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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第九章:きめたこと ―神無月・中旬― 其の四

「……“お父さん”か」


 ふうと息をついて、奏一郎は彼女から離れた。そうして、再び天井を見上げる。

「うーん。これは、僕と“お父さん”が一緒に遊んでいる夢でも見ている、という解釈でいいんだろうか?」

「んな、わけ、ねえだろっ!」


 ゴィン、と鈍い音が頭に響く。響くだけで、決して痛みは発生していないのだけど。

 まったく刺激を感じなかった頭を押さえて振り返ると、音の正体は、銀の水筒が奏一郎に頭突きと言う名のつっこみを喰らわせたものだったらしい。


「おや、とーすいくん。今日のつっこみも冴えてるなぁ」

「つっこまずにいられるか、あんなもん! だいたい何だ、あの妙ちくりんなお伽噺は!」

「ああ、あれ? 最初は、『桃太郎』でいいかなあと思ったんだけどな。羊を数えたら本当に人は眠るのかっていう実験。本当に効いたから少し驚いた」


 くすくす笑いながら、奏一郎は小夜子の髪に優しく触れた。

「初めて人の眠るところを見られるかもって思ったら、ちょっと好奇心が湧いてな。……うん、人の寝顔というのは、安らげるものがあるなぁ」

 そう言って、目を細める。


「……そうかぁ?」

 とーすいは、腕を組んで奏一郎を見上げた。どこか彼の表情を伺っているような、そんな目線で。

「そりゃあ、嫌いなやつの寝顔で心安らぐやつなんかいないだろうけどよ」

「へぇ……そういうものか」

 とーすいくんと話していると、ときどき勉強になるなあ、と付け加えて、奏一郎は部屋の電気を消した。一気に暗くなる室内。静寂に、暗闇が加わった。

「さて、さよをどこで寝かせようか……」

 うーんと天井を見上げる彼。そして、そんな彼を監視しているとーすいの、円らな瞳。

「……とーすいくん。なぜ、僕を見張っているんだ?」

「別に……」

 釈然としない答え。だが、奏一郎はとーすいが頑固なことを知っていた。尋ねても、素直に答えはしないだろう。


「ま、僕の部屋でいいか」

 隣だし、と付け加えると、小夜子をそっと、だが軽々と彼は持ち上げた。ちなみになかなかの問題発言をしたことに、当の本人は気付いていない。


「よっと。……ふむ。人の重さとはこれくらいなのだな」

「旦那。くれぐれも年齢規制が入りそうなことはすんなよ」

「? よく分からないけれど、善処するよ」

 

 “わからない”――そう彼が言うときは、本当にわかっていないときであるというのがほとんどだ。とーすいは安堵とも絶望とも取れぬ溜め息を吐く。


「おやすみ、とーすいくん」

 優しく微笑んで、小夜子と共に彼は自室へと消えていった。茶の間に独り取り残されたとーすいは、深く息を吐く。

「……なにが“おやすみ”だ」

 少々憤慨した様子ながら、彼はすごすごと店の方へと歩を進めた。


「眠らねえだろうが。俺様も。……旦那も」

 ぼそっと、言葉を落として。


* * *


 瞼を小さく刺激するのは、暖かい“色”だった。

 例えるならば、橙色、クリーム色。優しさの中に柔らかさが加わった、毛布に包まれたような感覚を教えてくれるような、暖かい色。瞼を覆うその色は鳥の囀りも手伝って、朝が来たのだと密かに告げている。


「……ん……」

 ――……鳥が鳴いてる。朝だ。


 そう、心屋に来てから気づいたこと。

 空が東雲色に染まる時頃になると、鳥たちは本当に歌い出すのだ。朝の陽光を受けて輝き出す、葉の表面に浮かぶ朝露に同じ。全ての命あるものが動き出す――それが朝なのだ。

 が、そんなことをのんびり考えていられるほど、時間も余裕も与えられてはいない。それもまた、朝なのである。


「起きなきゃ……」


 ぼそっと独り言を言い、小夜子は上体だけを布団から起こす。そのとき、ツキッと、痛みが右肩の神経に走った。筋肉痛にも少し似た、快いとは言い難い久々の感覚に、小夜子は苦笑する。

 ――ああそっか、昨日……お裁縫してたから……か。慣れないことはするものじゃないなぁ。


「……ん?」


 突如、はっきりと見開かれる褐色の目。

「……ここは、どこ?」


 天井を見れば、毎朝のように見る木目が並んでいる。が、その形が――雰囲気が、いつもと違う。何と違うってそれはもちろん、自分の部屋の天井である。

 周囲を見れば、今の今まで自分が横たわっていたのはベッドでなく布団であることが、床は畳張りであることが、家具も何も置かれてはいない、何とも殺風景な空間に自分一人だけががいるということが発覚する。


 空気を肺いっぱいに吸い込んでみると、よく知っているものなはず。なのに、先ほどから体を掠めるこの違和感はなんだ。


 そして、その疑問に答えるのは――障子を静かに開く者。

「あ、さよ。おはよう」

 見事なまでの白髪を湯浴みで濡らした、奏一郎であった。


 爽やかな朝に似合う笑みを送りながら、彼はタオルでその髪を拭う。


 一方の小夜子は、呆然としていた。見知らぬ部屋。この違和感。だが、彼がいるということは、やはりここは心屋なのであって。そして、この見知らぬ部屋も、よくよく考えれば何度か見たことがあって――。

 紆余曲折を経て、そして辿り着いた結論。心臓を朝から重労働に課すような、結論。


「そ、そ……そそそそそ」

「“そそそそそ”?」

「そ、奏一郎さん?」

「はい、なんでしょう」

 焦燥に揺れる声にさえ、彼は笑顔で返して来る。しかし、これは笑顔で返されてはい終わり、で済まされる事態ではない。

「こ、ここっ……ここっ」

「ん、ニワトリか?」

「違……っ! こ……っここは、いずこであるのでありましょうかっ?」


 小夜子の問いに、

「僕の部屋だよ?」

「なっ!?」

 「それが何か?」とでも言いたげに目を細めると、彼は水を一杯飲み始める。が、小夜子は落ち着いてなどいられない。

 何故ならそうなると、自分は彼の部屋で一晩を明かしたことになると同時に、彼の布団で眠ったことになるからだ。それは、あってはいけないことだ。精神的に、耐えられそうにない。


「な、なんと。なんということを、私は……!」


 ――ああ……もう……! 安穏と眠っていた自分を、全力で叱咤したい!


 小夜子の耳に、

「ちなみに僕が運んだんだからね?」

 と言う台詞は届いていない。


 そしてまたふと浮かび上がる、新たな疑問が。


「……奏一郎さん。あなたは、何処で寝たんですか……っ?」

「ん?」

 すると彼は、悪戯っぽくにやりと口角を上げて。

「さあ、何処でしょう? さよの隣だったりして」

「ええぇぇっ!?」

 

 ――そ、奏一郎さんがととっと、隣で……!?


 一気に鼓動を速める心臓。

 穴があったら入りたいとはまさにこの事だ。が、日常生活において手頃な穴など在るわけもなく。小夜子はモグラさながら、土ではなく毛布で全身を隠した。夢だと信じたい。むしろ、これが現実であってはいけない。

 

「まあ、安心しろ」

 そう言う彼は、うんと腕を伸ばしていた。

「ずっと茶の間にいて、裁縫をしていたから」

 つまり、彼は隣で寝ていない、と。同じ空間にすらいなかったと、そういうことか。

「……そ、そうですか」

 風船から空気が抜けていくように、急速に体から熱が去っていくのを、布団の中で小夜子は感じていた。安堵、そして一気に放たれた緊張感の混じった吐息。


「さよ、もう少し寝たらどうだ? まだ朝の五時だし。あと二時間は寝られるんじゃないか?」

「う……そ、そうですね……」

 どうして、人間の欲求と言うのは尽きないのか。昨夜は空腹で腹を鳴らし、今は重たい瞼を二つ抱えている。

「もう少しそこで休んでおくといいよ」

「は、はい。……お、おやすみ、なさい……」

「うん、おやすみ」

 奏一郎は背を向けて、どうやら台所へと向かったようだ。蛇口の捻る音がする。

 それを見送ってから、小夜子は頭を再び布団へと下ろした。柔らかな日差しの暖かさ、彼の穏やかな声に後押しされてか、ふっと襲ってくる睡魔。それでも、心臓のどきどきがそれをうまいこと撃退している。


 ――うあぁ、朝っぱらからどきどきした。

 ……っていうか、矛盾してないかな。前に私が部屋に入っていったときは、『男の人の部屋に入っちゃだめ』って言ったくせに……。


 唇を尖らせつつも、彼女は自身の体が再び熱を帯び始めるのを無視できそうになかった。


 ――……奏一郎さんの部屋、か……。


 以前見た時が夜だったせいか、今の方がより、その空間がはっきり見える。と言っても、何かが置いてあるわけではないのだけれど。暇なときに彼が読む、数冊の古書。あとは、ほとんど開かれたことの無さそうな押入れが在るだけ。

 そんな殺風景な空間でも、どこか漂う雰囲気が優しく感じられるから不思議だ。心臓がそれほど大きな音を立てているわけではないが、小刻みに、少しだけ速く動く、この鼓動が心地よい。


 ――な……なんか、変に緊張して眠れないな……。


 ぎゅっと目を瞑るも、いつの間にか、小夜子を眠りの世界へと誘う者は消えていたようだ。すっかり、目が覚めてしまっている。

 毛布を両手で強く掴んでみるも、普段、ここで奏一郎が眠っていると思うと、どくどくと心臓が主張し始めてしまうのだ。

「……な、なんだ、私」

 がばっと上体を起こしてから、思わず漏れる独り言。


 ――こ、こんなこと考えて……へ、変態、みたいな。

 私って……変態なのか……!?


 認めたくない。絶対に認めたくない。


 悶々としながら安眠できるほど、人間はうまくできていない。

 小夜子はその後、結局は己の身を起こし畑の手伝いをすることにした。


「薩摩芋がそろそろ収穫だなぁ」

 なんて、のんびりのほほんと言う彼が、少しだけ憎らしく感じたのは一瞬のこと。


* * *


 午後三時に開始され、午後五時に終わる。それが約一週間繰り返され、年間行事にまで組み込まれている三者面談は終わるのである。つまりその週はどこのクラスも、普段よりも帰宅する時間が早まるということ。

 それを喜ぶ学生が多い反面、文化祭の準備が忙しいクラスは、放課後に忙殺されるという運命。そしてその悲しき運命にあるのは、小夜子のクラスも同じであった。


「はい、そこで王女、倒れる!」

「そいやー!」

「声要らん!」

 なぜ、劇の練習のはずがボケとツッコミの漫才になってしまっているのか。このクラスのノリはどうも、本筋から脱線することが多いようだ。


 現在は冒頭のシーンを空き教室で練習中。王女役の陽菜が呪いによって倒れるという、かなり序盤にして重要な場面なのだ。にもかかわらず、かなりのスローペースで練習は進んでいく。文化祭当日まで、今日であと一ヶ月を切ろうとしているというのに。


「うーん……文化部のやつが多いせいか、のんびりしてるなぁ」

 傍らの静音も少々呆れた様子で、劇の小道具を作っている。彼女は声がよく通る上に活舌がよいということで、ナレーションを務めることになっている。そのため、衣装作りに入る必要が無いのだ。

「まあ、文化部だからこそ、時間の采配が上手いのかもしれないけどさー。なんだかんだ、みんなそれぞれの台詞は覚えているっぽいし……」

「……え?」

「……小夜子、大丈夫? なんか生気の無い目をしてますよー?」

「そ、そうかな……?」

 そう言って、小夜子は目線を台本に向けた。


「どうしたの? なんかお疲れモード?」

「う、ううん、なんていうか……寝不足と」

 ここで、少し声を落とす。

「心臓のどきどきで……朝から緊張しちゃって」

「……ほほう」

 静音はたったそれだけの情報で、小夜子の心情をおおよそ理解したらしい。にやにやと笑いを抑えながら、

「まあ、そんな時もあるよねぇ……ふへへ」

「な、なに? その笑い方……っ?」

「べっつにー?」

 心底楽しそうにそう言った。


「いやほら、私もさっきから嫌などきどきが発生してんのよ? 今日が三者面談だし。小夜子もたしか、明日だったよね?」

「……うん」


 ――……お父さん、元気、かなぁ……。


 ぼんやりと、そんなことを思った。


「原ー」

「ん?」

 苗字で呼ばれた静音がその声に振り返ると、クラスの大半の人々がこちらに目を向けていた。

「なにー?」

「今から大道具作り始めるんだけどさ、木材とかダンボールとかって、どこにあんの?」

「えーっとねー。隣のスーパーから分けてもらえるよ」

「あ、そうなん?」

「何回も貰いに行くのも迷惑だろうから、一気に持ってきちゃうか。男子全員で取ってきてもらっていい?」

「いいよ」

「女子も手が空いてる人は行ったげてー」

 文化祭実行委員なだけあって、何か疑問が発生するとみんな静音に群がる。彼女も頼られるのが嫌いな性分では無いので、親切に対応してくれる。


「じゃ、男子一同行って参りまーす」

「行ってらっしゃーい」

 男子全員が教室からいなくなると、教室全体の騒ぎ声の大きさが半減する。女子はそのことにくすくす笑いながら、

「静音、私たちも家庭科室行ってるわー」

「あ、待って! 鍵借りに行かなきゃ。杉田ちゃんにも話あるし、一緒に職員室行くか!」


 女子もぞろぞろと、教室から出て行く。最後尾にいた静音は小夜子のほうに振り返って、

「小夜子は自分の練習してなね。次、あんたのシーンなんだからさ!」

 そう言って、笑い声とともに彼女たちは去っていった。


 静音は気遣いのできる人間である。まだあまり台本に目を通せていない小夜子にとっては、ありがたい提案だ。が、もう衣装を作り終えているらしい芽衣と、そして小夜子しか、この空間にはいなくなってしまったのである。


 沈黙。

 芽衣と二人きりになって沈黙が走るのは初めてのことではないが、今回はその時より気まずさが数倍……いや、数十倍だ。

 彼女は相変わらずの無表情で、台本に目を通しているよう。なにせ背後から彼女を見ているので、彼女の視線の行方がわからないのだ。


 ――……静音ちゃん、早く戻ってきてくれないかな……。


 などと、小狡いことを考えてしまう。


 しかし――。

「……あのさ。ちょっといい?」

 静かな声。驚いたことに、口を開いたのは芽衣であった。

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