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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十一章:めぐるもの ―師走― 其の八

 だが、口ではそう言っても、本当は。


 リオは――芽衣は、心のどこかで期待していた。


 どうにかしてくれるんじゃないか、と。

 自分の願いを、叶えてくれるんじゃないか、と。

 この息をするのも苦しい状況から、自分を救ってくれるんじゃないか、と。


 だが、違った。


 そう思い始めた時点で、救われていたのだ。


 ――「昔の自分を見ているようで……だから、楠木さんのこと、放っておけないんだと思う」――


 小夜子の気持ちがたとえ、同情に過ぎなかったとしても。


 ――「私……楠木さんと、友達になれたら……って、思ってるから」――


 小夜子の言葉に、


 ――「胡散臭い」――


 そう返して、跳ね除けてしまったけれど。


 本当は、嬉しかった。


 涙が出るんじゃないかと思うくらい、嬉しかった。


 だからこそ、疑った。彼女のように己に話しかけてきてくれた存在は初めてじゃなかったからこそ、芽衣は疑ったのだ――。


 それでも、流れ星はリオに言う。



〈私は、おまえを裏切ったりはしない……信じろ〉



 それでも、小夜子は――そんな疑り深い芽衣に言うのだ。



 ――「信じて、いいよ」――



 と。


 困窮していたリオは、その言葉に心を揺さぶられ……結局は、流れ星に願いを言い渡すことになる。

「王女のいる、その場所へと……私を、連れて行ってくれ」


 そう言葉を紡いで、瞬きをしたその次の瞬間には――リオの足は、王女の部屋の床を踏みしめていて。


 視界に入ったベッドには、安らかに眠る王女――エルザがいる。瞼は大きなその瞳を隠すようにして覆っており、彼女の胸は静かに、安定した調子で上下に動いている。


「……エルザ、様」


 久々にその名を呼ぶ声は、ひどく掠れていて……彼女のもとへと近づける足は、どこかふらつきを覚えている。

 しかし名を呼んでも、彼女は少しの反応も見せず……ただ、眠っているだけ。いや、死んだ人間がただ息をしているだけのような……矛盾していて、それでいて哀しい状況を、彼女の寝息は作り出していた。


「……エルザ」


 どうせ目覚めぬのなら、と、かつてそう呼んでいたように、リオはその名を口にする。そして、エルザの耳には届かぬ声で、それでも誓うのだ。


「……私が、助けてみせる。他の者の力など借りない。見返りなど要らない……求めない。だから……私に、君を助けさせてくれ……」


 誰の耳にも届かぬ声で騎士はそう告げ、眠る王女の手の甲に、そっと唇を寄せる。誓いの証に、と。


 やがて、一度(ひとたび)冷たい風が彼を襲えば……彼の足は、気付けば再び丘の上。もちろん目の前に、王女の姿など無く。


 そしてその丘のもとへと舞い降りてくる、花びらのような流れ星の声。


〈……少しは、私のことを信じてもらえたかな?〉


 その声は、笑みを交えた口調で問う。だが一方のリオはその頑なな表情を崩さず、

「信じたわけではない」

 と一蹴する。


「望みを叶えてくれたことには礼を言おう。だが……もう、いい。あとは私の問題だ。王女を助けると決めた、私一人の問題だ。どうせ私が望んだとしても、王女を永遠の眠りから解放させることなど、おまえには不可能なのだろう?」

 すると、流れ星はくすくすと笑うのだ。

〈おまえがそう思ったのなら、不可能なのだろうな〉

「……?」


 その言葉に多少の疑問を抱きつつも、騎士は行く。闇のみが闊歩する道を、一人で。星の輝きも要らぬとばかりに、黙々と、ただ、まっすぐに。



* * *



 光の当たらない体育館の袖には、既に女子数人が待機していた。

「楠木さん、お疲れ様! 次の出番まで時間あるから、お水飲んで休憩してて!」

 そう言って、縁ギリギリまで水の注がれた紙コップを手渡してくる。

「……ありがとう」

 素直に受け取り、口に運ぶと――緊張と、少しの焦燥で乾いていた喉が、一気に潤っていった。

 ふうと一息ついてそのまま床に腰掛けると、目の前にはラジカセ。先ほど、芽衣の声を含ませたテープも、そこには入っている。マイクが外れているということは既に誰かが、次の声を録音させる準備をしてくれていた、ということだ。


「……ねえ」

 先ほど水を手渡してくれた女子に、一応確認しておく。

「もう、声録っていい? マイク、外れてるんだよね?」

「あ、うん。静音が、さっき外してたよ?」

 琥珀の瞳をぱちくりさせると、

「原が……。……そう」

 それだけ言って、芽衣は新しいテープを探す。流れ星の台詞を、次の出番までに吹き込まなければならないのだ。

 そして、一番手近に合ったテープに手を伸ばすと、中に入れセットする。

「……あ、その辺りのテープだけど」

 顔を上げると、先ほどの女子がまたしても、笑みを浮かべつつ口を開いていた。

「練習のときの萩尾さんの声が入ってるテープだから、録る前に聴けば、どんなふうに台詞言えばいいかわかると思うよ」

「……わかった」


 ありがとう、と小さく呟くと、彼女もまた、慌しい様子で舞台裏へと消えていった。今舞台で繰り広げられているのは、王様と、王妃の話し合いのシーンだ。深刻な場面だからか、観客席も、そして手の空いたクラスメイトも、夢中でステージに視線を送っている。

 その最中にも、人だけでなくセットまでも、縦横無尽に芽衣の目の前を通り過ぎていくのだが……彼女は、その様子を視界の隅でしか確認できなかった。


 半分無意識になりながら、イヤホンを差して、再生のボタンを押す。カチッと音がしたかと思うと、イヤホンから流れ出るのは小さな雑音。その正体は、人の気配だ。録音されている間、全員がどんなに息を殺そうと努めようが、どうしても漏れ出てしまうものはあるのだろう。そして、その音の合間を縫うようにして、人の歩く気配は、静かに伝わってくる。


《おまえは……誰だ?》


 雑音のせいか、ラジカセの性能のせいかは定かではないが、クリアには聞き取れないこの台詞の内容を考えると、最初にはっきりと聴こえてきたこの声はどうやら己のものらしかった。もうこの場面は演じ終えてしまっていたのだけれど、なぜか芽衣の指は、早送りのボタンを押そうとしない。

 急いで次の流れ星のセリフを吹き込まなければならないのに、そんな思考すらも、奪われて。


 ――……やっぱり私って……結構、もともと声低いんだな……。


 暗幕を見つめながら、そんなことをぼんやりと思う。そうしている間に、軽い足音がぱたぱたと、雑音に混じってやってきて。


《私の姿に、驚いているのか?》


 それは紛れも無く、萩尾 小夜子の声で。神秘的なオーラを纏った流れ星の雰囲気に少しでも近づけようと、役作りに励もうとしているのが声の調子から丸分かりだ。

 クールで、神秘的で、横柄で、上から目線の流れ星。今思えば、萩尾 小夜子ほど、流れ星役に相応しくない役者はいなかったな、と芽衣は思う。


「……似合わないんだよ……」


 ぽつりと独り言を言いながら、思わず笑みを零してしまう。果てしなく薄い笑み。だが、それも醜い感情から生まれでたわけではなくて。そんなことすらも久しぶりで、頬の筋肉が妙に引きつってしまう。


 そしてその間にも、テープはかつての時を克明に刻んでいた。


《信じて、いいよ……》


 劇の台詞であって、そうではないこの言葉。


 テープから発せられているのであって、そこに彼女がいるわけでもないのに――。思わず、目の前にあるラジカセに、そっと触れてしまう。無機質で、温度を持たないそれは指先を冷やすだけだ。わかっていても、そこに手を伸ばしてしまう。


 次に耳に響くのは、小夜子の台詞に対する「待った」の声。演技指導の日下のものだ。と同時に、いつもの(やかま)しさを取り戻し始める教室の雰囲気。


《やっぱり難しい? 台詞。……今更変えるわけにもいかないけど》

 心配そうな日下の声。そして、騒がしい2-Aの声。

 どれも大音量であるはずなのに、彼女の声だけがまるで水中を漂う気泡のように、ぷかりと浮かんで――。


《だ、大丈夫……っ! いっぱい練習するから!》


 浮かんで、そしてすぐに、消えていった。


 芽衣のもとに訪れる、恐ろしいまでの静寂。テープが切れた証拠だ。密かに気を紛らせてくれていた雑音すらも、その耳には届かない。


 優しいはずの彼女の言葉も、今では胸に突き刺さる。

 そう、彼女――萩尾 小夜子は劇の練習をがんばっていた。適役でないと、自覚していただろうからこそ、余計に。


「……萩尾さん」


 無論、恋人でもなければ、家族でもない。ましてや……友達なんてとんでもない。そう思うのに。


 どうしてなのか、芽衣にはわからない。


 何の名も持たぬ間柄であるはずの萩尾 小夜子に、こんなにも、会いたくなるなんて――。


 次に会ったら、何を言おうか。謝罪か、感謝か。


 どちらも、しっくり来ない。深く考えずとも……芽衣は直感でそう思った。だからどちらも、きっと違うのだろう。


 きっと、彼女に告げるべきは――。


「……信じるよ……」


 静かに落とされた言葉は誰の耳にも、そして、当然のことながらこの気持ちを伝えたい本人にすら、決して届かない。今ここにいては、この気持ちを伝えることは不可能だ。


 だからこそ焦るのだ。早く、劇を無事に終わらせたい。成功させたい。


 早く、彼女に伝えたい、と。


* * *

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