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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十九章:さりしもの ―水無月― 其の四

 夕方、買い物袋を引っ提げて帰宅する。腕が千切れるんじゃないかと思うくらいには重たいそれを、心屋の台所に下ろした瞬間。

 なにかを焦がしたような臭いが鼻をついた。臭いが強くなるほうへと歩みを進める。その先に奏一郎はいた。畑と森の間、並び立つ無数の石のあるところ。しゃがみこんで土に触れている。


「おかえりなさい、さよ」

 振り返り、奏一郎は微笑んだ。

「ただいまです。何をしていたんですか?」

「手頃な石がちょうど見つかったところなんだ」

 他ではあまり聞くことのないだろう、不思議な返答だ。土のついた手のひらに拳大の石が乗っている。


「その石、何に使うんです?」

「墓石だよ。ごめんね、本当はお別れをさせてあげたかったんだけど。煙を吸わせるわけにはいかなかったから」


 目の泳ぐ先に、小ぢんまりとした焚き火の跡。黒い燃えかすからはまだか細い煙が立ち上っている。くわえて、奏一郎は「墓石」と口にした──。

 すべてを察して、小夜子は力なく足をすくませた。


 ほんの数日前までフチタローと一緒にいたのに、生きていたのに、と。信じられない思いだった。けれど、今朝起きた出来事の詳細を聞けば聞くほどに、受け入れざるを得なかった。現実なのだと。


 感覚の細りきった足で、なんとか奏一郎の傍らに向かう。盛り上がった新しい土。触れてみると昨夜の雨がじんわり、手のひらに滲んだ。

 思い出されるのは、雪の夜。奏一郎との間に溝が深まり、しくしくと背中を曲げている。そんな自分に寄り添ってくれた、あの温かい体。顔を埋めても抵抗することなく、ただじっと傍にいてくれた。


 けれど今はもう、これからはもう、冷たい感触しかないのだ。

 もっとあの毛並みを撫でていたかった。子猫たちだけに構うのではなくて、もっと一緒に遊んでおけばよかった……。

 溢れそうになる悔し涙をこらえ、鼻を鳴らす。


 盛り上がった土の上、奏一郎は先ほどの石を乗せた。これで完成だというのだから、簡素な墓だ。

「名前とか……書かないんですか?」

「死んだ後も名前に縛られることはないさ」

 これまたシンプルな返し。


「……一昨日、外に出すべきじゃなかったかな。出たがったのは彼女だったけれど、きちんと止めるべきだったかな」

 後悔めいた台詞を、まるで独り言のように。

「ああ、でも彼女はそういう子だったな、昔から。生まれた時から好奇心旺盛で、すぐに外に出たがったんだ」

「あんずが小さい頃から知っていたんですか?」

「僕は彼女の親も兄弟も、そのまた親も、ずっと前の親も知っているから。半分、野良みたいなものだったけれどね。一緒に住んでいたも同然だから」


 ふと、並び立つ石の列を見る。あんずの墓も既にそれに馴染んでいる。……瞬間、理解した。数え切れないそれらすべてが、彼が共に過ごしてきた命なのだと。果てしない、膨大な時間を。


「……もちろんね。もっと傍にいたかった、けれど。けれど長生きのために、それだけのために、ずっと家の中に閉じ込めておくのが果たして、正解だったんだろうか」


 なんと返したらよいのだろう、こういう時は。

 奏一郎の口から、ここまで明確に問いかけられたのは初めてのような気がして。

 思考回路を忙しくかけ巡らせ、やがて辿り着いたのは──。


「正解なんて、ないんだと思います」


 ……ごくありきたりな結論だった。


「あんずは、外に出たくて出たんです。好奇心からだとしても、それがあんずの選択だったはずです。……どんな結果になったとしても」

 

 あんずの選択を、外に出たいという気持ちをねじ曲げるなんて、そんなの奏一郎らしくない、とも小夜子は思う。


「こういうのって正解とか、間違いとかで括られるものじゃないと思うんです。あんずは自分で選択して生きたんです。だから……大丈夫ですよ。きっとあんずは、奏一郎さんを恨んだりしません。あんずがいなくなったのも、奏一郎さんのせいなんかじゃありません……絶対に」


 言い終わり、奏一郎を見れば。碧い眼が丸くなっていた。その反応にはこちらのほうが驚いてしまう。なにか、驚かせるようなことを言っただろうか。


「……えっと。気休めにもならないかも、しれないんですけど……」

「ああ、いや。うん。ごめんね、どんな反応をしたらいいのか、わからなくなってしまった」

 それが今の率直な気持ちなのだろう。しばらくしてようやく、奏一郎は微笑んだ。


「そろそろ夕飯の支度をしようか」


 ケージの中、フチタローが鳴いている。以前まで子猫たちでひしめきあっていたのに。あんずまでいなくなってしまった今、広々とした空間が寂しい。

「さよは、フチタローと遊んであげて。今日はたくさん、遊んであげて」

「わかりました!」


 ケージから飛び出して、フチタローは思いっきり伸びをした。おもちゃの紐を揺らめかせると、本能を剥き出しに飛びかかってくる。


「それにしても、フチタローまで引き取り手が見つかったら、心屋も寂しくなってしまうね」

「……そう、ですね……」


 台所に立つ背中を見る。やはり、今日も父の話はできそうにない。


 その時だった。悪魔がこそり、耳打ちをする。


 じゃあ、いつならできるんだ?

 そもそも、話す気はあるのか──?


 その問いかけに、すとん、すんなり。

 ああ、悪魔のおかげで、わかった。

 話す気なんて、そもそもないのだ。



 ──私は奏一郎さんを、独りにしたくない。



 フチタローの首輪が、チリンと響いた。

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