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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十二章:さけるもの ―師走・下旬― 其の弐


* * *


 学校から徒歩三分ほどの位置にあるスーパーマーケットも、例に漏れずクリスマスソングを店内に流している。精肉売り場周辺では、骨付きチキンの安売りのために主婦たちの壮絶な争奪戦が繰り広げられていたが、それに対して子供たちの数も疎らなお菓子売り場は、和やかな雰囲気そのものだった。お菓子係に任命された小夜子と芽衣の二人には、選ぶ時間も余裕もたっぷりと与えられている。


「こういうときの定番といえば、やっぱりポテトチップスなのかなぁ……とりあえず五袋くらい?」

「……それくらい、なのかな」

「けど、しょっぱいもの買うなら甘いものも同じくらい買わなきゃだから……」

「そういうもの、なんだ?」


 小夜子の独り言に近い呟きに律儀に返す芽衣だが、なかなか二人の意見が合わない。と言うより、芽衣が意見らしい意見を言わないのだ。

「えーっと。楠木さんは、どういうお菓子が好き? 普段食べてるものとか、教えてくれないかな」

 参考までに、と付け加えたものの、単なる好奇心がそこにはある。芽衣がお菓子を食べるイメージがあまり浮かばないのだ。せっかく友達になったのだから嗜好を知っておきたいというのもある。


 沈黙し、何か考え始めた芽衣。と思いきや、衝動的に歩き出すと一つの袋を棚から取り出した。


 芽衣の手に握られていたのは、「トウガラシ煎餅」と書かれた――何の説明の必要もない――煎餅だ。

「私の家に置いてあるのは大抵これ」

「へー、お煎餅好きなんだねー」

 見れば、彼女はまだ煎餅を棚に戻さずに、袋を裏返して成分表示やら製造元やらを見つめている。


 ――よっぽど好きなんだな……。


「……楠木さん。お煎餅も、買っていこうか」

 小夜子の提案に、芽衣の瞳がきらきらと輝き出す。新たに垣間見られた彼女の意外な一面は、小夜子の頬を緩ませるのに十分だった。


 クラスの全員が満足するくらいのお菓子の量となると、女子だけでは運びにくい。静音がそう判断したのか、数人の男子をクラスから手配してくれた。そのおかげで、小夜子も芽衣も重たい思いをすることなく、学校までの道のりを歩いていけている。外の寒さのせいで、やや早足にはなってしまっていたが。

 夕方の五時とはいえ、日はすっかり短くなってしまった。空はすっぽりと闇に包まれている。灰色の重たげな雲は街全体を飲み込み、冷たい空気をどこにも逃すまいとしているかのようだった。


「……萩尾さんは、さ」

「え?」


 傍らの芽衣が、ピンク色に染まった鼻をマフラーで覆い隠しながら、小夜子に話しかける。平生より真っ直ぐな目は、いつにも増して真剣だ。

「今日は早く家に……下宿先に、帰らなくていいの?」

「…………」

 そう言われて頭に浮かぶのは――たったひとりの、笑顔だ。


 ――奏一郎さん……。


 今日は、どこで何をしているだろうか。また、“あの場所”にいるのか。あの、切り株のところにいるのか。こんな寒い日でも。朝も、夜も――自分を避けるようにして。


「うん。いいんだ。……ちゃんと、今日は帰りが遅くなると思うって、言ってあるし」

「……そう」

 芽衣がそれきり、口を開くことはなかった。吐き出される白い息の行方を、ただ目で追うだけだった。


* * *


 校内は静かなものだった。2-Aの生徒以外はもう校内には誰もいないのではないかと勘繰ってしまうほどだ。教室はおろか廊下の電灯も消されており、漏れてくる外の明かりを頼りに歩くその足は覚束無い。だが、教室に近づくたびにその足も早まる。暗闇で見えないとわかっているのに、自然と足元に目線を送ってしまうのは何故なのだろう。


「……あのさ、萩尾さん」

 久々にして突然に口を開いた芽衣に、小夜子が顔を上げる。

「私なりにね、色々考えたんだよ」

 比較的、低い声で紡がれる静かな言葉。

「萩尾さんが、どうしたら元気になれるのかなって」


 それは、とても優しい色を帯びていて――瞬時には、意味を理解できそうになかったけれど。教室の扉を開いた瞬間に、その言葉の意味は視界に飛び込んできた。


「あ! 小夜子、楠木、おっかえりー!」

 二人の存在に気づいた静音が、笑顔で出迎える。否、そこは問題ではないのだ。クラスの皆が――なんともきらきらとした格好をしているのだ。僧兵に踊り子、妖精に魔物……どれも、中世のヨーロッパを思わせるような――小夜子の見慣れた衣装だった。


「もう皆準備できてるんだから、あとはあんたたちだけだよ! ほらっ着替えた着替えた!」

 そう言う静音に対し、芽衣は軽く肩を竦める。

「騎士の衣装なんてマント羽織るだけで十分だよ」

「えー? せっかくだし全部着ればいいのに!」

「時間かかるもん」


 二人のやり取りの間、小夜子はひたすらぽかんとしていた。皆が、文化祭の劇でそれぞれが演じた役の衣装を着ている。小夜子がそう理解し終えるまでの間に、芽衣も騎士の衣装であるマントを自身の鞄から取り出していた。


「懐かしいねー」

「もう一ヶ月以上も前のことだもんな」

 和気藹々とした会話が耳を掠めるその一方で、小夜子は一人、冷や汗を浮かべていた。


「あ、あ、あの……静音ちゃん! 私、流れ星の衣装……っ」


 持ってきていない、そう言おうとした瞬間。視界が、白で覆い尽くされた。


「あるよ」

 

 一色に染められた視界の端に見えるのは――金色と銀色の、蝶。


「……っこ、れ……」

 息が止まるのではないかと、小夜子は本気でそう思った。


「……ごめんね。返すの、遅くなって」

 小夜子の視界いっぱいに羽織を広げたのも、眉を下げながら謝るのも、やはり芽衣だった。肩にふわりとかけられるそれはとても軽く、柔らかく、そして――微かに、覚えのある優しい香りがした。


「皆ー、全員集まったから並んで並んで!」

 鶴の一声とばかりに、皆がぞろぞろと教卓の前に並び始めたので、小夜子もそれに続く。右には、丈の長いマントに難儀している芽衣がいる。カメラを構え、セルフタイマーをかけるのは静音だった。


「あ! 私、小夜子の左に行くから! そこ空けといて!」

 レンズを覗きつつ、

「あと十秒!」

 そう言って、彼女はこちらに駆け寄ってきた。宣言通り、小夜子の左に。

 赤い光が、点滅する。


「ね、小夜子」

「ん?」

 話しかけてきたのは左隣の彼女だ。これまでに見たことが無いくらいの、柔和な笑みを浮かべた横顔。唇が紡ぐ、他の誰にも聞こえないくらいの小さな声。


「皆で劇の衣装着て集合写真撮ろうって言い出したの、楠木だよ」

「え?」

「ほら。前見て、笑って!」

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