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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十章:かわるもの ―霜月― 其の十八

「……おい、あの子はどこだ?」

 口早にそう言って、辺りをきょろきょろと見回す橘。

「ん。なんか……ほら、倉庫に閉じ込められてたんだけどさ。また、走って戻っていっちゃったみたい」

 そう言って、桐谷は困った顔をする。彼にとってはこの上ない真実なのだが、橘には到底理解できない状況だ。

「は……!? なんでまたそんな……!?」 

「わかんないけど。突然走って、行っちゃった……」


 桐谷がしょぼん、と捨て犬のような顔をしだす。彼もどうやら責任を感じているよう。どうしてこの男は一人のときは頼りがいがあるくせに、自分が来た途端に腑抜けになるのか……橘にはわからない。

「とにかく、もうすぐで救急車は校門に着くはずだ。お前は先に行って、詳しい発作の症状を救急隊員の人に説明してくれ。すぐに俺が彼女をそこまで連れていく」

「ん、わかった」

 そう言うと、桐谷は校門へと向かって走った。今回ばかりはゆっくり移動することなど許さない。

 そして橘も、学生時代にすら入ったことのない倉庫へと歩を進める。しかし、


「急いで……」


 震えた声が、彼の足を止めさせた。

「……え?」

 振り返ると、羽織の端を両手で握り締める少女の姿。初めて見る顔だが、小夜子と消えたという主役の子が彼女なのだろう、と橘もすぐに気づいた。格好さえ見れば一目瞭然だ。

 そして彼女は、その美しい(かんばせ)を恐怖の色に歪めている。


 「急いで」と、ひたすらに彼女は繰り返す。なにか恐ろしいものでも見ているかのように、目を見開いて。体を震わせて。

 そして、彼にこう告げるのだ。


「あれは……人間じゃない」

 と。


* * *


「ごほっ! ……う、げほっ!」

 小夜子は一人、咳をしては喉を鳴らして、どうにか自分の意識をここに留めさせる。

 再びここに戻ってきてしまったことが、どんなに自分の体に悪いことか。そんなことを、考えている暇など無くて。


 梢がここにいて危険だとか、ここが古い建物で危険だとか。

 本当は、そんなことはどうでもよくて。ただ、彼に会いたかっただけなのかもしれなかった。


 ――……変なの。毎日……会っているはずなのにな……。


 助かったから、安心したいのか。彼に会えずにいると、安心できないのか。小夜子にはよくわからない。


 或いは単に、謝りたかったのかもしれない。


 “化け物”と聞いて、一瞬でも彼を思い出してしまったことを。

 『ごめんなさい』、と一言謝ってしまいたい。自分が楽になるためだけの謝罪になってしまうかもしれないし、謝罪の内容を事細かに話すわけにはいかないけれど、それでも、彼は笑ってくれる。そんな気がするから。


「……そ、いちろ、さん」


 名前を呟くだけで、呼吸が少し楽になる。しかし次の瞬間には、もう存在しない倉庫の扉の前に辿り着いて、中に一歩足を踏み入れることになるのだ。

 外の空気を目一杯吸い込んで、小夜子は暗闇にその身を溶かす。


 予想外なことに中に入ってみても、奏一郎はおろか梢の姿もそこにはなく。ただ埃だけが、小夜子の体にまとわりつこうと空中遊泳している。

 仕方無しに、ほとんど無意識ながらも小夜子は先ほどまで自分と芽衣が閉じ込められていた、奥の部屋へふらふらと進んだ。途中、散らばった自分の髪を踏みつけていることにすら、気づかないで。


 霞む視界が、体の限界を小夜子に知らせてくれる。


 相変わらず暗くて、湿った空気の不愉快さ。まるで梅雨の空気だけをここに凝縮させて閉じ込めたよう。舞う埃に、再び肺が汚されていく――。


「うっ! ……ごほっ!」


 途端に、小夜子は眉を顰めた。


 ――……? 今のは……?


 自分以外から発せられた咳だ。それも、奥の部屋から発せられたもの。小夜子はゆっくりと、その場所へ足を踏み入れる。扉はもうないので、部屋に入るのは思いの他簡単だった。


 そして、その暗闇の奥に広がる光景を、目の当たりにした瞬間。


 小夜子は咳をすることも、息をすることも忘れ、その場に立ち尽くした。


 嘘だと。夢だと。幻だと、思いたかった。


 ここは、“地獄”と化していた。


 この場を、その身一つで地獄に変えてしまえたのは――壁を背に、恐怖に目を見開いたまま喘ぐ梢よりも。


 その細い首を両手で締め付ける、奏一郎の笑顔だった。


* * *


 不変のものなど、この世には存在しない。


 もし、あるとしたなら。


 それは、この世ならざるものだけ。


第十章:かわるもの ―霜月― 終章

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