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ツクモ白蓮  作者: きな子
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第十八章:かわすこと ―皐月・初旬― 其の六

 学食が一般公開されているのは今日だけのようだ。ちょうどお昼時だからか、広い食堂には多くの人が詰めかけていた。定食にカレー、きつねうどん、オムライス、ビーフシチュー……食券販売機の前で、小夜子は大いに悩んでいた。

「一番人気なのは定食……洋食部門だとオムライスが人気で……ああ、でもシチューも捨てがたい……」

「真剣に悩んでるねぇ」

「だって、ここの学食は特別美味しいって有名ですから……! それにもしかしたら二度と食べられないかもしれないですし!」

「たしかにね。たくさん悩みなさい」


 結局、小夜子が選んだのはオムライスだった。ビーフシチューがかかっているというお得感に目がくらんでしまった。カロリーのことが一瞬頭を掠めたが、今にも鳴き出しそうな胃袋のこともとうてい無視できそうにない。

「いただきます!」

 手を合わせ、一口頬張る。ほろりととろける肉厚の卵に、濃厚なシチューソースが絡み付く。まだ飲み込んでもいないうちから、既に胃袋が喜んでいるのを感じるほど。咀嚼を重ね、ごくり。濃厚な口当たりから一転、どこか爽やかな後味だ。

「美味しいです……っ」

「それはよかった。カレーも美味しいよ。藤さんの作るのとは、また一味違うね」

「……奏一郎さんって本当にカレー好きですね」

「人によって材料も作り方も味も違うからね。僕もこれくらい、美味しく作れたらいいんだけど」


 たしか以前に一緒に作った時は、初めてだったせいで少しだけ失敗してしまったっけ。人参は一口が大きくて、じゃがいもは煮込みすぎて形を失って。玉ねぎの入れすぎで甘口になって。

 思い出して、小夜子はふふ、と笑ってしまった。ああそれでも、美味しかったなぁと思って。


「そういえば、さっきの講演はどうだったんだ?」

「面白かったです! 私、栄養士になりたいって考えたとき、小学校の給食センターのことしか……漠然としか考えられてなかったんですけど、他にもたくさんあるんですね! 病院や介護施設、養護施設……それに、スポーツ選手の毎日の献立を考えたりとか」

 ほう、と満足げに奏一郎は微笑む。

「それにここでは教員免許も取れるらしくて、家庭科の先生にもなれるらしいんです! 杉田先生を見ていて、私もあんなかっこいい人になれたらって、実はちょっと憧れもあって……」

 柄にもなく、早口で捲し立ててしまった。小夜子は思わず口を塞ぐ。

「ご、ごめんなさい。私ばかり喋ってしまって」

「ああ、いや。さよが先生かぁ、と思ってね」

 思わず背中も丸くなる。やはり夢を語るというのは、少しだけ気恥ずかしいものがある。普段のドジっぷりを見せつけているだけに、今さらながら。

「……似合わないですよね、私が先生なんて。しっかりしている人じゃないとやっぱり、務まらないと思いますし……」

「さよ、四年もあるんだよ」

 言葉を遮られて。小夜子は少しだけびっくりしてしまった。彼はいつだって、ゆっくり相槌を打ってくれる人だから。


「四年もあれば、人は変わる。それこそ別人みたいに変わることもあるんだから。……僕はさよが先生になったらって考えた時、きっと温かい教室になるんだろうなって。そんな想像しかできなかったよ」

 「温かい教室」と聞いて、背中がぴんと。そういえばそうだ。自分のイメージだってそうだった。向いていない、そう思っているはずなのに頭に浮かんだのは──「こんな教室になったらいいな」。


 それに、と付け加えて。奏一郎はまたも、にこり。

「変わらなくても、無理に変わろうとしなくてもいいんじゃないか。僕はドジな先生でもかわいいと思ってしまう方だよ」

「それフォローになってないです……!」

 無邪気な笑顔。途端に浮かべる幼げな表情には、何度でも見とれてしまう。まだ食べ始めて間もないというのに、もう既に満たされてしまったような。……きっと、「嬉しい」という気持ちで胸がいっぱいになってしまったから。


* * *


 その後も二人は、キャンパス内を見学していった。調理コーナーや体に良いレシピを考案するコーナーを見学したり、現役の学生との質疑応答に参加したり。さほど大きくないキャンパスだ、すべてまわりきってもまだ昼過ぎ。


「奏一郎さん、一緒に来てくれてありがとうございました! 一人だと心細かったので嬉しいです!」

「ううん、僕も楽しかったからね」

 そんな会話を交わしながら校門を出る。ふと振り返れば緑に囲まれたキャンパス、きらきらした学生たち。今までぼんやりとしていたその輪郭が、ようやく鮮明に映し出されてきたみたいだ。


 大学を出ると、再び駅の改札へ。もしかしたら今日はこのまま帰るのではないか、そう思っていた小夜子だったが、どうやらそうではないらしい。

「へえ。あの席、いいなぁ。帰りはあそこに座れたらいいね」

 彼がそう言って指したのは、既に家族で埋まっている四つの座席。進行方向とその逆側に二席ずつ、互いに向き合っている。普通車両のはずなのに特急電車みたいだ。

 都心ではあまり見かけない形ではあれど、そこまで珍しいものでもない。


「家族が向き合って移動できるからいいですよね。私も、昔はあの席によく座ってたような気がします」

「小さい頃?」

「はい。……うんと小さい頃です」


 言いながら、昔のことを思い出してしまう。家族で出かける時はよくあの座席に座っていた。隣には母、そしてその向かいには父が腰かけて。自分はいつも窓際にいた。脱がされた靴。窓を眺めては遠ざかる景色に目を輝かせた。車を購入してからは、そんな機会も減ってしまったけれど。

 ……ふと、小夜子は驚きに目を見開いた。窓から見える景色に見覚えがありすぎて。


「……奏一郎さん、もしかして」

「ほう。察しがいいね」

「ほ、本当に何もないところですよ!?」

「そうかなあ。そう思っているだけかもしれないよ」


 遠ざかるマンションたち。広がる並木道。やがてはかつての学舎(まなびや)が、遠い景色に馴染んでいる。


「さよの住んでいた町、来てみたかったんだ。……ああ、さよと一緒にね」

 悪戯っぽく奏一郎は笑んだ。最後の一言を、思い出したように付け加えて。

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