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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十九章:さりしもの ―水無月― 其の九

 大学の研究室というのは、こういうところなのだなと芽衣はぼんやり思った。

 一人の人間のために用意された部屋にしては広い空間。壁に沿って並んでいる本棚には隙間なく収められた蔵書の数々。埃一つない床。想像よりもずっと整頓された、清潔な環境だ。

 傍らの純も同じことを考えているのか辺りを見回している。


 向かいに腰かけた教授は冊子を手に取り、かさりかさりと音を立ててページを捲っていく。老眼鏡の角度を時々変えながら。


 父の大学生だった頃の、古い友人。

 同い年という割には、父よりもだいぶ年を食っていた。薄い白髪がまばらに点在して、額の皺は幾重にも連なっている。お父さんというよりおじいちゃんと呼びたくなる。

 何度か見たことがあるような。そういえば父に宛てた年賀状の差出人欄に、この人の名前を見たことがあるような。拙い記憶の薄い背景に、時々この人が写っていたことを思い出していた。


「いやぁ、懐かしいなぁ」

 だいぶ嗄れた声で向かいの彼──柊という──が口火を切った。

「民俗学の助教授になった時にね。研究材料として読ませてもらったんだよ。もうかれこれ数十年近く前だけれどね」

 アルバムを捲るみたいに、「懐かしい」を連発している。

  

「私たちが調べたところによると、どうやらこの土地は『聖』と呼ばれていたみたいなんですが」

 「心屋」を取り囲む森が、そうなる前は「聖」という名の土地であったこと。それも一時(いっとき)ではない、長きに渡って──。そこまでは調べがついたものの完全に行き詰まってしまったのは、時代を遡るごとに資料が古くなっていったせいだ。当然ながら紙の劣化がひどく、とても読み物と呼べる代物ではなくなっていた。


 いやいや、と柊は首を横に振った。

「正確には土地の名前ってわけじゃない。そこは昔、『聖』っていう生業の人達が住んでいたのさ」

「生業……?」

「私もどの年代かは正確にはわからなかったが、少なくとも江戸以前から存在していたのは確かだ。聖ってのはね、神の声を聞き、それを民衆に伝える一族の総称だよ。天変地異を予測したり、迷える人を導いたり……今でわかりやすく例えると占い師になってしまうのかな」

 ひとり納得したようにそうこぼす柊。

「この土地においては相当の権力を持っていたようだよ。溜め池を作ったほうがいい、とか橋を架けたほうがいい、とかね。民衆の力だけではなかなか難しかったろうに、それでもやり遂げていたくらいだから」


 芽衣と純は顔を見合わせ、同時に頷いた。

「……この土地は今、名もなき森になっているんです。聖なんて名前、残されていない。誰も知らない。恐らく江戸の中頃、もしくは幕末の間に、聖の名はこの町の歴史から消えている。……何があったのか、わかりませんか?」

 原因はわからないねぇ、という間延びした答え。

「ただひとつわかっていることがあるとすれば、聖の一族がある日、忽然と姿を消したということだけだねぇ」

「姿を消した?」

 鸚鵡返しに問うと、柊は眉間に皺を寄せた。

「広い土地だ。数十~数百人は住んでいただろうと思うんだけど。それが突然、歴史の表舞台そのものから消えたんだ。妙な話だろう? 例えば拠点を他に移したにしても、災害が起きて一族の血が絶えたにしても。民衆に対し絶大な影響力を持っていた一族が消えたのに、何の記録も残されていないなんて」


 たしかに妙だ、と芽衣は思った。当時の人々がどれだけ文字に精通していたかはわからないが、何かしら記録に残されていないというのはおかしい。箝口令(かんこうれい)でも敷かれていたのか? だとしたら誰が、なぜ?


 深まり始めた思考の渦から、ひょいと掬い上げたのは──柊の言葉だった。


「少なくとも、当時の楠木の人間が何も残さなかったのは、本当に不思議だと思ったね」

「え?」


 思考停止。傍らの純も同じのようだ。目を見開き、喉をきゅっと締めている。

 二人の反応に、柊はゆっくりと話し始めた。


「聖の一族と楠木家はね、かなり親交が深かったんだよ。聖の一族は神の声を聞くけれども、実際に現場で民衆に具体的な指示を出していたのは楠木のほうだったのさ。聖は民衆とはあまり関わりを持とうとしなくてね。楠木家は仲介役を担っていた」


 驚いて二の句が継げない。瞬きをも忘れ、芽衣は自分の膝に視線を下ろした。予想外だった。奏一郎について、心屋について調べていたはずが、まさかそこで楠木家の名が出るなんて。


 芽衣に代わり、今度は純が口を開く。

「……仲介役、なんてなんのために。必要でしょうか?」

「うーん、聖についてはそもそも記録が多くないからねぇ、あくまで予測ではあるけれども。聖の一族は民衆からしたら、神様みたいなものだったんじゃないかと思うんだよ」

「神格化ってことですか」

「畏れの感情はあっただろうね。そして楠木家も少なからずそう思われていたはずだよ。なにせ、人ならざる力を持つ者が数世代に一人はいたらしいじゃない。人間と『神様』の橋渡し役には持ってこいだったんじゃないかな」


 聖の一族と唯一親交があった、楠木家。それがなぜ、聖の一族が消えた時の記録を残していないのか。あまりにも不自然だ。

 残さなかったのか。残せなかったのか。残したくなかったのか。

 きっとこればかりは想像するしかないのだろうけれど。


「……柊教授は、なぜ。なんの研究をしていたんですか」

 渦巻く疑問の潮のなか、唐突に浮かび上がってきたそれを掬い上げる。なぜその話題を口に乗せたのかわからないまま。ただの世間話のひとつにすら思えた。

「お祭りの発祥だよ。五穀豊穣を祈るためのものだったり、疫病を鎮めるためだったり。死者を弔うためのものだったり。現在(いま)となっては、本来の目的が霞んでしまっていることもあるけどねぇ」

 だいぶ饒舌になった柊が、さらに世間話に花を咲かせようとしている。


「君たちのところの納涼祭も、本来は鎮魂の儀が目的だもんねぇ」

「え……そうなんですか?」

 驚きに目を見開かせるのは、今度は柊のほうだった。目は口ほどにものを言うとはいうけれど、信じられない、なんて言葉が今にも聞こえてきそうだ。けれど、すぐにも合点がいったとばかりに溜め息を吐く。

「君んとこのお父さんは、まあ。昔からそういうところがあったからなぁ……」

「能天気で、基本的に何も考えていないですから……」

「いくらなんでも、君らが継ぐ時には話そうと思っているだろうけれどねぇ」


 芽衣に向き直ると、柊が目尻を下げた。

「毎年、君が神楽舞をしているんだろう? 今年の納涼祭はそういう心持ちでやってみるといいよ。知る前と後とでは、また込める気持ちが違うだろうからね」

「は、はい」

 背筋を伸ばして返事をしている間も、芽衣の意識は聖の一族に注がれていた。湯呑みに目線を落とす純も、きっと同じはずだ。


 かつて聖の一族がいたという鬱蒼とした森。あの地に足を踏み入れた後、純はたしかに言ったのだ。

 あの森では、人が死んでいるのだと。それも一人や二人ではないたくさんの、数えきれないほどの人々が。

 そして柊が口にした「鎮魂」。


 まさか、すべて繋がっているのではないか。

 突如消えた聖の一族。

 あの場所で亡くなった「たくさんの人々」。

 親交があった楠木家が鎮魂の儀を始めたのも、もしかしたら──。

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