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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十九章:さりしもの ―水無月― 其の壱


 ぽつ、ぽつ、ぽつ。

 湿り気を帯びた空気に、奏一郎は庭へと視線を送った。

 ずっしりと重量感のある灰色の雲の向こう、太陽はすっかり引きこもるつもりのようだ。雨音は徐々に激しさを増す。そのうち大きな水溜まりがそこかしこに出来上がるのだろう。


 雨戸を閉めていると、あんずが近寄ってきた。足にすりすり、と体を擦り付けてくる。


 珍しい反応だなと奏一郎は思った。彼女はどちらかといえばクールな性格なのだ。おやつをねだる時だってこんな仕草はしてこなかったはずなのに。


「どうしたんだい」


 奏一郎は思わず作業の手を止めた。彼女の首まわりを撫でようとして。ところが手を伸ばしたところでするり、すり抜けて。あんずは颯爽と庭に降り立った。どうやら甘えたかったわけではないらしい。


 なめらかな毛並みを雨が撫でていく。しばらく彼女は空を眺め、奏一郎に振り返った。

 にゃあ、とひと鳴き。挨拶をしているみたいだ。


「どうしても出かけるなら止めないけれど……雨宿りはちゃんとするんだよ」


 行ってらっしゃい。

 言葉の終わりを待って、あんずは庭から店先まで走り去っていった。


 追従しようとしたフチタローを捕らえ、しっかりと雨戸を閉める。いなくなった母を捜してか、下ろした後も雨戸の向こうをフチタローが見つめている。


 いつ戻ってきてもいいように、今日は店を開けっぱなしにしておこうね。

 奏一郎がそう言い聞かせて、ようやく諦めてくれたらしい。階段に向かって一直線。今度は遠慮なく甘えられる相手を起こしに行ったようだ。その切り替えの早さに、奏一郎は思わず微笑んだ。



 雨足は、強くなるばかりだった。



* * *



 中間試験も終わり、一段落したところで。大きなイベントのない六月が受験生モードを高めてくれていた。教室の中でたった一人でも必死に勉強をしていたら、周りも自然と焦るもの。静音でさえ、左手に面接対策の参考書を広げているくらいだ。しかもお昼時に。

「『第一印象が大事』……うんまあ、そりゃそうだよね……」

 右手の箸からウインナーがこぼれそうで、小夜子は見ていてひやひやしてしまう。


「静音ちゃん、すごいね。こんな早くからちゃんと受験対策してるんだ」

「まあね! やっぱり早めにやんなきゃじゃん、こういうのって!」

 鼻高々にウインナーを食む静音。その鼻をぽっきり折るのが芽衣だ。

「高校三年の六月ってそんなに早くないでしょ……」

「むー。そういう楠木はいつからやってたのさー!」

「推薦狙いだからね。一年目からコツコツと」

「まじかこいつ……!」


 いつもの和気あいあいとしたやり取りに、憂鬱な気持ちを忘れそうになる。けれど、咀嚼する度。奏一郎が作ってくれたお弁当の味が染みてきて……やっぱり、忘れられるわけもない。


「……あの。実は二人に相談というか、報告があるんだけど」

 そう切り出した瞬間、静音の目が爛々と輝いた。

「なにっ!? ついに奏一郎さんに告白しちゃった!? くっついちゃった!? それともまさか……進むとこまでいっちゃった!?」

 芽衣の目が、ぎらりと鋭利に光った。

「なに。奏一郎(やつ)に手ぇ出されたの? 右手、左手? 折る? ()ぐ?」

「て、手は出されてないので()がないでください……! それとくっついちゃったどころかむしろ真逆になりそうでしてそこはごめんなさい……!」


 二人ともがきょとんとしたので、いよいよ小夜子は続きを口にした。

「実は……お父さんが帰ってくるんだ」

「え、そうなん? 海外から? いつ?」

「もう、今月には」

 静音が目を大きく見開いた。面接対策本がぽろり、手元から離れて地面にダイブ。不吉だ。

「え、それじゃ、なに。もしかして小夜子、これからお父さんと一緒に暮らすの? 転校、しちゃうの?」

「あ、ううん。それについてはお父さんからメールが来てて。高校は今のまま、卒業までいていいって。前の家から通うとしたら、通学時間が増えるのがネックだけど」


 ネック、なんて言葉を使ってしまったが、早起きは大の得意になっていた。長所欄にも堂々と書けるくらいには。奏一郎の畑仕事を手伝ってきたおかげだ。


 静音がほう、と息を吐く。フリーズしていた芽衣もどこか安堵しているようだ。けれどすぐに表情をきゅっと引き締めて。

「……海外出張で離れて暮らしてたってことは原から聞いてたけど。それで、相談したいことって?」

 まっすぐに、琥珀の瞳で射抜かれる。


「そんなの決まってんじゃん。奏一郎さんのことでしょ?」

 静音の問いかけに、琥珀の瞳がゆらり、曇る。

「奏一郎さんは何て言ってるの?」

「……まだ、言えてない。早く報告すべきなんだろうなとは思うんだけど。なんて言われるのかなって思うと……少し不安で」

 うんうん、と静音が首肯する。

「そっかぁ。でも、奏一郎さんも絶対寂しいって! いつも一緒にいた小夜子が急にいなくなっちゃうなんてさ。なるべく早めに言った方がいいと思うよ?」

「そう、だよね」

「むしろ寂しくさせてさ、『ああ、さよがいなくなるのがこんなに苦しいなんて……! この気持ちは一体……!?』みたいな展開を期待しちゃうね私なら!」


 ありえないよ、と心の中で冷静に呟く。けれど、

「あはは。そうなったらいいのに!」

 裏腹に、表情には笑顔が滲んでいく。心と器が、乖離していく。


 ふと、教室の扉に見慣れた小柄な人影。

「あれ、純くん?」

 いつからそこにいたのか、静かにこちらを見つめている。芽衣が振り返ってようやく入る気になったらしい。突然の美少年の訪問に、教室が一瞬色めき立った。

「どうしたの」

「姉ちゃんのケータイ、間違って俺の鞄に入ってた」

 そう言って赤いケータイを差し出す。

「ああ、ありがとう。家に忘れたかと思ってた。それより、なんでさっさと中に入ってこなかったの」

「……姉ちゃんが青春してるから、少し感動してた」


 「感動? なんで?」と疑問を隠しきれない静音。小夜子もどういうことかと考えたが、ある程度のことは察しがついた。芽衣はぽわり、頬を赤らめている。

「小夜子先輩。あと静音先輩、だっけ? ちょっと姉ちゃん借りてくね」

「あ、うん!」

「ごゆっくり~」


 凸と凹のよく似た背中が教室を去る。といっても行き場は廊下だったようだ。一つの窓に細身の二人が収まっている。

「にしても、絵になる二人だよね~。視力上がりそう」

「みんなも廊下見てるもんね……」


 そんな「絵になる」注目度の高い二人が何を話しているかといえば、それはそれは姉弟とは思えないほどロマンチックなやり取りで、なんてことはもちろんなかった。


「教授から連絡が来たらしいよ、家に。母さんが教えてくれた。来週の休日にでもいらっしゃい、だってさ」

「そう……。思ってたより早かったね」

「父さんの知り合いって時点であまり期待してなかったけど。重たい思いして資料を届けた甲斐もあった……」

 ぷつり、言葉を切る純。

「姉ちゃん、浮かない顔してるけど」

「そう、かな」

「もっと喜ぶかと思ってたよ」


 水滴が窓を叩きつける。今朝まではしとしと、上品な雨だったはずなのに。

「……強くなってきたね」

「返事、来週の土曜日にしておくからね」

 激しい雨音。窓が割れるんじゃないかと憂慮してしまう。


 責められているみたい、と芽衣は思った。いまさら迷ってどうするんだと、叱咤されている。激励の言葉は、なさそうだ。

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