」


 晶に智樹の使う部屋の掃除を頼み、里美と智樹は翔の愛車に乗り込んだ。


 智樹は走り行く景色を見ながら、この奇妙な出会いと新しい生活が、自分にとっての幸せを見つける大いなる一歩であることを願った。



♢♢♢



 ゴーグルを顔に付け、黒髪をうなじで一つに纏めた女性は、夜空を駆けていた。

 白い長袖シャツの裾を黒いカーゴパンツの中に入れ、黒いスニーカーで屋根と屋根を軽いステップで踏み越えていく。


 眼下に目的地を見つけ、その付近で手を挙げた仲間の側に降り立つ。


「遅れてごめんね」


 女性はゴーグルを頭に上げ、青と黄色のオッドアイの瞳を露わにする。

 仲間の男性は頷いただけだった。彼も黒髪で、瞳は茶色だ。


 女性は男性から黒い弓袋を貰って、取り出したのは弓ではなく、細長い鉄の棒。

 袋は数回折って紐で固定し、カーゴパンツの腿のポケットに入れる。


 男性は立て掛けておいた大刀を持った。


 二人の現在地は、裁身川(たつみがわ)より南に位置する、住宅街の一角。木造の家が建ち並び、最近空き家が増えた地域。

 空き家が増えるとギャング団の溜まり場になりやすい。


 出流島(いずるじま)は治安が良く無い。その一つの原因として挙げられるのは、ギャング団が多いと言う事。


 警察はいるが、あまりあてにできない。

 法律は五十年前の事件以来、この島ではあまり意味のないものになってしまった。本土に行かない限り、正しい罰は下されないからだ。

 よって、軽度の無法地帯と化す。


 それを武力行使で鎮圧を図るのが、「青い鳥(ブルーバード)」と呼ばれる、自警団を自称する組織。知名度はあまりないが、知る人ぞ知る一団である。


 今回の依頼主は出流島のある町の町長。

 毎晩空き家で騒ぐギャング団を追っ払って欲しい、とのこと。


 ブルーバードの団長である華村里美(はなむらりみ)は、ゴーグルを目に付ける。


「情報照会と行きましょうか」


 そう里美が言った相手は、ブルーバードの副団長である佐伯晶(さえきあきら)。彼は無表情で頷いた。


 それを見た里美は満足げに頷き返すと、空き家に目を向けた。


 彼女のオッドアイの両目が見開かれる。


 両眼が黄色と青色にそれぞれ発光し、瞳孔が更に膨れる。


「開眼」の合図。


 景色が色を伴って浮かびあがった。


「元々撤去予定の建物よ。存分に『破壊』していいわ」


 言うが早いか、動くが早いか。


 里美が言い終わるのとほぼ同時に晶の両目が見開かれる。


 平凡な茶色の両眼が赤色に変わり、攻撃的に発光する。


「開眼」の合図。


 片手が動き、空き家の扉が破壊された。


 轟音が夜の町に響く。


「もう少し静かに……まあ、いっか」


 里美は晶を注意するのを諦め、土足で土間に上がる。


「ごめんくださーい」


 里美が間延びした挨拶をした同時に、五人の若者が出てくる。


「今からここを鎮圧します。怪我したくない方は、外で待機願います」


 里美は鉄の棒を薙刀の様に腰で構え、不敵に笑う。

 それは若い彼らを逆上させるには十分だった。


「ウォオリャア!」


 大柄な少年が雄叫びを上げて里美に殴り掛かろうとして、里美の鉄の棒が彼の首に直撃した。

 少年は咳き込みながら膝を付き、後頭部に追い討ちを受けて気絶した。


「な、なんなんだよアンタら! 急に来てチンアツとか!」


 虚勢を張る少年に、里美は鉄の棒で肩を叩きながら答える。


「『ブルーバード』って言っても分からないわね。この町の『お偉いさん』からお金を貰って、あなたたちを懲らしめに来ました……って言えば分かるかしら?」

「知るかよ!」


 虚勢を張っていた少年とは別の少年が飛び出してきたが、里美に呆気なく腹を一突きされて、気絶した少年の横に膝をついた


 これで残るは三人。

 戦意を喪失してその場に座り込んだ少年と、悔しそうに拳を握る少年、茫然自失して立ち尽す少年。


 圧倒的な力の前に、敗北した。


「何で、ここに居ちゃダメなの?」


 座り込む少年が悲しそうな声で里美に尋ねた。

 里美は静かに少年の前に進み出て、片膝を付いて目線を合わせる。


「別に、貴方達の居場所を奪おうって思って来たわけじゃないわ。ただ、ここに集まる事をやめて欲しかったの。この家の元家主のご家族が契約を解消して、正式に取り壊しが決まったわ。でも、貴方達が居るせいで作業に移行できなかったのよ。この『集会所』は無くなるけど、貴方達が互いに信頼しているなら、またいつでも会えるわ……なんて、綺麗事かしら」


 里美は苦笑いを浮かべた。

 少年は顔を顰めたが、嫌な気はしなかったのか、大人しく頷いた。


 気絶した少年を一人がおんぶし、腹を突かれた少年は二人に肩を持たれて外に出る。


 里美も出て、ずっと外で待機していた晶に目配せする。


 晶は、必要なかったな、とでも言いたげに大刀を地面に突き立てた。瞳も茶色に戻っている。


 里美は晶の反応に呆れたように息を吐くと、少年達に目を向ける。


「これで全員?」


 空き家に他に人が居ないことを確認する。

 四人の少年が頷いた。


「あ、そうそう。一個聞きたい事が」


 帰ろうとした少年達を里美は引き留めた。


「貴方達のリーダー、弟がいるのは知ってる?」


 四人の少年は頷いた。


「その弟を虐待していたと言う事は知ってるかしら?」


 里美の言葉で少年たちは驚愕した。


 里美は彼らの反応に、自分の中の推測が確信に変わりつつあった。


「あの人がそんな事するわけないっ」


 おんぶしている少年が言った。かなり驚いたのだろう、語尾が裏返っている。


「リーダーは家族思いの人だよ! 特に弟さんは可愛がってる様子だった。自分がギャングやってる事を知られたくないからあまりここには来なかったけど、来る度に家族の事を話してた!」


 必死な反論。しかし、里美は動じない。

 晶は飽きたのか、月を見上げている。


 里美は静かに口を開く。


「他には?」

「え?」

「家族以外に君達に話した事はある?」

「ない……けど……」


 少年達は顔を見合わせた。本当に、家族の事以外話していないようだ。


「酷な事を言うけど、貴方達への信用はその程度だった、てことよ」


 少年達は純粋すぎた。言葉が巧みでなくとも簡単に丸め込まれてしまう程度には。二名ほど里美に殴りかかってきたが、それは恐怖心の反動にすぎない。自分の居場所を守ろうと必死だっただけ。


「貴方達のリーダーは、ここに来て何をしていたの?」


 少年達は沈黙した。ショックから抜け出せていない様子だ。

 里美は何も言わずにしばらく待ち、もう一度同じ質問を繰り返す。


 すると、肩を貸してもらっている少年が口を開いた。


「……分からない。二階で何かしてたみたいだけど、俺たち鍵持ってないから、入れなくて」


 里美が礼を言って、そのまま少年達に帰るよう促すと、彼らは何も言わずに帰っていった。


 里美はゴーグルを首にかけ、玄関がぱっくりと破壊された空き家を見上げた。


「シロ、今回はかなり厄介よ」


 晶のことを「シロ」と呼ぶのは里美以外にいない。


「取り壊す前に、調べなきゃ」




 土足で空き家の階段を上がると、木の扉が目の前にあった。南京錠で封鎖されている。


 里美は南京錠を鉄の棒で殴って壊し、中に入る。


 畳の部屋が三部屋続きであった。


 (外観の割に、部屋が小さい)


 そう思った里美は部屋の中でも特に怪しい襖の前に立つ。その時晶が二階に上がってきた。


 襖には無いはずの鍵穴が付いている。後から取り付けたらしく、ずいぶん歪んでいる。


 こちらもしっかり鍵がかけられていたので、また壊す。元々歪んでいたので、南京錠より簡単に壊れた。


 里美は襖を引き開ける。


 そこは暗い部屋だった。

 窓のない部屋に所狭しと木箱が並び、積み上げられている。


 里美は一つの蓋開いた箱に近付いて中を見る。

 何かの植物が真空包装されて詰められている。それがぎっしり詰め込まれていた。


 違法薬物。

 里美たちが探していたものだ。


「シロ」


 里美は晶を振り返る。


「彼の情報は間違いないわ。……恐ろしいほどにね」


 晶は顔を険しくした、と言ってもほんの少し眉が動いただけなので、付き合いが長い者でないとその変化に気づけないほどだ。


「今以上に警戒を強めましょう。シロはしばらく彼と一緒にいてちょうだい」


 晶は頷いた。里美はさらに考えを巡らせる。


「それから、俊介にもこの事を伝えて……。二班にも注意を促す必要があるわね。

 ……まずいわ。このままだと事態が収拾つかなくなる」


 暫く考え込んだ里美は判断を下す。


「町長に連絡後、ここは封鎖する。箱は全て押収して、一旦うちで預からせてもらいましょう」




【次回予告】

里美「次回はお出かけ回ね」

智樹「そうなんですか?」

里美「あなたとシロに、おつかいに行ってもらおうかと思って」

智樹「僕もですか」

里美「そうよ。守る人がいないからね」

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