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白羽の矢  作者: 桃皐
2/4

白鳥

 眠れない。

まったく睡魔は訪れず、春の夜はただ刻々と更けていく。


自分に宛がわれた部屋の薄い布団に包まりながら、一度だけ溜息を許した。

隣の――和華の部屋との壁は薄い。一度だけにしておこう。


いい加減暗闇にも慣れて、私は天井の木目を数えはじめる。

眠れないとき、恐ろしいとき、不安なとき。その他様々な私を苦しめる何れも、こうして一心不乱に木目を数えていたらいつの間にか消え去っていた。


後ろ向きで自信がない、そんな私の特技だ。

1,2,3、ゆっくりと、形を覚え込むように数を数えていく。

あの形はドーナツに似ているし、あれはあの木目の親戚だろうか。あの木目も繋がりそうな形をしている。

一本の木から天井板が作られているのだと、何度数えても感嘆すら覚える。

熱心に木目を読んで行くうち、いつのまにやら、私の心は焦りや不安を隔てて凪いでいた。


――209個目に差し掛かったところ、だった。


耳に聞こえたのは、形容しがたい高い音。

鈴虫の声が一番近いかもしれない。

リーン、と秋の夜に響く虫の音は郷愁を覚えるものだが、それを数倍高くした音域の今のものは、暗闇に酷く物騒に響いた。


同時、心臓が縮こまる。


「…っは、」


肺が恐怖を吐き出した。


この音は、


「山神様の…」


呼び声だ。


呟く間にももう一度。

なぜ今、失敗した後なのに。

私は出来そこないで、もう聞こえなくていいのに。


耳を塞いでしまいたい。

これが聞こえて、聞こえてしまったから、私は白鳥の今代なのだ。


神の社に奉納された、白羽の矢から聞こえる音。

先代の父にも昔は聞こえて――今はもう、私にしか聞こえない音。

代替わり、白鳥の、今代が。


吐きそう、だ。






「瑞貴?」


「うわぁっ」


揺り起こされて、布団を跳ね飛ばして飛び起きる。

少しひんやりと、湿った空気。

跳ね戸が開いて、白い朝の光を投げかけている。


「ど、どうしたのよ。怖い夢でも…見るわね、そりゃ」


酷い顔をしていたのだろうか、目の前の和華が納得したように、そして気の毒そうに頷いた。


「…あさ…」


「そうよ、朝。長老が瑞貴を呼んでる、んだけど…大丈夫?」


「…だいじょうぶ…」


では、ない。

昨夜、あろうことか吐き気に耐えているうちに私は寝てしまったらしい。

山神様を、無視して。


有りえない失態だった。

これほど絶望したことはあっただろうか、いや、ない。


「ちょっと瑞貴…本当に大丈夫?顔色、青いを通り越して土気色よ?」


「だいじょうぶ…」


和華には言えない。いや、父にも、誰にも言えない。

昨日あのような失敗をしたばかりなのだ。

山神様のご意志を伝えるという、我が一族の役目を果たせず。

その上で私は、よりにもよって、私が今代であると証明するが如く私を呼んだ白羽の矢を、無視。


傑作だ。


責任感だけは一丁前に持とうと日頃心がけて来たというのに、よりにもよってそれにすら向き合えず、抱えきれず、投げ捨ててしまった。

言い訳は利かないだろう。

長老の呼び出しも、恐らく、いや間違いなく、昨日の責についてだ。

胃が痛くなるを通り越して穴が開きそうだが、ここで逃げたらそれこそ、私は死んだ方がマシだろう。


和華に心配されながらもよろよろと立ち上がり、身なりを整えて長老の待つ寄合所へ行く。

私が山神様に呼ばれて吐きそうになった挙句寝こけてしまった間にも、顔役たちは一晩中話し合いを続けていたらしい。


「おお瑞貴…酷い顔じゃな、無理もない」


「長老…」


困ったような顔で、長老は白い眉を下げた。

周りの大人たちも似たような顔を私に向けている。

思いもかけずあたたかな空気に、いけないとわかっていても少し、心が緩んだらしい。

その瞬間はたと気付いた。

私は私の事で悩んで、それだけで手一杯になってしまって、彼らに謝罪をしていただろうか、と。


「――申し訳ございません!」


いきなり頭を下げた私に、下がっていた皆の眉が跳ね上がる。


「私が、失敗したせいで…村が」


村が、絶えてしまう。

続きを紡ぐことが恐ろしく、口をつぐんだ私に、長老は不意に溜息を吐いた。

溜息の色は、けれど優しい。


「そのことじゃが、瑞貴よ。昨日な、山神様がご顕現なされたのじゃ」


「………」


「ぇ」


二の句が継げないとはこのことか。


後ろを付いてきた和華が、息をのんだのがわかった。

父は知っていたのだろうか、リアクションは無い。

私は、まさか耳まで役目を放棄したのだろうかと他人事のように思った。


そんな私たちの沈黙は意味をなさず、むしろ好意的に受け止められさえして、長老は唇に微笑を浮かべた。


「瑞貴。お前を選んだのだと仰っておられた」


「………え」


なにに。


「お前が山神様の花嫁じゃ」


長老の言葉を言葉としてとらえるのに数秒必要とした。あるいは数分。

安堵に満ちた表情の皆には悪いが、ええと?

私は頭の回りも良くは無いが、頑張って今の言葉を噛み砕いてみるに。


今長老はなんと言ったのだろうか。冷静に考えてみろ、花嫁…とは、何だったか…


考え込んだ私は、白羽の矢を射た時を思い出す。

天からまっさかさまに落ちた、矢。

突き立ったのは私の目の前で。


「…失敗じゃ、なかった?」


明らかにあの時の矢は重力に従った感じだったが。


「成功じゃ、瑞貴…いや、瑞貴様」


にっこりと微笑んだ長老が目の前から消え失せるのと、後頭部を強かに打ちつけて昏倒するのと、どちらが早かったのだろうか。




瑞貴さんのキャパは大幅にオーバーした模様。

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