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陸の人魚は拾われる5



 青年がメリッサを連れてきた場所は、最初に青年が立っていた砂浜から少し奥まった位置にある大きな屋敷だった。

 街道沿いに正門があるはずだが、浜からも屋敷に入れる構造になっている。そうすると、岬の下にある浜は、屋敷の住人が権利を有する場所だったのかもしれない。だとしたら青年は、この屋敷の使用人だろうか。たしかにメリッサが岬から飛び降りて、屋敷の敷地である浜に打ち上げられたら、持ち主としてはたまったものではないだろう。青年がメリッサのことを放置できない理由を彼女は察するのだった。


「旦那様……そちらの方は?」


 大きなテラスから屋敷の中へ入ると、初老の紳士が声をかけてくる。青年に向かって「旦那様」と呼びかけたことにメリッサは驚く。青年は屋敷の使用人ではなく、あるじなのだ。

 メリッサが使用人と思われる初老の紳士にぺこりと頭を下げると、紳士はほがらかな笑みでかえす。旦那様と言われた黒髪の青年は、不機嫌そうに「捨て犬だ」と言い捨てて、屋敷の奥へ進む。


 白と黒の格子柄になっている大理石の長い廊下を、青年に連れられて歩く。いたるところに彼女が今まで見たこともないようなつぼや装飾品が飾られている。ダラムコスタの町は海の向こうの国との貿易で栄えているので、きっとそれらは異国からの輸入品なのだろう。


「なんだ、珍しいのか?」


「はい、見たことがないものばかりです」


「おまえ、どんな田舎からきたんだよ」


 メリッサにとっては大理石の床も、緻密ちみつな彫刻の飾り棚も、置かれたつぼも、すべてがはじめて見るものばかりだ。大きな屋敷はまるで物語に出てくるお城のようだと感じた。

 青年がメリッサを連れていった場所は、屋敷の中でも一番大きな扉の先にある、この屋敷の居間にあたる部屋だった。

 床の上に不思議な柄の絨毯じゅうたんが敷かれ、部屋の中央では真っ黒な艶のあるテーブルが存在感を放っている。布張りのソファも縁の部分は鏡のような光沢のある黒だ。

 黒いテーブルというものをあまり見たことのないメリッサだったが、とにかく高級品であることだけはわかる。


「きょろきょろするな。座れ」


「は、はい……」


 三人掛けのソファの中央をびしっと指さし、青年がメリッサに座るようにうながす。黒髪の青年は向かいにおいてある一人用のソファにどっしりと座り、長い脚を交差させる。


 ためらいながら、指示された場所にメリッサが浅く腰をかけると、お仕着せをした初老の女性が、お茶を運んでくる。

 目の前に出されたカップは、ふだんメリッサが使っているものとは違い、持ち手がない。カップの外側は真っ白で、内側の底の部分には大きな青い花が描かれている。底の花は、注がれた透明な黄色のお茶でゆらめいて見える。雑にあつかったらすぐに割れてしまいそうなほどの薄さのカップは、メリッサが想像もできないほど高価なのだろう。


「名前を言っていなかったな、俺はカイル・アルフォード。ダラムコスタの町でアルフォード商会といえば、知らない者なんていないくらい有名なんだがな」


「は、はぁ……」


 カイルという名の青年をまねて、メリッサも出されたカップを両手で包み込むように手に取る。口もとに近づけただけで強い花のような香りがする。香りはやわらかいのに、飲み干すと少し苦い。彼女が今まで飲んだことのないお茶だった。


「どうだ? 口に合うか」


「……あ、あの。飲んだことがないので、よくわかりません! でも香りは好きです」


「だいたいわかっていると思うが、俺は商船を持っていて、異国との貿易をしているんだ。だから、この屋敷には異国のめずらしいものがたくさんある」


 黒いテーブルもカップも、海の向こうの国からさらに東へ何十日もかかる遥か遠い国の品物なのだという。

 カイルはめずらしいものを自慢したいわけではなくて、興味津々といった表情のメリッサにただ説明しているだけ、という様子だ。


「それで、メリッサだったな? 事情を話せば仕事をやるから言ってみろ」


 まさか人魚だとばれて逃げてきた、などとは言えないメリッサだ。だが、ダラムコスタの町で力をもつ商人なら、薬師協会や医者や薬師とも関わりがあるはず。そう考えたメリッサはあらかじめ考えていた話を彼に聞かせることにした。


「えっと、私はオルシーポートという村で薬師をしていました。父と兄はそれぞれ仕入れや出稼ぎに行ってしまい、しばらく一人で住んでいたのですが……」


 名前や出身をいつわると薬師の資格が使えない。だから大きな嘘をつかない範囲で、もっともらしい家出の理由を説明する。


「父の不在中に、その……村の男性から、け、け、結婚を迫られまして。断ったら、その、わりと無理やり……なんと言っていいのでしょう? 力ずくで、どうにかされそうになり、逃げてきました」


 メリッサの説明に嘘はない。求婚されたのも、力ずくでどうにかされそうになったのも本当なのだ。ただその間にあった「人魚だとばれた」という部分を省いただけだった。


「ふーん、だからやぼったい地味眼鏡でバカみたいに顔を隠しているのか? よけいに目立つと思うが? ……それで行き場をなくして身投げか?」


「違います! 月がとても綺麗だったから、見ていただけです」


「まぁ、いい。ようするにおまえは、無職の家出人なんだな?」


「はい……」


「手に職があるのなら、俺の伝でそういう仕事がないか探してやる。まぁ、時間はかかるだろうから、その間は屋敷の仕事でもしていろ」


「本当ですか? ありがとうございます!」


 いくら資格を持っているからといっても、それだけで仕事はできない。信用がなければ客も取引先もないのだし、勝手に薬を売ればこの街に住む薬師の仕事を奪うことになる。

 だからメリッサは薬師協会で助手を必要としている薬師を紹介してもらおうと思っていた。もし街の豪商だというカイルに推薦してもらうことができれば、仕事も見つけやすくなる。

 カイルが時間がかかると言っているのは、助手を必要としている薬師がそう多くいないことを知っているからだろう。


 彼がその間の仕事まで面倒を見てくれるのだとしたら、本当に幸運だった。


「ああ、しっかり働かないと追い出すからな。……ジョアンナ!」


 カイルに呼ばれて、ゆっくりとした足取りで現れたのは、先ほどお茶を運んできた女性だ。


「はいはい、坊ちゃん。ご用ですか?」


「……いい加減坊ちゃんはやめろ。こいつを雇うことにしたから、仕事を教えてやってくれ」


「まぁ! めずらしい」


 人前で坊ちゃんと呼ばれたことに、カイルはかなり恥ずかしそうに怒りながらジョアンナに指示を出す。彼女の年齢から考えて、おそらくは彼が幼いころ、もしかしたら生まれる前からこの屋敷に仕えている人物なのかもしれない。



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