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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十一章:めぐるもの ―師走― 其の十弐

 廊下にまで響き渡る悲鳴にも似た叫声。絶対安静と言われているのに、と看護師が飛んでくるのも時間の問題かもしれない。が、見られた下着の色を口にされては堪らずに大声も出したくなる。


 頬を朱に染める小夜子に、静音は椅子をがたがた揺らしつつ抱腹絶倒状態だ。

「あーっはっはっはっ! だ……大丈夫だって! さすがに胸のサイズまでは見てないからさー!」

「ああ、あぁ当たり前でしょーっ!」

 そんなものを知られた日には、あまりの恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。


 急いで紙袋を仕舞って、サイズを知られないよう懸命な小夜子の反応に、またも静音は吹き出すやいなや、腹を抱えて笑い出す。ここが病院であることなど知らぬとばかりに豪快に笑う彼女。一時的とはいえ、ここが個室でよかったと心から小夜子は思った。


 一頻り笑い終わって満足したらしい静音は、滲んできた涙を手で拭うと、急に穏やかな微笑みに切り替える。そして、次には安堵の息を漏らした。言葉と共に。

「よかった……」

「え?」

「小夜子が元気そうで……よかった、本当に」


 まだほんの少し涙で潤んだ瞳は、真っ直ぐにこちらに向けられていて。それが笑いすぎて出てきたものなのかもしれなくても、それでも、小夜子は再び泣きそうになった。が、それをどうにか食い止める。たとえどんなに恐ろしくても、言わなくてはならないことがあると思ったのだ。


「お、怒って、ないの……?」

 若干唇を震わせるも、それに小夜子自身が気づく前に静音は目を丸くさせて、

「は? 怒って? ないよ」

 さも当然のように否定した。むしろ、何でそう思うの? とでも問いたげに口をぽかんとさせている。同時に、自分の肩からいつの間にか力が抜けていることに気づかされた。


「だって……私、劇を滅茶苦茶にして……。ほ、本当にごめんなさい……謝って済むことじゃないけど、でも……」

「あー、そのことね。もういいって。多少ドタバタはしたけど、無事成功したし。拍手喝采だったし。皆ががんばってくれたお陰だけどね~」


 にへら、と静音は笑う。その呑気な笑顔はいつもどおり、のはずなのに。どうしてか、小夜子の肩から力は抜けても、罪悪感だけは消えてくれない。それはきっと、目の前にいる親友が気遣ってくれているのが、痛いほどにわかるから。


 だが――静音は、小夜子の心を見透かしたかのように言葉を続ける。


「小夜子のしたこと、正解ではなかったかもしれないし、でも、間違ってもいなかったかもしれない。人によって、その判断は分かれるとは思うよ」

「……うん」

 小夜子自身は、間違ったことをした、と思っているけれど。


「だったら、誰が何と言おうと、私は迷わず『小夜子が正解だ』って言うから」


 その力強い言葉は、そして濁りのないまっすぐな瞳は、小夜子の荷を軽くさせるばかりでなく、目元から涙が流れるのを許してくれた――そう感じた。


「……本当に、ごめん、なさい……。……あ、違う、違った。ありがとう、静音ちゃん……」


 『こういうときは、謝罪ではなく感謝の言葉を』。


 奏一郎に教わったことを未だに守っている自分が、なんだか滑稽に思えて笑えてしまう。だが静音は満足げに、

「いいってことよ」

 男勝りな口吻ではあれど、女性らしい包容力溢れる笑みでそう言ったのだ。すると間髪容れずに、次には背後の扉に向かって彼女は口を開く。

「楠木ー。あんたさ、そんなところにいて寒くないのー?」

 “楠木”という名に、小夜子もすぐさま反応した。

「えっ……楠木さん、そこにいるの!?」

 問いに、静音も笑顔で返す。

「なんでかくれんぼしてんだか知んないけどさー。さっさと出ておいでー」


 数秒の間を置いてから、

「……かくれんぼ……してるわけじゃない」

 小さな反論をしつつ、目を腫らした芽衣が現れた。前髪が少し濡れていることから、恐らく病院のトイレで顔を洗っていたのだろう、と考えられる。

「出てくるタイミングを見逃しただけ」

 そう言い訳すると、彼女も大人しく静音の隣に腰掛けた。この二人が並んでいる構図に慣れるのには、どうも時間がかかりそうだ。


「気分は……どう?」

 病院の照明のせいか、芽衣のほうが疲れているように見えて心配に思いつつ、

「うん、大丈夫だよ!」

 正直に小夜子がそう返す。すると次の瞬間には、安堵の色がその琥珀の目に宿った気がした。


 静音だけでなく、芽衣まで見舞いに来てくれた――そのことが、小夜子はただ単純に、純粋に嬉しい。

 先ほどまで、一人で涙を流していたことが、もう既に昔のことのように感じられる。そんな錯覚を抱いてしまうほど――この二人の言葉や仕草は優しさに満ちていて、とても温かいのだと小夜子は思った。


「あのさ、小夜子。楠木からだいたいのことは聴いたから」

 そう切り出したのは静音だ。先ほどまでの柔らかな言い方は無く、三人の間にぴんと張り詰めた空気を漂わせる。

「……髪、解いてくれる?」

「…………」


 もしも相手が静音でなかったならば、気づかなかったかもしれないのに――。そう思いつつ髪紐からゆっくりと、短くなってしまったそれを解放する。それを見た瞬間――。静音の目に、憤怒の炎が湧き上がって。


「澤田の野郎……ぶっ飛ばしてやるっ!」

 そう言って、椅子から立ち上がった。恐らく、行き先は考えていない。

「ちょっ……待ってよ静音ちゃん! 私、大丈夫だから!」

「大丈夫なわけないじゃん! なんで小夜子の髪がそんな短くなってんのさ!? させられなきゃいけないのさ!?」

 静音の言葉にちらり、と小夜子は視線を芽衣に送るけれど、彼女は無表情で暗闇に包まれた窓を見つめていた。なぜこうも冷静でいられるのか、と不思議に思った小夜子だったが、芽衣も、やがて至極冷静な口調で言葉を発し始める。

「原は、何もしなくていい」

「何もしないでなんていられるかぁっ! 小夜子がこんな目に遭ってんのに、澤田のこと放っとくなんてできねぇよ!」

 一方の静音は、半分涙目だ。いつもとは違う口調で捲くし立てている。怒りが頂点にまで昇りつめると人間、口調が変わるものらしい。


 だが、それでも芽衣は冷静だ。

「大丈夫だから。もうあいつには、私が話をつけてきた。……それに、頭下げさせるよりもずっと、痛い目見たから」


 その言葉に――小夜子ははっとした。芽衣は、知ってしまったんだろうか、と思って。奏一郎が梢にしたことを、彼女は知ってしまったんだろうか、と――。


「……えー、と。何をしたんですかね芽衣姐さん……」

 多少落ち着きを取り戻した静音が、苦笑しながら問う。芽衣はそれに対して弱々しく微笑むだけ。答えをはぐらかすだけだった。

「……大したことじゃないよ。けど、あいつがまた萩尾さんになにかするようなことは無いと思う」

「そ、そう……」


 小夜子はほっと胸を撫で下ろす。だが彼女がほっとしたのは今後の梢のこと、それだけではなく。芽衣のこの言い方からして、“痛い目に遭わせた”のが奏一郎のことを指して言っているのではないだろう、ということだ。

 奏一郎から、まだ何も話を聴いていない。それなのに、彼を不利な立場に小夜子は置きたくはなかったのだ。


 彼女が思案している間にも、芽衣は言葉を続ける。

「……でも、もしまたあいつが萩尾さんに何かするようなことがあったら……」

 可能性は0じゃないから、と付け加えて、彼女はまっすぐに小夜子に視線を送る。


「そのときは……全力で、私があんたを守るから。あんたが二度と傷つかなくて済むように……そうするためなら、私は何だってするから」


 真っ直ぐな言葉と目。彼女から発せられる凄みのある雰囲気に、小夜子も静音も目を丸くする。だが次第に、静音の表情に、ふっと笑いがこみ上げた。

「……楠木。こんな言い方はあれだけどさぁ……。あんた、来年から女子にもてるわ、絶対」

「……は? なんで?」

 今度は芽衣が目を丸くする。その素直な反応が珍しく、そしてなぜか可愛く感じられて。小夜子も静音につられる形で、ふふっと笑ってしまった。


 それから、様々な話をした。文化祭の打ち上げは皆の予定が合わなくて延期になったことや、出し物の部で三位入賞したことなど、事細かに学校でのことを二人は小夜子に教えてくれる。芽衣も長話は得意ではないだろうに静音の雰囲気に呑まれてか、面会時間ギリギリまで弾丸トークに付き合ってくれていた。


 二人が去った後も、小夜子は思わず微笑んでしまう。もういつの間にか、肩の荷はどこかへ吹き飛んでしまっていた。否、二人が吹き飛ばしてくれたのだ。

 自分のすべきことが、二人の話を聴いているうちにやっと見えてきたから。


 ――……奏一郎さんと……ちゃんと、話そう。


 なぜあんなことをしたのか、彼の口から聴かなければわからないことだらけだ。共に生活しているのだから、それぐらいならきっとできる。今までだって、彼との話し合いで解決してきたことばかりなのだから。


 ――……きっと、大丈夫……。


* * *


 冷たい風が吹きぬけ、冬の訪れを知らせている。分厚い雲に覆われた闇夜は深くどんよりとしていて、どこか重たげな雰囲気を醸し出していた。


 時折重なる、二人分の足音。静音と一緒に帰路に就くのは初めてだ。芽衣は何を話していいかわからなかった。傍らの静音もまた、眉根を寄せて難しい顔をしているから余計に、だ。


 やはり、まだ己を許してくれてはいないのだろうか、と。考えたくなくとも、そんなことまで考えてしまうけれど。どうやら、そういうわけではないらしい。


「……ねえ。澤田って、囲碁部だっけ?」

 問われたのは梢に関してのことだった。芽衣はこくんと頷く。

「バスケ部を退部して、すぐに文化部に入ったんだよ。どこでもいいから、居場所が欲しかったんだろうね……。でも、どうしてそんなこと訊くの?」

「澤田が二度と小夜子に近づかないように、さ。少しでもやつの情報を頭の中に入れとくに損は無いと思って。囲碁部の部室にはもちろん、奴のクラスにも小夜子を近づけさせん!」

 『二度と』を強調するところが、とても彼女らしく感じられて。芽衣は思わず笑みを漏らしてしまう。

「……なるほどね」


 小夜子と梢が近づく接点を、生まれる前から消していく、というのが静音の守り方らしい。たしかに、自分のように「梢が小夜子に近づいてきてから守る」よりも現実的で安全なのかもしれないと、密かに芽衣は思った。


 先ほどの激昂ぶりを少しも思わせない、静音の合理的なその考え方。彼女も彼女なりに、感情的な中にも冷静さを持ち合わせているのだ。見習わなければと思うのと同時に、芽衣も尋ねたいことがあったのを思い出す。


「ねえ……原」

「ん?」

「さっきの、萩尾さんの下宿先……『心屋』って言ったっけ?」

「ん? うん。それが?」

 闇夜に映る静音の目は、やはり真っ黒でとても無邪気。きっと、何も疑ってなどいない。あの着物の男のことを――。

「いや……。ちょっと、気になることがあって。……訊いても、いい?」


 まだ、日の落ちない時頃のこと。静音と二人、小夜子の着替えを取りに心屋へ向かったのだ。


 その今にも崩れてしまえそうな木造の建物の目の前に、身を置いた瞬間に――澄んでいる。芽衣はそう感じた。


 少し歩けば車道が広がっていて、ビル街もあるはずのそこは、裏手に広がる森がそうさせるのか、古い木造の店がそうさせるのかは定かではないが、田舎の香りを髣髴とさせていた。

 もしかしたら、夕暮れという存在そのものが醸し出す独特の雰囲気も手伝っていたのかもしれないが。


 とにかく、神聖な場所に足を踏み入れていくときの緊張感を孕んだ空気を、芽衣は心屋を目にした瞬間にたしかに感じ取っていたのである。


 静音が我先にと店内に入っていくので、芽衣も仕方なくそれに続く。が、入って早々、奇妙な商品の数々に出迎えられて絶句してしまった。

 どこがどう奇妙かというと、何を模したのかわからない形の花瓶、割れている鏡、蛇が笠になっているランプ……などの見た目、そればかりではない。


 「これらの商品に、安易な気持ちで触れてはならない」――。

 彼女の頭の中の何かが、そうきつく命令をする。訴えかけてくる。

 その正体が本能なのか何なのかわからずとも、芽衣は素直にそれに従うことにした。先に玄関先にまで入っていき、

「奏一郎さーん」

 と名を呼ぶ静音の背後に急いでひた走る。


「あっれー、いないなぁ」

 彼女はというと、屋内に呼びかけるも主人の出てこないこの状況に、不思議そうに目を丸くしている。だが己の膝元に、葉書大の紙が置いてあることに彼女が気づくのには、そう時間はかからなかった。


 芽衣も覗き込んでみると、そこには走り書きながら達筆な字でこう記してあった。


『さよの部屋は二階の一番奥にあるから、着替えを彼女に持っていってくれたなら、とても助かる。

 演劇、お疲れ様。お茶菓子を茶の間に用意しておいたから、苦手でないのなら召し上がってくれ』


 最後に、「奏一郎」と締めくくられたその書置き。静音は読み終えて、

「いや~、奏一郎さんったら『お疲れ様』なんて労わりの言葉を……。自分も入院の手続きとかで忙しいだろうに、本当に優しいなぁ、あの人。お茶菓子まで用意してくれてるなんて……」

 と、呑気な感想を述べている。


 だが――芽衣は、その書置きさえも恐ろしく感じられた。


 ここに誰かが……それも小夜子のクラスメイトが心屋に来ることを前提としたこの書置き。

 考えすぎか、とも思ったのだが案の定、茶の間の卓袱台には待ってましたとばかりに薄桃色の椿の練りきりが二つ、お茶と共に用意されていて。


 ああ、やはりここに来ることを、あの着物の男は見越していたのだと、芽衣は寒気を覚えつつそう確信した。

 宛名のはっきりしないその書置きも、静音、そして自分宛てに書かれていたような気がしてならない。いや、きっとそうなんだろう、と。

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