オルゴールの中の天使さま
イラスト 愛餓え男さま
解剖学の天使
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正直言って、その新しい家を私は全然気に入ってなかったわ。
なぜなら、とてもとてもボロいからだ。
この家を買ったお父さんは「古い洋館は風情があっていい」というけれども、あるのは風情ではなく隙間風よ。
「さあ、ついたぞ」
車がガタガタと震えるような砂利道を進んで、たどり着いた新しい家を見上げているお父さんの声は、すごく弾んでいたわ。
古い洋館に住むことが夢だって、お父さんいつも言っていたものね。隣のお母さんは呆れたように苦笑していたわ。私は不機嫌な顔よ。
確かに見てくれはいい。
高くそびえる煉瓦造りの家で、屋根は赤いトンガリ屋根。窓という窓は、鎧戸で塞がれていた。
広い庭がある。
けれども芝生は枯れているし、生えている木は細くて、触ったら幹がぽろぽろと崩れてしまった。
家の中はもっとひどい。
歩くたびに木製の床はきいきいと音をたてるし、小さな私の体重でも少し沈んでしまうのだ。二階に通じる螺旋階段は一段壊れてなくなっていて、気をつけないとそこに足を突っ込んでこけてしまう。
見上げれば必ず視界のどこかに蜘蛛の巣が張ってあって、ドアの中には歪んでしまって開けないドアもあった。
写真で見た通り、とても素敵な家で、すごくボロボロな家。
薄暗い家だ。
なんだかすごく、気味が悪い。
前の家は小さくて汚かったけど、この家に住むぐらいなら、前の家に帰りたい。お別れした友達もいるし。
でも、そんな意見は却下されたわ。もう買っちゃったし、前の家は売り払っちゃたらしいの。
大人はずるいわ。子供はいつも大人のワガママに連れまわされるばかり。
あ、でも良いことはあったわ。一つだけだけど。
私の部屋が手に入ることになったの。
これだけ大きくて、たくさんの部屋があるのだから、一つぐらい私にも部屋があってもいいんじゃあない? とお願いしてみたら、あっさり許可が下りたの。
あっさりすぎて、むしろきょとんとしちゃったぐらいよ。
もちろん、条件はあったわ。自分の部屋の片づけはしっかりすること。
片づけは面倒だったけれども、それぐらいで自分の部屋が手に入るというのなら、むしろ安いモノよ。
でもそれは、お父さんたちの罠だってことにすぐに気がついたわ。
与えられた部屋は二階の、階段のすぐそばにある部屋だったの。初めての部屋にしてはとても大きくて、その分、蜘蛛の巣もホコリもススもたくさん落ちていたの。
「新しい家の片づけを手伝えってことね」
汚い部屋の真ん中で、私はホウキを片手に肩を落とした。きっと、ここの片づけを終わらせたら『ついでに他の部屋の片付けも手伝って? いいでしょう。もう汚れちゃってるし、ね?』とか言ってくるに決まっているわ。先に『自分の部屋だけ片付けておけばいいのね?』とか、そういうことを言っておけば良かったわ。失敗。
仕方ない。ここの掃除を少しでもゆっくりやって、時間を稼ごう。幸い、大きな部屋だから、時間がかかってもサボっているなんて思われないでしょうし。
でも、なんだろう。まるで、顔の前にニンジンを括りつけられた馬みたいな気分よ。馬鹿にされているみたい。
唇を尖らせて、私はホコリやクモの巣をホウキではらう。ホウキをひっくり返して天井をはらったときには、まるで土砂降りの雨みたいにホコリが落ちてくるし、手のひらだいのクモがおちてくるしで、少なくとも良い気分ではなかったわ。
クモが私の顔の上に落ちてきたときなんて喉が枯れんばかりに、悲鳴をあげちゃったわ。恥ずかしい。
「あれ……?」
天井のホコリとクモの巣をあらかた掃除し終えたぐらいかしら。
天井の隅に、木製の扉があることに気づいたの。その横には、折りたたまれたハシゴ。
つまり、あそこは屋根裏部屋の入り口ね。
ドキドキと胸がたかまるのを感じたわ。
屋根裏部屋。ああ、なんて面白そうな場所なのかしら。
秘密基地に心がときめくのは、男の子だけの特権ではないのよ。
屋根裏部屋の入り口は私の部屋の中にあったわ。つまり、屋根裏部屋も私の部屋だと言えるんじゃあないかしら。
さっそく私は、折りたたまれているハシゴを、ホウキを使って落としたの。
ハシゴを登って、木製の扉を開く。ホコリがどさっと落ちてきた。どれだけこの扉は開かれていなかったのだろう。
下の部屋と負けず劣らずホコリとクモの巣だらけで、小さな窓が一つしかないから、すごく暗い。天井が低くて、かがまないと私でも天井で頭を打ってしまいそうだった。
部屋の中には段ボールが一杯。多分、前住んでいた人は、ここを物置として使っていたんじゃあないかしら。
段ボールの中身にはなにが入っているのかしら。私はちょっとワクワクしながら、一番近くにあった段ボールを開けてみたの。もわっとホコリが舞って、ゴホゴホとせきこむ。中にはなにもなかった。ええ、つまんない。と思ってたんだけど、底の方をよく見てみたら、一つ箱が入っていることに気づいたの。
白くて長方形で、陶磁器製の箱。
「わあっ」
ホコリだらけの段ボールの中にぽつねんと入っていたそれは、ホコリを全然被ってなくて、とっても綺麗だったわ。
「とても綺麗。前の住人の忘れ物かしら……だったら、私のものにしても、問題はない……よね?」
私は陶磁器製の箱を段ボールの中から取り出して、丁度近くに置いてあったテーブルの上に置く。
見れば見るほど、綺麗な箱。
これを手に入れれたから、引っ越しをして良かった。と思えるぐらい。
「なにが入っているのかしら」
箱のフタを開けてみる。
中は赤色の絨毯みたいなものが敷き詰められていた。フタの裏には丸い鏡がついている。
真ん中には踊り台みたいなのがあって、フタが開いたのと同時に、踊り台の下から天使の像がでてきて、くるくると回転し始めたの。それと同時に、ポロン、ポロロン。と音楽が鳴った。
「オルゴールね、とってもいい曲」
とても綺麗で、すっと眠りについてしまいそう。
ベッドの枕の横に置いておくといいかもしれないわね。
踊り場の中心で踊るように回っている天使さまはとてもかわいくて、ずっと見ていれそう。
流れてくる曲は、そこまで長くなくて、ずっと繰り返されているうちに、覚えてきた。曲に合わせて私も、鼻歌を奏でる。掃除をしないといけないことをすっかり忘れてしまうぐらい、楽しい時間。
だから、下からお母さんの「掃除は終わったー?」という声を聞いたとき、正直「あっ、やってしまった」とも思ったし、「ああもう、せっかく良い気分になっていたのにー」とムカッとしてしまったりもした。
でも、まずは掃除をしないといけない。私は後ろ髪を引かれながらもオルゴールの前から立ち上がろうとした。
立ち上がろうとして、立ち止まった。
オルゴールのフタについている鏡に、知らない女の子がうつっていた。
鏡にうつる私の後ろに、見たことがない女の子が立っている。
歳は私と同じぐらい。短い金髪。赤と青で半々に塗られた帽子をかぶっている。その子は私を見て笑っていた。気さくで、優し気で、とてもとても――恐ろしい笑み。
私はすぐに振り返ったわ。
でも、そこには誰もいなかった。
「あれ?」
おかしいな。でもさっき、確かに私は見たはずよ。見間違いとは思えないぐらい、はっきりしたものを。
首を傾げて、私はもう一度オルゴールの鏡を見た。
いた。
さっきよりも近くに座っていた。
積み重なっているダンボールの横にいる。さっきよりも近くにいるから、顔がもっとはっきり見えた。
とても恐ろしい笑みに見えたのは、彼女の青い目が全然笑っていないから。
私はもう一度振り返る。誰もいない。そんなわけがないわ。だって鏡にはうつっていたのだもの。そこの、段ボールの横に。
「……」
私はつばをのんで、恐る恐る積み重なっている段ボールに近寄ってみる。
「ねえ、そこに誰かいるの? 隠れてるの? 私を驚かせて、楽しんでるつもり?」
そもそも。
どうしてこの家の屋根裏にいるの?
それは尋ねなかった。尋ねたら最後、とっても嫌な気分になりそうだったから。
段ボールのすぐそこまで来た。
でも、やっぱり誰もいない。気配もない。だから私は、段ボールを一個おろしてみた。軽かった。多分、なにも入っていない。
開けてみた。すぐに閉じた。
だって、腐った魚をたくさん詰め込んで、それを何十年も放置したみたいな臭いがしたんだもの。
吐きたいぐらいに、気分が悪いわ。
でも、中身になにがあったかは覚えている。なにも入っていないと思っていたけど、一つだけものが入っていたの。
羽根。
小さな白い羽根が、一個だけ入ってた。
あれのせいで、あんなに臭かったのかしら。いいえ、そんなはずがない。羽根からそんな腐臭がするなんて、聞いたことがないもの。
オルゴールに近づいてもう一度、鏡を見る。
私のすぐ後ろに、女の子はいた。
腕を振ったらそのままぶつかってしまいそうなぐらい近くに。
近くにいたから、私はようやく、女の子の姿をはっきりと見ることができた。
女の子は天使さまだった。
オルゴールの真ん中で踊っている天使さまにそっくりだったのだ。
背中にも白い翼が生えている。
違いがあるとすれば、その翼はムリヤリもぎ取られたみたいにボロボロで、お腹は横に裂かれて、邪魔なものをどかすように皮膚はぐいっと胸の方に追いやられているぐらい。てらてらと赤黒く光っている内臓にはとても長い針が二本刺さっていた。まるで、あれで天使さまの体の中をまさぐっていたみたいに。
私はぴたり、と動けなくなってしまった。
オルゴールの音は、そろそろ終わりなのか、ゆっくり、途切れ途切れになっていく。
天使さまは笑っていない目のまま、顔を私の耳の横に移動させて囁いた。
「痛いの、とてもとても、痛くて、苦しいの。ねえ、お願い。変わってくれないかしら?」
「いやっ!」
縛っている紐を千切るように、私は走った。オルゴールはもう殆ど鳴っていないに等しかった。
屋根裏の入り口に飛び込んで、私は自分の部屋に背中から落っこちた。
バタン! と屋根裏の入り口の扉は閉まった。
天使さまは追いかけてきたりはしなかった。でも、扉の向こうから。
しく。
しくしくしく。
と泣いているような声が聞こえたわ。
悲しくて、痛くて痛くて泣いているような。そんな声。
私が落ちた音に驚いたお父さんとお母さんはすぐやってきた。
私は背中が痛いことを我慢しながら、お父さんとお母さんに「部屋を変えてほしい。掃除でもなんでもやるから」と泣いてお願いしたわ。二人は不思議そうな表情を浮かべながら、オッケーしてくれたわ。
新しい部屋には、もちろん、屋根裏部屋はない。
あの部屋にはもう二度と、近づいていない。
屋根裏部屋から落ちて、背中には痣が残った。
それはなんだか、天使の翼のようにも見えなくはなかった。
ホラーを書きたかったところにこの絵を見かけて、ぴったり嵌まった感があったのです。