第十一章:めぐるもの ―師走― 其の十八
頑なで閉鎖的な言い方に、小夜子は口を閉ざしかける。だが、
「……奏一郎さん……本当にそう思って、言ってるんですね」
「ああ、僕は嘘は吐かない主義だからな」
彼が先ほどから述べている、“下宿先を変えるに足る理由”。彼が言うからには、本当にそう思って言っているのだろう。
――……だけど、それだけじゃないはず。今日の奏一郎さんは……どこか、何かがおかしい。
拳をぎゅっと握り締め、小夜子は再び口を開いた。
「……他には……」
――他にも、何かあるはず。
「他には、何があるんですか?」
――……そうじゃなきゃ、困る。
「……私がここを出て行かなきゃいけない理由……何があるんですか……?」
――……簡単に、「お別れ」みたいなことを言われても……困る……。
小夜子は自分で言いながら、己の声が潤いを帯びていることに気がついていた。それでも、途中で言葉を切ることだけは避けたかったのだ。己の目が涙で滲んでいることを自覚しながらも、そんなことはどうでもよいとすら思い始めていた。
そんな様子の彼女に、奏一郎も少しだけ碧い目を丸くしている。
しかし暫くして、彼はふっと笑い始めた。目を細める仕草はまるで、無理にでも小夜子を視界から外そうとしているかのようだ。
「そんなの……」
どこからか流れてきた枯れ葉が、辺りを舞う。やがて、それは竜巻状に踊り跳ねて。そして再び、どこへやら秋空の旅に出て行く。
さらさらと音を立てたそれらと、奏一郎の声が重なる。どちらも、潤いなど無く乾いていて。感情など、そこには一切伴っていなくて。
「……さよが一番、わかっているくせに……」
そう吐き捨てたっきり、彼は口を固く閉ざしてしまった。が、そこには笑みを湛えたまま。感情の伴わない、人形のような笑みを湛えたまま。
それを自身に向けられたのは初めてではなかったけれど。それでも、心臓に穴が開いたような感覚は、拭いきれそうにない。
――……奏一郎さんは……私のこと、どうでもいい……?
そこまで考えてから、彼女は俯いて――口角を、上げてしまっていた。笑ってしまっていた。
自らへの、嘲笑だ。
――……私が……私だけが、大切に想ってたんだ。ここでの、生活を。
私は……奏一郎さんに、必要とされていないんだ……。
珍しく、とーすいが慌てたような表情で両者の表情を窺っている……が、小夜子にとってそんなことはどうでもよくて。
ただ煙が目に染みて――彼女の目からは、自然と涙が溢れてきていた。滲んだ視界には蛤が二つ並べられていたけれど。どちらもなかなか口を開くのに時間がかかって――しかし彼女には、それすらもむしろありがたく感じる。
束の間で良い。今は何よりも、涙を隠す時間が欲しい――そう願うから。
夕闇が、ついに東の空を呑み込んだようだ。
先ほどまで残っていた白い雲も、灰色に染め上げられるのを誰にも見送られることなく。夕闇に絵の具のように溶け込んで――在るはずだった形を、失ってしまったらしい。
《第十一章:めぐるもの 終》
次回より、《第十二章:さけるもの ―師走・中旬―》
物語は、冬へ。
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