姉妹
気付けば白無垢であった。
若干予定は狂ったが、山神様への嫁入りである。
私、白鳥瑞貴が。
「ありえない」
「有りえなくないでしょ、だって何も起きてないもの」
何度目の反論だろうか。
口を突いて出てくる「ありえない」は、和華の、父の、長老の、その他大勢の、「何も起きていないのが答えだ」に封殺される。
「何より山神様のお姿は大勢の人が見てるのよ?お言葉も聞いてる。瑞貴を嫁に、って言ったそうじゃない」
「ありえない」
「あぁもう」
マリッジブルーってヤツかしら、などと和華は呟いて、私の顔を丁寧に彩っていく。
白無垢に香を、頬に白粉を叩いて、目元と唇に紅を挿して。
「うん、綺麗」
「ありえない…」
角隠しを被れば、一人前の花嫁が出来上がる。
鏡の中のそれが自分と同一人物とはもはや思えない。
他人事のようにされるがままに、この日を迎えてしまった。
村人の大勢の前で顕現された山神様は、ならなぜ白鳥の一族なんてものを作ったのだと言いたくなるほどあっさりと、私を嫁に求め、それ以降姿を現さない。
そのことがさらに私を戸惑わせ、無礼にも山神様に怒りすら感じさせている。
容易く顕現されるのならば、白羽の一族は結局不要であったのかと。
山神様のご意志を伝える役目は…役目は果たせていたようだが、どうしてあんな紛らわしい落とし方をしたのか。
風のかの字も関わりの無い落ち方だったと記憶しているし、皆もそう感じたからこそ話し合いを始めたのだ。
それに、花嫁が、私?
それこそありえない筆頭である。
私は白鳥の一族であり、わかりやすく言えば巫女のようなものであると認識している。
神に選ばれこそすれ、それは花嫁などと言う役割では決してない、はずだ。
それに、
「ねえ瑞貴」
すっかり花嫁姿が出来上がった私を満足げに眺めた和華が、ふっと表情を引き締めて私を呼んだ。
「…何」
酷く硬い声が出たと自覚している。
そう。
和華だ。
和華こそ選ばれるべきであったと、山神様を疑うことこそあってはならないが、それでも、私より優れた和華を選ぶべきであったと、その思いがにじみ出た結果だ。
私がそう思っていることを知っているのか、和華は真剣な眼差しで私と目を合わせた。
気圧され、目線を逸らす。
「今、何を考えているの?」
「……何も、ただ、ありえないとだけ」
「嘘よ」
どうしてこの妹は、こうも想いを言葉に出せるのだろう。
「私はね、瑞貴。貴女が大切よ」
「…ありがとう」
突然の言葉に面食らって、返答が遅れた。
事ここに至ってする会話だろうかとも思った。
大切に、してもらっているのはわかる。
長女である私は情けない限りだが、和華に頼り切っている。
そして私は和華が羨ましく、妬ましく、疎ましく、それでいて、…大切なのだ。
和華が居ない人生は考えられない。
しかし、和華は私を必要とはしないだろう。
「卑屈」
「…え」
「後ろ向き瑞貴。馬鹿。分からず屋!」
私の考えを読んだように、和華が突如として激高した。
顔を真っ赤にして涙さえ浮かべる妹の顔は、本当に久しぶりに見た気がする。
昔は良くこの顔をした和華を宥め、笑顔にするのが私の役割だったのだ。
「瑞貴は私のお姉ちゃんなのよ!私の、自慢の!瑞貴の性格だからってお父さんは言うけど、でも、瑞貴はすごいんだから!白鳥の長で、まだ成人して間もないのに皆をまとめて、白羽の矢だって射たんだから!」
「和華…」
「どうして俯いちゃうの。もっと胸を張ってよ、私のお姉ちゃんはすごいんだって、見せてよ…」
大粒の涙が、和華の瞳からこぼれる。
思いのほか私は和華から愛されているらしいが、自覚が伴わない。
けれど、お姉ちゃんの私は、妹の慰め方をよく知っている。
そうだった。
私は和華の、腐ってもお姉ちゃんなのだ。
「胸を張って良いと思う?」
本当は胸など張れないけれど、あえて私は、前を向いた。
「良いに決まってる!」
「…うん。和華が言うなら、わかった。私は、白鳥の長として役目をやり遂げた。そう、思えるようになるよ」
久しぶりに口角を上げた気がする。
和華をまっすぐ見て、妹の頭を撫でる。
酷く懐かしい心持がして、抱きついてきた妹を受け止めながら、私も少しだけ泣いた。
ずっと頭で否定し続けていたせいで認識が遅れたが、私が本当に山神様の花嫁になるのなら、村に降りることはなかなかできなくなる。
先代の花嫁は、年に二度だけ里帰りを許されていたと聞くが、それも山神様の気分次第だという。
だからこそ、きっと和華は、ああやって憤ったのだろう。
その結果和華への嫉妬が薄れたが、その反面、私はまた窮屈になった。
お姉ちゃんをすることが、少し、私には辛い。
…こういう自分のもろさや弱さも、本当に嫌いだ。
乗り込んだ輿の中、私は深く溜息を吐いた。
間もなく、嫁入りである。