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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十章:かわるもの ―霜月― 其の十六

 潤いを持ち合わせた梢の瞳が、小夜子の目の前で揺らめく。大きなその目は、零れる陽を容易に集めて爛々と輝いた。

「ねえ、理解できる? “あんたのせいで楠木がいなくなってから、チームが弱くなった”ってさ。怪我させられたのは、追い出されたのはこっちなのに、だよ? 廊下ですれ違うたびに喧嘩売られて、何もしてなくても笑われてさぁ! なんで……っ」

 潤んだ瞳を瞼で隠して、梢は叫んだ。

「なんで私が、いじめられなきゃなんないんだよ……っ!?」


 あらん限りの声を吐き出した彼女は、力を失ったように小夜子の胸座を解放した。小夜子もそれに従うようにして、力無く跪く。もう、この体が息をすることすら忘れてしまったみたいに感じていた彼女だったが、まだ大丈夫だ、と息を目一杯吸うと、

「理、由……それが、理由……っ?」

 息とともに、言葉を吐露する。

「……は?」

「私には、わかんな……ごほっ……。なんで、あなたが、楠木さんに嫌がらせするのか、わからない……っ」


 痺れを切らしたようだ。梢が、無理やりに小夜子を立たせた。ぐらつく肩が、無造作に揺れる。

「あいつは知ってたんだよ! 私が部員からいじめられてんのを……! なのに……なのにあいつは、見て見ぬフリをした! だから許せないんだよ! せっかく……せっかく、友達でいてやったのに!」


 ――……“いてやった”……?


 朦朧としてきた意識の中でも、その言葉だけははっきりと疑問に思った。


 すると、奥の扉がひどい音を立てる。天井の埃が、また一つ、二つと落ちてきたのが、視界の片隅に見えた。

 何も言わない小夜子を見て、梢はまたもにやりと笑う。相変わらず目の色は、悲しみと憎しみに揺れているけれど。


「ああ、やっぱり知らないんだ? そうだよね、そうじゃなきゃこんな風に庇ってられないもん。私とあいつはね、一年の時には同じクラスだったんだよ。そんでね、あいつは私を信用しきって、自分の悩みとかぜーんぶ教えてくれたんだけどさぁ」

「梢! もう、それ以上言うなっ! 言うな……っ!」

 再び命令口調に返った芽衣だったが、声は、梢の目と同様、涙が流れているようで。

「頼むから……言うな……っ!」

 彼女の言葉を聴いていて、小夜子まで涙が出そうになる。


 ――……楠木さん、泣いてるの……?

 ……泣かないで……もう、苦しまないで、ほしいのに。


 芽衣の声が途切れないように祈る。もはや、ここに意識を留めていられそうにないから。


「萩尾さん、あいつは、楠木 芽衣は、普通の人間じゃないの」

「言うな……っ!」

 芽衣の叫びににたりと笑うと、梢は言葉を続けた。耳を塞ぐ暇も無く、小夜子は彼女の言葉を聞いてしまった――。


「化け物が見えるんだよ? あいつ」


 時が止まったみたいに、感じられた。無音の世界だった。

 芽衣の声が、聴こえない。聴こえたのは、扉の奥で、扉と彼女の黒衣が擦れる音。もしかしたら、やはり泣いているのかもしれない……。ぼんやりと小夜子は思う。


「化け物も、幽霊も見えるんだってさ。初めてあいつが私にこのことを話してきた時、マジかよって思ったよ。でも、私のペットが死んだことも、私が言う前からあいつはわかってたからさ。信じたよ、すぐにね。……同時に、“気持ち悪い”とも思ったよ」


 ――……化け物って。……普通の人間じゃないって……。


 記憶の中で拾った梢の言葉を、少しずつ組み合わせていく。


「それでも無理して友達でいてやったのに、なに? 私がいじめられだした途端に、私から逃げたんだよあいつは!」


 歪んだ表情からは、憎しみと悲しみと、そして狂気が滲み出る。

 自分のせいじゃないのにいじめられて、孤独になって。そう、それは、小夜子の受けた仕打ちと同じ。父親に責任転嫁され、孤独に陥った自分と同じだと、小夜子は思う。


 同じ、はず。だけど、同じはずなのに、何かが違う。


 同じ弱さを抱えているはず。なのに、どうしてだろう。


 ――……どうして……。同情も理解も、できないんだろう……。


「……それ、が?」


 振り絞ったような小夜子の声に、

「は?」

 と、梢が目を見開いた。それでも、続ける。


「仮に……楠木さんが普通の人間じゃないとしても……一緒にいられない、わけじゃないでしょう……?」


 どうして、涙が出るんだろう。


「たとえ、化け物だとしても……一緒にいたいって気持ちがあれば、一緒にいられるはず……」


 頭の中に浮かぶ人物が誰なのか……小夜子にはわかっているけれど。

 もう、意識が飛んでしまいそうだ。芽衣の声も、先ほどから聴こえていないけれど。

 

 頭の中にいる彼が、自分を精一杯、揺り起こそうとしてくれている。そんな気がする。

 そして、“化け物”と聴いた刹那、無意識に彼を思い起こしてしまった自分を……たまらなく、大嫌いになりそうだ。

 小夜子の頭の中の彼は、笑ってくれているけれど。それでも彼女は悔しくて。そんな風に彼を、一瞬でも思ってしまったことが悔しくて。それを紛らわそうと、再び口を開く。


「……それに、友達……だって、無理してなるものじゃないでしょう……?」


 梢が泣いているみたいに見えるのは、自分の視界が涙に揺れているからか。


「……楠木さんに裏切られたって思って、こんなことするのも……本当は友達だって、思ってたから……でしょう……?」

「……っるせぇんだよ。黙れよ!」

 自分の肩を掴む目の前の人間の、左手に触れてみる。石膏のように冷たい、左手。ひどく醜くて、ひどく純粋で、ひどく単純な、この手。

 人を傷つけることしか知らない手。自分や芽衣が彼女と違うところはここだったのだと、小夜子は朧気ながらも気づいた。


「澤田……さん?」

 もはや目の前にいる人物の名前さえもあやふやだ。それでも、それ以外の言葉なら迷い無く、紡ぐことのできるこの口。

「本当に……最初に逃げ出したのは。……最初に“友達”を手放したのは……誰……?」


 問いながら、小夜子は意識が自身から離れていくのを感じた。だけど、目を瞑ってはいけない。まだ、芽衣がいる。この部屋の奥にまだ、弱いあの子がいる。泣いているかもしれない、一人で、あんな暗いところで、泣いているのかもしれない――。

 小夜子は目を線のように細めてはいても、決して瞼を閉じようとはしない。闇の広がりを見せる視界を、光の一線が切り取っている。その中に、目を見開いてこちらを睨む、梢の姿があった。まるで、“怨み”を体現するために生まれてきた鬼のよう。ただ普通の鬼と違うのは、この鬼が右手に持つのは金棒ではなく鋏であるということ。


 そして、その刃先は、小夜子の髪へと向けられた。突き動かしたのは、衝動。


「……っるせぇ、んだよ……! 何も知らないくせに……っ!」


 耳元で金属の擦れ合う音がして、思わず背筋に鳥肌が走る。左手で掴まれた髪の一部が、まばらな長さの胡桃色の糸となり、埃だらけの床に散らばって――……ほとんど無心の境地にいる小夜子はぐったりと首の力を抜いて、それを虚ろな目で見つめていた。

 ジャキン、ジャキン、という(くう)を、そして髪を切り裂く音が、連続的に、そして不規則にこの空間に響く。そして芽衣の耳にも、その音は届いていた。

「……梢っ! やめろ! 萩尾さん……萩尾さん……っ!」

 同時に扉を叩くけれど、もうその音も、自分の名の響きさえも遠くに感じ始めた小夜子は――……抵抗する力も無くて。耳元で繰り返される鋭利な音に、ひたすら耳を傾けて。

 ゆっくりと、瞼を閉じた。


 その時だった。


 突然に、梢の背後から光が差したのは。


 鼓膜が破れるんじゃないか、そう疑ってしまうほどの雷鳴に似た音は、小夜子の意識を無理やり引きずり出した。その音の正体は、固く閉じられたはずの入り口の扉が蹴破られた音。


 そして光の中心にいる黒い影――その正体は、紛れもなく桐谷 由良その人で。いつもどおりのぼーっとした顔で、一言。

「……あ。さよさよ、発見……」

 この人はこんな時でもマイペースなんだな……そう思いながら、小夜子は心の中で薄く笑った。


 対して、笑ってなどいられないのは梢だった。誰も助けになど来るはずはない、そう思っていたのだろう。校舎の端にあり、もはや誰も近づかないはずの体育館第三倉庫。人を閉じ込めるのに格好の場所だったはず。だが現に、招かれざる客は蹴破った扉の残骸をひょい、と軽く避けると、すぐさま梢の目の前に現れたのだ。狼狽しないほうが、おかしかった。


「っ誰だよ、おまえ!」

 圧を込めた声で梢が叫ぶも、桐谷は首を傾げるばかりだ。

「……名乗る程の名でもないので」

 言い終わる前に、彼は梢の右手首を素早く掴んだ。彼の左手に筋が生まれると、梢も駆け抜ける手首の痛みに顔を歪める。

「いっ……!」

「……ナイフを使わなかった点は、褒めてあげるけどねー……。それでも、女の子が鋏って、コレは無いわな……」

 そう言うと、さらに左手に青筋が浮き立たせる。それと同時に、梢の右手から自然に鋏が落ちた。大量に切り落とされた、小夜子の髪の毛の上に。


 その様を見届けてから彼はしゃがんで、横たわる小夜子に視線を送る。ここに入ってきた時から、ずっと無表情でいる彼。やたら手慣れた梢への対処。彼が元不良であることを、こんな時に実感してしまう。

「さよさよ、大丈夫……? 立てる……?」

 息を思いっきり吸ってから、小夜子は口を開けた。桐谷が入ってきてくれたのと同時に、新鮮な空気が入り込んでくれたおかげか――先ほどよりも、息がしやすい。

「……奥、に。扉の、奥にまだ。……あ、あの子も、助けてくださ……ごほっ!」

 精一杯声を出すも、単語しか繋げられない。それでも、桐谷はこくんと頷いて、

「ん、わかった」

 二つ返事をして、すたすたと奥の扉へ向かう。迷いの無い足取り。ここに何度か足を運んだことがあるのだろうか、と小夜子はぼんやりと思った。だが、もうそれもどうでもよくて。体がだるくて、重い。視線をどこかに置くのすら気だるくて、億劫だ。


 再び轟音が耳をつんざいた瞬間に、埃の舞う空間の奥に芽衣の姿が映った。どうやら桐谷が、また扉を蹴破ったようだ。


 そして、久方ぶりに見たような芽衣の顔。涙の跡が頬にうっすら残っていて、細かな埃がそこにくっついてしまっている。

「萩尾さん……っ!」

 すぐさま小夜子のもとに駆け寄り膝をついて、潤った眼差しをこちらに向けている。

 初めて彼女の素顔が見られた気がして、小夜子は少し嬉しくなって――……緊張の糸を自ら断ち切り、ゆっくりと意識を手放していった。


* * *


「……萩尾さん? 萩尾さん!? ……っう、ごほっ!」

 呼びかけても返事の無い小夜子に、芽衣は途端に焦りの表情を浮かべるが、すぐに咳き込む。彼女もまた、悪い空気に体内を汚してしまったようだ。口元を押さえ、苦悶に眉を顰めている。

 しかし、恐らくほぼ同時、あるいは小夜子の方が悪い空気に当てられていた時間は短いはずだろうに、と思いながら、桐谷も口を押さえる一方で、内装を一通り見渡した。

 柱、床、そして天井。今度、自分の会社が取り壊す予定の倉庫。この古さでは、自分の会社に取り壊しの依頼が来たのも頷ける。


 ――……天井も腐ってる、か。……だいぶ暴れちゃったし、早く退散したほうが賢明かな。


「……えーっと、名前忘れたけどそこの美少女。一人で歩ける?」

 少し間を置いて、芽衣がこくん、と頷く。

「んー。じゃあ俺がさよさよを運ぶから、美少女は……」

 桐谷が言い終わるよりも先に、芽衣は意識を手放した細い腕を、自らの肩に回して立ち上がっていた。

「……私が……この子を運ぶ」


 真っ直ぐな目と、迷いのない言葉だった。

 桐谷もその凄みに一瞬呆気に取られ、少しだけ気になり梢に視線を送るも、彼女は立ち尽くしたまま、一歩もそこから動かない。一言で言うならば直情径行。こういう相手からは早めに遠ざかったほうがいい、と冷静に判断する。


「……ふーん、じゃ、倒れないように俺が後ろから支える……」

 体を抱えたまま立ち上がってみると、完全に意識を失ってしまっている彼女を一人で支えるのは不可能に近い。桐谷の支えは芽衣にとっては、ありがたいことこの上無かった。


 しかし一歩前に進んでみるも、瞼をぴくりとも動かさない小夜子。芽衣の表情に、悲しみと怒りと、そして焦燥が走る。

「萩尾さん……萩尾さん! ……なんで、何も言わないんだよっ!」

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