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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十章:かわるもの ―霜月― 其の十四

 誰とも知らないその声が、再び言葉を紡いでいく。

「あっはは……。はぁ……。あー、笑った。一瞬、やばいと思っちゃった。でもよかったぁー。まさか助けに来てくれた子が、おんなじ場所に閉じ込められてくれちゃうなんてね!」


 滑稽そうにそう言う彼女は、本当に楽しそうで。悪魔の声を聴いているみたいに感じる。大して狭くもないこの空間に、響く。でも、そう感じるだけ。扉の奥にいるのは、人間だ。言葉の通じる人間。話せばわかってくれる。小夜子はそう信じ、乾いた口を開く。

「え、えーっと……。だ、出してもらえないでしょうか」

 情けないことに、声が震える。だが扉の向こうの声は、無情にも――。


「ははっ! 出すわけ無いじゃん。この声……“萩尾”さんだっけ? あんたもそこで、劇が終わるのをそこの女と待っていればいい」

 この発言には、小夜子も芽衣も息を呑んだ。劇が終わるまで、という言葉にもそうだが、小夜子の名を知っていたことに。梢もそれを察したのか、

「ああ。二ヶ月くらい前だっけ。体育館で、そこの女がすっ転んで怪我した時さぁ」

 と、説明を始める。

「萩尾さんが率先して保健室連れてったの、私見てたからさ。それからもけっこう、首突っ込んでたみたいだったし」

「……体育館……?」

 小夜子は思い出す。バスケットボールの対抗試合中に、体育館で突然、芽衣が倒れたのを。膝を擦りむいて、捻挫までして。しかしそれは、“倒れた”、よりも。“転んだ”、よりも――。

「まあ、あれは私が突き飛ばして転ばせたんだけどさ」

 そう、第三者の手によって突き飛ばされて、芽衣は倒れたのだ。そしてその“第三者”の正体が、この声の主だったのだ。


 彼女の口吻に、小夜子は戸惑いを隠せない。恐怖心を抑えられない。悪びれるどころか、楽しそうに、まるで当然のことをしたように今までの行いを暴露している。

 しかし小夜子とは違い、芽衣はいたって冷静な風だ。

「……あれは誘ったんだよ。私はあんたなんじゃないかって、ずっと思ってたから。……そしてもし本当にあんたなら、私がバスケの試合で点入れまくってんの見て、何の行動も起こさないはず無いってね」

 芽衣も、笑みを携えている。片方の口角だけ上げたような、意地悪い、狡猾な笑みだ。だが向こうは彼女のその態度が気に入らないらしく、声に棘が生え始める。

「はは、なーんだ。わかってんじゃん。じゃあ何で私があんたを憎んでんのかも、勿論わかってるんだよね?」

「…………」

 途端に、芽衣が押し黙った。噛み締められる唇。泳ぎ始める琥珀の瞳。


「……ははっ」

 何の前触れもなく、梢が再び笑い出した。彼女の笑みは、嫌だ。心の底から、小夜子はそう思う。


「わっかんないんだぁ? それとも、萩尾さんの前では言いたくない?」

「……萩尾さんは、関係ないだろ」

 芽衣のその一言は今までで一番、冷たい言い方だった。静かな声ながら、確かな怒りの炎がそこに灯されているように感じた。

「関係あるよ。ここに入ってきちゃった以上、ね。第一、あんたを気にかけてやってる存在なんて、鼻っから気に食わないし」

 その発言で、小夜子はやっと理解した。この扉の奥の人物は、盲目的に芽衣を嫌っている。否、憎んでいるのだ。

 彼女が触れたもの。彼女が使っているもの。彼女に関わるもの。全て。


「劇の終わりまで、せいぜい仲良くやってなよ」

 その直後、とんっと小気味良い音が聴こえた。どうやら、梢が跳び箱か何かに腰掛けた音のようだ。つまり劇が終わるまで、彼女はここに居座り続けるということ。どうにかして二人が逃げ出さないように見張っていようという魂胆なのだろう。


「……はぁ……」

 芽衣が再び、項垂れた様子で顔を隠す。彼女と、この扉の奥の人物は前々から知り合いだった、そんな雰囲気だ。互いのことを知りすぎている。どんな間柄なのかはわからないが少なくとも、赤の他人ではなさそうだ。

 しかし、芽衣がバスケットボールの試合で活躍した直後、転ばされたのは事実。芽衣は前々から確信を持っていたようだし、彼女にも恨まれる覚えがあったのかもしれない。

「…………」

 小夜子は何も言えなかった。自分からここに飛び込んできたのだ、自分は、無関係なはず。だからこそ、どんなに真相が気になったとしても、詮索するのは止したほうがいいのだ。

 そう、自分からここに飛び込んできたのだから。


「……あれ?」

 小夜子は一瞬にして、目を丸くした。そして次にその目線は、先ほど自分がここに飛び降りたときに使用した小窓に向けられる。

 床から約二・五メートルは離れているであろうその小窓。二人が閉じ込められているこの空間には、体育館倉庫の割に、跳び箱も、マットも置かれていない。梢が予め、逃げられないようにと片付けておいたのかもしれない。強いて「ある」と言えるのは大量の埃だけ。吸いこんでしまわないよう、急いで袖で鼻を押さえる。

 そう、あそこから自分は入ってきた。そして今現在、自分と芽衣は閉じ込められていて、クラスの劇に間に合わないという最悪の事態に陥ろうとしている。そこで、小夜子は考える。というよりも。やっと自らの失態に気付く。


 ――……あの小窓から顔を出した時、私はここに落ちてくるべきじゃなかったのでは……!?


 もしあの時、飛び降りずにそのまま他の人の助けを呼びに行っていたら、こんなことにはならなかったはずだ。芽衣を見つけられたことに安心して緊張の糸をぷっつりと切って飛び降りてしまったから――。だから、こんなにも事態がややこしくなってしまっているんじゃないか?


 そう思った途端に、サーッと全身から血の気が引いた。そして、もはや目も合わせない、黒の騎士へと視線を移す。もう彼女は言葉を発するどころか口を開く気配すら見せない。そんな彼女を見ていると、ますます小夜子は青ざめてしまう。


 ――も……もしかして、怒ってるのかな!? だから何も言わないのかな!? 私が馬鹿なことしたから……! 大人しく助けを呼んでくればよかったのに、干渉したせいで楠木さんだけじゃなくてクラスの皆にも迷惑をかけてしまった……っ!


 小夜子は腰掛けながらも、ごくんと息を呑む。傍らの芽衣にもそれは聴こえただろう。それでも、彼女は何の反応も示さない。


 失態を悔やんでいる暇があったなら、どうにかここから逃げ出す(すべ)を探るのが賢明なのだろうが、隣から発せられる無言の圧力が足枷となり、体を自由に動かさせてくれない。第一、ここには足場となるものが無い。小窓から脱出するのは不可能だ。二人で協力して肩車をしたとしても届かないだろう。逃げ出す術を探ること自体、時間と労力の無駄遣いと言える。


 本当に、出口は一つだけ。嫌がらせの犯人に否が応にも鉢合わせすることになる、その扉のみ。

「…………」

 気まずいまでに流れる沈黙。枯れ葉の舞い踊る音さえも、今は聴こえない。


 ――……みんな、心配してるよね……。ああ、本当に私って……ドジ。またやっちゃったよ。昔よりは改善されたと、思ってたのになぁ……。


 小夜子が一人、己の膝を見つめながら猛省していた時だった。


「ねぇ」

「はいっ!?」

 びくっと肩を震わせてしまった小夜子を、芽衣が怪訝な顔をして見つめる。そして、やがて目線を二、三メートル先に送って口を開いた。

「……何か、喋って」

「……え?」

「いいから。何か喋ってよ」

 なんという無茶振り。女王様にでも命令された気分だ。


 小夜子は頭を捻ってみるも、こんな状況で楽しい話題なんて提供できるものだろうか、とも思う。

「……え、えーっと。な、何を喋ったらいいのでしょう……?」

 思わず敬語になる。粗相を言っては殺されそうで怖い。何と言っても、芽衣は自分に腹を立てているのだから。先ほど、自分に事のあらましを説明しつつ怒りまくった芽衣の剣幕を、小夜子は未だに忘れられない。

「別に……無いなら、いい」

 それだけ返して、再び芽衣は目線を反らす。そのやり取りを通じて、小夜子は再び思案し始めた。


 ――……そうか、こういう時にユーモアのあることを言えば、少しは気分も晴れるよね……。うーん、私、お笑い番組はあまり観ないし、流行りの芸人さんもよくわかんないし、物真似とかやっても面白くないかなぁ……。親父ギャグみたいなの言っても気分が薄ら寒くなるのは目に見えてるし……。お父さんが昔、テレビを見ながらボソッと言った独り言が親父ギャグだった気がするけど……。


 そのとき、小夜子の思考を再び芽衣が遮った。

「……ねえ」

「は、はい! あ、えっとね! 親父ギャグはちょっと私には難易度高いけど、手を使うミニゲームとかならきっとお互いに楽しめると思うの……!」

「あ?」

 小夜子の懸命な発言に、苦々しげな顔をし出す。ああ、この子、馬鹿なんだ。そう顔に書いてある。

 だがその表情が一瞬曇ったかと思うと、驚くくらい濁りの無い、琥珀色の瞳と目が合った。それは、微かに揺らめいていて。焦燥と不安に、駆られていて。

「……どうせ、怒って、るんでしょ」

 掠れた声で、静かに言葉を落とした。


「……え?」

 小夜子は我が耳と目を疑う。

「だから……怒ってんでしょ? 私のせいで、こんなことに巻き込まれて。関係無いのに、こんな埃っぽいところに閉じ込められて、皆に心配かけることになって。……迷惑だって、思ってんでしょ? 責めたいなら……いいよ。責めればいいじゃん」

 そう言って、彼女は膝に顔を埋め始めた。その様は、まるで子供みたいで。平生、大人っぽい彼女の拗ねたようなこの物言いを、不謹慎かもしれないが可愛いなと思ってしまう。

 そして同時に、驚かされる。同じことを、思っていたんだと。

 相手に迷惑をかけてしまったと、お互いに思っていたなんて。


「……ふ、ふふ」

 芽衣が顔を上げる。彼女の瞳には小夜子の笑みが映ったことだろう。あまりに自然に漏れ出た笑みには、小夜子自身も驚いている。

「……なに、笑ってんの」

 意味がわからないと言いたげに、芽衣が眉を思いっきり顰めた。理解できないのだろう。怒っていると思っていた相手が、笑っているのだから。だがそれも、小夜子が怒っているのでは、と不安に思っていた証拠だ。

「えへへ……だってさ。楠木さんの本音みたいなの、今、初めて聞いた気がしたから」

「……なんだ、それ」

 意味不明、とだけ呟いて、彼女はそっぽを向いた。照れ隠し、というやつだろうか、と小夜子は思う。こんな風に照れる橘の姿が、自然に彼女と重なったから。


「……本当に……なんで、来ちゃったんだよ、あんた」

 がしがし、と頭を掻いたせいで、またもポニーテールが崩れていく。しゅっと音を立ててリボンを解くと、また高い位置に彼女は結び直した。

「私は、巻き込みたくなんかなかった。自分ひとりで、解決しようとしてたんだ。……なのに、自分から首突っ込んで……本当、馬鹿みたい」

「……あ」


 芽衣のその投げやりめいた一言に、目を見開く。ああ、やっぱりそうだったんだ、と妙に納得して。


「……やっぱり、楠木さん、そうだったんだ」

「は……?」

「……何をされても、それがどんなに、ひどいことでも。誰にも……相談しないで、一人で抱え込んで。どうしてかなって思ってたんだけど。私、その答え、ずっと知ってたんだ。ここしばらく、ずっと平穏で……幸せで、恵まれてたから……忘れてた、だけだった」


 芽衣を初めて見た時。

 奏一郎に似ていると、思った。雰囲気が、似ていると。それが第一印象だった。だけどそれだけで、それからの彼女を気になったわけじゃなくて。


 本当に似ていたのは、自分のほうだったのかもしれなかった。


 弱いところが……とても、似ている。人によっては、それは“強さ”だと賞賛してくれるのかもしれないけれど。少なくとも、自分にとっては。自分たちにとっては、限りなく“弱さ”だ。


「自分に近づいてくる人が、怖かったんだよね? ……自分が受けている仕打ちに、巻き込んじゃうかも……しれないから」

「……っ!」

 芽衣が、目を丸くする。その間にも、小夜子は続けた。


「誰かを傷つけるわけには……いかないから。友達とも、距離を取って。その人が、傷つかないように。誰も、自分のせいで傷つくことのないように。ずっと……ずっと、守ってたんだよね? 自分に関わる全部の人を……ずっと……一人で、守ってくれてたんだよね……?」


 芽衣は、何も言わなかった。ただ、小夜子の言葉に身を固まらせているだけ。


「……私も昔、そうだったから。一ヶ月以上だったかな、学校の友達と喋らない時、あったよ。……怖くて。私に嫌がらせした人が、私を庇ったり、慰めたりしてくれた友達にも、同じことするんじゃないかって、怖くて。……そう思うと、自分から離れちゃった、友達と。……えへへ」

 力なく笑いつつ、過去を想起してしまう。


 小学校低学年の時だったか。同じクラスの子に、怪我をさせてしまったのだ。翌朝のことは、今でも忘れられない。下駄箱から消えた自分の靴が、ゴミ箱から発見された時の、あの衝撃。

 慰めてくれる友達は大勢いた。だけど自分から、離れた。この子も同じ目に遭わせてしまうかもしれない。自分に関わったら、巻き込まれてしまうかもしれない……。


 自らの放った言葉の鎖で、自らを縛り付けてしまったのだ。


「楠木さんのそういうところ、会ったときからどこかで感じてたのかも、ね」


 ――……ああ、やっぱり。人って、知らないところで誰かに守られてる。

 静音ちゃんや、桐谷先輩や、橘さんや、奏一郎さん、だけじゃない。

 楠木さんも私のこと、ずっと守ってくれてたんだ……。

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