第十八章:かわすこと ―皐月・初旬― 其の十参
彼の特別が自分だなんて、烏滸がましいにも程がある。一連の会話を忘れたい。砂に埋もれてしまいたい。叫びたい衝動にすら駆られ──しかし、今はそんなわけにもいかない。
「奏一郎さん、具合はどうですか?」
とことこ、と事も無げに奏一郎のもとに歩み寄ると。彼はぱちくり、と碧眼を瞬かせた。
「大丈夫だよ。それよりたちのきくんは?」
「あ……食材が足りないとかで、出かけてくれました」
今は橘の話題に触れないでほしい。顔から火が出そうになる。
「そうか……なんだか悪いことをしてしまったね」
「奏一郎さんは病人なんですから、気に病むことないですよ。私が行くって言っても橘さん、なかなか聞いてくれなくて。……ちょっと、失礼しますね」
額に指の腹をちょこんと乗せる。熱はどうやら無いようだ。本当にただ、突然に倒れただけ。
「寒かったり……あ、むしろ暑かったりしませんか? 空気の入れ換えもしたほうが良さそうでしょうか?」
「さよ。僕は本当に大丈夫だよ」
柔らかく、けれど毅然と彼は答えた。
「わかっているのさ、こうなった原因も。いつも通りになるのがいつ頃なのかも。全部わかっているから……だから、大丈夫だよ」
「こんな風に倒れるの、初めてじゃないってことですか?」
「いいや初めてだよ。でも、わかるから」
ふっと目蓋を伏せるから、碧眼が隠れてしまう。どきり、としてしまった。白い布団に横たわり、白い毛布に身を包む白磁の肌。視界を白で埋め尽くされて、まるで彼が──死んでしまったみたいに見えて。早く、早く。目を開けて。
「さよに……いつか話す時が来ると思う。そう遠くない、と思う。誰にも話していないことも、さよにならきっと」
ふっと、目尻が下がった。
「もしかしたら、さよに怒られるかも。呆れられちゃうかも。嫌われちゃうかも、しれないけれど」
「……そんなことが、こわいんですか?」
「『こわい』、か。そうだね、そうかもしれない」
「……それがどうしてなのかも、その時に話してくれますか?」
遠くない未来で。彼が何を話そうとしているのか、まったく予想もつかない。今はそれ以上に、今の奏一郎の口から漏れた言葉のほうが小夜子には衝撃的だった。
また期待してしまう。また思い上がってしまいそうになる。
そんな不安をよそに、ぱちり。碧の眼がこちらを捉える。捕らわれる。ほっと安心したのも束の間──、
「特別、だからね?」
……そんな、どちらとも取れるような台詞を溢すので。思い上がってしまいそうになるのはきっと、間違いじゃないんだ。そんな風に思わされてしまうのだ。




