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ケモ耳ヒーラーは尻尾をモフモフされてます(仮)

作者: 西院玲璽

新作の試し書き。

登場人物


シャルディムディム

 主人公。小柄な獣人の少年。銀髪灰眼。身の丈程の飾太刀を操る。

パーティーのお色気要員その2

魔道士:回復役。呪符やお守りを触媒とする結界術を使って予防回復(ダメージ遮断)を行う。結界とは系統の異なる『符術』も使う。

仙狐四陣:呪符を依代として四体の霊獣である仙狐を召喚する。


メルティナ

 ヒロイン。人間の女性。旗槍を振るう。琥珀色の長髪に淡い翠玉の瞳。

 パーティーのお色気要員その1

 巡礼者:魔法職。祈りを捧げ神楽を舞い、世界の根源たる力、アニマを収斂させて神威を降ろす。


アルフォリア

 双剣使いの女性。

 魔剣士:攻撃職。宝珠を嵌め込んだ宝剣を触媒にして術式を操る。


パレンシア

 有角人の女性。

 召喚術師:魔法職。実体を持たない幻獣を術式で実体化させて使役する。

 召喚獣:五頭の赤竜。蛇の胴体に一対の翼と二股の尻尾を持つ。


レイドロス

 右腕が義手の青年。盾役。銃と剣の合わさった『バレットブレード』を操る。

 機工師:機巧武器を操り闘う。

 バレットブレード:撃鉄で弾丸を炸裂させ、刀身に《電撃》や《爆炎》の術式を打ち込み、斬り付ける事で敵に食らわせる。



プロローグ



闇夜を照らす三日月。美しい風紋を描く黄砂の大地を優しく照らす。

狭隘な岩石砂漠に隠れるようにして作られた都市、首都フィサルク。

赤銅色の岩盤から切り出した石材を、正方形に組み上げた建築様式の建物が軒を連ねていた。

 表通りに面した宿屋、その一室。一人の小柄な少年が薄手の寝間着姿の乙女を三人、一つのベッドに侍らせる。

 その少年、シャルディムは獣人。耳元で切り揃えた銀髪の頭頂からは狐の耳を伸ばし、麗しい白銀の長い和毛に覆われた尻尾を生やす。

 シャルディムの右手に腰掛けるのは、琥珀色の長髪に白雪のような肌で華奢な肢体の女性、メルティナ。大きく空いた長衣の胸元からたわわに実った乳房が覗き、煽情的だ。

 白魚のような細指を、ねっとりと這わせる。

「……、………っ」

 感じ入る桃色の吐息を漏らすまいと、奥歯を噛み締め口を引き結ぶ。

「フフ♪ 気持ちよさそうね」

 頬を上気させ、嫣然と笑うのは灰銀の長髪を垂らす有角人の女性、パレンシア。肩紐で吊るされた寝間着は丈が膝上。明かりに照らされる肉感豊かな四肢が眩しい。

「………うるさい」

 枕元で身体をくねらせ、妖艶な雰囲気を醸し出す彼女に頬を染めた少年は悪態を付く。

「あら、反抗的な態度。フフ♪」

 目を細め、笑みを零す彼女は相変わらずの調子だ。その余裕、どう崩してやろうか。

 シャルディムは頭の中でそんな事を密かに考える。

「……………」

 そして最後の一人、朱の差す亜麻色の短髪の女性はアルフォリア。膝丈の寝衣に身を包む彼女はシャルディムの左手に腰掛け、顔を赤らめおずおずとしおらしい。

「何を遠慮してるのよ?」

「いや、私は――」

「ホラ、もっとくっついて」

「ちょっ――」

 パレンシアにけしかけられ、程好く引き締まった身体をシャルディムの背中にぴったりとくっつける。赤らむ顔が耳まで茹で上がる。

 夜の静寂の中。時折、恍惚の滲んだ甘い吐息が三人の乙女たちから零れる。

「………ぁ―――っ」

 目をぎゅっと瞑り、込み上げる悦楽に身体がピクンと跳ね上がる。押し殺した吐息が少年の口から洩れる。

「フフ♪ 本当に気持ちいわね、アンタの尻尾♪」

 長い和毛を両手で撫で回しながら、嫣然と目を細めるパレンシア。

「うる、さ―――ぁああっ」

 メルティナに尻尾の根元を撫で上げられ、思わず喘ぎ声を漏らした。

 その様子が余程おかしいのか、パレンシアは口元に手を宛がいクスクスと笑みを零す。

「わら、うっ な………」

 尻尾の先端を指先でくすぐるアルフォリアの攻めに耐えながら、目に涙を溜めて睨み付ける。が、それは彼女の喜色を深めるだけで掣肘に寄与しない。

「こんな面白いことに笑わないで、いつ笑うのよ?」

「く………っ」

 身体から込み上げる愉悦に苛まれ、上手く考えが纏まらない。

性感帯である尻尾を三人掛かりで撫で回される責め苦。快楽で千切れそうな理性を必死で繋ぎ止めている最中、反論などできよう筈もなかった。

ただ今、尻尾モフモフの刑(×三)三日目。一週間の刑期が一年よりも永く感じられる。

「ねえ、シャル。ココ、気持ちいいんですよね♪」

 白魚の指先を這わすのは尻尾の裏側。凄く弱い。本当にヤバいくらいに。

「へえ、いいこと聞いちゃった♪」

 悪辣に笑うパレンシアが便乗した。

「………ッ! やめ――」

 我慢できない。力一杯両手で口元を押さえ、限界まで両膝をくっ付けて耐え忍ぶ。

 尻尾から込み上げる快楽が脳内で激しく暴れる。

いっそ、衝動のままに快楽を解き放つ事ができればどんなに楽か。

だが、シャルディムにも男としての矜持があった。奔放な性欲の解放を良しとはせず、一人の女性にのみに貞操を委ねる事を身上とする。そんな矜持が。

(ううううううう………っ)

 全身に力を込め頭の中で肥大化する性欲に必死で抗いながら、疑問を自らに問う。

 どうしてこうなった?

 事の発端は確かそう、二週間前。依頼された素材を求め、砂漠を行軍していた時にまで遡る。



砂漠の巨蠍


 静寂。砂を噛む駱駝の蹄音も砂礫に吸われて響かない。

 砂丘連なる黄砂の大地を、駱駝に跨る一団が進む。彼らを見下ろす蒼穹は目にも眩く、ひたすら青い。

 白熱した太陽が燦然と輝き、容赦なく降り注ぐ殺人光線。砂がそれを反射し、ジリジリと下からも熱と光が焦がしに来るから厄介だ。

 視界の先に広がる青と黄の地平。その先には透明な陽炎が妖しく揺らめく。

 時折、微笑む音鳴りの熱風が黄砂を纏って艶めかしく絡み付く。

シャルディムは赤鬼の半面越しに目を細め、マフラーに口元を埋めターバンから出した耳を押し下げてやり過ごす。

 しかし抵抗虚しく、侵入を許した砂はじっとりと汗ばむ肌にこびり付く。

 拭おうにも頭のターバンは勿論、純白の狩衣や紫紺の袴、背中に差した身の丈程の鞘にまで砂塵が降り積もっているので意味がない。

 鬱陶しい。思わず顔を顰めた。

「…………」

 顔や首筋なら、まだいい。問題は尻尾。フサフサと長い銀の和毛の奥に入り込んだ砂粒が、どうしようもないほど不快感を掻き立てる。

 意を決し強く降ってみた。落ちない。異物味が激しくて思わず身を捩った。

「くっ………」

「どうかしたんですか?」

 気遣わし気な声を掛けるのはメルティナ。しかし尻尾を持たぬ彼女に、この苦しみは解るまい。だから、

「別に。何でもない………」

 澄まし顔でそっぽを向きながら強がった。

 口を開けば乾いた空気が水分を奪うので、迂闊な発言は憚られる。

 だから自然と口数は少なく、灼熱の大地を無言の行軍。

 しかし沈黙に耐え兼ね、一人の女性が焦れて口を開く。

「ねえ、まだ着かないの?」

 シャルディムに尋ねるのは、法衣姿のパレンシア。目深に被った灰色のフードの下で苛立ちに顔を顰める。口にする台詞もどこか剣呑だ。

 いい加減、ウンザリする。方向感覚を狂わす程代り映えの無い景色に対し、忌々し気に吐き棄てる。

「場所にはもう着いてるよ、場所には。後は、あっちから出て来るのを待つしかないよ」

 ただひたすらね。その回答に彼女は柳眉を曲げながら呻いた。

 セルケト。それが今回の標的。『砂漠の主』の異名を取る、獰猛にして強大な大蠍。

 依頼主の学者はセルケトが持つ猛毒を欲し何でも、薬へと変える研究に使うのだとか。

 流砂の海を砂漠船で乗り越え、駱駝に揺られて南下する事、既に三日目。

 それだけあれば駱駝に初乗りする彼女たちも、独特の乗り心地に慣れるというもの。

 途中、砂蜥蜴サンドリザード砂蚯蚓クロウラーに行く手を阻まれながらも、旅程自体は順調だ。後はお目当ての恋人に会えれば万々歳。

 しかし、一向に姿を見せない。中々に焦らしてくれる。

「たしか、地中深くに埋まりながら待ち構えているのだろう?」

 確認するように質すのは真紅の法衣を羽織るアルフォリア。凛とした声音は落ち着きを払っている。

「そうだ。しかも蟻地獄のようにいきなり地面が陥没したと思ったら、自慢の長い尻尾で進路妨害をして来るからな」

 厄介極まりないぞ。大太刀を背負い、外套の下に紺青の鎧姿でフードを被り、マスクの下から低い声でそう念を押すのは鳶色の髪の青年、レイドロス。

 腰に差した刀に手を掛けながら険しい顔つき。睨みを利かせ油断なく辺りを警戒していた。

 女性陣と違い、二人はセルケトとの交戦経験がある。

 シャルディムの時は以前組んでいた相棒、リスティエが八面六臂の活躍を。

 レイドロスの時は二パーティーで蟻地獄戦法の際に大量の遠距離攻撃で一気に圧殺した。

 因みに後者が標準的な戦法だ。前者はいかんせん、リスクが高すぎる。

「さすがに、暑いですね……」

 メルティナがうだる熱気でぬるくなった水筒を取り出し、喉を潤してから玲瓏な声を響かせた。

 見上げる先の太陽は、頂点へと差し掛かっていた。暑さが最も厳しい時間帯。

「どうだ?」

 リーダーであるアルフォリアがシャルディムに尋ねる。索敵のため四方に飛ばした人形ヒトカタからは周囲の異常を窺えない。それを伝えると、休憩の運びとなる。

 一行は手近な砂丘の裾野を目指した。

 先行き不透明な以上、少しでも体力を温存するために。

「ホンット。暑くてイヤになるわ」

「ずっと、歩き詰めでしたしね」

 気怠そうに手団扇で涼を取ろうとするパレンシアにメルティナが同意を示す。

 やがて砂丘の麓に差し掛かり、日光を遮って休むために天幕を張る準備をする。駱駝から降りようとした所、シャルディムディムは人形が察知した異常を感じた。

 微かに。ほんの微かに砂が震えている。

 不味い。尻尾を屹立させ声を発する瞬間、地面が陥没した。

「来たっ!」

「散開ッ!」

 シャルディムの言葉を受け、レイドロスが鋭く叫ぶ。ただの流砂じゃない。

 やがて窪地の中心から黒々とした鋸状の巨大鋏が姿を現した。セルケトの顎。大口を広げて流砂に巻き込まれる獲物を待ち構える。その鋭利な形状は見る者に戦慄を抱かせる。

 シャルディムは呪符を大量に取り出し、魔力を込め印を結びながら神へと祝詞を捧げる。

「天翔ける風神の羽根よ。疾く、疾く、はやりて飛べ」

 呪符を媒体とした術式――『符術』の《神速符》。

 全頭の四肢に貼り付かせ、旋風を纏わせる。風の加護が流れる砂に足を取らせない。手綱を引き、沈みかける駱駝をその場から離脱させる。

「とにかく落ち着いて。大丈夫、行けるよ!」

 駱駝は騎乗者の心持ちに敏感だ。恐怖に竦めば途端に萎える。だからこそ、仲間たちを鼓舞した。

 振り返らない、ただ前を向いて。下に落ちて行く砂の向こう、眩い蒼穹を見詰めて手綱を握り締めた。

 流れる地面を駆け上り、砂の地平が見え始めた頃。突如として右側面から何かが突出した。

 目だけを向けると、黒光りする巨大な尻尾。高々と掲げた鋭利な針を妖しく光らせ、こちらを睥睨している。

 空を斬って振り下ろされたかと思うと、一番遠かったメルティナ目掛けて襲い掛かった。

 駱駝が咄嗟に回避、直撃を免れる。しかし、大地を穿った余波によってバランスを崩し、

「きゃあっ」

 彼女は流れる地面に投げ出された。慌てて身を起こすとフードがはだけ、琥珀色の長髪が露わに。旗槍を支えに立ち上がり踏み出すも見る見るうちに流砂に沈み、身体ごと飲み込まれる。

「メルティナッ!」

 振り返る事もできず、その名を叫ぶ事しかできない。忸怩たる思いで空を睨んだ。

 助けに行けないまでも、時間稼ぎを。胸を焦がす焦燥感を気合で捻じ伏せ、素早く右手で呪符を引っ掴み胸元に掲げて瞑目、意識を集中させて魔力を込める。

 込めた魔力で遠隔操作。顔と手だけを浮かせる彼女の元へと派し、右手で印を結ぶ。

「唵」

 起動鍵語を唱えると揮毫された文様が燐光を発し、込められた術式が発動した。

 魔道士メイジの結界術式の一つ《防殻シェル》。相手の攻撃に際し、透明な半球状の障壁が展開される。

「ったく、世話が焼けるわねっ!」

 灰銀の髪をはためかせ宙に浮いたパレンシアが限界まで両手を伸ばし、メルティナの片手を掴んだ。

 更に背中の魔法陣より召喚した二頭の赤竜が鎌首を砂に突っ込み、メルティナの身体に巻き付いて引き上げると、両翼を展開し羽ばたいて離脱。

 その間メルティナの騎乗していた駱駝が大鋏の餌食となり、挟まれ磨り潰されながら喰い散らかされる。

 悲痛な断末魔がシャルディムディムの心を抉った。

 蟻地獄の窮地から辛くも逃れた一行は安全圏まで撤退。すぐさま駱駝から降り、更に退避させながら無事を確かめ合う。

「全員、無事かっ⁉」

 焦燥を浮かべるアルフォリアがそれぞれの顔を見渡す。その場にへたり込むメルティナが咳き込み、口に入った砂を吐き出す。

「あり、がとう、ございました……」

「ええ。貸し一つだから♪」

 息も絶え絶えに謝辞を述べると、灰銀の髪を掻き上げながら嫣然と微笑んだ。

「来るぞ」

 武器を構えて呟くレイドロスの言葉を受け、全員が臨戦態勢を整える。 

 アルフォリアが二対の内、一対の双剣を抜き放ち、

 手足を組み宙に浮いたパレンシアが双翼を畳んで二頭の赤竜を前面に展開し、

 メルティナが外套を脱ぎ捨て、白い肌も露わな純白の巫女装束で旗槍を構え、

 背中の飾太刀を抜いたシャルディムが呪符を各々に配し、《防殻》の術式を施した。

 そして、地鳴りを響かせながらゆっくりと自身が張った罠をよじ登り、その巨体を自分たちの眼前に晒す。

 甲殻が発達した甲鎧は見るからに堅牢。灼熱の陽光を浴びて黒光りするその威容は重厚さが見て取れ、無形の圧力を発しているかのよう。

 扁平で幅広な蠍の下体。側面から伸びる八本の節足で立ち、直立した短い胴に乗る肥大な頭から突き出た下顎の鋏は禍々しく、ぬらりと滴る鮮血がそれを一層掻き立てた。

 そして、一際目を引くのが両腕の膨れ上がった巨大鋏。下顎のそれよりも大きく、巨岩すら簡単に引き裂けそうなほど。

 三つの鋏と先鋭な尻尾。それらを構えて威嚇して来るセルケト。

 威風堂々。漆黒の鎧を纏う砂漠の主たる風格が、そこにはあった。

(あれ………?)

 違和感に眉をひそめる。通常ならセルケトの甲鎧はくすんだ赤銅色。

 だが、眼前の大蠍は漆黒。記憶が確かなら本来、体躯も一回り小さくて下顎の形状も若干違う筈だ。屹立した尻尾を毛羽立たせ嫌な汗が背中に噴き出す。

「ねえ、赤じゃなかったの?」「そう聞いていたが……」「わたくしも……」

 口々に疑問を呈する女性陣に、視線を前方に据えたままレイドロスが答えを提示する。

「認めるしかない。変異種イリーガルだ」

 変異種。文字通り、突然変異した個体。体色や外貌に細かな差異が見られる。

 そして、その差異こそが厄介。各所の形状が違うと採るべき戦法にも違いが出、通常個体を相対するイメージに引っ張られて対処が遅れる。ただでさえ従来よりも精強なのに。

「おかしいと思ったのよ、尻尾の色が違った時点で……」「とんだクジ運だな……」

 パレンシアが忌々し気に悪態を付き、憮然と呟くアルフォリア。

「いや、そんな事言った―――」

 言葉を遮ったのは、鼓膜を殴りつけるような咆哮。

 下顎を限界まで展開し全身を戦慄かせて轟かせる。ビリビリと大気を震わせ、振動は衝撃波となってパーティーを襲い、残響で熱砂が震えた。顔を顰めたくなるほどの大音響。

 想起されるのは、耳をつんざき本能的な恐怖で身体の自由を奪う竜の咆哮。

 竜咆程ではないが、胃の腑が底冷えする叫声の威力に一層の気を引き締めた。

「まさか、ビビってるヤツは居ないだろうな?」

 これから戦う相手に。レイドロスが挑発的な口を叩く。

「はっ 冗談でしょ? たっぷり楽しめそうじゃない♪」

 小指を薄い唇に当て、嫣然と嗤うのはパレンシア。

「ああ。問題ない」

「覚悟はできてます」

 頷き同意を示す女性陣の頼もしさにシャルディムは口角を吊り上げる。

「大丈夫。みんなの事は僕が守る」

 頷いて決意を示す。それを聞き届けると、

「先行する」

 言うが早いか、大太刀を担ぎながら砂を巻き上げ駆け出すレイドロス。

「戦闘開始だッ!」

 アルフォリアが号令を掛け、弧を描いて右手側面へと疾駆。シャルディムがそれに続いた。

 その後ろでメルティナが旗を振り回し踊り出す。琥珀色の長髪をはためかせ、優艶で華麗な舞踏は見る者を惹き付ける。

 巡礼者の神楽。世界の根源たる《アニマ》。それを収斂するための儀式。

 炎を司る破壊神へと奉ずる《火の神楽》は情熱的で躍動感溢れる舞いは炎を表現。

 あまねく『火』のアニマ、収斂させる先はパレンシア。

 二頭の赤竜がその顎を大きく空け、吐き出す炎を収束させて火球を作り出す。

 そこに収斂された『火』のアニマが感応し、二つの火球は肥大化した。

 その間に前衛組は交戦を開始。正面に陣取るレイドロスは木の葉のようにヒラリヒラリと大蠍の攻撃を躱しながら斬り結び、アルフォリアとシャルディムが右側面から足を攻撃して注意力を散漫させていた。

 炎の熱気で周囲に陽炎が立ち昇る。限界まで肥大した火球を、砲弾が如く撃ち出した。

 着弾。爆炎が轟音を立て燃え上がり、甲鎧纏うセルケトの頭部を焼く。しかし、鋏の巨腕で振り払われると立ち所に消え失せた。一発二発じゃびくともしない。

 流石に翼竜の鋼殻と同等の強度を誇ると、言われるだけの事はある。

 それでもパレンシアの顔に絶望は無い。こんなの、最初から織り込み済みだ。

「待ってなさい、すぐにブチ抜いてあげるから♪」

 旗槍をはためかせて舞い踊る巫女の横で、彼女は爛々と目を光らせ獰猛に嗤う。

 火球の直撃を喰らったセルケトは標的をパレンシアと見定めた直後、眼前に陣取ったレイドロスが構えた大太刀に付いた引き金を三回引く。

 機甲師が使う機巧武器が一つ、『バレットブレード』。

砲身を刀剣に変えたそれは撃鉄で弾丸を炸裂させ、弾丸に込められた術式を刃部に宿し振るう事で相手にそれを見舞う。

「――――ずぁっ!」

 砂漠の上を跳躍し、下腹部を斬り付けた。斬撃と同時に雷鳴が迸る。

 稲妻の魔術を封じ込めた《電撃弾》。喰らった者を痺れさせる効果がある。が、分厚い装甲に阻まれ、小動一つもない。

 降下時に再び三回撃発トリガ。着地と同時に横薙ぎの一閃。斬撃を飛ばす。

 さしたるダメージも無いのを一顧だにせず、空の六連式弾倉を装填済みのそれに交換。

 再び敵視を得たお陰で巨腕が襲い掛かって来た。左手から鋏が唸りを上げて迫る。

 鉤の付いた禍々しい刃。後ろに飛んでそれを躱すと、激しい金属音が空を斬り裂き火花が散った。間髪入れず反対側から二撃目。飛び越えて腕に乗ると振り払われる。

空中に投げ出された所で尻尾の毒針が直上から降って来た。前方に横薙ぎ、その遠心力で回転し空中機動。背中を唸る風に煽られながら膝を突いて着地。迫る下顎を前方に転がって回避。立ち上がりざまに引き金を引いて切り上げ、頭に電撃を叩き込む。迸る蒼雷が光る。

 これには面を喰らったのか、砂を貫いた鋏を慌てて引き抜きながら絶叫と共に仰け反った。

 盾役のレイドロスが敵視を稼いでる間、シャルディムとアルフォリアは側面攻撃で僅かばかりの注意を引き付ける。

「おりゃあっ!」

 飾太刀を振り下ろす。狙うは巨体を支える人間大の脚部。重厚に鎧った節足が火花を散らした。

 金属質の甲鎧は鉄塊を殴っているかのような感触と衝撃を反動として返した。

 徒労感すら覚える感触を鑑みる事無く後退。続くアルフォリアの攻撃の邪魔にならないため。

「イヤァッ!」

 術式を使い風を纏う翠玉の宝珠が嵌め込まれた翠碧の剣と、同じく術式で炎を纏う紅玉の宝珠が嵌め込まれた真紅の剣。宝珠を触媒に術式を繰る、魔剣士の魔法剣。

 二つを交差させて一挙に四連撃を叩き込んだ。

 巻き起こる爆発。寸前に離脱した彼女がシャルディムに並び立つ。

「やったか………?」

「無理でしょ」

 煙が晴れるのを待っている間にも盾役のレイドロスが敵視を稼ぎ、後衛陣が断続的に火球を飛ばしてダメージを与えていく。

 そして黒煙が晴れると、さしたる損害も見受けられない四本の節足。

 一番甲鎧が薄いとはいえ、そう簡単には抜けない。

 シャルディムたちの作戦はこうだ。

 盾役のレイドロスが敵の注意を惹き付け、後衛組がダメージを与えつつ、側面攻撃の二人で脚部を破壊。敵の機動力を奪い、次に尻尾を破壊しリスクを抑えつつ倒す。

 作戦の成否は自分たちの双肩に掛かっている。故に、なるべく早く破壊したい所。

 シャルディムとアルフォリア、二人はそれぞれ矢継ぎ早に斬撃を繰り出し、部位破壊を試みる。時折、反撃として足の鋭利な尖端が死神の大鎌のように振り下される。

 しかし攻撃は単調そのもの。脊髄反射のようなそれに後れを取る二人ではない。

 だが、ここで状況に変化が訪れる。

 セルケトが巨大な鋏に魔力を込め地面を撃ち付けた。正面のレイドロスはこれを躱すが地面が爆ぜ、一瞬だけ砂の柱が聳え立ち大量の黄砂が巻き上がる。

砂幕デザートヴェール

 擬魔法デミキャスト。魔法とすら呼べない程原始的な魔力運用。

 そして、この《砂幕》こそが厄介。魔力を込められた砂は暫しの間空気中に滞留し、視界を悪くする。そのため攻撃の狙いが甘くなり外す事もあった。

「チッ 割と早かったな……」

 舌打ちして悪態を付くシャルディム。

 それからは鋏と尻尾で悉く地面を撃ち付け、砂の柱から大量の砂塵を舞い上げる。

 浮遊した砂礫が蔓延し、見る見るうちに視界が黄色く染まった。

 それと同時にセルケトが方向転換。振り上げた大きな節足を激しく動かし左に回る。

 二人は全速離脱で回避。やがて側面に居たシャルディムたちに背後を晒す。頭上には柳眉の如く尻尾がそびえる。敵視を稼いでいたレイドロスが堪らず側面に回り込んだためだ。

 砂柱が上がった所は深く掘り返されたように柔らかいので身体が埋まる。

 これが《砂幕》の二つ目の脅威。

 因みにいくら視界が砂塵で霞んでも、熱源感知で周囲の状況を把握しているためセルケト自身には関係ない。

 盾役が鋏を撃ち付けるのを回避している最中、場所を変えて再び側面へ。攻撃を繰り返す。

「くっ………」

 視界不良の中、目を細め顔を顰めるアルフォリア。駆け出すと脚部に肉薄、嵩になって攻撃を叩き込む。けれども、容易に亀裂が生じる訳でも無い。

「おおおおおおおっ!」

 焦れた彼女は更に苛烈さを増して斬り掛かる。防御をかなぐり捨てて。

「危ないっ!」

 脚部の先端が一本、隙を晒したアルフォリアに振り下ろされた。《防殻》が盾となってそれを阻む。

 されど耐久限界がある。堪らず後退して距離を取った。

 シャルディムもそれに追随して並び立つと、唵。術式を発動。

修復リペアー》。彼女の崩れかけた防殻を修繕する。

「焦っちゃダメだ」

「ああ。すまない……」

 見れば肩で息をしていた。日差しが遮られているとはいえ、玉の汗が噴き出る程には気温が高く、超高温で燃え上がる火球の余波は身を焦がすほどに熱い。

 それに不安定な砂上での戦闘に加えて、刻一刻と降り積もる砂。予想以上に体力が持って行かれている。彼女に回復役ポーションを差し出し、体力回復を図る。

 二人が攻撃を中断していると、断続的に放たれていた火球がセルケトの肩口を掠めた。

 砂塵の幕のせいで狙いが甘くなっている。それに焦りを感じたのか、パレンシアが接近するのを砂塵に霞んだ視界の先に見た。

 不味い。凶兆を直感したシャルディムは四枚の呪符を取り出し、地に投げる。

「出でよ、仙狐四陣ッ!」

 意識と魔力を集中させて印を結び、鍵語を唱えて発動。

 呪符を依代に霊獣を召喚。四枚の呪符がそれぞれ白い狐へと変身した。

『符術』の《式神召喚》。

(くっ―――)

 軽く立ち眩みから足を踏んだ。四体同時召喚は大量の魔力を一挙に使う。それに加えて、霊体である彼らを実体化させ続けるのにも消耗する。自然と回復作業ヒールワークに使える魔力も限られてしまう諸刃の剣。

 その内、二匹を後衛と前衛に派遣。アルフォリアが攻撃を再開してる中、仙狐を通じて念話を試みる。空中にわだかまる砂塵が鬱陶しい。余計に集中力を使う。

「ちょっと、作戦に無かったろうが」

「しょうがないでしょ? 狙い難いのよっ」

 冷静に詰問すると、鬱陶しそうに声を荒げた。直撃を外した事を根に持っているらしい。

「あんまり近付き過ぎないでよ?」

 解ってるわよ。苛立ちが滲むが何とか了承を得たので意識を戻し、飾太刀を構え直した所で敵正面から響く爆音。

 堆積した砂に両足を取られたレイドロスが、本差しのバレットブレードを逆手抜刀。

一瞬で順手に持ち替え地面に叩き付け、爆発が巻き起こる――――《爆炎弾》。

その反動で前方に緊急脱出、その衝撃で《防殻》に僅かばかりのヒビが入る。

 けれど、そのお陰で振り下ろされた巨大鋏に圧殺されずに済んだ。右手から砂塵を纏い唸りを上げて襲い来るもう片方の鋏を跳躍して遣り過ごす。

しかし、それこそが罠。狡猾な本命の尻尾が横から強襲。砂に霞む視界で反応が遅れた。最早回避不能。

「おおおっ!」

 気合一閃。尻尾で薙ぎ払われる寸前に本差しの《爆炎弾》を炸裂させ対抗。その反動で辛くも直撃を回避。だが、そのせいで防殻が砕け散り、衝撃で吹っ飛んだレイドロスは黄砂の降り積もった地面に叩き付けられ、半身が埋まった。パレンシアの横で。

「え………?」

 砂に霞んだ視界の中、爆発に身構えていると突然レイドロスが降って来た。

 砂埃が舞い上がり、それが掻き消える頃にはセルケトの尻尾が彼女に狙いを定めていた。

 二頭の赤竜が前方に向かって唸っているのに気付くと、

「危ないっ!」

 弾かれたように駆け出したメルティナが旗槍を構えて眼前に陣取る。

 直後、大きな漆黒の飛針とばりが三発、二人を襲った。

 鋭く空を斬り裂く嚆矢となって飛来し、二つが手前で着弾。大量の黄砂が視界を奪う。

 そして最後の一つが命中。メルティナの防殻に激突し火花を散らす。

 しかしそれも一瞬の事。すぐに貫通したその直後、槍の柄にそれを受ける。一瞬、赤い火花が咲いた。

「…………っ」

 パレンシアが砂塵に顔を覆って身を捩る際、受け止めていたメルティナは抗しきれず咄嗟に右方向へと逸らした。

「きゃああああっ!」

 反動でバランスを崩し、飛針表面の鉤状の棘が風を斬り裂き真空波を生じさせ、その余波がメルティナを斬り刻み、滴る毒が皮膚を焼き傷を侵す。

「………っ ぁ………、―――ッ!」

 斬り裂かれた肩口を抑えながら苦悶の表情で上体を仰け反らせる。傷口から侵入した猛毒が全身へと這い回り、激痛を迸らせながら身体を蝕む。

「う……そ………」

 呆然と宙に揺蕩うパレンシア。盾役も、支援役も倒れた。しかも一瞬で。

 注意を引き付ける盾役が居なくなると、攻撃に集中していた側面の二人へと向き直る。

 そして、メルティナの危機を仙狐と視界を共有して見ていたシャルディムは、自身の魔力を解放する。

「はあああああ………っ」

 仙狐との魂魄融合によってシャルディムは常人の数倍もの魔力を所有するに至った。だが、それを余す事無く開放すると敵視を集めてしまう。

 そうなると回復役としては致命的。だから、普段は封印している。それを解放。

 全身から魔力が漏れ出し、それに合わせて小柄な少年の身体が長身痩躯の青年へと変貌を遂げた。

 溢れる魔力が周囲のアニマと感応し、熱気を孕んだ微風が吹く。

 飽和した魔力の散逸。その現象は『魔風』と呼ばれた。

「ふぅ………」

 肩を竦めて人心地付く。身体の急変は激痛を伴う。だが、今はそんな事どうでも良い。

 成人したシャルディムは漏れ出る魔力を引っ込めて両足に呪符を張り付け、《神速符》。

 刹那。風を纏い超加速で疾駆、足音を立てず地を滑るように。

 瞬足に物を言わせ、猛毒に苛まれるメルティナの元へと馳せる。

「メルティナッ!」

 琥珀色の長髪を振り乱し、砂地の上でのたうち回る彼女は苦悶の表情を浮かべ、答える余裕がない。

 そこへ、シャルディムを見据えて大蠍が立ちはだかる。

「鬱陶しい………っ」

 忌々しく吐き棄てると、右手で印を結び、唵。その場にいた仙狐が狐の獣人の姿へと変化。

 更に、シャルディムは腰の雑嚢から宝石を散りばめたリングアミュレットを三つ取り出し、二つを仙狐たちに配るとそれに魔力を込め、三人で術式を展開。《反射リフレクション》。

 振り下ろされた大鋏が透明な障壁に接触した瞬間、耳をつんざく轟音と共に跳ね返された。

 結界術は触媒の性能によって決まる。呪符よりも等級の高いアミュレットを使用する事で、障壁の強度を上げた。但し、障壁を壊されると呪符と同じように砕け散る。

 物の準備や展開に必要な魔力も含めた費用対効果でいえば、呪符の方に軍配が上がるので多用はしない。使い所を見極める必要がった。

 それと、今回は本来的な強度を倍以上に引き上げる結界の同時多重展開。防御は盤石。

 しかし、嵩に掛かっての猛攻に晒されれば数分と持たないだろう。だが、それで十分。

「パレンシア。アルフォリアと合流して、足を壊せ」

 解った。収納していた赤竜の翼を展開し急行した。その間にも仙狐たちには埋まったレイドロスの引き上げをしてもらい、シャルディムはメルティナの治療に当たる。

 全身が痙攣し瞳孔が開きかけている。危険な状態だ。

(約束したんだ。必ず守るって)

 前回、セルケトと戦った時はリスティエが居た。

 槍を操る彼女はその翼で空を遊弋し、悉く攻撃を躱して終始傷一つ追わずに貼り付いていたため殆ど苦戦しなかった。

 しかし、彼女はもう居ない。差し伸べた手から儚く零れ落ちた。

 もう、二度と同じ過ちは繰り返さない。そのために今、自分はここに居る。

 意を決したシャルディムは彼女の元に座るとすぐさま呪符を取り出して、

「あまねく生命に繁栄を齎す豊穣神の錫杖よ。その慈愛を以って、悪辣なる不浄を払い給え」

解毒キュア》。彼女の全身が若葉色の燐光に包まれると、次第に痙攣が収まり表情が苦悶から安堵へと変わる。そして、

「命を愛でる地母神の双角よ、尽きかける命の灯火に福音を齎し給え」

祝福ブレッシング》。眩い光が瞬き、斬り裂かれ焼け爛れた傷口が見る見るうちに元通りになった。但し、破けてはだけた巫女装束は如何ともしがたい。

「シャ、ル………」

「悪いけど、寝てる暇ないよ。早く立って」

 血色の回復したメルティナの呟きに素っ気無く答えると、肩を貸してやり立たせてあげる。その間もセルケトの猛攻が続き、半球状の障壁から轟音が断続的に降り注ぐ。

 喰らった衝撃で僅かにヒビが入ると、そこを殴り続ける事で割れ目が放射線状に広がっていく。

 時間は余りない。掘り起こされたレイドロスに同じく《祝福》を掛けてやり、戦線へと復帰させる。

「助かった」

「一旦、僕が囮になる」

 メルティナとレイドロスに引き続き正面からの攻撃を指示すると、障壁が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 それと同時に大太刀を担ぎ効力が持続している神速符で砂柱を立てながら旋風と化して接敵。膝元まで砂に埋まるのを厭わず右手で呪符を三枚、取り出し投げ付ける。

 唵。腹部に張り付け爆発させた。《起爆符》。しかし、黒煙が晴れても甲鎧は健在。

 砂塵を纏って振り下ろされる巨大鋏。両足から唸る風が砂を高々と砂を巻き上げ、その勢いで跳躍。回避と同時に相手の胸部へと躍りかかる。

「やああああっ」

 宙返りしながら唸りを上げて斬撃。漆黒の鎧に火花が散った。だが、それだけ。

 攻撃しながらも冷静に観察する。焦げた臭いを発し、煤けてはいるが装甲は抜けてない。

 砂塵に隠れて横手から巨腕の攻撃。身を翻して上に回避。降り立つ腕を足場にし、頭部へと駆ける。効果の切れた呪符がはらりと落ちて砕けた。

 一瞬、セルケトと目が合った。黄色く霞む視界の中、赤黒く爛々と輝く光点二つ。

 砂塵を搔き分け下顎の鋏で圧壊しようと迫るのを上に跳躍して躱し、脳天へと刺突。

 火花が散るも手応えは無い。

 その後も視界を遮る黄砂の中、砂塵を纏った尻尾と鋏が立て続けに襲い掛かる。

 一つ一つが必殺の一撃。余波の風圧に煽られながら、視認が難しいそれを紙一重で避け続けた。

 恐怖は無い。止め処なく溢れ、身体を満たす魔力が精神と肉体を高揚させる。負ける気がしない。

「さあ、燃え尽きなさいっ!」

 シャルディムが決死の舞踏を演じている中、火球が側面から放たれる。二つの火球を合体させた一際大きな豪火球。脚部に吸い込まれると盛大に爆発した。

 シャルディムとアルフォリア。二人が集中攻撃し続けて来た節足が二本、煌々と燃える炎に巻かれながら粉々に砕け散る。堪らず絶叫を天に轟かせるセルケト。

 機動力を削いだ。これで相手の動きが鈍る。正面ではレイドロスがブレードで殴り付け、片やメルティナは旗を翻し、激しい律動を体現する鮮烈な演舞を披露。

 天罰神へと捧げる『雷』の神楽。峻烈気鋭な舞で『雷』のアニマを収斂させ、レイドロスが放つ雷撃を強化する。

 足が二本吹き飛ぶも、その巨体は揺るぎない。それどころか、両腕を天高く振り上げると正面の砂地に深々と突き刺し、後方に砂礫を搔き分け穴を掘っていく。

 セルケトが穴を掘っている間、後退したシャルディムは正面攻撃していた二人と合流。

 それから側面で攻勢を掛けていた二人の元へと走り、パーティーが一堂に会した。

 皆が集まった所で、事前に立てた作戦を確認。解ってると思うけど、と前置きして。

「次は尻尾を破壊しなくちゃならない」

 通称、蟻地獄戦法。自身の不足した機動力を補うため、穴を掘ってその中に陣取り尻尾の飛針で遠距離攻撃。

 穴、というか窪地は砂が掘り返されて柔らかい。下手に足を踏み入れれば、それこそ遭遇当初の二の舞になって動けなくなる。

 手をこまねいて長期戦になっては、砂漠の灼熱に当てられて体力が削られ続けているこちらが不利。

 戦況を膠着させないためにも、尻尾を破壊する必要があった。

 敵正面に陣取るはシャルディムとレイドロス、三人の攻撃隊は尻尾の破壊へ。皆に再び《防殻》の結界を張った。

《砂幕》で黄砂が舞う中、高々と掲げられた尻尾の毒針。三発、高速で射出された毒の楔は空を斬り裂きシャルディムに迫った。二発が手前で落ちて砂塵が爆ぜた。

結界を貫いた一発を飾太刀の鎬地で受け、後方へと擦り流す。鉤状の棘の余波も刀身に隠れて防ぎ切る。呪符を取り出し再び障壁を張る。その間隙を縫って再び放たれる二発。レイドロスが盾となってそれらを弾いた。

 注意を引き付けたのを確信し、メルティナたちに行けと指示を飛ばす。二人は翼を広げたパレンシアの赤竜の鎌首に掴まり、淵伝いに後方を目指す。

 すると下で構える鋏を大きく広げ、その間からも毒針を飛ばして来た。当たりはしないが、その先端が砂地を突き破って足場を崩す。

「フン」

 鼻を鳴らして悪態を付く。鋏の間から放たれる毒針。どうやら、これが通常個体の大きな違いのようだ。

 それからは、障壁で身を守りつつ穴場の縁をなぞるように駆け回る。

 途中、レイドロスが電撃の斬撃を、シャルディムが起爆符を見舞って敵視を稼いだ。

 二人が注意を引き付けてる間に三人はセルケトの左後方に到達。

 堆積した砂山の麓に降り立ったメルティナはすぐさま旗を翻し、『火』の神楽を舞う。

「では、頼んだぞ」

「ええ。わかってるわ」

 頷き合うと、パレンシアは瞑目すると背中の魔法陣に意識を集中、魔力を込める。

 アルフォリアは足に張り付けた二枚の呪符に魔力を込めた。『神速符』が砂を巻き上げる。踵を返すと一歩、爆ぜた砂を舞い上げて疾駆。砂塵を搔き分け、纏った旋風で一陣の風となり穴を駆け降りる。

 風に護られて黄砂に足を取られない。そのまま跳躍して背に乗ると、

「おおおおおおッ!」

 魔力を込めた風と炎の刃で乱舞し甲鎧を斬り付ける。それに業を煮やしたのか、尻尾がその鎌首を振るって頭上から襲い掛かる。しかし、風の加護で加速を得ている彼女はそれを難なく躱し、交錯しざまに叩き込む斬撃二発。

 黄砂舞う甲鎧を舞台に、怒り狂う尻尾を相手取り繰り広げる剣撃の舞踏。

 パレンシアの準備はまだ整わない。まだ時間を稼ぐ必要があった。

 尻尾の猛攻を躱し切ると、再び高々と揚げ毒針でアルフォリアを睥睨。

 刹那、毒針が放たれた。速い。風を斬り裂き迫るそれを背の上で横っ飛びに回避。響く金属音。見れば、甲鎧に当たって火花を散らしたかと思うと跳ね返って背後から迫る。

「くっ!」

《防殻》を犠牲に辛うじて躱した。跳弾。背筋が凍り冷や汗が頬を伝う。顔を顰め堪らず背中から飛び降りた。元居た場所を毒針が穿つ。逃れて砂漠に降り立つアルフォリアを、再び毒の飛針が襲う。それからは回避に徹する。

 幸い、弾の尽きが近いのか単発なため回避はしやすい。

「待たせたわねっ!」

 高らかに言い放つパレンシア。その背中からは五頭の赤竜が展開していた。

 一頭一頭が大玉の火球を眼前に収斂させている。砂を焦がす灼熱が周囲に迸って陽炎を揺らした。

「燃え尽きろっ!」

 アルフォリアの離脱直後に放たれた業火の弾丸。舞い散る砂塵を斬り裂いて尻尾の基部に当たる五連弾。着弾すると灼熱の爆炎を轟かした。

 吹き上がる黒煙を炎が照らす。赫灼と燃え上がる業炎が甲鎧を炙って肉を熔解させ、竜尾の如く長い尻尾は甲鎧を打ち鳴らしながら重厚な金属音を響かせ、脆くも砂地に落下した。

 悶絶して絶叫。肉と砂が焦げ、鋼が焦げる匂いが立ち昇った。

 穴から脱出したアルフォリアが二人と合流すると、シャルディムたちとの合流先である相手左側面へと急ぐ。

「大丈夫か?」

「平気よ」

 先頭を走るアルフォリアはチラリと振り返り、歩調を合わせ浮遊するパレンシアを見遣る。気遣いに短く答える彼女から嫣然とした笑みは消え、代わりに玉の汗が頬を伝うその横顔は優れない。度重なる魔力消費による消耗が見て取れた。

「もう少しです。がんばりましょう」

 最後尾で真っ直ぐ前を見据え、はだけた胸元を抑えて走るメルティナ。浮かべるのは悲壮な覚悟ではなく、柔らかくも力強い笑み。その笑顔に鼓舞され、

「ああ」「ええ」

 頷く二人は自然と相好を崩した。

 急場の砂山の陰で後衛組と合流したシャルディムは従えていた仙狐の変化を解き、再びアルフォリアに結界を張る。さすがに魔力の消耗が激しい、最早余り時間を掛けていられない。意を決して口火を切る。

「大分削った。後はもう、小細工無しだよ」

 シャルディムの言葉に皆が頷き合う。

 灼熱の大地にすっかり茹でられ、汗と砂塵に塗れた身体は疲労が色濃く重い。

 それでも、シャルディムたちの顔は活気で溢れていた。自分たちならやれる。そんな確信があった。 

 念のために万全を期して全員に《祝福》を施し、体力回復を図る。

 二本の足と尻尾を失ったセルケト。鈍重で緩慢な動きながらも、両腕で巨体を支えながら穴を登って来る。

「よし。ケリをつけるぞ」

 前衛を張るレイドロスが武器を構えた。

「当然」「ええ」「無論だ」「はい」

 一堂が口々に賛同、各員再び臨戦態勢を整える。

 穴を登り切ったセルケトは、砂山を挟んでパーティーと対峙。一瞬、何故そんな位置取りをしたのか意図を計りかねていた。相手は体力の限界が近いと白兵戦に持ち込む習性があるから、地表に出るのは頷ける。

 だが、ある直感が脳裏を過ると戦慄で背筋が凍り尻尾が屹立、身の毛がよだった。

 無我夢中でリングを取り出し、《反射》の結界を展開。直後、爆ぜた大量の黄砂が轟轟と雪崩を打って押し寄せた。《砂幕》。

 砂瀑の轟音が響き、砂の洪水に半球状の結界が揺れる。それが収まると、障壁の外には自分たちの身体が埋まるくらいの高さまで黄砂が積もった。これでは身動きが取れない。

「ちょっと どうすんのよっ?」

「後退するしかない」

 辛うじて砂雪崩からは助かった。が、状況が窮まっていることに変わりはなく、声を荒げるパレンシアにシャルディムが務めて冷静に答える。

 脱出が急務だが、結界を解いた瞬間に砂が押し寄せて来るのは必至。防殻で砂に沈む事は無いが、降り積もった砂地は緩んでいて歩くごとに足が取られる。とても戦闘どころではない。

 セルケトが再び穴を掘る。最初のように真下に潜り込んで地面を陥没させる気だ。

 長居はできない。結界を解除すると神速符で砂を搔き分け全速離脱。

 戦闘に立ち回りやすい安全圏まで退避。新たに神速符を配してすぐさま反転して態勢を整える。

 黄砂が舞う砂漠は静謐そのもの。これから始まるであろう、戦闘と言う嵐の前の静けさ。

 砂礫の大地は沈黙し、セルケトの息吹が感じられないのが不気味だ。ゴクリ。飲んだ固唾は自分か、若しくは他の誰かは解らない。

 気分はさながら、処刑の首切りを待つ死刑囚になった気分。シャルディムは四方に配していた人形を呼び戻し、警戒に当たらせる。攻撃の予兆を見逃すまいと神経を尖らせながら、鼻梁に指を宛がい、黙して思索を巡らせる。

 いい加減、こちらの体力も尽きかけている。未だ砂塵が舞う現状、相手の魔力切れに期待するのは綱渡りが過ぎる。決定力であるパレンシアの魔力残量も心許ない。精々、保ってあと一発と言う所。加えて、自身の魔力にも不安が残る。

 頭の中を不安材料が占め、妙案が浮かばないまま時間だけが過ぎて行く。

 不意に、砂が震えた。一斉に弾かれたように散開。言葉は要らなかった。

 突如として足場が陥没。もう一つの擬魔法、その名を《蟻地獄》(アントリオン)。

 下手な形容で飾り立てもせず、直截的な名称。

 砂の底から現れたセルケトが咆哮を轟かせた。

 それは天をも衝く怒号か、それとも己を鼓舞する雄叫びか。どちらにせよ、漆黒の鎧を纏う魔獣が殺気を全身から立ち上らせていた。

「行くぞっ!」

 剣を差し向け号令を掛けるアルフォリア。真っ先にレイドロスが砂を舞い上げ駆け出し、シャルディムたちも後に続く。

 巨腕を砂漠に撃ち付ける《砂幕》。大きな砂柱で巨体を隠す。

「………っ」

 顔を顰めて立ち止まる盾役レイドロス。途端、砂の壁を突き破って咢を広げた鋏が迫る。障壁を付き砕きながら襲い掛かる刃を咄嗟に刀身で受け流し緊急回避。バランスを崩して膝を突く。結果的にそれが二撃目の鋏を回避せた。

「馬鹿なっ?!」

 絶句するシャルディム。こんな手は知らない。少なくとも、前回戦った時は見ていない。

 対処したレイドロスも同じらしい。だから転んだ。

 恐らく、これがこの変異種独自の戦法。そう結論付けた。

 セルケトの攻撃は続く。鋏で横薙ぎに砂地を抉り、シャルディムに大量の砂を飛ばして来た。《防殻》それを阻む。けれども、肉薄できそうにない。

「くっ これじゃ、攻撃できないじゃないっ」

 悲鳴にも似た声を上げるパレンシア。それが皆の意見を代弁している。

「わたくしがっ」

 申し出たのは背を向けて砂穴から脱出を図るメルティナ。その背後を双腕の鋏が睨み付ける。

「させるかよっ!」

 印を引き結んで全ての仙狐に念を送る。宙に漂う彼らは口から火の粉を散らし、炎弾を吐き出した。

 赤竜のそれには威力も規模も劣るが、意識を逸らして攻撃を妨害したお陰でメルティナは脱出成功。

 そして、踵を返した彼女は旗を構え瞑目し、意識を集中して自身の魔力を解放する。

 魔風。舞い上がる微風が破れた装束の裾を揺らした。

 巻き起こる風は徐々に勢いを増し、地に風紋を描き、琥珀色の長髪を吹き流す。それから、ゆっくりと翠緑の双眸を半眼に開いた。

 シャルディムたちが穴底で苦戦している中、彼女は旗槍を携え舞い踊る。

 地母神へと奉ずる舞踏は『火』や『雷』の神楽とも趣を異にし、力強く旗を振りながらも妖艶な腰遣いで躍動する。妖艶豪儀な『土』の神楽。

 『土』のアニマを収斂させ、己が内で練り上げた魔力を染み渡らせたそれを今度は周囲へと拡散。一帯の空間を自分の魔力で満たしていく。

 そして、変化が訪れた。

 穴底の中心でセルケトが大鋏を地面に撃ち付ける。されど、砂柱が上がらない。砂塵の舞い上がる高さは人間の身の丈程も無い。

 一瞬、誰もが目を疑い、動きを止める。そして気が付けば何時しか《砂幕》は止み、天頂に座す太陽の光が穴底に差し込んで来た。

「さあ、今のうちに」

 地表で舞うメルティナの玲瓏な声が降る。どうやら、神楽を応用し『妨害術式レジスト』を仕掛けたらしい。

『妨害術式』。アニマとはより大きな、若しくはより高密度な魔力に隷属する性質を持つ。

 つまり、メルティナは放出した自身の魔力で一帯の『土』のアニマを掌握し、相手の擬魔法を妨害する事に成功した。

 好機。シャルディムたちがセルケトに肉薄する。が、敵も妨害を放置する気は無く、よじ登ろうと這い出し、進軍を開始した。振るった両腕で行く手を遮るシャルディムたちを近づけさせない。

「させないわよっ!」

 火球の五連弾。両腕を振るい、ガラ空きになった胸部へと吸い込まれ爆発。頑丈堅固な漆黒の甲鎧に漸く穴が穿たれた。

「はあ、はあ………っ」

 魔力切れ。実体化していた赤竜は掻き消え、宙に浮いていた身体は支えを失い膝を突いて蹲る。顔に多量の汗を浮かべて苦悶する。パレンシアは戦線を脱落した。

「よくやった」

 弾倉に充填された弾丸六発。それらを全て炸裂させ、構えた刀身が雷光で蒼く輝く。

 蒼雷一閃。飛ばした斬撃を空いた穴に叩き込む。セルケトが迸る雷撃に全身を戦慄かせ悶絶する。

「リミッター解除……」

 更に追撃。機械仕掛けの右腕に魔力を込める。内蔵していた術式に魔力を流し込み発動。

 肉体の限界を超えた膂力を発揮。最大出力を以って身の丈程のバレットブレードを軽々と片手で振るい、本差しと二刀流で苛烈に斬り付ける。

 それでも止まらない。そこでシャルディムは仙狐を引っ込め、レイドロスに側面へと指示を飛ばしつつ砂の斜面を駆け上がって地表に出る。

 汗を散らし、灼熱の陽光に身を焦がしながら一心不乱に舞い踊るメルティナ。

 近くまで駆け寄ると人形への魔力供給も中断し、彼女を中心に三度《反射》を展開。

 途端、眩暈を覚えるが顔を押さえ何とか踏み止まる。使える術式もあと二回が限度。

 それで間に合ってくれ。祈るような心持ちで敵の到来を待つ。

 そして、来た。

 セルケトが地表に這い出て二人と対峙。振り下ろした鋏の鉄槌が跳ね返されると、障壁に抱き付いて両腕と限界まで開いた下顎で万力のようにジワジワと力を掛けて来た。

 漆黒の巨体で覆い被さる姿が結界内の閉塞感を上げる。そして首を絞められているような圧迫感を喉元に覚え、胸が詰まる息苦しさに思わず顔を顰める。

 動きを止めた絶好の機会。アルフォリアが勝負に打って出る。

「はあああああ………っ」

 双剣を交差させて突き出し、残りの魔力をありったけ込める。逆巻く疾風と煌々と燃え上がる赫炎。その二つが混ざり合い、双剣が白炎を纏う。

 両脚に旋風を纏い、砂を舞い上げ疾駆。狙うは焼け落ちた尻尾の基部。突進して肉を貫くと、内側から焼き尽くす。

「オオオオオオッ!」

 雄叫びを上げて白炎を叩き込む。焦げた肉が溶解して沸騰し、醜悪な臭気が立ち昇る。

 苦悶の絶叫を上げるセルケト。それでも両腕で障壁を締め上げて来る。小さく入ったヒビには《修復》を掛ける。残りあと一回。

 セルケトが下体を捩り、反動を使って思い切り横に振った。

「うわあああっ!」

 吹き飛ばされたアルフォリア。溶解した肉片が飛び散るも《防殻》に護られ、更に砂地への衝撃も緩和する。

 バランスを崩し、跪く砂漠の主。最早、限界が近いのは明らか。

「く………っ」

 しかし、アルフォリアの方が先に力尽きた。砂漠に転がって喘ぐ事しかできない。

 だが、彼女と入れ替わる形でレイドロスが肉薄。鬼神の如く二刀流で焼け焦げた傷口に斬り掛かる。

「オオオオオオッ! 全弾発射フルバーストッ!」

《電撃》と《爆炎》。二つの斬撃を間断なく叩き込む十二連撃。

 瞬く雷光、爆ぜる赫炎。熱砂を焦がし荒れ狂う、蒼雷と轟爆の嵐がセルケトの臀部を襲う。

 尻尾の基部はおろか、脚部の方までが斬撃で吹き飛んだ。

 衝撃に戦慄きくぐもった呻き声を上げるセルケト。結界に寄りかかりながら締め上げる姿は縋っているようで、不遜なる威厳はとうに掻き消えた。

「きゃっ」

 短い悲鳴。脚を縺れさせたメルティナが黄砂の上に突っ伏する。縋る槍を支えに立ち上がろうとするも、両足に力が入らないようだ。魔力も体力も限界を迎えていた。

「あとは任せて」

「は、い……」

 息を切らし、申し訳なさそうに目を伏せる舞巫女を残し、シャルディムが攻勢に出る。

 もう一回しか使えないなら、使わない。

 取り出した起爆符を数枚投げ付けて下腹部に張り付け、魔力を込めた飾太刀で攻撃。術式が感応し、強制的に爆発させる。

 更なる絶叫と共に甲鎧が吹き飛び肉が露出した。レイドロスが散々正面攻撃を繰り返したお陰でできた突破口。そこを遮二無二斬り付ける。噴き出す体液を浴びながらも雄叫びを上げて斬りまくる。

 やがて、巨岩の如き鋏が地に落ちた。障壁は細かくひび割れ崩壊寸前。それでも虫の息がある限り、息の根を止めるべく二人は徹底的に斬り続ける。

「はあ、はあっ………は……っ」

 力尽きたのか、後方の斬撃音がいつの間にか止んでいた。シャルディムも程なくして一旦下がり、様子を見る。身じろぎ一つしない巨体を注意深く観察。

 顔を覗き込むと双眸の光は消え失せ、爛々とした狂気を今は映してはいない。

 倒した。そう確信する。が、巨体が崩れると危ないのでメルティナを抱きかかえてその場を離れた。

「ありが――」

「いいよ」

 腕の中にすっぽり収まった彼女の謝辞を短い言葉で遮る。回復に専念して欲しかった。

 それにしても。普段は自分の方が小柄で、隙あらば後ろから抱き竦められるのに。

 なんだか不思議な感じだ。意趣返しで今までも何度かしてやったが未だに慣れない。

 やがて安全圏まで退避すると彼女を降ろしてやり、障壁を解除。案の定、漆黒の甲冑を鎧う巨体が轟音を立てて崩落した。辺りにもうもうと砂煙が舞い上がる。

 蒼穹が眩しい黄砂の大地。からりと晴れ渡る熱砂に再び訪れる静寂。そこへ、ねっとりとした温風が吹き抜けた。

 戦いの狂熱で火照った身体には丁度良い。頬撫でる風が少しだけ涼しげに感じられた。

「終わった………」

 漸く人心地。

(あ―――)

 気が抜けた拍子に意識が揺らぎ、たちまち闇の中へと没していった―――。



 メルティナのすぐ横で、シャルディムが糸の切れた人形の様にうつ伏せに倒れた。

 意識が完全に途切れたのか微動だにしない。そして、その体がゆっくりと縮んでいく。

 やがてその身体は以前よりも一回り以上小さく、物心付くか付かないかという年頃にまで縮んだ。

 魂魄が精霊と同化しているシャルディム。半霊体化した本来の姿になると、それだけで魔力を消耗する。そしてそれが過ぎると、今みたく意識を失い幼児化して魔力消費を抑えようという作用が起きる。

 霊体化の反作用。彼は自分でそう呼称していた。

 こうなると暫くは起きない。仰向けに寝かせてやり、頬を優しく撫でて付いた砂を払う。

「お疲れ様でした」

 シャルディムは本当によくやってくれた。

 勿論、自分も含めて全力を尽くさなかった者など居ない。

 それでも、陣頭指揮や囮、結界術に各種符術で戦線を支えたのは彼。毒を喰らった時は、さすがに死を覚悟したが、必死に駆け付けてくれて助けてくれた。

「ありがとうございます」

 無駄な体力を使うなと、遮られた言葉を眠った横顔に掛けた。

「終わったな」

 見上げると、歩み寄って来たレイドロスが大太刀を左肩に担いで二人を見下ろす。

 彼が振り向いた先には、肩を貸し合って近づいて来るパレンシアとアルフォリア。

 しかし、途中でパレンシアの足が縺れ二人は仲良くその場に崩れる。パレンシアが黄砂に五体を投げ出して、

「ったく、誰よ? 翼竜ほど苦戦しないから大丈夫だって言ったヤツ」

 熱砂と日光に身を焦がし、肩で息をしながら鬱陶しそうに悪態を付く。

 それを言った当人は、既に意識を微睡みの彼方へと沈ませた。それを解った上で彼女も憎まれ口を叩く。

「仕方ないだろう? 襲って来たのが、変異種なのだから」

 対策の立てようなど無い。足を崩してその場に座るアルフォリアがフォローを入れた。

 勿論、彼女の放言が皮肉や罵倒でも無いのを承知の上で。だが、それでも敢えて言うのは律義な性格故だろう。姉妹の様なやり取りは見ていて微笑ましい。

「それだけ組んでいた盾役が優秀だったという事だな」

 周囲の警戒をしながら義手の右腕をだらりと下げ、メルティナ背を向けるレイドロス。

「ええ。そうですね……」

 その言葉に同意した。

 リスティエ。一年ほどシャルディムとコンビを組んでいた槍使いの女性。

 ほんの数ヶ月、メルティナも一緒に冒険した。

 強くて凛々しく、それでいて気さくで、懐の深い人だった。

 皮肉を並べ、悪態を付きながらもシャルディムが姉のように慕うのも頷けた。

 未だに彼女の事を慕っているのは見れば解る。それが少し羨ましい。ほんの少しの嫉妬を覚える程に。故に、メルティナは自分の独占欲の強さを痛感する。

「っていうか。そろそろはだけた胸元、しまわない?」

「―――っ」

 その言葉を聞いた瞬間忘れていた羞恥心が込み上げ、思わず露わな胸元を腕で隠しながら蹲る。真っ赤になった顔が熱いのは、灼熱の陽光のせいだけではないだろう。

「あまり言ってやるな。不可抗力なのだから」

 不憫に思ったのか、眉をひそめて隣の相方をたしなめるアルフォリア。

 メルティナの荷物はというと、尊い犠牲となった駱駝と命運を共にしたので臨むべくもない。が、シャルディムが念のためにと予備の巫女装束を持っていた筈だ。

『装備としては破れやすいし。念のためにね』

 今回はその厚意に甘える事にして、帰りの旅程に万全を期す。

「ねえ。お腹空かない?」

「そういえば、昼食はまだだったな……」

 二人の会話で思い出す。休憩しようとした矢先に、襲われた事を。

 ぐう、とメルティナのお腹の虫が盛大に鳴く。聞かれた。再び羞恥心が湧いて頬を朱に染めた。

 レイドロスが退避させた駱駝たちを迎えに行き、一行は昼食を摂る事にした。



 灼熱の太陽。

 目にも眩しい青々とした蒼穹。炎天下の砂漠で熱風が微笑み、黄砂が舞う。

 波打つ風紋が熱砂に刻まれ、枯渇の大地に水の風情を盛り込み明媚に彩る。

 草花も潰えた死の土地。その中にあって生命溢れる水の楽園―――オアシス。

 そのオアシスを中心に形成された『砂上都市ディシャルダ』。

 メルティナら女性陣は砂漠の行軍を終えその翌日、街の中心部にあるプールで休息を取っていた。

「そ~れ♪」

 黒の水着から零れる肉感豊かな肢体を惜しげもなく晒すパレンシア。

 水に浸かった石造りの階段を歩き、やがて頭から水の中へと跳び込む。

 水源を擁し、水神を祀るリオベスク神殿。

 砂塵を遮る幌の天蓋が陽光を透かし、空の高い吹き抜けが屋内の閉塞感を取り払う。

「はあ~、気持ちいい♪」

 肩までの水位から、ぷはっと顔を上げ立ち上がり、首を振って二つに纏めた灰銀の髪を大きく揺らした。それにより肉感豊かな胸元も揺り乱れ、零れ落ちそうになる。

 手を翳して降り注ぐ陽光に目を細め、上気した頬に恍惚を浮かべる。

 砂漠において水は貴重だ。故に、この地の風呂と言えば蒸し風呂だけ。

 身体に積もった旅塵を心地良いお湯で洗い流す快感など、得られよう筈も無い。

 だからこそ、神殿内の広々としたプールは一般開放され人々の憩いの場となり、今日も多くの人が水浴びに興じ、身体の砂塵を洗い流して涼を取る。

 人目も憚らず、子供のようにはしゃいで水浴びに興じるパレンシア。本当に気持ちよさそうだ。

 琥珀色の長髪を結い上げ、純白の水着姿のメルティナも階段を降りゆっくりと身体を水に沈ませる。

 水の冷たさに身体が強張るのを徐々に慣らしながら、肩まで浸かり輝く天蓋を仰ぎ見る。

 気持ちいい。ひんやりとした水が汗と熱気を身体から洗い流してくれるかのよう。

 浮力に身を任せ仰向けで水面に揺蕩うと、幌の眩しさに目を細めながら少しの間、遊泳して楽しむ。

 真紅の水着を纏い階段の縁に腰を降ろしたアルフォリア。水中に足を投げ出し、両手で水を掬うと自分の身体に掛け、

「ああ。生き返る様だな」

 水辺で涼みながら人心地付く。彼女の居る一角は底が浅く、腰元までしか水位が無い。

「ちょっと。なに、すました顔してるのよ?」

 泳ぎ近付いて来たパレンシアが一段深くなった所からアルフォリアを見上げる。つまらなそうに口を尖らせて。

「私はここで休んでいるから、泳いで来たらどうだ?」

 視線の先にはメルティナが気持ちよさそうに泳ぎ続けていた。二人に気付く様子はない。

「………そうね、そうさせてもらうわ」

 俯けた顔に悪戯っぽい笑みを浮かべると、浅瀬に上りアルフォリアの片足首を掴み、水底へと引き擦り込む。

「まっ 待て、パレンシア。私は――」

「ダメよ♪ 聞く耳持たないわ」

 抵抗虚しく、頭までしっかりと水に浸かってしまったアルフォリア。ぷはっと顔を出すと、両手で髪を搔き分け顔を拭き水気を切る。その様子を呵々とお腹を抱えて笑うパレンシア。

「笑い事では無いんだが……」

「いいじゃない。水も滴るイイ女ってヤツよ♪」

 眉をひそめて非難を口にするも、当の本人はどこ吹く風。笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を指先で拭う。

「ええい、お返しだっ」

 ムキになってアルフォリアが水面を掻き、喜色を浮かべる顔に水を浴びせた。

「やったわねっ」

 口角を吊り上げながら報復として両手で波濤を投げ付ける。

 二人が水を掛け合っていると、別の方向から盛大に水を掛けられた。

「楽しそうですね。お二人とも♪」

 翠碧の瞳を細めながら笑い掛けるメルティナ。すぐさま踵を返して深瀬へと逃れるも、追い縋る二人から飛ばされた飛沫を浴びてはその冷たさに思わず目を瞑る。

 それから、三人は童心に帰って水浴びに興じた。

 程なくして遊び疲れると、三人並んで水際の階段で佇み涼む。

 こんなに遊んだのは、いつ以来だろうか? 

 余り記憶に無い。とにかく冒険の連続だった気がする。

 そして、シャルディムに至っては今も―――、

「彼氏の事、考えてたでしょ?」

 水面を見詰めるメルティナの頬をつつき、見透かしたように悪戯っぽい笑みを浮かべるパレンシア。

「えっと………」

 図星を突かれ、はぐらかそうと思わず曖昧な笑みを浮かべる。しかし、その程度で怯む彼女ではない。すかさずメルティナの首に腕を回すと抱き竦めて胸元に引き寄せた。

 零れんばかりの豊満な胸と濡れた水着が頬に当たる。上目遣いでチラリと見ると、真紅の双眸を細め嫣然と笑っていた。

「いやぁ~。残念よねえ、見せる相手が居ないって♪」

「別に、そういう訳では……」

「いいからいいから、皆まで言わなくて♪」

 浮かべた喜色を深めるパレンシア。本当に底意地が悪い。そんな事言われたら、余計に恋しくなる。

「……………」

 メルティナは拗ねて口を尖らせた。

「パレンシア。余りからかってやるな」

「は~~~い♪」

 アルフォリアが肩を竦め苦言を呈するも、意に介した様子も無く再び水に浸かり水面に揺蕩う。無邪気に楽しむ様子にメルティナは毒気を抜かれ、憮然を浮かべて嘆息した。

 セルケトを討伐し、毒の採取から帰還後。この地に逗留を言い出したのはパレンシア。

 行軍中、タオルで身体を清拭していたものの、拭い切れない砂塵に余程堪えられなかったのか、プールでの水遊びを頑として譲らなかった。

 嫁入り前の女を一人で置いておくのは不安だし忍びないとして、アルフォリアが同伴を申し出た。

それで、三人居た方が不安も少ないという事で女性陣を残し、シャルディムは依頼主に納品。レイドロスは過負荷で不調な右腕のメンテナンスのために首都であるフィサルクへと向かった。

 往復には最低でも一週間。途中、魔物の襲撃に遭えば到着は更に延びる。

 自分たちよりも経験と実力のある二人の事だから問題無いだろう。

 それでも、もし万が一の事があったら。気を揉んでしまい、居ても立っても居られない。

「あ、そうそう。この前言ってた、貸しのことだけど―――」

 浅瀬に上がったパレンシア。ウインクしながら嫣然と微笑む唇に指を宛がう。

「貸し? 何の話だ?」

 疑問符を頭に浮かべるアルフォリアだが、メルティナには思い当たる節があった。

 確か。セルケト襲撃の際、流砂に嵌った所を助けてもらった時に言っていた筈。

 ヒソヒソと耳打ち。その対価としての要求は、意外な物だった。

「もちろん、いいわよね?」

「―――まあ。それくらい、なら……」

 正直、少し複雑な気持ちだが、まあいいだろう。少しだけ。ほんの少しだけ、この地に留め置いた彼を困らせたい気持ちもあった。

 彼が嫌がる顔を想像して可愛いと思う自分は、きっと底意地が悪いのだろう。

 別にどうでも良いが。


エピローグ


 一週間後。シャルディムはフィサルクから蜻蛉返りで帰って来た。

 レイドロスは修理が終わるまで首都を離れられないので独り残して。

(まあ、レイドロスだし)

 女じゃあるまいし、問題ないだろう。まずはメルティナたちとの合流が先決、そう判断して戻って来た。

 途中、魔物の襲撃に遭ったがそれ程苦戦はしなかった。つつがない旅程をこなし、ディシャルダへは早朝に着いた。

 女性陣が待つ宿に着いて荷物を降ろすと、染み付いた砂塵を洗い流すため早速プールで水浴び。

「あー、生き返るー」

 耳を水に浸けないように注意しながら、プカプカと尻尾と共に仰向けで水面に浮かぶ。

 メルティナたちと水浴びに興じ、いや、散々水を浴びせられながら旅の疲れを癒した。

 そして、その日の晩。パレンシアの言葉に絶句する事になる。

 食事も終え、部屋に戻って休もうとした所で呼び止められ、

「アンタの尻尾、アタシにもモフモフさせなさい」

 パレンシアはフフン、と微笑んで指を差し得意気だ。

「はあ? なんでそんな事――」

「メルティナから許可は取ってるわ」

「はあああああああっ!?」

 驚きの余り、隣に居たメルティナを瞠目した目で見詰める。頬を上気させ、嫣然と笑う彼女がゆっくりと口を開く。

「ごめんなさい。貸しを返すため、そういう約束をしてしまったんです」

 肩をすぼませ、指を絡ませながら申し訳なさそうに目を伏せるが明らかに演技。朱が差す頬と吊り上がった口角が隠し切れていない。

 貸しがどうとか、確かにどこかで言っていた気がする。どこかまでは思い出せないが。

 抗議しようと口を開きかけて止めた。シャルディムはメルティナに弱みを握られており、頭が上がらない。

『そんな事言っていると、バラしますよ?』

 最高の殺し文句だ。

「く…………っ」

 こうなっては仕方ない。怒りに顔を顰め肩を震わせるも、従う外ない。

「アンタも触りたいでしょ?」

 疑問を投げ掛けた相手はアルフォリア。ギクリと肩を震わせて狼狽える。困った事に図星のようだ。

「いや、私は―――」

「アタシが許可するわ。まあ、パーティーの親睦を深めると思って♪」

「そ、それなら、仕方ない、な……」

 コホン、とわざとらしく咳払い。眉をひそめ顔を赤らめながら、渋々と言った体で了承する。

「くっ どいつもこいつも。勝手にしろよ、バカ――――ッ!」

 憤慨し声を荒げるのはせめてもの抵抗。

 そして、一人用のベッドに四人がひしめき合う。勿論、シャルディムを中心として。

「いやぁ、一度でいいから触ってみたかったのよねえ♪」

 見るからにフカフカだし。恍惚に目を細め、屹立した銀色の尻尾に手を伸ばし、撫で回して触り心地を確かめる。撫でる手に、長い和毛がふんわりとした弾力で跳ね返った。

「……、………っ」

 くすぐったくて思わず尻尾をよがらせた。零れそうになった喘ぎ声を必死に押し殺す。

 それからは三人に思い切り、彼女たちの心行くまで撫で回される。

(耐えろ、耐えるんだ。僕っ 大丈夫、怖くない怖くない怖くない――)

 ぎゅっと目を瞑って口を引き結び、込み上げる悦楽に必死の抵抗を試みる。

「あ、そうそう。コレ、一週間は続くから♪」

「ヒイィィィィッ」

 悪魔の囁きに思わず喉がひく付き悲鳴が漏れた。

こんな地獄の責め苦が、あと一週間。想像する打に恐ろしい。顔が青ざめる。

(ふざけんな、バカ―――――ッ!)

 心の中で盛大に憤慨を轟かせた。が、その魂の叫びを聞く者は居ない。

 撫で回される尻尾から快感が迸り、脊髄を駆け抜け脳内で暴れる。

 ダメだ、耐えろ。ここで性欲を爆発させて事を致してしまったら、それこそ向こうの思う壺。逃げの一手が使えないなら、耐えるしかない。

 頭の中で時間を数えるも、過ぎ行く一分が永い。時間が引き延ばされたように錯覚する。

「いや~、たまんない♪」

 頬を上気させ、愉悦を零すパレンシア。他の二人も頬を朱に染めてシャルディム自慢の尻尾を弄ぶ。その顔を盗み見ると、吊り上がる口の端に彼女たちの悦楽を見出す。

 終わるまではまだ、時間が掛かりそうだ。絶望が胸中に広がっていくのが解った。

 そうして、砂漠の夜は更けて行く―――。


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