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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第九章:きめたこと ―神無月・中旬― 其の五

 小夜子は目を大きく見開いて、

「な、なに?」

 と問い返し。情けないことに、自分の声が震えたのを自覚した。


「なんで、あんなことしたの」


 唐突かつ短い問いを、完全に理解することは難しかった。“あんなこと”が、小夜子には見当もつかない。

「え、ええと、私、楠木さんに何かした……?」

「私の机の中のあのゴミを捨てたの、あんたと、原でしょ? どうせ」

 その言葉に、嫌な記憶が引きずり出される。

 あの、憎悪の形。


「……うん」

 俯きながら、そう答える。嘘を吐くべきところではないし、そうする必要も無いと思ったからだ。しかしそうすると余計に、彼女の表情が想像のみに委ねられ、生きた心地がしなくなる。

「なんで、そんなことをしたのか訊いてるの」

 冷静な口吻なのに、そこには明らかな怒りが込められていた。

「あ、の……楠木さん、動揺してたし。ショック受けただろうし……あれを自分で処分するのは、たぶん、辛いかなって……思って」

「…………」

 今流れている沈黙の気まずさは、先ほどの比ではなかった。


「私に関わらないでって、前に言ったはずだよ」

「そ、そうだけど……」

「けど、なに?」


 突き放したような凛とした声は、彼女の静かで冷たい怒りをよく表していた。小夜子はその目に見えない気迫に、圧倒されてしまう――。

「あ、あんな状態の楠木さん、放っとけなくて……」

「放っとけなくて?」

 多少イライラした様子で、芽衣は復唱した。

「だから、その……静音ちゃんと一緒に捨て」

「そんなこと、誰も頼んでない。余計なことすんな!」


 小夜子の声は、芽衣の咆哮によって遮られた。教室の空気は静かだが、ぴりぴりとしていた。荒げられた声により、小さな静電気が体中に起こっていくように感じる。しかしやがて、芽衣の口から言葉が紡ぎだされた。

「あんたのそういう行為が、いつでも誰にでも喜ばれると思ってるの?」

 芽衣に喜ばれたくてしたわけではなかった。もちろんその気持ちも全く無かったと言えば嘘になるのかもしれないが、小夜子は見返りなんて求めていない。

 ただ、あの憎悪の形を許すことが――できなかっただけ。

 なのに、今目の前にいる彼女は、自分に牙を向けている。


「……あんた、うざいよ」


 静かに、ぽつりとその言葉を落とされ。小夜子は身の縮んだ音がした気がした。

 足元から、何かがゆっくりと崩れていくような、不安定で、嫌な感覚。それでも、芽衣は続けた。先ほどよりも、静かな口吻で。しかし立て続けに、有無を言わせない口吻で。


「“優しさ”のつもり? 言っとくけど、あんたのはただの自己満足だよ。悪いけど、私はあんたに感謝なんかこれっぽっちもしてないから」

 顔を上げると。眉根を寄せつつ、彼女はそう言い放っていた。怖い。そう思ってしまった。彼女は様々な負の感情をない交ぜにして、言葉を作って、小夜子にぶつけているのだ。

「それとも何、同情? “可哀想”な私に? そんな安い感情、要らないんだよ……っ!」


 何も言えなかった。ただひたすら、芽衣の強い口調に唇を噛み締めていた。

 目の前にいる彼女の瞳が――冷たく、哀しく、揺らいでいたから。彼女の口から溢れ出るのは、涙声に似て潤った声。


「もう、私に関わらないで。話しかけてこないで。もう、二度と……私に近寄らないで!」

「……っ!」


 その、聞き慣れたはずの否定の言葉は――最後までは、よくは聞き取れなくて。それは優しく、耳をふさいでくれる優しい手があったから。


「静音……ちゃん」


 いつの間に戻ってきていたのか――走ってきたのか――静音は多少息を切らした様子で、小夜子の背後に立っていた。力のこもっていない両の手が、ゆっくりと耳から離れていく。

「……楠木」

 歪んだ視界に、いつになく真剣な静音の目が映る。その目は、まっすぐに芽衣を見つめていて。


「何にイライラしてるのか知らないけど、小夜子に当たるのはやめろ」


 いつもの、おどけた言い方ではなかった。彼女の表情に笑顔など微塵もなく、どこか恐怖心を煽るような、絶対に手を出してはいけないものを目の前にしているような気分だった。

 しかし、それにも芽衣は怯まない。

「“当たってる”? 何言ってんの。この子にイライラしてるんだよ、私は」

 そう言って、氷の視線で小夜子を射抜く。

「関わるなって言ってんのに干渉してくるし、無意味な同情してくるし。……迷惑なんだよ」

「あっそ」

 そんなことはどうでもいいと言わんばかりに、彼女の言い方を受け流す静音。有り得ないほどどす黒く重苦しい空気に、小夜子は息苦しさを覚えた。


「あんたがイラつこうが小夜子をどう思おうが、あんたの自由だよ。でもさ、百パーセント善意でしたことをそんな風に言われて、傷つかないわけないじゃんよ」

「その善意を要らないって言ってるのがわかんないの?」

「あんたのそういう態度が、小夜子を傷つけてるって言ってんの。あんたこそ、そういう気持ちがわかんないの? そんなの、頭の悪い私でもわかることだよ」


 息もつかせぬ言い合いが、そこで途切れた。睨み合う二人。両者とも真っ直ぐに睨み合うも、先に視線を下に送ったのは、芽衣の方――。


「……だから言ったんだよ、“関わるな”って」


 乱暴に鞄を持ち上げる仕草をして、彼女は早足で教室を出て行った。その時、小夜子は見た。俯き顔の彼女の瞳に――悲痛が映っていたのを。


「……小夜子、大丈夫?」

「え?」

 振り返ると、静音は心底心配そうな表情で小夜子を見つめていた。眉を八の字に曲げ、少し困ったような目元。先ほどまでの不良顔負けのオーラはとうに消え失せていて、小夜子はほっと胸を撫で下ろす。

「う、うん。全然、大丈夫。ほら、楠木さんに嫌われてるのなんて、前々から、だし」

 無理に強がってみせても、静音にはお見通しらしい。

「まあ、気にすんな小夜子。楠木も、なんであんな言い方しかできないのかねー……」

 呆れた様子の静音は、ふうと息を吐く。

「……そう、だね」


 過去に――芽衣と初めて出会った時に、思ったことがあった。

 奏一郎と、芽衣は似ていると。


 なぜ、そう思ったのか――本当になんとなくだったので、はっきりとした理由はわからないのだけど。


 今となってはもう、まったくわからなくなってしまった。


* * *


 時刻は午後の五時に差しかかろうとしている。静音の母親ももうすぐ学校に到着するらしく、静音は苦悶の表情を浮かべていた。

「小夜子、ごめんね? 傷心のときに一緒にいてあげられなくてさ」

「傷心って……そんな大げさな。大丈夫だよ。劇の練習もあるし……」

「って言っても楠木帰っちゃったから、今日の予定は全部立て直しだからなぁ……」


 芽衣が突然帰った、とは伝えずに、彼女が気分を悪くして帰ったとクラス全員に伝えると、彼らはやはり不安や不満の声を口々に出し始めたのだった。

 結局、芽衣の出番の無いシーンのみの練習となったが、皆どこかやりにくそうにしつつも、練習に励む。


「じゃあ静音ちゃんは、三者面談がんばってね!」

「おー……あ、うん。え? ああ、がんばるさ……」

 気力が無いように見えるのは、本当に気力が無いからなのだろう。

「じゃあね、小夜子! 練習がんばりなよ!」

「うん!」


 笑顔で手を振るも、振り終わったその手をだらんと下ろしたときに、骨の感覚がまるで無いように感じた。心臓は落ち着きを見せても、まだ駄目なのだ、心が。

「……思ってたよりショックだったんだなぁ、私」

 薄く微笑みつつそう独りごちて、小夜子は皆のいる教室に入って、台本を広げた。声に出してみると、やはり流れ星の台詞や言い回しは難しくて、何度も噛みそうになったのだけど。


* * *


 少しずつ、少しずつ、日を重ねるごとに深緋に身を染めていく木の葉たち。中には夕陽に負けじと黄金色に輝くものもあり、空を見上げれば、青やオレンジの淡いグラデーションが広がって、全体的に暖かい色が視界を彩っている。が、北方から送られてくる風は、どこか涼しさよりも氷のような冷たさをはらませ、人々の体を掠めていった。


「……秋は樹木もお洒落になるなぁ」


 くすくす笑いながら、紅紫の風呂敷を片手に、奏一郎は夕暮れの道を歩いていた。青葉商店街のアーチをくぐると、時間帯のせいか人もまばらになっている。が、六時を過ぎても井戸端会議を終えていなかったお喋り好きな主婦たちは、奏一郎の姿を見ることができたのである。


 奏一郎を一目見た人々の反応は、さっと道を開ける者、じーっと観察する者の二つに大きく分けられる。奇異な出で立ちの彼に、何の躊躇いも無く話しかけられる人間は、この商店街においてはほぼ皆無に等しいのである。


 質素な看板を見上げ、彼は目的地であるその店に入っていく。

「いらっしゃいませー」

「こんばんは、奥さん」

 和菓子独特の甘すぎない香りが鼻腔をくすぐる。レジにいた榎本婦人が、思いもよらない人物にあら、と嬉しそうに頬を緩ませた。

 色素の薄い黒髪を一つに束ねる彼女は、四十代前半と言えども、まだまだ若く見える。


「あらあら聖さん、こんばんはっ。お久しぶりねぇ。今日は何にします? 豆の産地を変えたらね、おはぎが前より美味しくなったのよ~」

「ほう、それはそれは」

「味見なさる?」

 にこやかな表情を浮かべ、おはぎの試食を薦める榎本婦人。

「いえいえ、せっかくですが夕食前なので」

「あら、そう?」

 明らかな落胆の色を見せる彼女に、

「奥さんが言うのなら、きっと美味しいのでしょう? 夕食の後に、ゆっくりいただきます。おいくらですか?」

 そう言って奏一郎が微笑みかけると、彼女はほうと息を吐き、いくつ買うのかと目をきらきらさせながら問う。


 と、そこへよく通る声が店内を木霊した。


「おう、奏一郎。昨日ぶりだな」


 和菓子屋の主人が、奥のほうからひょこっと顔を出して挨拶。もうそろそろで閉店の時間なので、片づけを終えて出てきたのだろう。

「こんばんは、榎本さん。昨日は栗を分けていただき、ありがとうございました。お礼と言ってはなんですが、これを」

 そう言って風呂敷を渡すと、受け取った榎本は豪快に笑った。

「いやいや、こっちは手伝ってもらったから分けただけだ。むしろ気を遣わせちまって悪かったなぁ」

「あらあら、あなた、何をいただいたの?」

 風呂敷に手をかけると、彼は「おお」と、感嘆の声を漏らす。


 中にはふっくらと黄金色に光る、スイートポテトが整然と皿の中で並べられていた。ところどころに、ちょうど良い量のレーズンが浮かんでいる。


「美味そうだなぁ」

「ほんとうに。夕食の後にいただきますね。わざわざありがとうございます、聖さん」

「いえいえ、これはほんの気持ちですので。今朝採れた薩摩芋で作ってみたのですが、お口に合うと良いのですが……」

 

 そのとき、ごそっと、奏一郎の着物の袖が動いた。といっても、その衝撃は小さく、奏一郎しか感知しないもの。一瞬袖に目を向けるも、もう動きはしない。しかし、これが“早くしろ”という合図なのだと言うことは、今までの榎本夫妻との会話の流れでわかった。


「……すみません。それじゃあ、おはぎを二つ。これで僕は失礼しますね。スイートポテトは皆さんで召し上がってください」

 料金を払って二つのおはぎを受け取ると、奏一郎は短く挨拶をして、和菓子屋を後にしたのだった。


* * *


 外に出てみると先ほどよりもさらに日は傾いて、藍の色が完全に空を独占し始めた。井戸端会議の奥様方も既にはけ、先ほどまで活気のあった商店街はいつの間にか、人通りも明かりも無い、季節感によく似た落ち着いた雰囲気を纏おうとしている。


「……まったく、とーすいくん。滅多に無い人との会話を邪魔するなんて……嫉妬かい?」

「違わい、馬鹿。俺様、人間はどうも苦手なんだよ。なにより、よく喋るやつは気に入らん。男なら背中で語れってんだ」


 人通りのないことを確認して、「出てきていいぞ」と言うと、声の主であるとーすいが、袖からよいしょと現れた。

「そうかなぁ。僕は楽しいけどな、人とのお喋り。ああいう他愛無い会話って、とても興味深いんだが」

「旦那はそうだろうな。だが俺様、人間には興味ないんで」


 お互いにふう、と息を吐く。この二人、長いこと一緒にいても価値観や美意識が一致した例が無いのだ。


「旦那は、空しくなんねぇのかよ。人間と深く関わるってことは、自分との違いを思い知らされることにもなるんだぞ」

「……うん、そうだなぁ」

 はは、と奏一郎は力なく笑う。


 とーすいを素早く袖の中に隠し、奏一郎はスーパーの中へと入っていった。

「……なあ、旦那。なんで、今日ここに俺様を連れてきたんだよ。いつも買い物に行くときには、一人で行ってるじゃねえか」

 先ほどよりも、声を落とすとーすい。奏一郎もまた、人の少ない魚売り場に着いてから小さく返す。


「わかってないなぁ、とーすいくんは。誰にも相談せずに一人で抱え込むって、けっこう辛いことなんだぞ?」

「夕食の献立ごときで、何を大げさな」


 馬鹿にしたように一笑され、彼は苦笑を浮かべた。が、ふっと目に入ったある魚に、思わず笑みがこぼれる。

「ああ、この前さよと食べた秋刀魚は美味しかったな」


 そう独りごちて、二尾の秋刀魚が入ったパックを見つめる。しかしその目線は、どこか別の部分を見据えていたのだった。

「……“大げさ”なのかなぁ、やっぱり」

「ん?」

「いや……普通、人間は夕食の献立を考えるとき、そこまで悩まないものなんだろうか、と思って」

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